2014年8月8日金曜日

暑中お見舞い申し上げます

 厳しい暑さが続いている日本で夏を過ごされている方々に暑中お見舞い申し上げます。台風が続いて来ているのであちこちで被害が出ています。くれぐれも気をつけて下さるようお願いします。
 いよいよ明日からお盆休みが始まります。長い人だと九連休になるサマ-バカンスです。故郷へ帰る人達の帰省ラッシュが今夜から始まるのではないでしょうか。故郷ではおじいさんやおばあさん、縁ある人々が、みんなの帰るのを楽しみに待っておられることでしょう。お盆休みの一番のイベントは、お墓参りだと思います。自分のご先祖様、つれあいのご先祖様に、今ある自分達の感謝の気持ちを伝えましょう。
 私達も昨日お墓参りに行ってきました。お盆の前なので人影はなく静かでした。我が家の野良部の部長(娘)が育てた桔梗の花を届けました。


年に数回しか墓参できませんが、父や母、祖父や祖母は、喜んでくれているようです。自分の気持ちも落ち着きます。清々しい気持ちになります。「また来ます」と約束しました。

 お盆休みに突入し、いろいろバタバタがありそうなので、しばらくブログをお休みします。また落ち着きましたら再開します。どうぞよろしく。

2014年8月7日木曜日

「握手」

握手しましょう
ハウドユドユ

握手しましょう
ようこそ こんにちは

手と手を握れば みんな友達
手と手を握れば すぐに友達

握手しましょう
ごきげんよう またいつか

握手しましょう
ありがとう さようなら

手と手を握れば みんな笑顔に
手と手を握れば みんな仲良し

左手で 握手をしよう
右手で 握手をしよう

私は一人じゃない
力が伝わる
元気が生まれる

世界のどこでも 握手をしよう
ハウドユドユ
こんにちは
どうぞよろしく

ありがとう

2014年8月6日水曜日

驚きの発掘

 整理・片付けの悪い私が、たまりにたまった書類の後始末にやっとのことでこの夏とりかかっています。年代別に紙袋に入っているので、大体いつ頃のものとわかるのですが、その中に半世紀以上前のものがまぎれこんでいました。卒業を記念して作られた文集が出てきました。小学六年の時に書いた作文です。あまりの懐かしさについ読みふけってしまいました。読んでいるうちに私はタイムスリップし、小学六年生の私になっていました。その時代私はどんな子供だったのか、作文の内容から少しはわかります。言ったことばのはしばしから考え方もわかり、私はまあまあの子供だったようです。その作文を紹介します。


「母」

 私の母は、お花を教えている。それでも昼までの休みがあると田へ出てゆく。そして昼からは、けいこに出て行く。母は昼までは家にいるが昼から出て行くから、私が家へ帰ると母はいない。
火曜日は、母が一日じゅう家にいるうれしい日だ。でもお昼は支部へ出かけて行く時もあるので、ハッキリしていない。中学校の姉がお昼を家に食べにくるので、母がいてほしいらしい。それでも私は、なるべく母が支部へ行って勉強できるようにしたい。
十月十八日は私の誕生日だった。みんなが贈り物をしてくれた。母はチョコレ-トなどのお菓子を贈ってくれた。私がまだ幼稚園へ行っていなかった時のクリスマスの日、祖父も生きていた日、サンタクロ-スになって、赤い服とズボンを着て、ぼうしをかぶって、ひげをつけて、私達を楽しませてくれた母、私はその時こわがってないた。そしてねているまくらもとへ、姉といっしょにくつ下をさげた。私はそのよく朝、まくらもとを見ると、絵本やお菓子がおいてあった。私はその時のことが頭の中のどこかに残っている。大きくなって、その時のことを思い出すとなんだかなつかしくなってくる。それから、今までのクリスマスまでには、だんだんと簡単になってきた。みんなで歌ってお菓子を食べて、話をして楽しむようになった。
母といっしょにおふろへ入った時、母に「人間の一生を考えるとこわくなるわ」というと、「そやで、一日一日をじょうずにつかわんとあかんわさ」と言った。母はみんなに好かれたらしい。私も、母のようにみんなから好かれる人になりたいと思った。今でも母達は、年に二回同窓会などを開いている。母はよく昔のことをいう。母は親孝行だったらしい。だから母がしらがを取ってといったら、私はとろうと思った。雨がザアザアとふる日でも、北風がふいてとても寒い日でも母は出かけて行く。私が「今日は休みなさ」というと、母は「生徒さんが待ってやで」という。私は母が病気にならないように、私でできることならなんでもしようと思った。私が家にいて、母がけいこに出ていく。なぜか悲しくなる。
母は「ここらへんが、町になってきたら、田を売ってコンクリートの学校を造り、お花やお茶を教えて、大きな看板を出すんや」といった。私もその方が母がらくだろうと思った。今日は火曜日だ。だから早く勉強をして家へ帰ろうと思う。

河原へ散歩に行くと、冷たい風が体にさわる。私はこの時、母のように大きな希望と夢を持って一歩一歩進んでいこうと思った。また、一日一日を上手に使っていこうと思った。

2014年8月5日火曜日

故郷の風景(5)大木

 私の実家には樹齢およそ二百年のくすのきがあります。大きな大きなくすのきです。家の守り神と伝えられてきました。十五年前に私達は実家のそばへ小さな家を建てました。部屋からも庭からも大きなくすのきを見ることができます。私達の家も守ってもらっています。


