2018年7月31日火曜日

嬉しいニュース(白鳥ヒナ誕生―2)


 京都六角堂で白鳥のヒナが誕生したニュースをブログに書いたのは、6月中旬のことでした。ちょうどひと月が過ぎたので、先日ヒナの成長を見に行ってきました。6月6日に誕生したヒナは、その倍ほどに大きくなって白鳥のスタイルになっていました。



首も伸びて自分でエサを食べることができます。それでもお父さん白鳥とお母さん白鳥は、そばで見守っています。今年の京都の厳しい暑さも乗り越えているようです。小さなヒナが成長していく姿は、とても嬉しく感動をもらいます。これからも見守り続けたいと思います。
下の写真は1か月前の様子です。アヒルのおもちゃのような体型でした。





2018年7月30日月曜日

甦る弥生時代


 先日京都の真ん中で遺跡発掘調査の現地説明会があったので出かけました。説明会は市民のために一日設けられ、所要時間は一時間でした。調査地は、平安京左京六条二坊九町跡及び弥生時代から古墳時代の集落跡である烏丸綾小路遺跡です。現在の地名は下京区油小路松原下るです。明治2年に開校された下京第十三番組小学校が始まりとなり、明治6年に旧園部藩邸があったここ現地に移転した京都市立醒泉小学校跡地です。少子化になったため三つの小学校が統合され、発掘調査が終われば新築工事が始まります。






 今回の調査では、弥生時代から江戸時代に至るまでの人々の営みを示す遺跡・遺物が確認できています。特に弥生時代中期初頭の集落遺跡は京都盆地では珍しく、竪穴住居や川の跡、そこから出土した土器・石器などは、人々の暮らしを具体的に示すもので、これらを発見したことは大きな成果と言われています。土器では甕・壺・鉢・高杯・蓋などがあります。石器の種類には石包丁や石斧などがありました。製作途中の未製品や石屑、製作工具である石錐・石鋸・砥石があることから、石器の製作や玉つくりが行われていたと考えられるそうです。




江戸時代、室町時代、鎌倉時代、平安時代を遡り弥生時代が甦ってきました。2300年ほど前の人々の暮らしが甦ってきました。現在の地表から3メートル下の世界です。刷毛できれいに土を取り除いていくという、気の長い発掘調査の大きな成果です。人の足跡がはっきりときれいに見ることができます。もみ殻もたくさん発見されたそうです。


 遠い昔が近くに感じられてしまいます。これからの発掘調査にも大きな期待を寄せています。

2018年7月27日金曜日


 気温35℃を上回る猛暑日も、40℃近くなると酷暑です。そんな中でも人はいろんな涼を考え求めます。昔からどこでも夏には見られた水まきや水打ちもその一つでした。しかしこの酷暑の中ではあまり見られません。外出は控えて、クーラーをかけて家で静かにしているのが、シニアにとっては最良かもしれません。 
夕方に鴨川を散歩すると、多くの人が足を水につけて涼をとっておられます。足を水につけて、寝転んでいる人もいます。




よく見ると外国の方たちです。バカンスで日本へ来られた外国の人たちは、この暑さに驚き閉口されていることと思います。夕方の鴨川は、皆さんにとって少しばかりの涼をもたらせてくれるようです。

2018年7月26日木曜日

夢のような話


 連日厳しすぎる暑さが続いています。あちこちで40℃を上回る新記録が発表されています。去年の夏は、一ヶ月をフランスで過ごしました。娘の結婚式のために渡仏した私達は、娘の運転と案内でフランス縦断の旅もしました。その時に訪れたノルマンディー地方では、気温11.7℃となり、夏というのにまるで冬のような寒さを経験しました。フランスにいる間に、日本の夏をすっかり忘れていました。そして今年の夏は、異常気象と思えるほどの酷暑が続いています。
先日テレビで「日本一涼しい町」という報道を見ました。それは北海道の釧路です。数年前から夏を釧路で過ごすという長期滞在者が増え続けているそうです。今はホテルなどの宿泊施設はいっぱいで、泊まれない状況だと伝えています。気温は17℃ほどで、20℃を超えることは珍しいそうです。30℃を超える真夏日は10年に一度くらいとのことです。夜は羽織るものがいるとのことです。釧路駅に着いた観光客は皆さん「涼しい!」と感嘆の声を上げています。大阪から来たというシニアのご夫婦は「毎年一ヶ月滞在しています」とおっしゃっていました。素晴らしいことです。酷暑の夏は、涼しい所へ脱出です。夢のような話です。去年のフランスでの一ヶ月を思い出しました。

