2020年12月4日金曜日

月日は流れ

  ずいぶん御無沙汰してしまいました。新型コロナウイルスが荒れ狂う2020年も師走を迎えました。「いつまで続くコロナ禍ぞ」で、人類が恐怖にさらされています。

 我が家のまんたん(義母)が、95歳の天寿を全うし旅立ちました。いつでも別れはつらく悲しいものですが、子としての責務は果たすことができました。

 2012年にブログをスタートした私は、回を重ね1900回を超えました。書くことが好きな私は、お休みしながらですが早8年ブログに没頭し楽しみました。ここでしばらく休筆とさせていただきます。長きにわたり読んでくださった皆様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

2020年11月19日木曜日

知るを楽しむ(小夏日和)

  新聞を読んでいて今まで知らなかった言葉を知りました。「小夏日和」です。「小春日和」はよく知られていますが、晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天で冬の季語となっています。「小夏日和」は沖縄では11月の季語となっていて、空が晴れ気温がぐんと高くなる日がそう呼ばれるそうです。先日は、全国各地でぽかぽか陽気となり、仙台市で20度を超え、鹿児島市では25.8度の夏日になりました。「小春日和」を通り越し「小夏日和」だったのです。言葉遊びができそうで、面白く感じました。

 「小春日和」をドイツでは「老婦人の夏」と言うそうです。気象エッセイストの倉嶋厚さんは「日本で春の陽気と感じる天気を「夏」とするのは、向こうでは夏がさわやかな季節だからといい、感覚の違いがある」とおっしゃっています。「小春日和」が「老婦人の夏」とは、とても素晴らしい雰囲気が出ているように感じます。これからは暖かく穏やかな晴天を「老婦人の夏」と呼びたいと思います。

2020年11月18日水曜日

「紙飛行機」

 

私の紙飛行機が飛んで行く

私の夢を乗せて

大空高く高く

紙飛行機が飛んで行く

 

昨日は東へ

今日は西へ

明日は南へ

あさっては北へ

紙飛行機は自由自在

世界へと飛んで行く

 

私の紙飛行機を

待っている人がいる

世界の東に

西に

南に

北に

 

私の紙飛行機が飛んで行く

私の愛を乗せて

大空高く高く

紙飛行機が飛んで行く

 

汚れを知らない

私の想いを

紙飛行機が運ぶ

 

世界の東へ

西へ

南へ

北へ

 

笑顔を届けたい

幸せを届けたい

 

私の紙飛行機が飛んで行く

希望を乗せて

大空高く高く

紙飛行機が飛んで行く

2020年11月17日火曜日

ふるさとの紅葉

  ふるさと三重で巣籠り状態を続けている私たちですが、良いお天気に誘われ今年の紅葉を見たくなり先日出かけました。車で三十分ほど南へ走りました。地元では有名な丹生神宮寺です。丹生のお大師さんと呼ばれ親しまれています。 





  奈良時代に大仏建造の水銀を産出した地であり、富に恵まれた歴史ある村です。774年に弘法大師の師である勤操大徳により開山されました。後に弘法大師によって、813年に七堂伽藍が建立されたのだそうです。去年山門が再建され、二体の仁王像と二体の天部像が修復されました。二体の仁王像は、全身がべんがら色で塗り直されとてもきれいでした。四体とも江戸時代前期の作だそうです。





 

 平日ということで、シニアの方ばかりでした。紅葉真っ只中の山あいに建つ古いお寺には、真っ赤なもみじがたくさんありました。庭園は広く、池にはたくさんの鯉が泳いでいました。結構な数の石段を上った所に本堂があり、弘法大師の像が安置されていました。

 


 



ずいぶん前のことですが、元気だった父や母と私たちで訪れています。そのあとも客人を案内して来ていますが、久しぶりの丹生大師です。美しい紅葉を見て、懐かしい場所を歩き、心が落ち着きました。前の広い駐車場にはふるさと館があり、特産物や土産物が並んでいました。次郎柿の発祥の地でもあり、次郎柿を買って帰宅して早速ふるさとの味を楽しみました。ほんのり甘くてやわらかでした。2020の紅葉は、ふるさとの身近な紅葉でした。

2020年11月16日月曜日

未知を拓く

  歳を重ねる毎に今まで知らなかったことに気づかされます。まるで未知を拓くようです。何もかも知りつくしていると思い込んでいる最も身近な人の、今まで知らなかったことに気づき驚いています。

 私の座右の銘の一つに「楽は苦のたね苦は楽のたね」があります。嫌なこと苦手なことはついつい後回しにしてしまいますが、この言葉をつぶやきながら後回しにしないように心がけてきました。ところが最近この言葉を上回る人の存在を知りました。我が家に「すぐやる課」があったのです。ポアロです。頭の中で考える必要はありません。すぐに行動です。見事な動きです。私が頭の中でいろいろ考えている間に、ポアロのすぐやる課は仕事を終了しています。驚き桃の木山椒の木です。

