2018年9月28日金曜日

かわいい鳥(カワセミ)


 三重の家の前を、二級河川が流れています。堰が設けられているので、突堤のようなところにいつもいろんな鳥が集まってきています。少し高い所から、するどい目で水面を見て小さな魚をエサにと捕っています。愛鳥家やバードウオッチングをする人には、絶好の場所です。私はいつも何気なく見ているだけですが、鳥といっても本当にいろんな種類の鳥が身近にいることを知る場所です。ポアロは趣味のカメラを持って、よく散歩に出かけますが、家の前の鳥についても知識を増やしています。
先日は、一日に何度もカワセミの姿を見ることができました。今までにも何回かカワセミを見ていますが、あの美しい色合いの小さな姿は、ひときわ目を引きます。じっとしている間も休んでいるのではありません。水面を凝視して、獲物を狙っています。小さな魚を捕獲する時には、一瞬の動きでダイブします。エサを口にくわえてどこかへ素早く飛んでいきます。近くに巣があるのだと思っています。

位置について!
 
キョロキョロ

じっと水面を見つめる


小魚をゲットしました

以前テレビで、東京都内の小さな川にいるカワセミの生態を見ましたが、カワセミが求愛する姿はいじらしいものでした。彼女が求愛を受け入れてくれるまで、何度も何度も魚のプレゼントを持って出かけます。カップル誕生となれば、子育てが始まります。子育ての期間は、親となったカワセミの愛情深いエサ捕りが続きます。その時に見たカワセミの生態には感動しました。もしも今、私がカワセミの追跡調査をする研究者だったら、三重の家の前はその宝庫です。カワセミのファミリーに遭遇することができたらと、淡い期待を抱いてしまいます。

2018年9月27日木曜日

素晴らしい先輩方


 先日の敬老の日には、テレビで素晴らしい先輩方を知ることができました。スウェーデンの102歳の女性は、現役のブロガーです。100歳の頃にパソコンに出会い、それ以来夢中になって、見事にパソコンを自分のものとしました。今は高齢者に教えているほどです。ブログは毎日書いているとのことです。90歳で夫と死別し、この先生きていくことはできないと悲嘆の日々でしたが、パソコンが彼女を変えました。パソコンが彼女に生きる張り合いをもたらしました。毎日を生き生きと暮らしています。一人でどこへでも出かけていきます。一人暮らしがなんのそのです。目を見張る彼女の生活です。人はいつでも変化することができるのだと、痛感します。高齢になっても、夢、希望は叶えられるのだと、教えてもらいました。
 日本の87歳の男性は、陸上のマスターズで活躍されています。国内、国外の大会に出場し、メダルが60個になったそうです。退職した60歳から走り始め、毎日厳しい訓練を自分に課し努力を積み重ねられてきました。運良くいろんな条件が彼に合ったのだと思います。良い結果を引き出してくれたようです。走り続ける彼の気力、体力は見事です。誰にでも真似できることではありません。
 自撮りばあちゃんで有名になった日本の90歳の女性は、ユーモアのある写真で、みんなを笑わせてくれます。写真教室に通い始め、カメラマンとして腕を上げました。まだまだ発展途上です。楽しみです。
 毎年敬老の日には、素晴らしい先輩方に出会います。元気で生き生きと暮らしておられる高齢の方々です。授かった命ですが、健康長寿はどこかに秘訣があるように思います。みんなの大きな関心です。昨今は健康ブームです。テレビでは、健康長寿のための食事や暮らしぶりを取り上げた番組が人気を呼んでいます。健康長寿は人間の不滅の欲望です。これからもますます健康長寿への希求がエスカレートしていくことと思います。

