2018年11月30日金曜日

京都紅葉(嵯峨野)


 大原寂光院、南禅寺・永観堂の次に、西北に位置する嵯峨野へ車で出かけました。いつものようにお弁当を買って、広沢の池を見ながら食べました。カメラを持ったシニア男性たちが何人も集まっておられるのが気になりました。様子を見ていると、広沢の池に飛んでくる渡り鳥の鴨を、写真に収めようと待っておられるのでした。途中では若い女性も来られて、カメラと渡り鳥の人気を知ることになりました。 

広沢池、カメラマンが待機



 お弁当を食べてから、大覚寺や清涼寺の前を通り嵯峨野へと移動しました。保津川下りやトロッコ電車で人気を呼んでいる辺りは、大変な人出です。観光客が列をなして歩いています。渡月橋への道は車は通行止めになっていました。小倉山二尊院、祇王寺への道はとろとろですが、キョロキョロしながら進めるのでちょうど良かったです。化野念仏寺を過ぎると鳥居本です。嵐山渡月橋からはずいぶん山すそへ入ったところです。紅葉は黄・赤・緑と微妙な色合いです。愛宕寺の前でバス通りに戻り、嵯峨野をあとにしました。
  





愛宕寺



帰り道、再び広沢の池の横を通りました。ふと空に虹が出ているのに気づき、写真を撮るために寄り道しました。時雨が少し降ったあとに太陽が顔を出し始めたその時でした。はっきり、くっきり、美しい虹が弧を描いています。すぐ目の前の広沢池の上です。見とれている間に、虹は刻々と変化します。時雨が西から東に動いているようです。





時々虹に遭遇しますが、虹を見ると「虹の彼方に」を、思い出します。虹の向こうに希望が見えます。虹の向こうに夢が見えます。気持ちがラッキーになります。
 十月の終わりに東北から帰った私達は、娘夫婦を栂尾高山寺へ案内しています。紅葉には少し早いような気がしましたが、その数週間あとには最高の紅葉でした。大原、栂尾、嵐山と回って、私の頭には懐かしいヒット曲「女ひとり」が浮かんできました。それ以来毎晩のように口ずさんでいます。

「女ひとり」

1 京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり
結城に塩瀬の素描の帯が 
池の水面にゆれていた
京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり

2 京都栂尾高山寺 恋に疲れた女がひとり

3 京都嵐山大覚寺 恋に疲れた女がひとり


歌いやすいメロディーとくり返しの歌詞です。愛唱歌になりました。歌詞とともに大原、栂尾、嵐山の景色が思い出されます。

2018年11月29日木曜日

京都紅葉(南禅寺・永観堂)


 大原寂光院に続いて、東山エリアにある南禅寺と永観堂の紅葉を見に出かけました。自宅から歩いて行きました。ちょうど一年前に、三重からの友人を案内したところです。月日の経つのが早過ぎて、戸惑うほどです。








 去年の紅葉も見事でしたが、2018年の紅葉もやはり見事です。南禅寺と永観堂は、お隣といった距離なので、観光客はこの二ヶ所をセットにして歩いています。どちらの観光ポスターにも、最高の紅葉が写されているように思います。







この日も平日でしたが、本当にたくさんの観光客が来ておられました。南禅寺と永観堂のちょうど真ん中あたりに高校があるのですが、高校生たちがお茶を用意してくれていて、かわいい紙コップで通る人達に振る舞ってくれました。歩き疲れたところに思いがけずのお茶の振る舞いです。一口の麦茶ですが、おいしかったです。
 京都に住んでいる私達は、春は桜を追っかけて、秋には紅葉を追っかけて、今年の桜、今年の紅葉と盛り上がっています。

2018年11月28日水曜日

京都紅葉(大原寂光院)


 少し留守をしている間に、京都の紅葉は足早に進んでいました。2018年の紅葉を見なければと思い立ち、お弁当を買って大原へ出かけました。自宅から車で1時間ほどで着きました。大原には三千院もあり、寂光院と並び観光名所となっています。近くに道の駅大原の里があったので、お弁当を食べて、野菜や新米を買ってから寂光院へ向かいました。




