2019年9月30日月曜日

人生百年時代


 人生百年時代の到来により、テレビでは健康食品やサプリメントのCMがたくさん流れています。明日から10月、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、勉学の秋です。シニアの私は、何に燃えようかと思案しています。かつては、テニスに没頭しました。スイミングにも通いました。英会話は細々と続けています。時々読書に没頭します。食欲は歳とともに落ちかつてほどはありません。といっても外食は大好きです。いろんなことに興味関心好奇心旺盛な私は、ついつい手を出す癖があります。手編みにも没頭し、下手な横好きとなったこともあります。パッチワークもかじりました。ビスクドールもかじりました。生け花は家元の学院へ通いました。収拾がつかないほどです。
 最近三重の家の近くに、フィットネスジムがオープンするとの情報が入りました。世界27カ国、4500店舗を展開している大手です。三重県初出店、24時間年中無休だそうです。「ナットクの低価格、価格以上の価値をお約束します」と書かれています。運動不足になりがちなシニアにとっては、少し魅力を感じます。周りのシニアの人達を見ると、山歩きやウォーキングなど、熱心な健康志向で取り組んでいる人が多いように思います。中には仕事に行くように毎日スポーツジムに通っている人もおられます。健康産業にとって、シニアは大事なお客様、開拓分野です。施設見学に行こうかな?と思っています。

2019年9月27日金曜日

チャリダークラブ再開


 酷暑の間は休んでいたチャリダークラブを再開しました。といっても遠出は控えています。今回は鴨川を上り、今出川通りの一つ北の出町柳で鴨川を渡り、下賀茂神社に沿って北上し、御蔭橋で高野川を渡り御蔭通りを東へ走ります。鴨川ではススキが美しい穂を広げています。

鴨川の川原を上流へ向かいます。

ススキは最盛期

比叡山の上には白い雲と青空が広がっています。

出町デルタは外国人に人気です。 

鴨川と別れて高野川です。上流は大原です。

心地よい風を受けて、気分は最高です。白川通りの一本手前で、疎水の北分流に沿っている道に入ります。京大グラウンドを見ながら走ります。たくさんの若者がスポーツに汗を流しています。その姿は爽やかです。疎水分流に沿っての道は、素晴らしい散歩道が続いています。私のお気に入りの道です。

京福電鉄鞍馬線

疎水は深くなっています。右に京大グランドがあります。

素敵な散歩道です
その散歩道の東側にある住宅地は、戦前に建てられた古いものです。京大の人文研究所もあります。住宅地の中に立つこの建物は、西洋風の雰囲気でひと際目をひきます。この辺りからは、遠くに京都西山が見えています。
  

 銀閣寺へと続く今出川通りを横断し、京大のキャンパスが広がる裏道を走ります。吉田神社を通過し、聖護院を通過し、丸太町通りを横断し岡崎へと進みます。平安神宮を通過し、ロームシアター京都のスタバで休憩です。 

京大時計台

スタバで抹茶フラペチーノ

4時20分頃に自宅を出て、ちょうど1時間です。ロームシアターは、二条通りに面しています。二条通りの西に、美しい夕焼けです。空を朱色に染めてきました。休憩しながら、刻々と変わる夕焼け空に見とれてしまいます。私の大好きな夕陽です。



童謡「夕日」を口ずさんでしまいます。
ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む
ぎんぎんぎらぎら日が沈む
まっかっかっか空の雲
みんなのお顔もまっかっか
ぎんぎんぎらぎら日が沈む



この歌の通りです。街の家並みも道路も、大人も子供も、みんなまっかっかです。休憩している間に、夕日は西山の向こうに沈んでいきました。今日のチャリダークラブは、近場を走っただけですが気分は爽快で、素晴らしい夕陽で幕を下ろしました。

2019年9月26日木曜日

近所の彼岸花


 京都御苑で彼岸花が咲き始めたのを発見してから一週間が経っています。いつもならお彼岸には満開になる近所の彼岸花が開花しました。少し遅れたようです。河原町通りや二条通りの並木の足元に、数本ずつかたまって咲き始めました