2018年9月26日水曜日

私の好きな言葉「健気」


 「健気(けなげ)」とは、「弱いものが、困難にも負けずに、勇気を出してがんばるようす」と辞書にあります。雑草は、人に嫌われながらもいつも逞しく生きています。踏みつけられても、刈られても、切られても、へこたれることはありません。いつも雑草のようでありたいと思っています。彼岸花も、毎年お彼岸に開花します。その姿は健気です。見返りを求めることなく、誰かを一途に想うことも健気です。「健気」この言葉には、日本的な魅力を感じます。あからさまに自己表現するのではなく、心の内に秘めた想いや芯の強さを大切に持ち続けて生きています。陰影礼賛にどこか通じるものを感じます。才能に恵まれた天才や、偉人と呼ばれる人も、どこかに健気さを秘めていたのかもしれません。自分自身が自分自身を早々に見限ることは、健気の対極です。一生をかけて飽くなき挑戦をする人も、健気です。呪文のように「健気、健気、健気」と言いながら毎日を過ごしたいと思っています。

2018年9月25日火曜日

半世紀を超えて(同窓会)


 先日故郷で高校の同窓会がありました。まだ興奮冷めやらぬ気持ちでブログを書いています。今年は古稀を迎える私達にとって節目の年です。高校を卒業して早半世紀以上が過ぎています。うそのような本当の月日の流れです。故郷を離れて奈良、東京、三重北部、京都、岡山へと移動して京都へ戻り、現在は京都と三重の二都暮らしをしている私は、初めての出席です。今迄どんなに不器用に生きてきたかを、思い知る機会となりました。同窓会の案内が届き、しばらく考えて出席することを決めて返信を投函しました。そのあと幹事さんから電話をもらい、懐かしい声とともにお顔が思い出され、一気に十代の頃にタイムスリップしてしまいました。それから当日まで緊張と胸の高まりが続き、その日を迎えることとなりました。
 会場は地元の老舗ホテルです。昼食をいただきながらのパーティーです。30分前から受付が始まります。私が着いた時にはすでに8人ほどが集まっていました。お顔を見て一言交わすと、すぐに当時に戻りました。恩師をお迎えして、会が始まりました。席はくじ引きです。この日の出席率は2割ほどです。東京から、大阪から、そして県内各所からの参加です。乾杯のあと、幹事さんから進行についての説明がありました。旅立たれた人が何人かおられるので、始めに黙祷を捧げました。それから食事をしながら、マイクが回り一人ずつのスピーチです。緊張します。私は昨年のフランス行きのことも話しました。娘がフランスで長く暮らしていること。昨夏フランス人と結婚したこと。私達はフランスに一ヶ月滞在したこと。そして義母まんたんのことなどです。始めの言葉は「○○○○です。旧姓は忘れました。半世紀を超えて初めて出席し緊張しています。先生は当時とまったくお変わりなくあの頃のままで驚いています」恩師は九十歳の女性です。それでも私にとったらあの頃のままの先生です。小柄な華奢な先生が、和服をびしっと着られて、メガネをかけられているお顔は当時のままなのです。
幹事さんからの説明で「自己紹介に夢や希望、何でも話して下さい」とのことだったので、私は「フランス語や英語を少しでも身につけ、世界に羽ばたきたいと思います」と、大きなそして不可能な夢と希望を冗談のように話してしまいました。皆さんのスピーチから、それぞれの人生模様を垣間見るようです。大病をされた人、連れ合いを亡くされた人も何人かいます。孫の子育て支援や、趣味、今流行りの終活、そして体の不都合などです。体に表れる老化の数々、膝、足腰を痛めている人はほとんどです。動脈瘤を抱えている人もいます。見た目の姿は、皆平等にシニアです。しかしこの席では当時に戻っています。それが嬉しく楽しく、そして面白いのです。
幹事さんが「今日は○○さんが出席されると知って、アルバムを持ってきました」と、私の旧姓を名指しです。「私は体育祭のリレーに三年間とも出ましたが、アンカーはいつも○○さんでした。一度だけゴールを切ったことを覚えています」と、恥ずかしながらの遠い昔のカモシカのようと言われた、私のカモシカ時代を披露してくれました。忘れ去っていた遠い昔がよみがえりました。「アルバムを回しますので見てください」とのことです。体育祭や文化祭、修学旅行などの懐かしい写真です。皆が当時を懐かしく思い出しました。幼稚園の園長を務め、教諭として最後まで仕事を勤め上げた頑張り屋さんです。その貫禄が滲み出ています。かつてのクラスメイトとおしゃべりをしていて、知らなかったことを知りました。国際結婚した娘さんが他にもおられました。イタリア人と結婚して、現在イタリアミラノ在住だそうです。国際的な音楽のマネージメントをされている娘さんもいました。外国語を巧みに話し、日本と外国を飛び回っているとのことです。故郷は一地方という観念を持っていましたが、昔と違い今は国際的になっています。故郷から出た親たちですが、次の世代は世界に羽ばたいているようです。
 皆のスピーチが終わり、最後に恩師が話してくださいました。開口一番は「古稀を迎えた皆さんおめでとうございます」で始まりました。「この歳まで生きてきてまず思うことは、感謝です。唯々感謝です。すべてに感謝です」他にもいろいろ話されて、締めくくりは「七十歳はまだまだこれからです。どうぞ皆さんこれからの日々を愛と希望を持って生きて行ってください」と、胸に響くお話しをしてくださいました。御主人は九十三歳で健在とのことです。三年毎に開かれる同窓会です。「ぜひ三年後も出席して下さい」とお願いして、恩師をお見送りしました。
 緊張して出席した同窓会ですが、終えたあとも興奮は続いています。青春時代を共に過ごした友情は、未来永劫変わらないことを痛感しました。時代を共有するという絆は、固く素晴らしいものです。みんなに笑われそうですが、古稀を迎えても心の内は若者です。恩師をお手本にさせていただいて、これからの日々を過ごしたいと思います。

