2016年1月30日土曜日

読書の楽しみ(1)

 寒い日が続いています。私の冬の楽しみは、炬燵に入って本を読むことです。不器用な私が、仕事、家事、子育ての日々を無我夢中で過ごして何十年、今やっと静かな時間を持てるようになりました。何事にも没頭してしまう私は、読みだしたら少しでも早く最終章に辿り着きたいと思い、深夜まで読み耽ってしまいます。最近の若い人達は、速読の術を身につけて驚く速さで本を読んでいますが、私は、じっくり1ページ1ページを、丁寧に読むのが好きです。速読はできません。
 家の近くに、府立図書館があるので助かっています。一人5冊まで、2週間借りることができます。いつ行ってもたくさんの人で賑わっています。若い現役の学生さん達は、閲覧席で熱心に勉強しています。一番多いのはシニア層の人達で、リュックに本を詰めて来ては、返却と貸し出しを繰り返しておられます。年金暮らしのシニア層にとっては、図書館で本を借りて読むのが賢い方法です。今は亡き父の趣味は読書で、リタイアしてからの毎日の楽しみは、本屋へ行くことでした。住んでいる町には本屋が三軒ありましたが、自分で車を運転してその三軒の店を順に回っていました。三日に一度行くので本屋の常連となり、行っては店の人達とのおしゃべりも楽しんでいました。驚いたことに、本屋の女性店員さんが結婚すると聞いて、お祝いを届けていたことがありました。そこまですることはないと思いましたが、父はそれほどの常連客だったのでしょう。毎日本屋へ行っては、何かしら買ってくるので(たまには「今日は空振り」と言うこともありましたが)、父の蔵書は大変な数となり、晩年には市の図書館へ寄贈させてもらっていました。私も読みたいと思った本はもらっているので、私の蔵書も増えました。そのうち処分しなければなりません。
 今夢中で読んでいるのは、西村雄一郎著「殉愛(原節子と小津安二郎)」です。原節子さんは、昨年九月に95歳で亡くなられましたが、五十年以上もの隠遁生活を過ごされ、伝説の女優と言われています。この本は、原節子さんが御存命だった時、今から三年前に出版されたものです。小津安二郎は、日本を代表する映画監督で、黒沢明監督と並び外国にもよく知られています。以前出会った英会話教室の講師が「日本の映画、小津安二郎に魅力を感じている」と、言っていたことを思い出します。そう言った講師は一人だけではありませんでした。日本の今の若い人達は、小津安二郎の名前も知らないでしょうにと思い、とても驚きました。私の未熟な英会話力では、深い話はできませんでしたが、小津安二郎映画のどこに魅力を感じているのかを聞きたかったと残念に思います。

 読書の楽しみは、自分の知らないことを知るという楽しみです。人間の営みが綿々と続いてきている時空の中で、自分の一生はわずかなものですが、たくさんの先人達の生きざまを、本は教えてくれます。

2016年1月29日金曜日

私の好きなことば「鳴くまで待とう時鳥」

 このタイトルは好機が訪れるまで、あせらず辛抱強く待つということです。徳川家康が「鳴かぬなら」という上の句に続けて詠んだとされています。織田信長の「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみよう時鳥」と合わせて、それぞれの武将の性格を表した句として有名です。私は辛抱強く待つのが好きです。気が短い人は織田信長、積極的な人は豊臣秀吉、というふうに性格の一端をうかがえそうです。ちなみにホトトギスは不如帰、杜鵑、時鳥、沓手鳥などいろいろな漢字で表現されています。
 地球上にはたくさんの人間がいます。しかし性格はいろいろです。よく似た性格の人はいますが、コピー人間はいません。大まかな分類をすれば、血液型のように四つに分けられるかもしれません。同じ親から生まれた子供でさえ、兄弟全員性格は違います。先祖から受け継がれてきたものもあります。生まれてからの環境も大きな影響を与えます。自分の性格はどの部類に属するのかを、分析するのも面白そうです。長所も短所もいろいろあって当たり前です。長所も短所も全部ひっくるめて個性となります。自分を見つめ、時には自己分析も大切です。無理をせず自然体で生きるのが、楽なように思います。
大原謙士郎氏の数多い著書には「あるがままに」と書かれています。「あるがままの自分を受け入れて生きて行くこと」そんなふうに生きていきたいものです。


2016年1月28日木曜日

新しい風(スカイバス京都)

