2017年10月31日火曜日

修学旅行

 今の時期は修学旅行たけなわです。京都は全国から来ている小学生、中学生の修学旅行の子供達でにぎわっています。先日買い物に出た帰り道のことです。京都市役所の前、河原町御池の交差点で信号待ちをしている時、学生服を着た中学生に声をかけられました。「アンケートをとらせて下さい」とのことです。手にアンケート用紙を持って、質問した答えを記入しています。「福井へは何回ほど行かれましたか」「福井県で知っている場所、地名はありますか」などいくつか聞かれました。


 修学旅行も昔とはずいぶん様変わりしているようです。私の修学旅行といえば、その地の観光名所を回るだけでした。今はそれに一つ二つ加えているものがあるようです。私が聞かれたアンケートもその一つです。京都には外国からの観光客も多いので、英語でコミュニケーションをとるというのをしている学校もあるようです。「一緒に写真を一枚撮らせて下さい」というのもしているようです。京都には伝統産業も多くあります。その一つを選んで、体験するというのも人気があるようです。清水焼、西陣織、お菓子作りなど、テレビでの報道を見たことがあります。少し変わったものでは、座禅体験もあるそうです。子供たちが修学旅行で見聞を広め、いろんなもの、いろんなことに、興味関心好奇心を持ってくれるのは良いことだと思います。京都の町に修学旅行生の姿があふれ、活気づいています。

2017年10月30日月曜日

ふるさとの大ケヤキ

 台風21号と22号が立て続けに来て、あちこちで大きな被害が出ました。亡くなられた人もいます。三重県も暴風域に入り大雨と暴風が続きました。台風21号が通り過ぎる時、実家の大木ケヤキが真ん中で真っ二つに折れました。私の記憶では子供の時にはすでにあったケヤキです。樹齢は百年ほどと思われます。遠くからでも実家のケヤキがよく見えました。20mほどまでそびえ立っていました。真っ直ぐ伸びるケヤキです。その存在感は大きく、堂々としたものでした。まさかその大木ケヤキが、台風によって倒されるとは、夢にも想像していませんでした。父が元気だった頃の話ですが、材木屋さんがこのケヤキを譲ってほしいと言って来られたそうです。その時からでも三十年は経っています。真っ二つに折れたケヤキは、根っこの部分を残して切られました。切り株はとても大きく、大きなテーブルのようです。

大きな切り株が残っています

今年の春、新芽が出そろった大ケヤキ

 今まで当たり前のように実家にあった大木ケヤキの姿が消えて、景色も変わりました。空間に空洞ができてしまいました。他の木々の上、空高く伸びていた大木ケヤキのあとは、空の空洞です。私の気持ちは喪失感でいっぱいです。あって当たり前と思っていた大木ケヤキを、今さらながら恋い慕っています。根っこはあるのでまた少しずつ育つことと思いますが、百年ほどかけて大木になるケヤキにはもう会えません。見ることはできません。悲しい別れです。台風は天災です。自然災害です。人間の手に負えるものではありません。ずっとその場所にあった大ケヤキが突然なくなったのが信じられず、何度も見上げてしまいます。

2017年10月26日木曜日

思い出-2(イタリア・フランス)

 大学の自動車部の同窓会に出席したポアロは、皆さんと徳島県鳴門市にある大塚国際美術館へも行きました。世界初の陶板名画美術館です。パンフレットには「古代壁画から世界25ヶ国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋名画を原寸大で1000余点を原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます」と書かれています。日本最大級の常設展示スペースがあります。ポアロの話では、イタリアのパドヴァにあるスクロヴェー二礼拝堂のジョットのフレスコ画に感動したそうです。私達は七年前に行きました。実物大で本物そっくり、いえ本物が復元されているのです。天井は実物大で高く見上げると首が疲れるほどです。現地の外観写真は残っていますが内部はカメラ禁止で残っていません。湿度管理がされていて30人程が10分交代で中に入ったのを思い出します。