2018年9月20日木曜日

今年も彼岸花


 京都市役所の近くに住んで早二十年が過ぎようとしています。都会の真ん中ですが、いつの頃からか家の前にある並木の足元に彼岸花が咲くようになりました。田園地帯に生まれ育った私は、田んぼの畦道や、川の堤防の斜面に咲くたくさんの彼岸花を「今年も咲いた、今年も咲いた」と大喜びで皆に報告をして回りました。
京都に暮らし始めて以来、都会に咲く彼岸花の存在が珍しく、そして嬉しく、毎年楽しみにしていました。お彼岸に合わせたかのように咲く彼岸花は、健気な花のようでますます好きになっています。群生する姿は、燃える赤です。
 
一週間前 突然ニョキニョキ

50㎝くらいになって満開近し
最近では白とか薄黄色の彼岸花もありますが、私は長年見続けてきた朱色の彼岸花が好きです。彼岸花が咲き始めたら、お墓参りです。お墓では、たくさんの人が首を長くして待っています。急がねばなりません。


2018年9月14日金曜日

偶数月15日


 偶数月の15日がこれほど待ち遠しい日だったとは、当事者になるまでわかりませんでした。偶数月15日は、年金受給の日です。毎月ではなく、隔月の受給です。年金暮らしにとっては、唯一の収入源です。副収入のある人にとっては別ですが、ほとんどの人には、大切な収入源です。年金暮らしを数年してきて、年金だけでの生活は厳しいものだということを痛感しています。
歳が上がるほどに、病院との付き合いが増えていきます。一人でいくつもの病院を回る人がほとんどです。ボケ川にもよく登場しますが、高齢者は薬漬けが実情です。医師の「まあこの薬を飲んでみて下さい」の一言から、薬漬けの日々が始まります。44歳で旅立った姉の闘病をそばで見ていた私は、医学、医師への信頼を損ないました。医師の言うことを、盲目的に信じることはできません。救急的に医療に助けてもらうことはありますが、それは短期的なものです。そういう理由で私は病院と仲良くしていません。薬も飲んでいません。シニアの中では、希少価値のある存在です。
日本が世界の中で長寿国となり、高齢者の医療費は、膨れ上がっています。これからもどんどん膨れ上がっていきます。高齢者にむやみに薬を出すのを改める必要があると思っています。私は国民年金だけです。額を言うのも恥ずかしいほどの、微々たるものです。それでも無いよりはましだと思っています。微々たる額から、税金や趣味、自分の身の回りの品の支出で使い切ります。日記を書くのが好きな私は、並行して家計簿的な記録もしています。年金だけで一ヶ月を過ごせた月はありません。毎月の持ち出しは増える一方です。ホームに入ったまんたん(義母)は、5年目に突入しました。年金だけでは、賄えません。毎月大きな額が持ち出しとなります。
最近自分のことを考えると、心細くなってきました。最期の時まで自宅で過ごせるかどうかは、誰にもわかりません。ホームに入るとなれば、持ち出しは一年で軽く百万を超えます。最期の時まで何年あるのか、もし長ければその準備をしておかねばなりません。子供に負担をかけることは、断じてできません。そう考えると、お金の大切さが身に沁みます。これからは、年金だけで生活することを肝に銘じています。
 時代という言葉に責任を押し付けるわけではありませんが、結婚して家庭を築き守り、子供を育て上げるという女性の生き方に疑いを持たず、その道を進んで来ました。結婚前には、花嫁修業に勤しみました。今から思えば、おかしく笑ってしまう時代です。結婚してもしなくても、一生を貫く仕事を持ち、男女平等の経済力を持つ道の方が良かったのではないかと思ってしまいます。私は、ピアノ教師として仕事をしてきましたが、それは家計を潤すだけのものでした。これからの女性の生き方は、一時的には大変な時期があると思いますが、男女平等の経済力を持つことをアドバイスしたいと思います。