。彼岸花の群生は、今年は見ていません。田舎に咲く彼岸花と、都会に咲く彼岸花に、違いはあるのでしょうか。都会に咲く彼岸花は、少し気取って、すました表情に見受けられます。見る側の人の心に、違いがあるのかもしれません。京都御苑の彼岸花から始まり、近所の彼岸花も見ることができて、彼岸花に季節を感じています。

2019年9月25日水曜日

学生街の喫茶店


 秋の訪れとともに、心は深くなりいろんな思い出がよみがえります。大好きな歌「学生街の喫茶店」を、口ずさんでしまいます。京都には大学がたくさんあります。「学生街の喫茶店」を探しに、チャリダーで出かけました。ずいぶん走り回りましたが、思い出の「学生街の喫茶店」は見つけられません。学生街にある小さな喫茶店です。半世紀の時が過ぎ、町並みもずいぶん変わっています。長い歴史を持った小さな喫茶店の姿はありません。近代的な現代のCafeとは、イメージが違います。唯一京都大学の北側にある喫茶店で、満足することにしました。1930(昭和5年)に創業した進々堂京大北門前です。入口の上にはBIENVENUEとフランス語で「いらっしゃいませ」と書いてあります。






創業以来ずっと現役で頑張ってこられました。たくさんの学生たちに、愛されてきた喫茶店です。店の前の今出川通りには、プラタナスの並木があります。京都にはあちこちにプラタナスの並木があり、「学生街の喫茶店」の歌のイメージを膨らませてくれます。誰の思い出の中にもある青春時代の1ページです。秋の深まりにピッタリの「学生街の喫茶店」です。

「学生街の喫茶店」

         君とよくこの店に 来たものさ
         訳もなくお茶を飲み 話したよ
         学生でにぎやかな この店の
         片隅で聴いていた ボブ・ディラン
         あの時の歌は聴こえない
         人の姿も変わったよ
         時は流れた
         あの頃は愛だとは 知らないで
         サヨナラも言わないで 別れたよ
         君と         

2019年9月24日火曜日

墓参(知恩院)


 お彼岸に知恩院へ出かけました。父母を分骨しているので、知恩院へ墓参です。自宅から歩いて、東山へと向かいました。知恩院は浄土宗総本山で、開基は浄土宗の開祖法然上人です。いくつもの歴史ある建物がありますが、現在国宝御影堂は大修理がされています。完成間近です。知恩院の前の大駐車場には、たくさんの観光バスが停まっています。知恩院は、京都観光の有名観光スポットになっているようです。団体客は、ほとんどがアジアからの人たちでした。見上げると、威厳と長い歴史を漂わせた知恩院の三門が、そびえています。知恩院へ上がるには、きつい石段が続く男坂と、ゆるやかなスロープの坂道があります。私たちは、三門から真っ直ぐの男坂を上りました。歳とともに、一気に上るのは難しくなってきている私は、ゆっくり一段ずつかみしめるように上りました。それでも息はハーハーです。たくさんの人が、私を追い越して行きます。かつては、私もそうだったと思い出しながら上りました。






上に上がると、京都の街が一望できます。私の大好きな場所です。上ではアジア以外からの観光客もたくさん来られていました。外国人の人たちにとっては、古い建物や歴史に興味があるようです。少し休んでからお参りを済ませ、帰りは女坂を通りました。
門前を流れる白川沿いに明智光秀の首塚がありますが来年のNHK大河ドラマの主人公になるということで路地の道が整備されていました。




そのあと三条へ出て、買い物をして帰りました。今日のお出かけは、所要時間三時間、約一万歩でした。心地よい疲れを感じました。

2019年9月21日土曜日

健気に咲く花(彼岸花)


 昨日良いお天気に誘われて、京都御苑へ散歩に出かけました。砂利を踏み御苑の中を歩いていると、気分は爽快になります。広がる空は青く白い雲が浮かび、心地良い風が流れていきます。





