2014年6月29日日曜日

「子育て」

子育ては面白い
子育ては楽しい

と言われても真っ只中は必死
余裕はない
子供の命を守るため
ママは頑張る

アルバムを開けば
当時のことがよみがえる
二人の子供はジャンボベイビー
おんぶも抱っこもヘビー級
それでも毎日
ママは頑張る

子育てに休みはない
一日24時間365日
か細い私のどこに
そんなパワーが隠れていたのか

倒れることなく
二人の子供を育て上げた
本当によく頑張った
あっぱれ まるこ

過ぎ去れば
みな懐かしい
あんなこと
こんなこと

二人の命から生まれた一人の命
親は親バカ
みんな親バカ

子育てはそれがいい

子育てはそれでいい

2014年6月28日土曜日

 生まれた時から最期までつきあう自分の顔について、ここがこうあったら、そこがそうあったらと、十代の頃は不平不満を口にした人も多いと思います。特に男性より女性に多いのかもしれません。化粧をしない男性は、「この顔で生きて行くのだ、この顔で生きて行くのさ、何か文句あるかい」と割り切って、顔のことよりも自分の能力を発揮したいと考えているからでしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんも、周りの人から「お父さん似かな、お母さん似かな」といろいろ言われます。美男美女、二枚目、三枚目、二枚目半、ハンサム、ハンサムウーマン、愛らしい、キュート、個性的、クール、表現もいろいろあります。
 先日少し気になる発言が、ポアロ(夫)から出ました。我が家の浄化槽の点検で、15年もお世話になっている男性に、久しぶりに会ったポアロが後で「あの人、ええ顔してるな」と言ったのです。私が心の中で感じていたことは、正しかったのだと確信しました。それは異性だけでなく同性にもわかることだったのです。彼には、二か月に一度来てもらっているのですが、いつも顔を合わすわけではありません。男性が男性の顔について言うのは、珍しいと思いました。さて「ええ顔」とは、その意味は。15年前、初対面の時に私が感じた第一印象は「どことなく頼りない感じのお兄ちゃんだな」というものでした。その時はベテランの熟年男性についてきての挨拶でした。そのあと数回で熟年男性は亡くなられて、彼は一人立ちしました。初対面で私が感じた「頼りなさそう」は、優しさの反面だったのかもしれません。にこやかに優しい雰囲気で話す彼は、そのあと徐々に顔が変わっていきました。会うたびに彼は逞しくなり、ポアロの言う「ええ顔」になっていきました。顔にはその人のすべてがあらわれます。人間としての成長や成熟が、顔ににじみ出てくるのだと思います。年齢も二十代から三十代、四十代へと変わり、彼の人生も独身時代から家庭人となり、子の親にもなったでしょう。そして仕事にも責任と自信がついて、立派な大人になったのだと思います。

 自分自身のことは全くわかりません。人の目を気にすることなく、ひたすらがむしゃらに生きてきた私ですが、人生の先輩方は、私の成長・成熟を、どういうふうに感じておられたのでしょう。今思い出すと恥ずかしく面映ゆい限りです。