2018年9月13日木曜日

台風の被害


  一週間前近畿地方に上陸し通過した台風21号の被害は大変なものです。関西空港は、完全復旧まで遠い道のりです。停電がまだ続いている地域もあるそうです。京都鞍馬寺では、社殿も被害を受け、たくさんの山の木がなぎ倒されて、恒例の9月15日の義経祭は中止すると発表しました。
家の近くにある下御霊神社では、区民の木として近隣住民に愛されてきた百日紅の大木が、折れてしまいました。以前ブログに書きましたが、ポアロが井戸水を頂きに行っている神社です。大木となった百日紅は、とても存在感がありました。暑い夏にはきれいな花を咲かせ、参拝する人達を楽しませてくれました。



下の写真は写真は8月12日に撮ったものです。





台風の猛威には、ふんばることができませんでした。台風の被害はあちこちに出ており、大きく育った樹齢際立つ名木もたくさん倒れました。自然災害には、どんなに頑張っても歯が立たない状況が起こると思います。とても残念なことですが仕方ありません 
自宅前のお寺の瓦も傷んだようで工事が始まりました。



2018年9月12日水曜日

川柳三句



犬抱いて 朝夕散歩 誰のため


ボケ川の 一句一句に 歳滲み
    

いつの間に 「あれ」「これ」増えて 名無しなり



      *注・・・ボケ川(NHK土曜ラジオぼやき川柳)



 

2018年9月11日火曜日

ネコ墳?


 我が家の小さな庭には、たくさんの訪問客があります。時々近所に住むノラネコもやってきます。そして置き土産をおいていきます。先日は小さな庭のど真ん中に、置き土産がありました。たまにノラネコと遭遇する娘は、その現場を目撃しました。台風が来て、豪雨があったりして、置き土産の処理をできずに数日が過ぎました。そうこうしている間に、その現場の芝だけが元気よく濃い緑になりました。ノラネコの置き土産が、雨に打たれ大地にしみこみ、土にかえったようです。そして素晴らしい栄養分になって、芝に元気をもたらしてくれました。自然の摂理に感心します。 





台風一過、庭の草取り、芝刈りを始めたポアロは、遊び心を発揮しました。まるで古墳のようです。ネコ墳?ができあがりました。小さい庭ながらも楽しみをもたらせてくれています。