 昨年10月から、京都市内で、二階建ての屋根なし定期観光バス「スカイバス京都」が、運行を始めました。早くその姿に出会いたいと願いながらも、そのチャンスがなく三か月以上が過ぎました。嬉しいことに先日、偶然に出会いました。平安神宮大鳥居近くです。雪が降りそうな曇天の下、「スカイバス京都」は、さっそうと走って通り過ぎていきました。




乗客は少なく、二階には数人乗っているだけでした。「風を感じて、風に当たりながら、いつもより高い場所から京都の街を見て楽しめるスカイバス京都」とのことです。代表的な観光名所を車窓から眺められる約1時間のコースと、金閣寺と清水寺で下車する約3時間半のコースがあります。定員は46人で、予約が必要ですが、空席があれば乗ることもできるそうです。3月18日までの運行ということですが、これからもずっと定着してほしいと思います。観光客にも喜ばれることでしょうし、京都の街の人気者になり京都の街も活気づくと思います。 
 十年ほど前のことですが、イギリスのロンドンで二階建てバスに乗ったことがあります。またスペインバルセロナでは、二階建ての屋根なし観光バスに乗り、観光名所を巡りました。お天気に恵まれて、見晴らしがよく、初めて訪れたバルセロナの街を楽しみました。乗り降り自由で便利がよく夜まで乗ることができました。とても興奮したことを思い出します。 街の風、香り、温度、音が感じられます。ガイドの案内もありました。(残念ながらスペイン語、フランス語、英語、イタリア語、ドイツ語だけでした)
 
バルセロナの屋根なし観光バス



 京都にも新しい顔「スカイバス京都」が走り、京都に新しい風が吹いてきたように感じています。

2016年1月27日水曜日

初天神(復路)

天満宮本殿に御参りをしてから境内を一周しました。国宝の本殿は数年前に改修がなされたので建物やその他の飾りつけが冬の日に美しく輝いています。




   
 いつも帰りは東門から出ます。「天神さん」の縁日の日は東側の駐車場にも店が出ます。こちらには骨董屋さんが中心です。最近は着物の古着屋さんが多くみられます。高かったと思われる着物や帯が2,000円程度で売られています。月曜日でしかも寒波襲来で、人出はもう一つといったところですが外国の方がどこで知ったのか多く来ておられます。






まだ足に余力があったので帰りも歩きとしました。北野商店街を通り抜けた後は西陣の街をジグザグに通り抜けました。智恵光院のあたりに来ると最近には珍しい子供が大勢で遊ぶ声が聞こえてきました。児童公園には小学生、向かいの保育園では園児の声が聞こえます。少子化や塾通い、交通安全などの理由で最近は町中で子供の遊ぶ声を聴くことが少ない中、明るい気持ちになりました。



堀川に近い狭い道を曲がると大きな蔵が3つくらい並んでいました。丸太町からぐるっと回り東側正面に出ると酒の蔵元です。以前から存在は知っていましたが初めて来ました、佐々木酒造さんでした。こちらの長男さんは佐々木蔵之介という俳優さんで、家業は次男さんが継いでいるということで知られています。






途中、スーパーで少し買い物をして暗くなってきた道を急ぎました。往復18,000歩、今日はよく歩きました。

2016年1月26日火曜日

初天神(往路)

 昨日は北野天満宮の初天神でした。今年最強の寒波が日本列島を襲っている中、京都でも気温が5度を下回っていましたが、風がなく太陽が出ていたので、行ってみようかという気になりました。毎月25日は、天神さんと呼ばれ多くの店がでて人が集まります。その中でも1月25日は、今年最初ということで「初天神」と呼ばれで格別なものとなっています。自宅から4.5キロありますが、「歩こう会」となり、片道1時間半ほどを歩きました。バスや車、自転車でサーッと通るのとは大違いで、狭い裏通りや路地を歩いてキョロキョロすると、いろんなことに気が付きいろんな発見をします。それが楽しみでもあるのです。商店街を通ると、ここにこんなお店があるとか、価格調査もできます。

途中、堀川を渡りました

椹木通りで小さな神社を見つけました。桜の宮神社

桜の宮神社は平安京の朝堂院の南側らしいです

 天神さんの直前は北野商店街です、明治時代には初期の路面電車がここまで来ていたということで、商店街には各所に電車の絵があります。




うろうろ、キョロキョロしながら北野天満宮に到着しました。たくさんの人出です。警察官も出ています。天神さんといえば牛と梅で有名です。今年は例年になく先日までは暖冬だったので梅は三分咲きです。近くによると梅の香が匂ってきます。梅苑は2月からの予定ですが急遽開苑していました。