イタリア パドヴァ スクロヴェー二礼拝堂 2010

大塚美術館の実物大礼拝堂 ジョットのフレスコ画

同じくイタリアのミラノの「最後の晩餐」は、修復前と修復後の両方があったそうです。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品です。私達が七年前に行った時は修復中で見ることはできませんでした。

修復前と修復後が対峙して展示してあります

パリ、ルーブル美術館所蔵の「モナリザ」もレオナルド・ダ・ヴィンチの作品です。私達は二十三年前に家族四人で初めての海外旅行でパリへ行った時に見ています。

ルーブルではこの前は満員でした

そして今年の夏に訪れたフランスのジヴェルニーでは、モネがたくさん描いた「睡蓮」が咲く睡蓮の庭を見ています。モネの「大睡蓮」が外部の庭にあったそうです。日本に居ながら世界の美術館を回っているような錯覚を覚えるのではないでしょうか。現地で見たという経験はなお一層の感動につながることと思います。

モネの睡蓮は外部に展示

 その後宿舎にはいって昔青年、今も青年の十一人は、一人10分の近況報告をしたそうです。ポアロは今年の夏の、我が家にとっての一大事を動画とともに話したそうです。フランスの北プロヴァンスの、周りをぶどう畑に囲まれた田舎での結婚式とパーティーについてです。心あったまる娘と彼の手作りのものでした。友人たちはかつて見たことがなく、初めて見たもののようです。娘と彼の写真には「幸せが溢れている二人の表情だね」と絶賛してくれたそうです。国際結婚も身近にはいなくて珍しいことだったようです。全員が近況報告をして、最後に優秀賞が発表されました。なんとポアロが賛成多数で優秀賞をもらいました。賞品は、大塚国際美術館で買ったというFolding Bagです。ゴッホのひまわりの絵柄です。お土産として私がゲットすることとなりました。皆さんに感謝するとともに、「皆さんすみません!」です。



何年も前のことですが、ゴッホの足跡を訪ねて、ゴッホが滞在し、いくつもの絵を描いたフランスのアルルへも行っています。「はね橋」の現地へも、ゴッホが入院していた病院跡へも行きました。黄色の建物、カフェへも行きました。ゴッホの絵「ひまわり」も大好きです。今回のポアロの同窓会出席により、懐かしい旅を思い出しました。

2003年に行ったアルル ゴッホの跳ね橋

2017年10月25日水曜日

思い出(鳴門うずしお)

 先日ポアロ(夫)が、大学時代所属した自動車部の同窓会に出席しました。団塊世代の仲間です。長年の仕事もそろそろ終わりに近づいています。今回は十一人が集まりました。いろいろ話しを聞いていると、一流企業を務め上げ、子会社のリーダーとして頑張ってきた人が多いようです。アメリカ、中国、ドイツ、チェコ、韓国など、海外勤務も長年されたそうです。四十五年以上の時を経ても、昔青年の仲間が集まれば今も青年へとタイムスリップです。紆余曲折人生いろいろ、長い人生を歩んで今に至っています。外見は年齢相応でも、心は青年に戻ります。日常生活では「おじいちゃん!」と孫たちに呼ばれている人が多いようです。私は女性です。男性たちの集まりに興味津々です。根掘り葉掘り聞き出します。誰々さんは孫何人?子供たちはどこで何をされているのかな。などミーハー的に質問します。去年も出席しているのですが、この一年の間には悲しいことも起きています。ある人の奥さんは病気で亡くなられました。大変なことも起きています。ある人は十時間に及ぶ大手術を受けられました。一泊二日の旅は、今回は徳島県在住のメンバーがいる鳴門海峡へ出かけました。うずしお観潮船に乗り、鳴門の名所うずしおの見学です。三十分ほどのコースだそうです。同窓会を大潮に合わせたので、迫力あるうずしおが見られたそうです。




  お土産は鳴門海峡産の「糸わかめ」と、銘菓の「なると金時」です。さつまいもの金時芋から作られています。ほんのりした甘さで、さつまいもを模した形の御菓子でした。宅配便に使う段ボール箱をイメージした小箱に入っていました。かつては段ボール箱にたくさんのさつまいもを入れて、遠方にいる子供たちや親戚に送ったであろうと懐かしく思い出しました。