2018年9月10日月曜日

「あの日あの時」


あの日あの時
それは病院のベッドに横たわり
白い天井を見つめていた時

手術のあと
身動きできない私は
白い天井を見つめ続けた

右を向くことも
左を向くことも
できない私は
まっすぐ上を向き
思考を巡らせた

人は体の自由を奪われた時
いろんな事を考える

今までの人生
これからの人生
愛する人たちのこと
父や母
夫や子供

自分がおかれている今の状況
愛する人たちでなくてよかった
私でよかった

つらい状況を乗り越える
それは私でよかった
感謝できる私がいた

つらい経験が
人を成長させる

一まわりも
二まわりも
人間として大きくなる

あの日あの時
つらい経験
それでも希望があった

希望が指針となる
そしてまた歩き出す
一歩ずつ
一歩ずつ


2018年9月7日金曜日

自然災害(北海道胆振東部地震)


 台風21号が近畿地方を襲来して、ブログを書いたすぐ後に、北海道で震度7の地震が起きたというニュースが飛び込んできました。9月6日木曜日午前3時08分に、地震が発生しました。テレビでは、刻々と被害の状況が伝えられています。山崩れや液状化の映像が報道されています。
夜中に突然起こった地震は、人々を混乱に追い込みました。いつどこで何が起こるか、自分の身に何が襲いかかるかは誰にもわかりません。地震予知学会も、最近は静かな感じです。北海道全域が停電になるとは、誰も考えていなかったことです。陸路も空路もマヒとなっています。台風21号の被害で、関西でまだ停電が続いている地域もあるという状況の中で、試練が日本を襲いました。台風、地震、まさに自然災害の代表です。スーパーやコンビニに、たくさんの人が押し寄せ長い行列ができています。山崩れで住宅が潰され、死者、行方不明者も出ています。液状化により住宅が大変なことになっています。リフォームしたばかりという被災者もおられます。今回北海道を襲った震度7の惨状を見て、自分がその立場になったらどうするかと、ついつい考えてしまいます。東日本大震災が起こった時には、すぐに避難準備の物を大き目のリュックに詰めて用意しました。自然災害が起こるたびに、そのことは現実味を持って自分の身に迫ってきます。停電がしばらく続いたら、生活はどうなるのかと考えます。懐中電灯数本、ローソク数本、マッチ数個、カセットコンロはあるのでカセットボンベ数本、携帯ラジオに電池を入れて使えるようにします。


私の携帯ラジオは、50年ほど前の年代物です。兄からの進学祝いです。大切に保管してありました。停電になれば、電池が必要です。水は、2ℓペットボトルで一箱あります。備蓄の食料を用意しなければなりません。買う必要のあるものをメモに書いていると、ポアロが「たくさんはいらないよ。避難所へ行けばもらえるから」と笑います。以前愛犬が二匹いた時には、ペットフードも備蓄食料でした。アウトドア愛好の私達は、キャンプ道具一式が揃っています。テントや寝袋もあり野外で寝ることも可能です。照明器具は、ランタンがあり重宝します。持っているもので使えるものは、いざと言う時にすぐ出せるようにしなければなりません。ヘルメットは、ちょうど二つあります。
娘が「緊急脱出する時には、ガラスなどの危険物が散乱しているから、運動靴をいつも近くへ置いておくのがいいよ。何かに埋もれた時には、ここに居ると知らせる笛がいるよ」と、アドバイスしてくれます。仕事一筋の娘は「災害勃発の時には、公人として超多忙となるから連絡は取れないからね」と、脅します。日本列島北から南、あちこちで自然災害が起こっています。そろそろ日本列島真ん中辺りで起こるかもしれません。早速メモを持って買い物に行こうと思います。

2018年9月6日木曜日

自然災害(台風21号)