2014年6月27日金曜日

「一人の時間」

一人の時間
それは至福の時

私はピアニストに変身する
ショパンを想い
ベートーヴェンを想い
彼らの過ごした異国の地へ心を馳せる

私はピアニスト
名も無きピアニスト

十本の指は鍵盤の上を飛び跳ねる
半世紀を超えピアノと生きる
ピアノは恋人
永遠の恋人

一人の時間
それは至福の時

私は作家に変身する
思うがままに書きまくる
湧き出る思いを
熱き思いを

私は作家
名も無き作家

一人の時間
それは至福の時

私は詩人に変身する
短い言葉の中に
愛を勇気を
喜びを苦しみを
そして深い悲しみを
人間の生きるすべての心の内を
美しさも醜さも
言葉に託して

私は詩人

名も無き詩人

2014年6月26日木曜日

熱き戦い

 ブラジル2014ワールドカップが始まり、世界中、日本中が燃えています。世界の32カ国が8グループに分かれて、熱戦を繰り広げてきました。世界一の頂上を目指し、まだ熱戦が続いています。
 2014年ワールドサッカーの日本の戦いは終わりました。日本代表チームの皆さん本当にありがとう、お疲れさまでした。第2戦第3戦は、日本時間の早朝でしたが、ポアロ(夫)は珍しく自ら早く起床し、テレビの前に座りました。熱烈なサポーターのみなさんは、サッカーを応援するための自分の人生とばかりに燃えています。私は一歩下がって応援しているので、ポアロの横でテレビを見るくらいです。ポアロは手をたたいたり、大きな声を出して、盛り上がっています。私はサッカーのルールを知らないので、その都度あれこれ質問をします。日本が点を入れたり、相手チームに点を入れられたり、又はそのぎりぎりの状態の場面など、ハラハラドキドキです。ポアロは観戦しているだけで、胃が悪くなりそうと言っていますが、ザッケローニ監督をはじめ、関係者のみなさんの心労はいかばかりかと察します。
 出場32カ国について、なじみのある国から「えっ、この国はどこにあるの」と思う国までいろいろです。地球儀を持ち出し、家族で「ここよ、ここ、ここ」と、私は教えてもらいました。「ホンジュラス」という国名は、私は初めて聞きました。その他でも国名は知っているけどどこだったかなと、あやふやな地理の知識の私は、今回のワールドサッカーを見て少し勉強しました。ためになりました。民族、人種、肌の色を越えて、サッカーの下、戦うことの素晴らしさを痛感します。ここには体格の違いも含まれています。

 勝負の世界は勝つか負けるかです。結果重視です。過程が良くても結果が悪ければ、負けは負けです。結果が出た以上、何を言っても弁解・言い訳にしかなりません。次に向けての地道な努力が続きます。4年後に向けてのスタートが始まりました。

2014年6月25日水曜日

「弔辞」

あなたの訃報を知ってまだ二十時間
「姉さん」と呼んでくれたあなたは妹
姉妹じゃなくても妹
七歳下のあなたはまだまだ若い
美しく聡明なあなたは皆の憧れの的

人生のピリオドはいつも理不尽
どうして?
なぜ?
どんなに繰り返しても
答えは返ってこない

半世紀の人生は幸せでしたか
いろいろあったね
本当にいろいろあったね
長女のあなたは
父を見送り
母を見送り
二人の弟にとって母のような存在

人生のピリオドは年功序列がいい
先に生まれた人が先に逝く
逆縁は悲しい
逆縁はつらいもの

晩婚だったあなた
十六歳年上の素晴らしい人と
巡り会い夫婦(めおと)となった
その結婚は今迄のあなたの不幸せを全て包み込んだ
誰からも大きな祝福をもらった

それなのに
なぜ?
どうして?
十年も経たずに逝ってしまうとは

運命とは何?
天使のいたずらとは何?

あなたの霊を慰めたい
現世での人生お疲れ様
来世できっときっと幸せに
来世でずっとずっと幸せに
父や母 皆との再会を喜んで下さい

祈っています

2014年6月22日日曜日

ここどこ

 先日京都三条にある回転寿司屋へ夫婦で出かけました。夕食の時間帯だったので混雑を覚悟して行きました。お店へ入るとたくさんのお客でにぎわっています。一階は満席とのことで二階へ上がりました。一階を通り抜ける時、お客さんの中に外国人の姿が多いことに気付きました。そして二階へ上がると食べている人はみんな外国の方だったのです。周りを見回すと、中国か韓国のアジアの人、フランスの人、英語圏の人、日本人は私達だけです。私は一瞬「ここどこ」という思いが頭をよぎりました。席に着いた私は「ここは日本、京都三条、回転寿司のお店」と頭の中で整理しました。私達が席に座った時から、皆さんの視線を感じます。日本にいるのに、外国人から、まるで「あの人達は日本人ね、どういうふうにお寿司を食べるのかしら」と見られているようです。私の隣のグループは、三組の熟年カップルです。パッと見たところ、いかつくてフレンドリーより少し遠い印象を持った私は、少し緊張しながら食べ始めました。隣のグループは食事も終わりに近いようです。寿司皿が積み上げられています。皆さんの会話が聞こえてきます。どうも英語、フランス語ではないようです。ドイツの方達かなと思っているところへ、通訳の日本人男性が来て、これからの予定を説明しています。私の隣の女性と目が合って、お互いに笑顔を交わしました。いろいろしゃべれるとどんなにいいかと思いながらも、私はしゃべれませんでした。突然ポアロ(夫)が「Germany?」と尋ねました。彼女は「Yes Germany」と言いました。そしてそのグループは立ち上がり、店の人がお皿の数を数えて伝票を渡すと、グループの中の女性が「どうも」と言って笑いが起こりました。京都三条辺りにはホテルがたくさんあります。これから食後の散歩に出かけられるようでした。