2018年7月25日水曜日

私の好きな歌「川の流れのように」


 1989年(昭和64年)に発売された美空ひばりの名曲「川の流れのように」は、たくさんの人に愛され歌い続けられています。私の愛唱歌にもなっています。人の数だけの人生があり、人の数だけの故郷があります。目を閉じてこの歌を歌うと、遠く過ぎ去った人生や故郷が浮かんできます。胸を打つものがあります。心に深くしみ込んできます。

「川の流れのように」

 知らず知らず 歩いて来た
 細く長い   この道
 振り返れば  遥か遠く
 故郷が見える
 でこぼこ道や
 曲がりくねった道
 地図さえない
 それもまた人生
 ああ 川の流れのように
 ゆるやかに
 いくつも 時代は過ぎて
 ああ 川の流れのように
 とめどなく
 空が黄昏に 染まるだけ

2018年7月24日火曜日

祇園祭後祭


 昨夜は祇園祭後祭の宵山に行ってきました。前祭の時は留守をしていたので、祇園祭2018の宵山は初めてです。17日に前祭山鉾巡行が行われ、翌日からは後祭の山鉾建てが始まりました。前祭と後祭の二つに分かれての祇園祭は、スケジュールが立て込んでいます。33基ある山鉾の内、10基が後祭です。くじなしの一番は橋弁慶山です。牛若丸と弁慶の五条橋での対決です。くじなし二番は北観音山、くじなし六番は南観音山、最後くじなし十番は大船鉾です。宵山では、新町通り、室町通りを歩きました。後祭の代表的なこの四つを見ることができました。前祭に比べると規模が小さいように思います。四条通りや烏丸通りの歩行者天国はありません。夜店も少ししか出ていません。それでも国内外からの観光客がたくさん来られていました。伝統を守り後世に伝えていくという、京都の町衆みなさんの熱意と意気込みが溢れているように感じました。




 今日24日は祇園祭後祭山鉾巡行です。前祭とは反対回りで巡行します。自宅の近くの御池通り京都市役所前に、くじ改めの本部が設けられています。京都市長、京都府知事、他に一人の計三人が幕府の役人の装束で座っておられます。そして御池通りを挟んで向かい側には、前祭の時と同様に、京都テレビ実況中継の席があります。メインキャスターの男性は、おなじみの隣人です。

放送席

橋弁慶山

北観音山

黒主山

鯉山

鈴鹿山

南観音山

役行者山

浄妙山

観音山

大舟鉾


祇園祭が身近に感じられます。祇園祭は、応仁の乱のあと33年間ありませんでした。大火があった1500年に、室町幕府の後押しを得て再興されたそうです。豪商たちの力もあり、長い歴史の中で生き続けてきました。全国の祭の原点になっていたそうです。夜には、三基の神輿が町を練り歩き八坂神社へ帰っていきます。
 
夜の還幸祭に向けて気合を入れる神輿の担ぎ手

京都の夏の大きなイベントが、もうすぐ終わろうとしています。祇園祭2018は、気温が40℃という非常事態の中での祇園祭でした。   

 

2018年7月23日月曜日

言葉の変遷


 言葉は時代とともに変わりますが、流行り言葉はテレビの電波にのって一気に全国に広まります。最近は特に短縮するのが広まっているように思います。先日ポアロが「バンセン」と言った時に、私はすぐにはわかりませんでした。初めて聞いた言葉です。説明してもらって驚きました。「番組宣伝」という言葉を短くしたものです。今の時代は、多くのものを省略する傾向にあります。大流行りの〇〇活という言葉も短縮したものです。短縮した言葉を使わないと、時代遅れに思われるのでしょうか。あるいは自分がそういう意識を持ってしまうのでしょうか。ちょっと気を付けて周りを見回すと、たくさんの面白い言葉を見つけられるようです。
 いつから知っていたのか、言っていたのかは記憶が定かではありませんが、私は「アッパッパ」が大好きです。「それ何?」と言われそうですが、家族は知っています。姉も義母もこの言葉を使います。今風に言えば「ホームウエア」「家着」です。私より年下の人は知らない言葉かもしれません。以前日本の有名女流作家の作品の中に、この言葉が出てきた時はとても嬉しく思いました。この方は十二歳ほど年上です。言葉は世につれです。面白い分野だと思います。

2018年7月20日金曜日

夏の色


 西日本豪雨のあと、日本列島は酷暑に見舞われています。京都では、観測史上最高の39.8℃を記録しました。厳しい暑さの中で咲く花に目がいきます。不思議なことにオレンジ色の花が多いことに気づきました。ノウゼンカズラ、ヒメユリ、オニユリ、カンナ、アロエなどはその代表です。

ご近所のノウゼンカズラ

食用に買ったものを植えました4年目です

時々咲きますアロエの花

 他にもヒオウギ、キンセンカ、マリーゴールド、クンシランもあります。厳しい暑さもなんのその、暑さにめげず炎天下でも元気に咲いています。オレンジ色の花たちに、元気をもらっています。

