2012年3月28日水曜日

救急車


今、私が住んでいる町には、大きな病院がたくさんあります。そのせいもあって、救急車の出動が、一日に平均十回ほどあります。早朝、救急車のサイレンで目をさますこともよくあり、夜、または深夜も、時間に関係なく救急車のサイレンは鳴り響きます。救急車のサイレンを聞くと、ある知人のことが思い出されます。

 知人は、一流大学を出て一流企業に入り、バリバリ仕事をするスポーツマンでした。社会人になって十年目、突然の事故が彼を襲いました。交通事故に遭い右手が不自由になったのです。彼は、右利きだったため、生活面での不自由さは、大変なものでした。右手を失ったというわけではありませんが、何ヶ月もの入院、再手術、リハビリをしましたが、右手は元に戻りませんでした。職場復帰はしましたが、彼の精神的苦痛は和らぐことなく、お酒の力を借りて、その苦しみから逃れるようになってしまいました。仕事をして生計は立つものの、生きる喜びからは、遠い毎日でした。そしてある日、大動脈瘤破裂で危篤状態になり、救急車で運ばれましたが、帰らぬ人となりました。前途洋々の彼を突然の不幸が襲い、人生がひっくり返り、もったいないほどの能力を思う存分発揮することなく、独身のまま旅立ちました。働き盛りの四十三歳でした。とても惜しまれた彼の人生でした。
 救急車の音を聞くたびに、温厚だった彼の姿が偲ばれます。

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