 世界中に日本食ブームが起こり、その中でもお寿司は人気ベストワンです。世界の主要都市には、お寿司屋さんがあるようです。南仏モンペリエにもあります。私達が今迄に行ったロンドン、パリにもありました。
 日本へ観光旅行に来る外国人もどんどん増えています。先日京都市が発表した去年の京都市への観光客数は、5162万人で過去最多を更新したそうです。外国人宿泊客も前年を3割上回る113万人に達し、初めて100万人を突破しました。

外国人宿泊客の国・地域別人数
   台湾 23万人
   米国 16万人
   中国 11万人
   タイ 2万人       
とのことです。


たくさんの外国からのお客さまにおもてなしをするには、やはり語学力を身につけねばと、私はつくづく感じました。

2014年6月21日土曜日

生き物係(2)

 小学校の先生をしている娘とポアロ(夫)は、我が家の生き物係です。娘が飼い始めた五匹の黒メダカは、すくすくと育ちました。娘に頼まれて私が名付け親になり、空くん、陸くん、海くん、心(こころ)ちゃん、和(なごみ)ちゃんと命名したあの五匹の黒メダカ達です。



 娘とポアロは休みの日には、せっせとメダカ達の家の掃除をして、良い環境を整えてきました。メダカ達が我が家へ来て、早二ヶ月が経ちました。そして今日も我が家の二人の生き物係は、いつものようにメダカハウスの掃除や手入れを始めました。と思ったら二人が大きな声で台所にいる私を「お母さん---大変だ---!」と呼ぶので、とんでいくと「赤ちゃんが生まれたよ---。たくさんいるよ---。二十匹ほどいるよ---」と言います。私は本当に驚きました。小さな、小さなメダカの赤ちゃんが、たくさん泳いでいます。3~5mmぐらいで写真に撮るのも大変です。



まだホテイアオイの毛根に卵がたくさん付いています。


私は小さい、小さいメダカの赤ちゃんを見たのは初めてです。家で飼っているメダカに赤ちゃんが生まれたのは初めてのことです。家族皆が新しい命の誕生に感動しています。命あるものの誕生と消滅が、繰り返されているこの世界です。神秘的な世界に感動します。
 娘が言いました「お母さん、赤ちゃん達の名前を考えて」と。あまりの多さに、私はたじろいでいます。今フランス語会話を習っている私は、頭に浮かびました。「そうだ、フランス語の数字はどうかしら、アン、ドゥ、トゥルワ・・・・・」

 何はともあれ「メダカさん達おめでとう!赤ちゃん達こんにちは。はじめまして。どうぞよろしく」

2014年6月20日金曜日

おくればせながら(2)

昨日に引き続き「文楽鑑賞教室 はじめての文楽」鑑賞記です

 



 
  まず最初に解説「文楽へようこそ」がありました。
*文楽は大阪で生まれて大阪で育ちました。
*文楽の舞台は、大夫(たゆう)と三味線による義太夫節(ぎだゆうぶし)と人形の動きとが一体となって生まれます。
*義太夫節は竹本義太夫が創始した一種の声楽で、大阪道頓堀に竹本座を作り、近松門左衛門の作品を上演し「曽根崎心中」が大ヒットしました。
*文楽の舞台を支える2本の柱は浄瑠璃と人形です。
*「文楽」と呼ばれるようになったのは、明治の終わりごろからで、それまでは「操り浄瑠璃芝居」または「人形浄瑠璃」といっていました。300年の歴史を持っています。 
 