京都市役所のロビーのヒオウギ


 夕焼けも暑さのせいか濃いくれない色です。



2018年7月19日木曜日

嬉しい偶然


 先日思いもかけない偶然の出会いを経験しました。用事で出かけた時に、寺町通りの好きな私はいつものように寺町通りを歩きました。何気なくすれ違った外国の方の顔を見て驚きました。見覚えのあるお顔です。シニアの男性です。ハットして、その前を歩いている男性を見て確信し、声をかけました。「〇〇さん!」フランス在住の娘を介して出会ったフランス人親子だったのです。二年前に初めてお会いし、京都案内をしました。父、息子、孫、三世代にわたる男性たちです。孫も二十歳を超えています。福島県出身の日本人女性と結婚されています。
以前ブログに書きましたが、毎年夏のバカンスは一ヶ月ほど日本に滞在されています。奥さんは、実家にこもり肉親との絆を深めています。その間、父、息子、孫の男性たちは、日本中を旅しています。今回は孫の彼女も加わっての、四人旅です。家族で日本へ来ていることは聞いていたのですが、詳しいことは知りませんでした。同じ時間に同じ場所、というのが、すごい確率で起こりました。時間が少しずれただけでも会えません。気分が変わって通る道を変えたなら、会うことはできません。再会を喜び、翌日にお茶と食事の約束を交わしました。
 京都の酷暑の中で、祇園祭を見たと興奮されています。京都で三日間の観光、そのあと金沢へ移動して二泊して福島へ戻るとのことでした。朝からポアロと車でホテルへ迎えに行き、京都駅前でお茶をしました。少し遅れて、孫は彼女と一緒にやって来ました。二人とも大学生です。彼女に会うのは初めてです。彼女は、高校生の時に佐賀県で一年間ホームステイをしています。きれいな日本語で話してくれました。一年間でこれほどの語学が身につくのかと驚きました。そのあと六人で昼食を食べました。お土産を買いに六角通りのお店まで行きたいという若い二人を車で案内して、京都駅へ送りました。たった4時間ほどの再会でしたが、思いがけない偶然の出会いを皆が喜び感謝しました。日本語が話せる外国人ということで、私達は日本人とおしゃべりしているような錯覚を覚えました。
おじいさんは、フランス語、ドイツ語、イタリア語、レバノン語、英語ができます。私達はほんの少しの英語だけです。英語だけでも不自由なくしゃべれたらと、いつものことながら後悔してしまいます。あっという間に楽しい時間が過ぎていきました。

2018年7月18日水曜日

祇園祭前祭クライマックス


 17日には酷暑の中で、祇園祭山鉾巡行が行われました。国内外からたくさんの観光客が来られています。今年は三重にいたので、巡行は見ることができませんでした。しかし地元の放送局である京都テレビが、毎年実況中継の特別番組をしているので録画予約をし、夕方帰宅してから見ることができました。二時間半の番組です。実況中継と、その間に歴史を織り交ぜながらの番組です。知らなかったことを教えてもらいました。
メインキャスターの男性は、私達と同じマンションの住人です。ご夫婦で京都テレビのアナウンサーをされています。時々テレビで拝見しますが、身近な人がテレビに登場すると近寄りがたいメディアの世界に親近感を覚えます。ご主人は祇園祭山鉾巡行の実況中継のメインキャスターを、毎年されてきて今年は9回目とのことです。
 注目はくじ取らず1番の長刀鉾の稚児と、二人の禿に扮する子供です。立派な衣装を着て酷暑の中で頑張っています。注連縄を切るのは本当の刀です。テレビを見ていても、幼い子供達に感動します。エールを送る私がいます。



四条河原町と河原町御池と御池新町の交差点では、有名な辻回しがあります。テレビでは、細かい所まではっきり見ることができます。いくつもの鉾や山が巡行します。今回は前祭で、24日には後祭が行われます。



 午後6時半には、神輿三基が八坂神社を出発して練り歩きが行われます。家の近くで7時半頃に、見ることができました。家の中にいても太鼓の大きな音と、神輿を担ぐ掛け声「ホイット、ホイット」が聞こえてきます。その音を聞いて私達は家を出ました。最初に来たのは八坂神社の主神素戔嗚之尊(スサノオノミコト)をのせた中御座の神輿です。二条木屋町でほんの少しだけ、飲み物のご接待を受けて、神輿のさし上げを披露しました。
その2時間後には東御座の神輿が来ました。 



外国からの観光客は、珍しそうに興味津々で見ておられました。神輿はこの後24日の還幸祭まで、三基が四条の御旅所に鎮座します。たくさんの人達のおかげで祇園祭が続いています。本当にご苦労様です。感謝しかありません。