 高い高度を飛行機が飛んでいきます。飛行機の好きな私は、空を見上げ飛行機を追います。そこへ反対方向から飛行機が飛んできて、空中で交差します。より高い高度を飛ぶのは、国際線でしょうか。少し低めを飛ぶのは、国内線でしょうか。肉眼で見える飛行機に手を振ったら、飛行機からも見えるのでしょうか。以前滑走路の端で娘が乗っている飛行機に、日傘を高く振り上げ続けたら、パイロットやたくさんの乗客が手を振ってくれたことを思い出しました。その時は嬉しくて、感動しました。今回は高度が高すぎて、きっと見えないと思います。



 春には、桃や梅、桜が咲き、賑やかな御苑ですが、今は野草の花を見るだけです。その中に凛と咲く彼岸花を見つけました。


 今年初めて見る彼岸花です。昔から馴染みあるオレンジ色の彼岸花です。毎年お彼岸に入ったら、まるで時がわかるかのように、きちっと咲く彼岸花には感動します。その健気さは、胸に響いてきます。彼岸花に誘われて、早速お墓参りに行ってこようと思います。





京都御苑のなかを散歩して歩数は8,500にもなりました。


2019年9月20日金曜日

プチドライブ(尾鷲へ)


 先日の三連休の中日に、娘の招待を受けてプチドライブに出かけました。目指すは三重県尾鷲市です。熊野灘に面した漁業の町で、三重県南部地域の拠点になっています。全国的に見て降雨量が非常に多い所です。今回は、海の幸たっぷりの海鮮丼を食べに行こうということで、尾鷲を目指しました。午後のプチドライブです。高速道路を走り、一時間で目的地に着きました。三連休なので、他府県ナンバーの車がたくさん走っています。
昼食の時間を少し過ぎていたので、お店の客は私たちだけでした。新鮮な海の幸がたくさんのった海鮮丼と、魚の入った海鮮味噌汁はとてもおいしく絶品でした。


食事のあとは、尾鷲港へ行きました。たくさんの釣り人の姿がありました。そして私たちの大好きな海上保安庁の船が停泊していたので、記念写真を撮りました。京都府舞鶴市へ行った時も、興奮して写真を撮ったことを思い出します。ずいぶん前のことですが、テレビドラマで「海猿」を見てからの大ファンです。海上保安官の活躍を描いたドラマです。海に生きる男たちの姿を見ては、感動しました。誰もが描く男の理想像です。現実を見てはいけません。スクリーンの中の理想の男の姿です。それ以来、海上保安官に理想像を重ねてしまいます。夏休みには、湾内クルーズがあるそうです。いつか乗ってみたいと思っています。

巡視船「すずか」

堤防の向こうは太平洋

尾鷲の古い町中を通ると、昔々のことを思い出します。姉が幼稚園でお世話になった先生が尾鷲に赴任されたので、遊びに寄せてもらいました。家族で親戚づき合いのように、先生を慕っていました。懐かしい思い出です。


帰りは国道42号線を走りました。日本一の清流「銚子川」では子供たちが川遊びをしていました。そのあと紀伊長島の道の駅へ寄りました。大内山では地元の牧場のアイスクリームを食べました。今日のプチドライブは、所要時間五時間半で、走行距離は200キロでした。思い出の一ページが増えました。