 何十年か前、私は仲良し三人組で、鳴門のうずしおを見に出かけました。三重から日帰りで出かけました。その時に船から見たうずしおをおぼろげに思い出します。十代の終わり頃のことでした。

2017年10月24日火曜日

京都紅葉便り(2017-1)

 先日の台風21号であちこちに被害が出ています。その後朝夕の冷え込みもだんだんきつくなってきています。京都では少しずつ紅葉が始まり、ところにより三分ほど色づいています。先日永観堂へ行ってきました。永観堂は、紅葉の人気スポットです。燃えるような真っ赤な紅葉が待たれます。 



御池通りのケヤキは日当たりのいいところが色づいてきました。グラデュエ―ションが美しいです。



ドウダンツツジや南天は葉全体が赤く色づいて紅葉真っ盛りです。これから一気に紅葉が進み、あと三週間もたてば見頃を迎え、たくさんの観光客で京都が賑わうことと思います。




2017年10月23日月曜日

十月の台風

 珍しい十月の台風の接近により、10月22日開催予定の京都三大祭の一つ時代祭が中止になりました。二日前に発表されました。超大型台風21号の接近による安全確保が理由です。

1895年(明治28年)の第一回以降で、天候を理由に中止するのは初めてのことだそうです。過去に十回中止されたことがあります。明治天皇崩御(1912)、関東大震災(1923)、日中戦争(1937)、太平洋戦争の影響(1944~1949)、直近の中止は昭和天皇のご病気(1988)だそうです。観覧席のチケットも払い戻しの手続きが行われています。時代祭を見ようと京都へ来られた観光客の方々は、本当に残念でした。時代祭は中止になりましたが、街にはたくさんの観光客の姿があります。お天気が悪いので、アーケードのある新京極や寺町通りに人が集まっています。
衆議院選挙の投票日と重なり、10月22日は、忙しい日となるところでした。私達は午前中に投票を済ませてから、鴨川の様子を見に二条大橋まで行きました。降り続く雨で水量は多く、みそそぎ川はあと少しであふれそうです。比叡山は見えないほどです。東山は雨に煙っています。



近くの東山は雨に煙っています

比叡山は見えなくなっています

 そのあと三条、四条、新京極、寺町通りを歩きました。たくさんの人で賑わっていました。観光立国京都にとってとても嬉しいことです。




夜中になると携帯電話に京都市土砂災害情報避難指示発令が何度も入り眠れませんでした。東山区、大原・花脊・広河原地区、左京区北白川などです。二時には桂川氾濫危険水位避難など一晩中大変でした。考えてみると夜中に「避難してください」と避難指示発令が出ても、暴風雨の中、身動きとれないのが実情です。高齢者の方々はなおさらです。早め早めの避難と言われても、決断する時はいつかなど難しい課題はいろいろあるようです。季節はずれの台風に大騒動の1日でした。

