2022年5月31日火曜日

知るを楽しむ(ふるさとの城 大河内城)

  コロナ禍で巣籠りが続く中、大河内城(おかわち城)へ出かけました。家から車で30分ほどのところにあります。国道166号線から少し入りますが、案内が出ているのですぐわかります。国道166号線は奈良県吉野へ続く道です。昔の和歌山街道です。国道は何度も通っていますが、大河内城を訪れるのは初めてです。

 国道際に村の公民館があり、そこの駐車場へ車を停めて歩きます。ゆるやかな坂道を上ると二の丸です。小さな鳥居が建ち小さな神社がありました。ちょうど桜が咲く頃だったので、周りには見頃の桜がきれいでした。二の丸から山道を上っていくと、本丸跡がありました。大河内城は川に挟まれた小山に立地し、自然の要塞になっています。










本丸と西の丸の間には空堀があります

 築城は応永22年(1415)、南朝の伊勢国司北畠満雅により建てられました。弟の顕雅が初代城主になっています。北畠氏は長年伊勢の国司を務め、三重県のあちこちに足跡を残しています。永禄年間に織田信長の伊勢侵攻があり、北畠具教(とものり)、具房(ともふさ)の親子は籠城し戦いました。信長の次男信雄(のぶかつ)に北畠の家督を譲る条件で和睦し、具教、具房親子は城を退去しました。天正4年(1576)信雄が南伊勢を統治する拠点を田丸城に移したため、廃城となりました。大河内城の戦いには、織田信長、秀吉、蒲生氏郷などよく知られている武将が参戦しています。北畠の養子となった信雄の妻は、北畠具教の娘、雪姫です。 

信勝は北畠の当主となり戦国の世を生き抜きのちに織田に姓を戻し、徳川家康から認められ大名となりました。子孫は2年前に偶然訪れた山形県天童の大名となり幕末を迎えています。今まで知らなかったふるさとに残る小さな大河内城の歴史に、感動です。

(まるこ記)

 

 

 

 

 

2022年5月29日日曜日

知るを楽しむ(ふるさとの土木学会 咳の地蔵)

 

 三重県松阪市飯高町にある蓮ダム(はちすダム)を見てから、一級河川櫛田川に今も残る沈下橋に立ち寄り、国道166号線で帰る途中再び興味ひかれるお地蔵さまと遭遇しました。咳地蔵です。初めて目にする名前です。粟野の沈下橋の近くにありました。

 


  国道166号線のきわにひっそりと佇んでいました。誰の目にもとまらないような存在に思われます。ずいぶん前に地元の人が建てたのでしょうか。お地蔵さまは苔むしていました。我が家の家族は気管支が少し弱く、咳はいつも友達のようです。咳の地蔵ということで、お願いをしてお参りしました。「咳が治りますように。お願いします」と、手を合わせました。お地蔵さまは、いつも人のそばにあって寄り添ってくれています。気持ちが落ち着きました。

(まるこ記)

2022年5月27日金曜日

知るを楽しむ(ふるさとの土木学会 櫛田川 沈下橋)

  三重県松阪市飯高町にある蓮ダム(はちすダム)を見てから、国道166号線を通り帰途につきました。一級河川櫛田川が国道に沿って流れています。我が家の土木学会会長(娘)が事前に調べたことを教えてくれたのですが、櫛田川にいくつかの沈下橋があるとのこと。現在も使われているそうです。飯高町粟野にある沈下橋に立ち寄ることになりました。沈下橋といえば、何年か前に高知県四万十川を訪れたことを思い出します。最後の清流と言われている四万十川には、沈下橋がたくさんあります。初めて訪れた四万十川の美しさに感動し、現役の沈下橋が珍しく、どきどきしながら車で通りました。川に落ちそうな感覚に襲われます。そんな沈下橋がふるさとにもあることは知りませんでした。



 四万十川の沈下橋に比べると少し小さいように思えます。軽トラックなら通れそうですが、私たちは車を停めて歩いて渡りました。国道の横を流れている櫛田川ですが、この辺りは渓谷です。素晴らしい渓谷の中を流れています。ふるさとを離れて半世紀。今まで知らなかったふるさとのいろんなことを、地理や歴史、遺産、偉人、など遅ればせながらこれからも学びたいと思います。

2022年5月26日木曜日

知るを楽しむ(ふるさとの土木学会:蓮ダム)

 先日我が家の自称土木学会で、蓮ダム(はちすダム)へ出かけました。会長である娘の案内で、車に乗せてもらってのドライブを楽しみました。蓮ダムは三重県松阪市飯高町にあります。一級河川櫛田川水系蓮川に建設されたダムです。三重県内では唯一の国交省直轄ダムとのことです。伊勢湾台風(1959昭和34年)では大きな洪水被害が出て、ダム建設計画が持ち上がりました。しかし住民の激しい反発もあり、計画は難行し計画発表より20年後の1991年(平成3年)に完成しました。  

                       

 自宅からほぼ一時間で到着しました。この日は良いお天気に恵まれ祝日ということで、私たち以外にも訪れる人の姿がありました。何台かのオートバイで群れをなして走るグループもいました。深い山の中に大きなダムが静かに美しく、そして威厳をもって横たわっています。その魅力に吸い込まれそうです。始めに展望台があったので上りました。30メートルほどの高さで、階段が続いています。若い人たちはさっさと上っていきますが、私は時間をかけてゆっくり上ります。頂上に上るとダムが一望できます。ダムの深さは80メートルほどあります。このダムの底には村が眠っています。奥深い山の麓で人々は暮らし、歴史を重ねてきました。自分たちの大切な村、生きた証の村がダムの底に消えたのです。どれほどの悲しみ苦しみがあったことでしょう。ダム建設のために、この地域にあった四つの村は廃村となり、人々は移住をしなければなりませんでした。小学校もありました。廃村となり人がいなくなった村には、碑が建っているだけです。