大夫と三味線弾きの紹介があり、実演をはさみながらの解説が続きます。

*大夫は登場人物のすべてのセリフだけでなく、その場の情景から事件の背景の説明まで、一人でやってのけます。登場人物の数も数人から十数人に達し、老若男女、武家、町人、百姓などを語り分け、人物の心を表現することが最大の目的となります。
*三味線は一番大型で音も低く大きい太棹です。ばちは象牙で厚く、重く、重量感のある力強い音色を響かせ、大夫の語りを助けます。

*文楽では人形遣いが堂々と観客の前に登場します。
*文楽人形は一体の人形を三人がかりで動かす「三人遣い」が独特の人形操法です。主遣い・左遣い・足遣いの三人の気持ちと呼吸がぴったりとあわなければ、人形の動きはばらばらになってしまいます。
*人形の背丈は1m20㎝~1m50㎝、重さは5~10Kgあります。
 人形遣いの説明と実演があり、観客の中から三人の方が舞台に上がって、人形遣いを体験されました。四十代くらいの女性二人と男性一人でした。

今日の出し物は「三十三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」でした。
大夫と三味線弾きは、話の展開場面で入れ替わります。何組かにバトンタッチされました。

舞台最前列の上に字幕が出ます。大夫の語りです。舞台の人形の芝居を見て、字幕を見て、さらに大夫を見てと忙しかったです。短い時間でしたが、日本の伝統芸能文楽を勉強しながら楽しみました。平成二十年(2008)ユネスコ無形文化遺産となっています。

2014年6月19日木曜日

おくればせながら(1)

 恥ずかしい話ですが、私はこの歳まで日本の伝統芸能の一つ文楽を見たことがありませんでした。先日ブログに書きましたが、エストニアの人との出会いがあり、外国人が日本について勉強し、日本へ何度も足を運び、日本の伝統芸能(能・歌舞伎・文楽)も鑑賞されているということを聞いて私は焦ってきました。今迄の穴埋めをしようと行動を起こしました。これからは機会を見つけて夫婦で出かけることにしました。
 始めにポアロ(夫)がインターネットで情報収集・調査をしました。東京迄行くのは大変なので、京都・大阪を調べました。歌舞伎は春と秋しかしていません。能は大学生の研究発表会が、わりと数多く催されています。そして今、ちょうど鑑賞できるというものを見つけ、早速電話をしてチケットの予約をとりました。



 「文楽鑑賞教室 はじめての文楽」です。そして昨夜二人で出かけました。会場は大阪日本橋にある国立文楽劇場です。この建物は今年三十周年の節目の年を迎えました。ポアロは三十年前、この建物が完成した時に足を運び、簡単な説明と短い文楽を見せてもらったそうですが、私は全く初めてです。興奮します。開場30分前までに予約したチケットを購入しなければなりません。私達は約1時間前に着いたので、チケットを購入してから建物内にある茶僚で食事をしました。そして開演10分前には席に着きました。今夜は社会人のための文楽入門です。-内容はあす報告します。


2014年6月18日水曜日

スタンプラリ-


 1993年秋から始まったJR東海の「そうだ 京都、行こう」キャンペ-ンが二十周年を迎え、スタンプラリ-が行われています。当時八年もの長きにわたり東京へ単身赴任をしていた夫は、毎週末新幹線で帰省する際、この「そうだ 京都、行こう」の美しいポスターを目にしていたので、我が家の歴史と重なるものがあります。キャンペ-ンCMやポスターに登場した神社やお寺と共に、オリジナルスタンプを制作した、二十周年記念企画のスタンプラリ-です。パンフレットを見ると、ずい分たくさんの神社やお寺が載っています。その内の三つのスタンプを押して応募すると、抽選でプレゼントがもらえるので、私達はこの企画にのってスタンプラリ-を始めることにしました。自転車でサイクリングを楽しみながら回ろうと計画しました。