2017年10月20日金曜日

旧友との再会

 先日十四年前に出会った友人と久しぶりにお会いしました。傾聴ボランティアで出会い、共に活動してきた仲間です。ここ五年ほどはいろんな事情で活動できなくなり、会う機会も減っていますが、時々連絡を取り合っています。去年もお会いしています。今年も六月に会う約束をしていたのが、突然の電車の事故により延期となっていたのです。京都京阪電車四条駅の近くにある南座の前で待ち合わせました。約束の時間を20分ほど過ぎても彼女は現れません。六月の時を思い出して少し焦りました。(人身事故で電車が不通となったのですが、お互いに相手の携帯電話の番号を控えていなくて連絡がとれなかったこと)四条駅は地下にあります。地上への出口はたくさんあり、彼女は間違えて違う方向へ出てしまい、うろうろして遅刻となったのでした。
今回は無事に会うことができてほっとしました。四条通りを東方向へ歩き、八坂神社のそばにある京料理の店に入って、二時間近く食事しながらおしゃべりに花が咲きました。彼女は昭和十年生まれの八十二歳です。私の両親よりは若く、私の兄や姉よりは年上です。二十三年前にご主人は旅立たれていて、一人っ子の娘さんも嫁がれて、そのあとずっと一人暮らしをされています。お仕事も第一線で頑張ってこられて、仕事を終えられてからはボランティア活動をされてきました。生活アドバイザーの資格も取られて、興味関心好奇心を持っていろんなことに意欲的です。体格は小柄できゃしゃ感じです。
彼女は、自分の健康に気を付けて、食生活にはこだわり、毎日のラジオ体操、人とのコミュニケーションも積極的に関わっています。いろいろお話しを聞く中で、胚芽米を毎食食べ、野菜もすべての色のものを一日で取っているとのことでした。以前からお菓子や間食はしない食生活だと言われます。ずいぶん健康に配慮されているので、おそらく百歳は迎えられることと思います。それに比べて私はお菓子、間食大好きで、欠かしたことはありません。長年の食習慣です。人それぞれの好みで、甘党、辛党、ヘビースモーカーなど、体に悪いとわかっていてもなかなか生活習慣は変えられません。彼女からいろいろ教えてもらって、少しでも真似できればいいと思っています。私は今年の大イベントを報告しました。フランスに一ヶ月滞在し、娘の結婚式やパーティー、そして周遊の旅など、タブレットで写真を説明しながら話しました。

彼女は海外旅行に何度も行っておられます。珍しい所では、ブータン、アラスカでのオーロラツアーなどです。定番は世界各国へ行かれています。友人を誘っての旅行ではなく、一人でツアーに参加されてきました。行動力ある逞しい女性です。「これからも時々会いましょうね」と、約束をして四条駅でお別れしました。

2017年10月19日木曜日

「そろそろ? 早いかな?」

 高齢者ドライバーが、アクセルとブレーキを踏み間違えたり、高速道路を逆走したりと、高齢者ドライバーによる事故は増え続けています。これからますます高齢者ドライバーが増える一方の日本では、高齢者の運転免許証返納を推進しています。しかし高齢者の足となっている車の必要性は、地域により大きな差があると思います。個人差も大きいと思います。自分で運転しなくても、バスとかコミュニティーバスを利用するなど、それに代わるものがあれば、車の必要性は低く自発的に運転免許証返納に至るのではないでしょうか。それとは正反対の場合もあります。老化による身体の不都合は、車への依存度を高めてしまいます。父は老いとともに足が弱り、健脚自慢だった父は自信をなくしました。痛みを伴う足の弱りは、活動を制限してしまいます。行動範囲を狭めてしまいます。歩くのは足が痛いので車を足にして、本屋へ、スーパーへ、友人宅へと、活発に行動していました。ところが八十五歳を過ぎた頃、スーパーの駐車場でうたた寝をしてしまい、そのあと縁石に乗り上げ、ちょうど通りかかった若者に助けられ、自宅まで送ってもらい、無事に帰ることができました。どんな事故になっていたかと思うと、高齢者の運転はいつか潮時があると思いました。
 先日田園地帯を走行していて、途中のスーパーへ入った時のことです。駐車場で背中がくの字に曲がった超高齢女性に出会いました。足元も心もとない感じです。見た目は九十歳ぐらいです。「おばあさんあぶないよ、気を付けて」と思いながら車を停めたのですが、なんとその女性は車のキーを手に持って、運転席に乗り込みました。この超高齢女性が運転されるとは、想像もできず、本当に驚きました。農村地帯にあるスーパーの駐車場には、高齢者マークの付いた車がたくさん停まっています。田や畑へ行くのにも、近くのスーパーへ行くのにも、車は必需品なのかもしれません。歩くより車の方が便利で楽かもしれません。地方では、こういう光景がたくさん見られるのかもしれません。家族がいるのかいないのか、そのことも気になりました。
 父は八十五歳で車の運転にピリオドを打ちました。姉は七十歳で免許証を返納しました。知人の八十一歳の男性は、「車の運転何のその」という感じで、遠距離ドライブをされています。自信過剰も危険です。「人のふり見て我がふり直せ」という諺がありますが、車の運転にいつピリオドを打つのがいいのか、悩まされることになりました.