 人間の命よりもはるかに長い歳月を生きている大木には頭が上がりません。大木には精霊が宿っているといいますが、私には本当のことだと思われます。人が生まれ人が去り、人の命の移り変わりをずっと見続けてきたこのくすのきは、すべてを知り尽くしすべてを見通しているのだと思います。上辺をどんなに飾っても、奥深い心の中までも見抜いていると思います。人間の醜い心にほとほと手を焼き、ハラハラし、あ-あ、これが人間なのだと、呆れ返っているかもしれません。



 大きなくすのきには、いろんな鳥がたくさん集まってきます。カラス、ヒヨドリ、ムクドリ、ヤマバト、スズメなど、とてもにぎやかです。今は朝早くからセミの大合唱が始まります。時々玉虫の姿も見かけます。玉虫の何ともいえない美しさは見事です。玉虫色に輝く玉虫には魅了されます。大きなくすのきは、自然界に生きるすべての者達の傘になっているように見えます。私も時々その傘に入れてもらって、ひと休みさせてもらいます。大きなくすのきを見上げる私は、遠くに去った人達の魂が、くすのきに抱かれて心地よい眠りについている姿を想像してしまいます。今を生きる私は、大きなくすのきから元気と勇気をもらっています。

2014年8月4日月曜日

故郷の風景(4)海

 故郷の海は私にとって馴れ親しんだものです。
子供の頃は祖母の潮干狩りのお伴をして、そのシ-ズンには何度も海へ足を運びました。貝拾いに疲れた私は乳母車に寝転んで大きな声で歌います。祖母が戻ってくるまで歌います。

「うみは広いな大きいな 月がのぼるし日が沈む
うみは大波青い波 ゆれてどこまでつづくやら
うみにお舟を浮かばして 行ってみたいなよその国」

母が病気で入院手術した病院の近くにある海へは、散歩で海岸を歩きました。中学三年生の時でした。母の病状が心配で勉強どころではありません。勉強も手につかず、ピアノの練習も身が入らず、母のそばで時間を過ごす私は、海を眺め、ずっと遠くに広がる太平洋に明るい未来を期待し、波の音に癒やされました。私は小さな声で口ずさみます。
「我は海の子 白波の さわぐいそべの 松原に
 煙たなびく とまやこそ 我がなつかしき 住家なれ

 生まれてしおに 浴して 浪を子守の 歌と聞き
 千里寄せくる 海の気を 吸いてわらべと なりにけり

 高く鼻つく いその香に 不断の花の かおりあり
 なぎさの松に 吹く風を いみじき楽と 我は聞く」

そしてピアノ教師になった私は、船に乗り遠い教室まで通いました。漁業組合会館の二階が教室で、海の際に建つその建物から、レッスンの合間には大好きな海を眺めていました。私の大好きな海は太平洋です。明るい海です。私は心の中で口ずさみます。
「今はもう秋 誰もいない海 知らん顔して 人がゆきすぎても
わたしは忘れない 海に約束したから つらくてもつらくても 死にはしないと

今はもう秋 誰もいない海 たったひとつの 夢が破れても
わたしは忘れない 砂に約束したから 淋しくても淋しくても 死にはしないと

今はもう秋 誰もいない海 いとしい面影 帰らなくても
わたしは忘れない 空に約束したから ひとりでもひとりでも 死にはしないと」


太平洋を眺めている時の私は、自分の未来を、明るい未来を、思い描きます。大好きな人のこと、これから出会う恋人のこと、そして夫になるかもしれない人のこと。果てしない海、太平洋はそんな私の想いに応えてくれました。ポアロ(夫)と出会い、おつきあいが進展する中、私達は海を見にいつもドライブしました。海は二人の海になりました。結婚し故郷を離れ、子供が生まれ、それからは時々しか海を見に行くことができなくなりました。それでも故郷へ帰った時、私は海に会いに行きます。私は「ただいま、久しぶり、ありがとう」と、海に向かって言っています。

2014年8月2日土曜日

故郷の風景(3)城

 今故郷に身を置いて故郷の風景について書いていると、自分にとって城の存在も大きいということを感じます。四半世紀も毎日眺め、城のそばで暮らしてきたことが、城との絆を強め、城が遠い存在ではなくとても身近なものに感じます。そして私は城というものが大好きになりました。





 あちこちへ旅行する時は、必ず城を訪ねます。城の歴史はさまざまですが、過去の栄光をしょって今へ、そして未来へ、これからもずっとずっと姿を残していくことでしょう。栄枯盛衰ということばが頭に浮かんできます。人の一生も、長く続いている家というものも、決して平坦ばかりではありません。子供の頃にヒット曲としてよく耳にした歌謡曲「古城」を口ずさむと、栄華と病葉がじんと胸に伝わってきます。その時代を生きた人々のこと、人と共に生きた城の歴史に想いを馳せてしまいます。城の存在がとても偉大に思
えます。


2014年8月1日金曜日

故郷の風景(2)山

 故郷の山はその日のお天気によって、大きくなったり小さくなったり、高くなったり低くなったり、遠くなったり近くなったり、いろいろ変化します。雨上がりの山はきれいです。濃い緑がくっきりと山の木々の姿を見せてくれます。



 私は山を眺め、対話するのが大好きです。私のその時々の想いを、大きな広い心で受け止めてくれるようです。世界にある数々の山、日本のあちこちにある山々、その中で故郷の山は、私にとって一番身近な大好きな山です。


  今、山を仰ぐ時、大きく育った美しい緑の稲穂が、ずっと山の麓まで続いています。故郷の山は、故郷の風景の王者です。


伊勢地方では伊勢湾台風以後、5月に田植えで8月に収穫をします