2019年9月19日木曜日

アガサ自伝読破


 アガサ・クリスティ―本人が書いた自伝を読み終えました。上下巻で約1000ぺージもある長編でした。1979年の再版発行なので、字は小さくとても読みづらいものでした。始めは全部読めるかどうか自信はありませんでした。マープルやポワロの大ファンの私は、作者のアガサにとても興味関心好奇心を持ち、彼女の人間像を知りたくなったのです。自身が書いた自伝があることを知り、早速図書館で借りました。1950年4月、60歳から書き始め、15年かけて75歳で書き終えました。両親や姉・兄・祖母たちの愛情をたくさんもらい育った幸せな幼い日々、祖父の築いた富豪としての暮らしぶり、ドラマで目にする光景が浮かんできます。
 時代背景としては、第一次大戦、第二次大戦があります。家の経済状況も変わります。子供時代、青春時代を通して、家族や友人知人の人間描写がたくさん出てきます。祖父、父はアメリカ人です。アガサは、幼い時から英国以外の国についての知識経験も豊富です。26歳でデビューしますが、自分では作家という意識はなく、書くのが好きだから書き続けたと言っています。本を読んで驚くのは、彼女の行動力です。英国だけにとどまらず、ヨーロッパ、中東を飛び回ります。そしてたくさんの作品を書き上げていきます。
 恋愛結婚をして娘が一人生まれますが、38歳で離婚します。波乱の人生となりますが、40歳で年下の考古学者と再婚します。娘が結婚し、男の子が一人生まれます。アガサにとってはかわいい孫です。孫は、私より5歳年上なので同世代です。アガサは、1890年生まれで、1976年に85歳で没しています。ちょうど私の祖母ぐらいです。130年の時の流れは、そう遠いものではないような感覚を覚えます。
 アガサは、幼い時から空想が大好きでした。空想のお友達や動物たちと、広い庭で遊び回りました。作家になる素質はじゅうぶんありました。音楽も大好きで、大きくなったらピアニストになりたい、オペラ歌手になりたいという望みを持ち、レッスンは続けていました。自伝の中に何度も出てくる言葉ですが「私は内気、おとなしくてしゃべるのが苦手、面談では言葉が出てこない。スピーチなどできない」と書いています。そういう性格から、人前でのピアニストやオペラ歌手は断念したそうです。自分に合った書くこと、大好きな書くことが、いつのまにか職業となっていきます。
 アガサはスポーツも万能です。内気という性格からは想像できないほど活発です。偉大なアガサ・クリスティーの自伝を読んで、彼女に少し似ていると思う私です。第一線で活躍している人たちは、性格的にきつい人たちだと思い込んでいました。アガサのような人もいることを知って、勇気をもらいました。

2019年9月18日水曜日

タイムスリップ半世紀


 先日久しぶりに学生時代の仲間が集まりました。一緒に音楽を学んだ寮の仲良し八人組です。八人全員が集まったのは五十年ぶりです。みんなが長い時の流れを忘れ、一気に乙女に戻りました。本当に不思議なことです。人生の酸いも甘いも知り尽くしているシニアの私たちです。青春時代を共に過ごした絆は、何年経っても色あせることはありません。気持ちは昔のままです。気心のわかり合った仲間は、毒舌があったとしても明るく笑い飛ばします。
あんなことこんなこといろんなことがありました。不器用な私は、とことんピアノに没頭していました。みんなはそれを覚えていて、褒めてくれました。人生いろいろ、歩む道は違ってもそれぞれに頑張って歩いてきました。今は人生百年時代です。誰かが言いました。「百年は無理でも九十までは頑張ろうね」「名札を付けての参加となる日が来るかもね」「脳活しないとね」そうです、寄る年波に負けてはおれません。
八人中、五人はスマホの達人です。私は持っていません。五人の友は時代の最先端を行っているようです。私は、つくづく「時代遅れ」を感じました。不器用な私は、スマホを使いこなせないと思っています。帰りの電車の中では、周りの人たちが全員スマホをいじっています。老いも若きもです。停車駅では、ベンチに座っている人も、立っている人も、ほとんどの人がスマホをいじっています。歳とともに視力も悪くなり、指先の器用さも劣ってきている私は、感心するのみです。みんなは言います。「今度会うまでにスマホデビューしてね」そんな日が来るのか来ないのか、全く自信はありません。
私の娘の発案で、この会に名前がつきました。みんなが賛同してくれました。「ねうの会」です。子年が五人、丑年が三人です。これからは毎年集まろうということになりました。歳を重ねるごとに、一年が短く感じられます。次回の集まりが楽しみです。