 一番目に平安神宮を訪れました。大きな門、応天門をくぐったところにあるお守りやお札の授与所の隅に、スタンプ台が置かれていました。



最近平安神宮神苑無料公開の時に、訪れたところなのでスタンプだけ押して帰りました。神苑を一周した時に、たくさんの木々や花、植物があり、その数に圧倒されましたが、もう一つ驚いたものがありました。チンチン電車が神苑の中、それも入ったところに置かれていました。明治28年(1895)日本最初の路面電車が京の町を走りました。この車両は当時のものだそうです。


この年は平安遷都千百年祭として、平安神宮が創建されました。かつて平安京の大内裏(だいだいり)にあった大極殿(だいごくでん、朝廷の正殿)・応天門(おうてんもん)をモデルとしているとのことです。


 私達が始めた「そうだ 京都、行こう」のスタンプラリ-は「4月-6月編」ですが、70もの寺社がとりあげられています。全部を回るのは無理だと思いますが、自転車で行けるところだけでもスタンプラリ-をしようと燃えています。次回の「7月-9月編」は最終回とのことです。

2014年6月17日火曜日

「我が家の冷蔵庫」

我が家の冷蔵庫は大きい
とてつもなく大きい
何人家族用?
みんなが尋ねる
私はニヤニヤしている

我が家の冷蔵庫は魔術師
私の望みのものを
いつでもパッと出してくれる
重い扉でもなく
軽やかにサッと扉を開けて

我が家の冷蔵庫は万屋(よろずや)
何でもそろう万屋
私が子供の頃
どこの村にも一軒はあった万屋
私の大好きな万屋
おじさんおばさんの顔が思い出される

私の家の前にあるコンビニエンスストア
毎日お世話になっているコンビニ
これこそ今の万屋
これこそ大きな冷蔵庫

これこそ我が家の冷蔵庫

2014年6月16日月曜日

六月の花 つづき

 自転車で京都鴨川の岸辺をよく走るのですが、今いろんな花が咲いています。町の街路樹の足元に咲いている黄色の花を、最近よく見かけますが、名前は知りませんでした。金糸梅(キンシバイ)という名前だとわかりました。鴨川の河川敷は最近整備されて、まだ工事中のところもありますが、きれいになりました。市民のための憩いの場として、運動広場やジョギングコ-ス、散策路など公園になっています。その公園のあちこちに、金糸梅がたくさん咲いています。緑の葉が茂っている中に、たくさんの黄色の花があります。見るからに元気そうな花です。黄色の花はよく目立ち、遠くからでもわかります。颯爽と自転車をこぐ私は、あっ金糸梅、これも金糸梅と確かめながら、鴨川の岸辺を走っています。

北大路付近
小さなグランドもあります、右下が金糸梅

金糸梅の密植


 金色のおしべと5枚の花弁

 金糸梅と同様に、最近よく見かける花があります。下野(シモツケ)という花です。始めは女郎花(オミナエシ)と思ったほどよく似ています。ピンクの小さい花が集まっています。やさしい色合いです。鴨川河川敷にもたくさん咲いています。


 府立医大横の大木と下野

 下野の密植

微妙な色の違いがあります


日本に咲く花も時代とともに、最近は外来種も増えて、いろんな花がにぎやかに咲いています。私達の心を和ませてくれています。

2014年6月13日金曜日

珍しい花

 菩提樹の花を見たことがありますか。今日訪れた浄土寺真如堂の本堂の前に、大きな菩提樹の木があり、ちょうど満開でいい香りを漂わせていました。仏教の三聖木(無有樹、沙羅双樹、菩提樹)の一つで、釈迦がその下でさとりを開いたといわれる木です。
 菩提樹という木の名前は知っています。聞いたことはありますが、見たことはありませんでした。

シュ-ベルトの「菩提樹」は、中学校の時に習ってよく口ずさむ歌です。
   「泉に添いて       茂る菩提樹
    したいゆきては     うまし夢見つ
    みきには彫(え)りぬ  ゆかし言葉
    うれし悲しに      といしそのかげ」

その菩提樹の花が満開の時に出会えました。まさに御縁を頂きました。ほのかに香る菩提樹の花です。夕方四時ごろに真如堂にたどり着いた私達は、しばらく菩提樹の下で、花の香りを楽しみました。