表参道には食材の店やたこ焼き屋さんなどたくさん並んでいます。表門をくぐり境内に入りました。



天神さんである菅原道真は書道の名筆ということで、毎年書初め会が催されテレビのニュースになっています。境内にはその書初めがたくさん展示されていました。



 ここまで9,000歩、1時間半近く歩きました。

2016年1月22日金曜日

デパート最上階


 久しぶりに老舗デパートの最上階へ上がりました。いくつかのレストラン、食事処があるフロアに、幅広い面積のファミリー食堂があります。和食、洋食、中華、デザートまで、何でもそろっています。歴史を感じるショーウインドーの中には、いろんなメニューの商品が並んでいます。入口の横には、時代を感じるチケット売り場があります。


満席の時のための待ち合い席

チケット売り場

中華料理

洋食

お子様ランチ

和食
 子供の頃のことですが、デパートのファミリー食堂で食事することは、めったにないことでした。デパートへ行くということは、おしゃれをして、よそ行きの服で、すました気持ちで出かけました。小さな屋上遊園地もあり子供たちの楽しみでした。時代の移り変わりが面白くて、懐かしい想いで、しばらく眺めていました。デパートのファミリー食堂が、だんだんと姿を消しているそうです。この懐かしい姿が、いつまでも残ってくれることを願ってしまいました。 
 1717年(享保2年)創業のこの老舗デパートは、全国展開を行い、1961年(昭和36年)には、小売業界売上No.1を達成し、繁栄をきわめました。現在では、デパート業界も経営が難しくなり、生き残り作戦が展開されています。

同じ階が半分屋上になっています

15年ほど前、ここでアロエを買ったことがあります




ビルの向こうに東山三十六峰


 最上階には、屋外庭園があります。ベンチも置かれており、いろんな花が鉢植で販売されています。ここには一足先に春が訪れて、いい香りが漂っています。東山も見えています。小鳥や金魚などのペットショップもあります。都会のど真ん中にある老舗デパートの屋上へは、これからも時々来て、美しい花々を見て、ほっとするひと時を持ちたいと思いました。


狭いながらも亀やハリネズミもいました



 

2016年1月21日木曜日

京都の明治産業遺産-京都疎水2

 京都疎水(=琵琶湖疎水)は明治18年に京都知事北垣国道が東京遷都で落ち込んだ京都に活力を呼び戻すために計画されました。計画責任者は大学を出たばかりの田辺朔朗という若者が抜擢されました。銅像が建てられています。



本来は琵琶湖の水を利用し、英国の産業革命に倣って水運と水力(水車)により工業をおこそうとしたのですが、途中でアメリカでの水力発電の成功を取り入れようとの計画変更となったらしいです。そこでこの疎水は水運、水道、発電という用途になりました。




トンネルの入り口上部に扁額があります

扁額の説明
 この蹴上の丘の上で疎水は3つに分かれます。一つはすぐ下にある蹴上浄水場への水道利用、前回の南禅寺の裏を通って北に行く水路、そしてすぐ下にある蹴上発電所です。この発電所は日本初、なんと世界で2番目の水力発電所だそうです。この電気を利用して日本で初めての電車が伏見から京都まで走ったそうです。しかもこの発電所はまだ現役で発電しています。



まだ現役の蹴上発電所
 そして琵琶湖への水運のため船を丘の上まで引き上げるのがインクライン(傾斜鉄道)という仕掛けです。スロープにレールを敷き大きな台車に船を載せロープウエーのように引き上げるものです。下の写真のように、当時の姿を再現しています。春に両側の桜が咲くと観光名所となりたくさんの人でにぎわいます。

下の水路から引き上げて上の水路に再度浮かべるようです


インクラインの最上部(後ろに滑車があります)


斜路の途中にある台車



 昨年この疎水を昔のように琵琶湖から京都まで船で下るという試みがありました。かなりの部分がトンネルですが山科では天智天皇陵の裏を通っていきます。うまくいけば観光ルートにしようという計画だそうです。この疎水については伏見で淀川に合流するまでいろいろな仕掛けや名所がありますのでまた機会があれば報告します。

インクラインの上部は安養寺の参道です(下を見たところ)

安養寺参道(上を見たところ)