2019年9月12日木曜日

過ぎる歳月


 嬉しい集まりが近づいています。学生時代に音楽を学び同じ寮で過ごした仲間の集まりです。総勢八人です。卒業後は数回集まりましたが、全員集合は今回が初めてです。中国地方、近畿地方、東海地方、関東地方から集まります。名古屋での食事会です。
四十年以上後無沙汰だった人もいます。見目麗しい乙女から半世紀が過ぎ、信じられない気持ちです。仕事、結婚、子育て、孫育て、シニアの暮らし、親の見送り、皆それぞれの人生が過ぎて行きました。平々凡々の人生はありません。山あり谷あり、悲しみも苦しみも、喜びも、幸せも、いろんなことがあっての人生です。積もる話に、大輪の花が咲きそうです。期待で胸が膨らんでいます。

2019年9月11日水曜日

「私は文筆家」


私は書くことが好きだ
何でも書く
俳句 短歌 詩 
エッセイ 童話 ブログなどなど
だから文筆家と名乗る

しかし職業ではない
好きで書いているだけ
ただの趣味だ

英語で自己紹介をする
「趣味は書くことです」
「俳句 短歌 詩
 エッセイ 童話 などなど
 ブログは1650回を超えています」

講師は若いイギリス人男性
たくさんの質問を投げかけてくる

「いつ作るのですか?」
「どこで作るのですか?」

私は答える
「いつでも どこでも 」
「ひらめきです」

「あなたの俳句はどんなのですか?」
「あなたの短歌はどんなのですか?」
「あなたの詩はどんなのですか?」

私は考え込む
たくさん作ったのに
とっさに思い出せない

私は赤面する
「forgot!」
「forgot!」
「forgot!」

私は開き直る
「たくさん作り今急に思い出せない」

彼は笑う
面白そうに笑う
喜んで大笑いする

記憶の無さに衝撃が走る
急いで検索する
自画自賛の詩を発見

英語に訳す
未熟な英語力を発揮する

この詩をプレゼントしよう
どんな反応が出るのか
次回のレッスンが待ち遠しい


2019年9月10日火曜日

再び炎暑


 台風15号があちこちに被害をもたらし、遠ざかっていきました。今年の夏は、40度という炎暑に悲鳴を上げましたが、今再び炎暑が戻っています。昨日は、三重県桑名市で37.9度を記録しました。大阪、京都、名古屋では、しばらく37度くらいの炎暑が続くとの予報です。



セミの大合唱も遠のき、虫たちの鳴き声に秋の訪れを感じていましたが、再びの炎暑に閉口しています。子ども時代、青春時代を振り返っても、これほどの炎暑はありませんでした。暑さ寒さも若い時にはそれほどこたえませんでしたが、老齢の身になっては、いかにしてこの苦難を乗り越えたらよいのかと悩まされています。何もせず、静かにじっとしていなければなりません。これもまた修行のようです。齢を重ねるということの、大変さを痛感しています。

2019年9月9日月曜日

はまっています「アガサ・クリスティー」


 今夢中になって読んでいるのは、アガサ・クリスティーが書いた自伝です。1950年4月に書き始めて、15年ほど後、75歳の時に書き終えています。アガサ・クリスティー作品の、ポワロやマープルをたくさん観て、彼女の大ファンになっている私は、アガサ・クリスティーの人間像に非常に興味を持ちました。彼女自身が書いた自伝があることを知り、早速図書館で借りてきました。非常に分厚く、上下二冊からなっています。こんな長編を読むのは、久しぶりです。半世紀ほど前に読んだ「風と共に去りぬ」が思い出されます。早く読み上げたいと焦る気持ちですが、若い時とは違い、視力も落ち、根気も下がっていて、読書の楽しみより修行のようです。図書館で借りた本は、1979年の再販発行なので、字は小さくてとても読みづらいものです。そこで今さかんにテレビでCMが流れている、拡大メガネを買ってきました。なんとか読めるようになりましたが、少し読むと目は疲れ、睡魔が襲ってきます。これに勝つには、アガサ・クリスティーへの興味関心好奇心です。