 9月4日火曜日台風21号が近畿地方へ襲来しました。徳島県南部へ上陸した台風は、2時に神戸付近に再上陸しました。台風の速度は速く、2時間ほどで日本海へと駆け抜けて行きました。私達は前日には食料を買い込み、この日は朝から台風の動きに注目し、テレビの台風情報にくぎ付けでした。テレビでは、早目の避難を勧めています。不要不急の外出は控えるようにと、伝えています。
コンクリート造のマンションは、外の音があまり聞こえてきません。それでも台風の接近による暴風雨の音は、換気口から伝わってきます。窓から見える外の状況も、2時間ほどはすごいものでした。木々は折れるほどに揺れ、葉が舞い上がり、豪雨は白い湯煙の様を呈しています。テレビでは各中継地点からライブの映像が流れます。台風が通り過ぎたあとには、その爪あとが刻々と報道されます。関西空港では8,000人ほどが孤立状態になりました。空港が浸水し道路も切断され、停電の中で多くの人が緊急事態に陥りました。大きなタンカーが台風の暴風で流され、空港を結ぶ橋に激突し大破し道路を切断したのです。
どこで何が起こるか、どんなことに巻き込まれるか誰にもわかりません。不運としかいいようがありません。西宮市に住んでいるポアロの友人は、台風の被害を受けました。以前私も寄せてもらったことがありますが、芦屋浜に近く、風光明媚な環境でした。停電が23時間ほど続き、ライフラインが混乱を起こしました。水道・ガスがあっても、停電によりストップとなります。単純だった昔に比べ、便利になった分だけ複雑化し、停電が起こると機能しなくなるのです。電気に頼っている生活を思い知りました。科学技術の進歩発展の恩恵を受けている現代人には、当たり前になっている生活が根元から壊れるのです。昔の暮らしに学ぶことも大切だと、痛感します。
 台風の被害状況が、刻々と伝わってきます。京都では、西本願寺や平野神社で、社殿の一部が倒壊しました。嵐山の渡月橋では、欄干が倒れました。家の近くの本能寺では、建て替え中の工事現場の塀が吹き飛ばされました。ビルの看板や壁やタイルも、剥ぎ落とされています。

仮囲いが倒れて工事現場が丸見えに


「不要不急の外出は控えるように」と、テレビでしつこいほどに言っていたのも納得できます。台風の暴風雨により、どこから何が飛んでくるかわかりません。大ケガをしてひょっとしたら死に至ることにつながるかもしれません。自然災害をなめてはいけません。今回の台風で、反省しました。緊急事態に備えての準備をしようと思います。

2018年9月4日火曜日

自由句三句


自由句 三句



過ぎ去れば みな懐かしき 夢の中


一世紀 生きゆく人の 道長き


「どなたさん?」 愛する人も 遠く去り

2018年9月3日月曜日

ニュース(樹木葬)


 先日京都市民しんぶんに掲載された記事です。樹の下で眠る供養のかたち「樹木型納骨施設の使用者募集」とあります。人々が親しみや安らぎを感じる桜やクスノキなどの樹木を、墓標とするお墓だそうです。
「近年、少子化や核家族化などの影響により、先祖のお墓を将来にわたって引き継いでいけるのかを心配する方が増加しています。そこで市では、承継の心配のない樹木型納骨施設を整備。31年4月からの供用開始にあたり、使用者を募集します」とのことです。 
最近はテレビでも「墓じまい」に関する報道がたくさんあります。ふるさとを離れ都会に出て就職した人達は、遠くにあるお墓の世話も歳とともにできなくなって、「墓じまい」となる人が増えているそうです。都会では、ロッカー形式のお墓が人気を呼んでいると報じています。原因は、少子化と核家族化です。結婚しない人も増え、子供を持たないという選択をする人も増加傾向にあります。時代とともに、人々の生き方も変わっていきます。長年続いてきた日本独自の家を中心とする形態が、崩れ去っていくように思われます。お墓に縛られていた人々が、解放される時代の到来です。
京都市が公的施設としての樹木葬に動き出したのには、少し驚いています。京都にはたくさんのお寺があります。大本山もたくさんあります。霊園、墓地もたくさんあります。その京都で、市が先がけとなるのは不思議です。全国では地方自治体が、公的墓地を提供していることは知っていますが、樹木葬についてはまだ知りません。京都という知名度は、人々を惹きつける魅力を持っていますが、今回の募集は、市内に住民票のある方が対象です。生前申し込みは、65歳以上とのことです。費用は18万円で、記名碑への記名を希望する場合は、別途2万円いるそうです。お墓を新しく造るのに比べれば、費用は低いように思われます。私の住んでいるマンションには、仕事に生きる独身女性も多くおられますが、京都市が募集する樹木葬は、人気を呼びそうです。