2017年10月18日水曜日

私の好きな言葉(設え)

 「設え(しつらえ)」この言葉を聞いたり、見たり、言うと、日本的なイメージが沸き起こります。日本の四季が美しく、人の心を情感たっぷりに豊かにしてくれるからではないでしょうか。いろんな設えがありますが、京都の設えが代表的なもののように思われます。テレビや新聞、雑誌など、マスコミによく取り上げられます。京都の町家では、昔から夏の設え、冬の設え、祭りの設えなど、その時々に合わせて設えをされてきました。現代人からは、面倒で大変なことと見られていますが、京都人にとっては、当たり前のことで、しなければその時を迎えられなく気持ちも落ち着かないようです。「設え」が目に見えるもののことだけでなく、目には見えない人の心に迎える心の準備をさせてくれるように思います。
私の「設え」の思い出は、父がするその時々の設えでした。夏を迎える「設え」は、家中の建具を入れ替える大ごとなものでした。玄関の衝立も籐仕立てのものに変わります。風がよく通る建具に変わると、夏を感じ涼しさを感じ移りゆく季節を感じました。軒先には風鈴がつるされ、軽やかに優しく揺れる風鈴の音に、気持ち良い風を感じました。坪庭には蹲(つくばい)があり、竹で水の流れ道が作られ、その先には手作りの鹿威し(ししおどし)が取り付けられ水が流れ滴る音と時々響く鹿威しが涼しさを感じさせます。縁先にはすだれがつけられ、真夏の日差しも和らぎます。座布団も夏座布団に変わり、部屋の隅には何本もの団扇をたてた団扇たてが置かれます。床の間の掛け軸も夏向きの涼しげな絵柄に変わります。庭には縁台や床几が出され、夏の星空を見ながら涼をとり、子供達は線香花火を楽しみます。扇風機が登場してからは、何台もの扇風機が出されます。それらすべてを父が一人で行ないます。
夏が終わると今度は冬の設えです。家中が夏物から冬物に変わります。今のような冷暖房のエアコンはありません。火鉢や石油ストーブで暖がとられます。お正月を迎える設えも、掛け軸から食器、神様へのあげものまで、本当にいろいろありました。それぞれの行事を迎える設えもいろいろありました。小さい時からずっと、結婚により実家を出るまで、設えをする父の姿を当たり前のように思っていました。今振り返ると父がこまめに行っていた設えは、日本中どこの家でもされていた設えだったと思います。時代が変わり、便利なものが次から次へと誕生し、面倒な設えは影をひそめどんどん簡素化されてきていると感じます。「設え」という言葉も昔という時代に遠ざかり、懐かしい日本の姿が思い出の中に消えていきそうです。マンション暮らしの身にとっては、エアコンの切り替えで夏冬が一瞬に変わります。「設え」について考える時、はて自分にとって「設え」とは何か、頭に浮かんできません。京都町家の設えと、長年一生懸命設えをし続けた父の姿が重なります。夏が終わり秋を感じた矢先、冬の寒さを迎えた今、私は扇風機を片付けストーブを出しました。衣類も冬物を少し出しました。これが私の「設え」かしらと心の中で笑っています。

2017年10月17日火曜日

現代事情(ネット社会)

 現代社会はネット社会です。あらゆるものがネットで結ばれています。最近ポアロ(夫)が夢中になっていることがあります。それはフェイスブックです。一人静かに何かに没頭している時は、スマートホン片手にフェイスブック打ち込みです。フェイスブックは、写真と短いコメントを入れるだけなので、短時間で投稿できます。私が驚くのは投稿した瞬間に、「いいね」というコメントが入ることです。フランスで五人、スペインで一人、日本で四人、熱心な読者がいます。
 日本の午後三時頃は、フランスでは朝の八時です。朝一番からフェイスブックを見ているようです。瞬時にして日本とフランス、スペインが結ばれているのです。世界中をネットが駆け巡っているようです。日本の人はポアロの友人で、シニアでサンデー毎日の方だと思います。今年の夏はフランスに一ヶ月滞在したのですが、日本を出る頃からフェイスブックを始めて、フランスでも毎日投稿していました。写真の編集には自分のこだわりがあるので、いろいろ工夫しているようです。フランス周遊の旅の時には、レストランで、教会で、観光地で、歩いている時も、いつもスマートホンを持って、黙って没頭している姿に、娘は「お父さん熱心ね」と言い驚いていました。若い人達が、新しいものに素早く飛びつき、素早く吸収するのはいつの時代でも自然のことだと思いますが、現代のネット社会は、年齢を超えて小さい子供からシニアまで、たくさんの人を夢中にさせています。科学の進歩に驚くばかりです。私も取り残されないように、頑張ろうと思います。