本を読んでいると、アガサ作品に登場するイギリスの美しい映像が目に浮かんできます。アガサ・クリスティーは、1890年9月15日に生まれ、1976年1月12日に85歳で没しています。デビュー作品は、「スタイルズ荘の怪事件」です。執筆は1916年で、彼女は26歳でした。数年前に観たこの作品を、最近また観たのですが、この作品から、探偵ポワロと親友ヘイスティングスとジャップ警部が登場します。事件を解決する三人組です。アガサ作品から見えてくる、時代背景、そして彼女の人となりを、自伝から読み解きたいと思います。

2019年9月5日木曜日

「万歳!徘徊」



私は歩く
毎日歩く
朝に歩き
夕に歩き
夜も歩く

人は徘徊と言う
徘徊するように歩く

気持ちが落ち着く
何もかも忘れ
黙々と歩く
気分はリフレッシュ

誰かが言った
芸術は爆発だ

そうだ
生きることは爆発だ

パワー全開
心身爆発

命がある限り
歩くのだ

命の爆発だ
歩き続けよう

どこまでも
どこまでも
歩き続けよう

私は叫ぶ
万歳!徘徊
万歳!徘徊



2019年9月4日水曜日

移り変わる時代(隣にホテル)


 京都の自宅マンションの北側、一軒おいた隣に長い間とても広い駐車場がありました。利用客は多く、いつもたくさんの車が停まっていました。ある日、駐車場は閉鎖され、何ができるのかと興味津々でした。マンションが建つのかとも、大型ショッピングセンターができるのかとも、近隣住民としては、いろいろ想像しているうちに日が過ぎていきました。いよいよ発表の時がきました。近隣住民への説明会が開かれて、ホテルが建つことを知りました。設計施工会社は、ポアロの愛すべき古巣のゼネコンです。工事用フェンスが張り巡らされ、工事がスタートしました。地下一階、地上六階、205室の中型ホテルです。
  




毎週工事のスケジュール表が届き、ポアロは目を通しています。ここら辺りの地盤は固く、他所の工事よりも早く順調に進んでいます。朝八時から工事は始まります。賑やかな音が聞こえてきます。いつも思うのですが、無から始まり、建物が完成するまでの月日は、感慨深いものです。一日一日と、工事は進んでいきます。工事の音、時には騒音とも思える音ですが、気持ちはワクワクしています。工事に携わるたくさんの人の力を結集して、完成を目指します。2021年1月の竣工です。どんなホテルがお目見えするのか、とても楽しみです。

2019年9月3日火曜日

新しい幕開け(京都市役所)



 3年ほど前の発掘調査に始まり、工事が着々と進み、京都市役所の別館が完成しました。建物が完成し、周辺の緑地整備も終わり、一斉引っ越しが行われました。しかし建物内部はまだ落ち着いてはいません。
玄関ロビー横の広いスペースは、コンビニでも入るのかと思うほどの広さですが、まだそのままの状態です。先日、本庁舎にある銀行の出張所とATMの利用に出かけたのですが、もぬけの殻になっていて驚きました。あわてて受付で聞くと、二日前に別館に移転したとのことでした。
順次本庁舎も工事着工となるので、移転が始まっているようです。別館は、本庁舎の裏側で、押小路通と二条通りの間に建ちました。自宅から100mのところに裏口ができたので、二条通りからも入れます。
 
二条通の入り口


新築の建物は、とても気持ち良いものです。長き時代のしがらみを一掃させ、新時代を連想させてくれます。玄関ロビーは広く、ソファーも並んでいます。陳情に来る人や、仕事の打ち合わせに来る人がたくさんおられます。


免震構造のための隙間




別館は免振構造で、地震の時には最大で65センチも動くそうです。第一弾の別館が完成し、西庁舎や本庁舎の工事も始まります。本庁舎前の広場は、いろんなイベントの際に使われてきましたが、元の姿に戻るのはまだまだ先のことです。