夕暮れでお参りする人は少なく、少し淋しいお寺の境内でしたが、近所の人が犬の散歩をしていました。

2014年6月12日木曜日

懐かしい声

 引っ越しのあいさつのハガキを出した私の元へ、何人かの友人からメ-ルやハガキが届き、電話もかかってきました。その中に半世紀にわたって仲良くしている友人からの電話がありました。ちゃんづけで呼び合っている間柄です。人生の節目節目ではいつも会っていましたが、私があちこち飛び回る生活の中で、少し御無沙汰していました。お互いの近況報告を交わし、体の不調を訴える彼女に「私もよ、一緒よ、何といっても年輪を重ねるってことはこういうことよね」と、お互いを慰め励まし合いました。
 今の彼女の楽しみは、家庭菜園でいろんな野菜を作ることだそうです。いろんな話が次から次へと伝播して、あっという間に一時間半が過ぎてしまいました。一人っ子の彼女には二人の娘さんがいます。そして今では五人の孫のいるおばあちゃんです。二人の娘さん達は結婚して同じ市内の実家に近い所に住んでいるとのことで、私の友達は、娘さん達の子育てに大いに貢献しているそうです。私は結婚して故郷を離れたので、子供達が三歳くらいまでは、特別な何かが起こった時には母が来てくれました。が概ね夫婦で協力し合って子育てに取り組みました。そんな中でも仕事を続けてこられたことは、本当に感謝しています。友人が、二人の娘さん達の子育てに多大な協力をしているという話には、頭が下がります。彼女は立派な助っ人です。幸せな母と娘の姿を見せてもらった気がします。
 友達は、どんなに遠くに離れていても、ブランクがあったとしても、ひとこと言葉を交わせば、何十年もの時を巻き戻してくれます。それは幸せな時間です。「近いうちに会おうね」と約束しました。

 そしてポアロ(夫)にも、友人から電話がありました。男同士てきぱきと日時を決め、早速来週会うことになったようです。

2014年6月11日水曜日

六月の人気者

 今年も六月の人気者に会える日がやってきました。私達は早速会いに出かけました。
 京都の町の中を流れる鴨川は有名ですが、その右岸の今出川通の少し南辺りで水を引き込み地下をくぐり丸太町通りを過ぎたあたりで再び地上に顔をみせる川があります。みそそぎ川という幅5mほどの川です。

取水口

二条通りから北を見る、右側は本流鴨川

その下流は京都名物川床の下を流れていきます。さらにその一部は高瀬川の源流となります。そのみそそぎ川の二条大橋の北側の100メ-トルほどのところに、六月の人気者ホタルが飛んでいます。今年は例年よりたくさんいるそうです。

高瀬川の源流部

みそそぎ川のホタルを守り育てる会もあって、地元の人達は努力されています。カワニナというホタルのえさとなる貝もたくさんいます。

ホタルが好む岸辺

 川底のカワニナ?

私達は夜八時頃にみそそぎ川へ着きました。川の上流にも下流にも、ホタルが飛んでいます。真っ暗な中でホタルの淡い緑色の光が点滅します。幻想的です。私達のそばへも飛んできて、本当につかめそうです。近所の人達、大人も子供も感動の声をあげています。みそそぎ川の近くには、ホテルや旅館も多くあり、その宿泊客でしょうか、観光客も大勢いました。


 六月になると日本のあちこちから、ホタルのたよりが届きますが、京都では都市の真ん中でホタル観賞ができます。全国の中でも珍しいことと思います。

 京都では他にも、下鴨神社の糺(ただす)の森、哲学の道、白川でも、ホタルが飛んでいるとのことです。例年6月10日ごろかと思います。ホタルの写真を撮るのは至難の業らしく、上手に撮れませんでしたが見て下さい。来年は挑戦するとポアロ(夫)は言っています。

2014年6月10日火曜日

六月の花ふたたび

 いつかのブログに六月の花として紫陽花(あじさい)をとりあげましたが、今まさに梅雨の中紫陽花が美しく咲いています。京都市役所の前の通りは御池通(おいけどおり)ですが、両側にけやき並木が続いています。桜が終わる頃から新緑が出て、今はいきいきと青葉が繁ってきれいです。