2017年10月16日月曜日

記憶

 今まで気が向いた時に自分の年史を書いていたのですが、ここ六年ほど空白のままでした。そろそろ書かないと記憶が定かでなくなると思い書き始めたのですが、案の定記憶はあやふやとなっています。出来事や自分がしたことについての記憶はありますが、その年が三年前なのか四年前なのか定かではありません。いろいろ記録したものを引っ張り出して確認しながら書いています。人間の記憶は、不確実なものだと実感しています。パソコンへの記録は、どんなことで消え去るかわかりません。しっかり紙に書いて残さないと不安です。わたしは自分の記憶に自信がありません。書き留めた記録を見ないと断言できません。不思議なことですが、そういう記憶が完璧に頭に残っている人がいます。記録を見なくてもその年月が正しく記憶されていて、すらすらと出てくるのです。日にちまでは要求しませんが、事象と年月がきちっと正しく記憶されていて、いつでも引き出せることができるとは驚きです。脳の回路がどうなっているのか、本当に不思議です。数字的には、こういう人は少ないのかもしれません。自分は凡人だと苦笑してしまいます。

 先日NHKの「人生レシピ」に伊東四朗さんが出ておられて、現在八十歳の現役俳優の日ごろの努力を話されていました。セリフを覚えるのが年と共に難しくなるとおっしゃっていました。記憶力を高めるために、円周率をどんどん覚えて行ったとのことです。すごい桁まで記憶されていました。とても真似できません。その番組では、医師の解説も入るのですが、「人間は年と共に新しいことを覚えることが難しくなってきますが、自分にとって新しい分野の記憶にチャレンジすることは記憶力を高めるのに効果があります」と言っていました。年を重ねることは、肉体の老化です。視力も聴力も低下してきた今、私は新しいことにチャレンジしています。寝る時、目を閉じて歌える歌をたくさん歌います。童謡から唱歌、フォークソング、歌謡曲、何でもです。しかし歌詞を正しく覚えていないといけません。一番、二番、三番まで全部です。歌詞を三番まで全曲正しくとなると、難しくなります。自信のないのは、昼間に確認しておきます。一体全体何曲歌えるようになるのかが楽しみです。今はまだ六曲です。目も耳も使わず、脳力を高める脳トレです。歌い疲れて導眠剤にもなります。おすすめだと思います。今日もチャレンジ、チャレンジです。

2017年10月13日金曜日

京都暮色

 先日ブログに「思い出の中の歌(京都慕情)」を書きましたが、秋、日本の秋は、人の心をしっとりさせるように思います。人をこい慕う気持ちを慕情とするならば、夕暮れ時の暮色は、暮情と言いたくなります。しかし辞書に暮情ということばはありません。「京都慕情」に出てくる「黄昏の河原町、夕焼けの高瀬川、燃えてる嵐山、夕やみの東山、夕やみの桂川」は、すべて暮色です。
  
御所から見た暮色
 買い物に出た時に、後ろを振り返ると美しい夕焼けです。嵐山の向こうに夕日が落ちていきます。しばらく佇んでしまいました。一瞬一瞬、色が変わっていきます。そして薄暗くなっていきます。人の気持ちをとらえてしまう京都暮情です。私の大好きな暮色です。しんみりします。


青信号の後ろが嵐山です

少し切なさを感じます。さよならする夕日です。朝がくれば元気な姿にまた会える夕日です。しばしの別れです。そう自分に言い聞かせて、夕やみせまる中を「またまた明日」と口ずさみながら夕日に背を向け歩き出しました。