  車を駐車場に停めてからも、上り坂をかなり歩きます。高齢者には息が切れるほどです。参道にはお店もたくさんあり、キョロキョロしながら進みます。この日は平日でしたが、たくさんの観光客で賑わっていました。外国人の方も多くて驚きました。 







 寂光院の創建は古く、594年(推古2年)聖徳太子によるとのことです。天台宗の尼寺で、本尊は六万体地蔵尊です。2000年(平成12年)火災に遭いましたが、今は復元されています。





第三代住職は、建礼門院徳子です。平清盛の息女で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母です。源平の戦いに破れ、壇ノ浦で滅亡した平家一門とわが子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされた閑居御所とされました。庭園は、平家物語ゆかりの庭園とされ、歴史に残る数々のものがありました。紅葉は見頃で、背後の山の緑に映えて美しく、京都大原の紅葉を楽しみました。










2018年11月27日火曜日

ご無沙汰しています(6)東北へ南三陸町、気仙沼


 南三陸町のホテルで、満月、日の出に感動し、震度4の地震を体験した私達は、朝から南三陸町の被災地を回りました。テレビで何度も見た防災センターは、大震災の遺構として残されています。多くの役場の方が犠牲になられました。最後の最後まで、住民に避難を呼びかけ続けた女性職員のことは決して忘れることはありません。
昨夜泊まったホテル、地震を思い出すと怖かったです

道路の付け替え、河川改修、土地のかさ上げが同時進行

防災センターの跡

かさ上げされた新しい町


津波に襲われた被災地では、盛り土を運ぶたくさんのダンプカーが忙しく走っています。7年7ヶ月が過ぎても、住民がこの地へ戻れそうにはありません。まだまだの状態です。町を見渡せる高台に展望台があったので行ってみました。静かな穏やかなこの町を全滅させた大震災は、自然災害だからとは思えません。犠牲になられた方たちや、被災された方たちの心を想うと胸が痛みます。走り回るダンプカーが目立つ中で、一人の高齢の男性が歩き回っておられるのが目に入りました。スーパーのレジ袋と棒のようなものを持って、心もとない歩き方です。震災に遭ったこの町で、何かを探すような行動です。家族も家も何もかも失い、それでも自分はまだ生きていかねばなりません。かつての生きた証を探しておられるように思い、胸が締め付けられました。震災前の町の中心地から少し離れた高台に、さんさん商店街が造られていました。広い駐車場には、観光バスが停まっています。被災地を応援するために、被災地へ足を運び観光目的であっても、買ったり食べたりすることが応援になります。たくさんの人が被災地を訪れてくれることを願いました。




 南三陸町から、気仙沼へ向かいました。リアス式海岸に沿って進みます。大なり小なりの、いくつもある集落はどこもかしこも被災して、防潮堤の工事、国道の付け替え、鉄道の敷設が行われています。復興への道のりは、非常に険しいということを感じます。
 お昼前に気仙沼市に入りました。大震災の時には火事が発生し、どんどん燃え広がっていく光景をテレビで見ながら、はらはらどきどきしてどうなるのかと心配しました。全国展開している大型ショッピングセンターへ昼食を買いに寄ったのですが、一階フロア―の天井近くまで水がきたとの記録が表示されていました。たくさんの人が水の恐怖にさらされ、逃げ惑う状況だったことと思います。

3mくらいのところに浸水の表示があります

 気仙沼を訪れたのは初めてですが、以前三重県の志摩地域で出会った音楽教室の子供たちからよく聞いた地名です。遠洋漁業に出ているお父さんたちが気仙沼に寄港するので、子供たちはお母さんとはるばる三重から気仙沼へ出かけていました。子供たちから聞いていただけの気仙沼ですが、訪れてみるとどこか懐かしい気がしました。気仙沼の漁港で、海を見ながら、何人かの釣り人を見ながらお弁当を食べました。