市役所の前には、がく紫陽花が咲いています。白、ピンク、紫、青の小さい花が、かわいくきれいです。
 


 御池通を西へ進むと、けやきの足元に紫陽花が咲いています。富小路(とみのこうじ)と柳馬場(やなぎのばんば)の間に、青色の紫陽花がたくさん咲いています。見上げると背の高いけやきが、そして足元には紫陽花が咲いて、御池通を散策する私達を楽しませてくれています。




  この季節近くの道沿いにはいろいろな色の紫陽花が咲いています。









2014年6月9日月曜日

悲しい知らせ

 今朝早く悲しい知らせが届きました。フランスにいる娘のパ-トナーのお母さんが、今朝早く亡くなられました。持病をお持ちでしたが、遠い日本から来た私の娘と縁あって、新しい家族ができたことを喜んでおられました。私達も今年の夏はフランスへ行って、ご家族にお会いするのを楽しみにしていたところです。フランスと日本を結ぶ新しいカップル誕生を、皆が喜んでいました。私達がフランスへ行ったり、皆さんを日本へお迎えしたりという、計画を立てようと話していました。愛する人の旅立ちを見送るということは、残された家族にとって大きな深い悲しみです。私より二歳上のお母さんは、今の時代ではお若く、まだまだこれから先の日々があったのにと思うと残念です。国が違い宗教が違いk慣習が違い、何をどういうふうにしたらよいのか皆目わかりませんが、美しい花々を献花してほしいと娘に頼みました。遠い日本で私達にできることは、ただただ御冥福をお祈りすることです。

2014年6月8日日曜日

エストニア 知っていますか(2)

 コ-ヒ-とフル-ツポンチを出して、1時間半ほどいろんな話をしました。彼は41歳。両親は大学の先生で、お父さんは英語をエストニア語に、お母さんはドイツ語をエストニア語に翻訳して本を出版されているそうです。お姉さんはフランス在住とのことでした。 
エストニアは20数年前にソビエト連邦から独立したということを知りました。ネット電話のスカイプはエストニアで生まれたそうです。エストニアには高い山がなく(最高標高318メ-トル)、国土の約半分(50,5パ-セント)が森林だということです。日本についての知識は、高校の時に勉強したそうです。エストニアでは、日本語を習っている子供達がいるそうです。明日は朝から文楽を観に大阪へ行くとのことで、日本人よりも日本についていろいろ勉強されていると感じました。歌舞伎は前回来日した時に、東京で観たとのことでした。いろんなお話をする中で福島について心配して下さっていました。
 彼が帰る時、思いついて家にある「うちわ」をプレゼントしました。京都の祇園祭の絵が描いてある「うちわ」だったのでちょうどよかったです。「次回来られる時に、またお会いしましょう」と握手をして別れました。

 そのあと急いでエストニアの国について、インタ-ネットで勉強しました。
  国の面積は九州とほぼ同じ
  人口は約134万人(京都市より少なく奈良県とほぼ同じ)
  国土の約二分の一は森林
  1991年にソビエト連邦から独立
  公用語はエストニア語
  スカイプ発祥の地
  大関「把瑠都」の出身国
  バルト三国の一つ
  観光客は年間500万人
  首都タリン歴史地区は世界遺産
  経済状況は良好
  国の主な産業は観光産業・IT産業
  フィンランド(ヘルシンキ)から首都タリンへは高速船で1時間半
  今年(平成26年)3月上旬大統領夫妻が訪日された

 思わぬ出会いに私達は興奮しました。突然の誘いに応えて我が家へ足を運んでくれたお客様、エストニアの人と初めてお話ししました。エストニアについて、知識も少しは増えました。私達夫婦がおっちょこちょいなのかもしれませんが、とにかく異文化コミュニケ-ション万歳です。遠い国からのお客様に刺激を受けた私達は、これから日本の伝統芸能(能・歌舞伎・文楽など)を鑑賞したいと思います。いつか機会があればエストニアへ行ってみたいと、夢がふくらみました。


追記  昨夜彼からお礼のe-mailが届きました。