2017年10月12日木曜日

京都寺町藤袴祭スタンプラリー(2017)

 スタンプラリーと聞いて、矢も楯もたまらず参加することにしました。藤袴集印帳をもらって9会場を回ります。革堂行願寺(西国三十三か所十九番札所)、下御霊神社、洛陽教会(1890年創立、ヴォーリズ設計)、新島襄旧邸、京都市歴史史料館、清荒神、梨木神社(萩の名所、京都三名水の一つ染井の井戸)、蘆山寺(紫式部の邸宅、源氏の庭)、頼山陽書斎山紫水明処、の9会場です。一つ一つは大きく立派なスタンプです。
 スタンプが揃うと、「ポストカード」と「蝶の願い札」のプレゼントがあります。
 
集印帳とチョウの願い札

ラリー中のビッグニュースがあります。滅多に見られないアサギマダラと遭遇しました。下御霊神社の鳥居をくぐったすぐのところに置かれている、鉢植えの藤袴に美しいアサギマダラがとまっているのを発見しました。羽をゆっくり動かして蜜を吸っている様子です。ポアロは興奮してシャッターを切り続けます。私達が静かに見守る中を、アサギマダラは優雅に羽を閉じたり開いたりします。






革堂行願寺には、アサギマダラを撮りたいと大きなカメラを持った人がたくさんおられたので、私達は手招きをして教えてあげました。皆さん興奮状態になりました。素晴らしいお天気のもと、スタンプラリーに参加して、アサギマダラに遭遇できて、とてもよい日となりました。プレゼントをもらって、意気揚々と帰途につきました。 
スタンプをもらった順番に写真を見てください。10月なのに蒸し暑い陽気でした。歩数7000歩のいい運動になりました。

革堂行願寺

下御霊神社


洛陽教会

新島襄旧邸

京都市歴史資料館

梨木神社

蘆山寺
清荒神






2017年10月11日水曜日

京都寺町藤袴祭(2017)

 今年も藤袴祭の季節となりました。

今年で3回目だそうです

 京都寺町通りでは、藤袴祭が盛大に行われています。藤袴は秋の七草の一つです。春の七草と違うところは、秋の七草は鑑賞するためのものです。寺町通りの両側には、鉢植え、地植えの藤袴がずらりと並んでいます。

寺町の街路樹の下にも植えられています

私の家の近くの高瀬川一之舟入では、水の流れの中に鉢植えの藤袴が並びます。

高瀬川の流れの中に鉢がたくさん置かれています

  革堂行願寺では、山門から赤いもうせんが敷かれ、藤袴を見ながら本堂へ進みます。革堂茶屋では、和菓子の原型と言われる平安時代の御菓子と煎茶がふるまわれるそうです。

革堂は赤い毛氈が敷かれて華やかな雰囲気です

革堂の境内には藤袴がいっぱいです




アサギマダラを模したお札がつるされています

大きなキンモクセイもいい香りです

アゲハ蝶ですが、これはアサギマダラではないようです

これはツマグロヒョウモンチョウ
クマンバチでしょうか?かわいいスタイルの蜂です
  今年で三回目となる藤袴祭です。今回は丸太町通りまで広がりを見せています。二条寺町から丸太町通りの一部まで、行灯のあるプロムナードが誕生します。私の好きなスタンプラリーも行われます。「花に誘われてやってくるアサギマダラ(海を渡る蝶)にも出会えるでしょう」と、パンフレットに書かれています。先日、大きなカメラを持った女性に出会ったのですが、彼女はアサギマダラの写真を撮るために、連日藤袴をおっかけているそうです。今年はまだアサギマダラを見ていないとのことでした。この海を渡る蝶、アサギマダラは、京都から東北へ、そして台湾や香港、南方諸島まで飛んでいくそうです。小さな体に秘められたそのパワーには本当に驚きます。優しいほのかな藤袴の香りが、広がっています。今日は気温が高いせいかアサギマダラは登場しませんでした。
夕方になったのでスタンプラリーは翌日に行くことにしました。