後で知ったのですが、全国の廃村を訪ねてブログを書かれている人がいることを知りました。興味関心好奇心を持ちますが、あまりの虚しさにあるいは残酷さに胸が塞がります。たくさんの人の犠牲の上にダムがつくられた、ということに感謝するしかありません。車でダムを一回りして蓮ダムを後にしました。

(まるこ記)


2022年5月24日火曜日

メダカ

 今日は全国的に快晴で30℃との予報が出ています。

そこでメダカの水替えをしました。今年の冬に越冬したメダカたちは3匹いたのですが春になって2匹なくなりました。1匹では不憫なので近くの小川での確保を試みましたがうまくいかなかったので数匹購入し現在は6匹です。数日ため置きした水を使い温度を合わせてから入れ替えます。朝は水草の下に隠れていましたが陽が射しエサをまくと上に上がってきます。


卵ができ、孵化して大きくするのが楽しみで10年ほど続けています。赤ちゃんが生まれたらまた報告します。種類は日本古来の黒めだかです。
(ポアロ記)



2022年5月23日月曜日

田植え

  自宅の周辺ではゴールデンウイーク頃から田植えが始まり、ほぼ田植えが終わった状況です。植えられた苗がすくすく育っています。先日我が家の野良部部長(娘)の号令で、我が家の田植えが行われました。超ミニミニ田んぼとなるプラスチック製の入れ物が二つ並び、部長の指導のもと二人の部員は田植えを行いました。まることポアロが部員です。入れ物の中には、部長が前もって用意した田んぼが作られています。田んぼ専用の何種類かの土を混ぜて水も入っています。苗代から苗が運ばれて、ひと株ずつに分けられています。二人の部員は苗をひと株ずつもらい、数本のグループで植えていきます。かわいい田んぼはすぐいっぱいになりました。整列させて植えるのは少し難しいです。 



 

まだ苗が余っているので、部長はバケツ田んぼへも植えました。田んぼは泥の状態で、苗をほんの少し泥の中へ植えるだけで育つとのことです。かわいい苗がみるみる育ち、稲穂になってくれることを楽しみに待ちたいと思います。農家に生まれた私ですが、田植えの経験はありません。田植えの初体験は面白いものでした。

この日の夜、早速カエルの鳴き声が聞こえてきました。我が家の小さな庭の住人となっているカエルたちです。田んぼが作られるのを待っていたようです。

(まるこ記)


2022年5月22日日曜日

イチゴ

 「まるこの本箱」に時々登場していたポアロです。今回からは共同執筆として登場することになりました。以前よりのこのサイト来訪者はご存知だと思いますが我々は奈良、東京、名古屋、京都、倉敷と転居してきましたが、現在は京都と故郷である松阪の2か所住まいです。

 2020年の春以降は都会のコロナ禍を避けて松阪在住が過半となっています。街と田園地帯の境目にある我が家の庭では鳥や昆虫、亀やすっぽん、トカゲやモグラ、カエルが住みつき、楽しませてくれます。時々イタチが訪問してかわいい目をぱちくりさせたり草むらで寝ていたり、ヘビが家に入ってきて大騒ぎをしたりと都会ではありえないことが起こります。現役引退の私は巣ごもりの2年間で園芸、料理にめざめ励んでいます。

 今回紹介するのは3年前に導入したイチゴ(章姫)。当初3株が15株に増え今年は毎日10個ほどの収穫を得ることができるようになりました。



 近づくといい香りがします。形のいいものはそのままミルクをかけていただきます。少しいびつなのは朝のジュースに入れています。毎朝、花が咲くと筆で受粉させ、朝夕に水を与えます。今の時期はランナーを盛んに伸ばし子株を増やしますので横に鉢を置いて根付かせます。倍々で増やすことができますが鉢がどんどん増えて20鉢くらいが限界です。
 ポアロ記







 

2022年5月21日土曜日

月日は流れ(続)

  大変御無沙汰をしてしまいました。休筆宣言をしてから早1年6カ月が過ぎ、コロナ禍の中で足元も頼りなくなんとか過ごしてきました。ここで心機一転再度ブログを始めたいと思います。どうぞよろしくお願いします。今回から書き手としてポアロも登場することとなりました。登場する書き手がまることポアロになります。幅が広がることを期待してご挨拶に代えさせて頂きます。                            

シニアと呼ばれる歳になって早何年。一日一日とその言葉が身にしみて、人生の坂に感じいるこの頃です。子どもが誕生し育ち、社会へ羽ばたき、空の巣症候群にもがいた日々がついこの間のような気がしています。そして今は人生の最終ステージです。最後の最後まで明るく楽しく過ごしたいと思っています。食べたいものを食べ、したいことをして、ストレスは吹き飛ばし、シニアのお手本になりたいと思います。

先日テレビで取り上げていた話題の本に惹きつけられました。和田秀樹著「80歳の壁」です。(「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。)と書かれています。同じ考えを持たれている和田秀樹氏に万歳です。そんな考えのシニアが増えて、世の中が明るく元気になることを願います。