2018年7月17日火曜日

恵みの水


 西日本豪雨では、あちこちに大きな被害が出ました。電気、ガス、水道がストップしライフラインが混乱しました。例年より厳しい暑さの中、水が無いのは人の命を脅かします。徐々に断水も回復しつつありますが、まだ断水が続いている地域もあります。早い々回復を願うしかありません。
 以前は日本の家に見られた井戸が姿を消して久しいですが、こんな酷暑の中では井戸を懐古してしまいます。子供の頃は井戸水が豊富でした。大きなかめに井戸水が溢れ、夏場には畑で採れたトマトやプリンスメロンが冷やされていました。井戸水をポンプで汲み上げているので、台所やお風呂では蛇口をひねるだけで井戸水を自由に使うことができました。手押しポンプもあり、家の外でも庭や植物への水まきに自由に使いました。現在も実家には井戸は残っていますが、活用はされていないようです。もったいないことです。以前東京に住んでいた頃のことですが、世田谷区の個人の家の玄関に「井戸があります。どうぞ使ってください」と書かれた札が掛けられているのを見て感激したことがあります。一軒ではなく、そういう家が何軒もあったように記憶しています。災害時、緊急時には、井戸水を提供できるように、昔からの井戸を守り続けてこられたのだと思います。
 京都には名水と呼ばれる井戸水がいくつか残っています。自宅の近くでは、下御霊神社と梨ノ木神社です。いつもたくさんの人が、水をもらいに来られています。大きなペットボトルを何本も持って来られています。「飲料水として大丈夫です」という保健所の証明が付いています。時々ですが、ポアロは散歩のついでにもらってきます。






もう一つ銅駝高校の近くにもあります。保健所の証明は付いていませんが、井戸水を皆さん愛用されています。祇園の料理屋さんも自転車で汲みにきておられます。水の用途はいろいろあります。飲むだけではありません。井戸水もらいを仕事のようにして毎日通えば、水道水の使用量が減り、エコ生活の実現になるかもしれません。井戸水は恵みの水だと痛感します。

2018年7月13日金曜日

祇園祭お迎提灯

 7月17日の祇園祭山鉾巡行に向けていろんな神事が行われています。10日は朝から神用水清祓式がありました。神輿洗に使う神用水(鴨川の水)のお祓いをします。そして午後8時から神輿洗式が行われます。神輿3基を舞殿に据えた後、その内1基(中御座)の前後を松明で照らしながら四条大橋まで担ぎ、神輿を清める神事です。
 午後4時半からはお迎提灯の行列が巡行します。神輿洗の神輿を迎えるため「おむかえ」と書かれた提灯を先頭に、趣向をこらした行列が八坂神社周辺地域を巡行します。四条通り、河原町通り、御池通りが、交通規制で大変な渋滞となります。
  









今までに四条通り交差点と市役所前広場で見たことがあります。今年は市役所が工事中なので、本能寺が終点ポイントとなっています。鷺舞をする人達は鷺に扮した衣装です。小さな子供達も武士の姿です。付き添うお母さん方も和服姿です。気温35℃を超えた中での巡行です。本当に大変だと思います。私達は河原町通りと本能寺前で見て写真を撮りました。皆さん暑い中、お疲れさまでした。小さな子供達もよく頑張ってくれました


2018年7月12日木曜日

祇園祭山鉾建て


 7月10日から前祭山鉾建てが始まりました。釘を使わず美しい縄絡みで柱などを固定していきます。各山鉾町が鉾や山を組み立てます。今までに数回は見ていますが、建築家のポアロにとっては、絶大な興味と勉強です。職人さん達の見事な手さばきに感動します。長い歴史の中で伝承されてきた技です。国内外からの観光客の注目の的です。皆さん熱心に写真を撮っておられます。今回は長刀鉾と月鉾、鶏鉾の鉾建てをみました。長刀鉾は、鉾一番のくじ取らずです。威風堂々とした存在感で疾病邪気を祓います。また稚児がのることで有名です。12日~13日には、祇園囃子を奏でながら各山鉾が試し曳きを行います。17日の前祭・山鉾巡行に向けて、着々と進んでいます。 
 
長刀鉾の鉾建て

月鉾の縄がらみ

鶏鉾の縄がらみ


 老舗が立ち並ぶ室町通りや新町通りでは、店先に立派な家紋入りの幔幕がかかります。祇園祭のために用意されたものです。歴史と厳かさが滲み出ています。祇園祭という神事にたいしての畏敬の念が感じられます。


 京都市役所の玄関ホールには、厄除けの花として知られるヒオウギが飾られています。京都では、祇園祭が行われる7月になると各山鉾町の家々や店先などに飾られるそうです。
市役所ロビー

御池通歩道植え込みのヒオウギ