 結婚した早何十年、すべてを知り尽くしていると思っていたのは間違いでした。思い込みだけだったのです。これはお互いに言えることだと思いますが、まだまだ未知の部分があると思うと楽しみが増えたような気がします。コロナ禍で外出自粛となり、ステイホームが叫ばれ、巣籠りが続き、家族の絆も深まっていくようです。

2020年11月13日金曜日

いろんな神さま仏さま

   日本のいたる所に神さま仏さまがおられます。周りを見渡せばその存在に気づかされます。神さま仏さまに見守られて、人は暮らしているのだと思います。

 生まれ育った家は、浄土宗の檀家でした。家には何代も続いているご先祖様の仏壇と神棚がありました。子どもの頃からお寺や神社は馴染みのある場所でした。十数軒の小さな集落ですが、村人の絆は強く結ばれていました。冠婚葬祭などは、村をあげての一大行事です。皆が親戚のように結束し、事に当たりました。村をあげての年間行事がいくつかあります。それは、子どもも大人も力を合わせての歴史的行事です。四季それぞれにありました。子ども心にも、それらの行事は嬉しいものでした。十二月には、山の神がありました。六年生の子らが、リーダーです。子どもたち全員へのプレゼントを考えます。役を預かる大人の人と一緒に、町へ買い出しです。おもちゃ屋さんで、年齢に合わせたおもちゃをたくさん買います。お菓子屋さんで、おいしそうないろんなお菓子をたくさん買います。行事のプログラムを考えます。舞台も作ります。劇の配役を決めて、何度もけいこをします。舞台衣装も考えます。子どもながらも、立派なプロデューサーです。踊りもあります。歌もあります。山の神さまへの感謝から始まった、村の一大行事でした。

 夏の祇園祭は、村の鎮守さまのリードです。人の暮らしに、神さま仏さまが寄り添っていました。火の神さまに頂いたお守りのお札は、一年を通じて火から守ってもらいました。海の神さまもいます。目の病を治す仏さまもいます。ガン封じの仏さまも、ボケ封じの仏さまもいます。安産の神さまには、二度お世話になりました。たくさんの神さま仏さまですが、一番身近に家の神さまがいます。私は家を出る時には、いつも「家の神さまよろしくお願いします」と、心の中で念じて鍵をかけます。神さま仏さまに抱かれて守られているという意識を持ち、そしていつも感謝を忘れずに暮らしていきたいものです。

2020年11月12日木曜日

今年の紅葉

  秋も深まり各地から紅葉の便りが届いています。例年なら京都の紅葉をブログに載せているのですが、今年はコロナ禍で例外となりました。私たちは、三重での巣籠り状態を続けています。テレビでリモートトラベルを楽しんでいる状況です。GO TO トラベルで、たくさんの人が出かけています。政府のコロナ対策経済活動は、成功しているようです。しかし人の移動により、今第三波到来の危機となっています。

 家の前にある小さな桜の紅葉は見頃です。赤く色づいた葉は、かわいらしさがあります。強い風が吹くと、少しずつ散り始めています。春には毎年父が植えた桜を、借景として見て楽しんでいる私たちです。しかし秋の紅葉はありません。秋になる前に、虫により葉っぱがすべて無くなっています。 


 

 東側に隣接する実家の藪には、黄色に色づくエノキがあります。柿の木のオレンジ色に熟した実が、木々の中で映えています。 

柿の後ろの黄色くなってきたのがエノキです


 

 散歩道には、モミジやトウカエデがあります。そろそろ紅葉も終わりに近づき美しい色合いが少しずつくすんできています。 

川の対岸のトウカエデの大木

 コロナ禍で大変なこの一年も、残り少なくなりつつあります。自粛の日々で、気持ちも塞ぎがちです。ためいきが増えそうです。

 

2020年11月11日水曜日

アニメソング

  CMソングに続いてアニメソングが頭に浮かびます。子どもたちが小さかった頃には、一緒によく見たものです。私の愛唱歌となって、よく口ずさんでいます。

 「キャンディーキャンディー」

   そばかすなんてきにしないわ

   ハナぺチャだってだってだって

   おきにいり

   オテンバいたずらだいすき

   かけっこスキップだいすき

   わたしはわたしは

   わたしはキャンディー

     明るく元気な孤児キャンディーのお話です。漫画家いがらしゆみこの作品です。放送は、1976年~1979年でした。遊園地へ出かけると、ぬいぐるみを着たキャンディーがいます。イベントがたくさん開かれました。いろんなキャンディーのグッズも買いました。十年暮らした岡山県倉敷市には、いがらしゆみこ美術館がありました。思い出の中のアニメでした。

 

「一休さん」

   すきすきすきすき すき すき

   あいしてる

   すきすきすきすき すき すき

   いっきゅうさん

   とんちはあざやかだよ いっきゅうひん

   どきょうはまんてんだよ いっきゅうひん

   いたずらきびしく いっきゅうひん

   だけどけんかは からっきしだよ

   さんきゅうひん

     放送は、1975年~1982年でした。いろんなとんち話がたくさん出てきます。大人も、そのとんち話が面白くて好きでした。日本の禅僧一休宗純の子ども時代の逸話を題材としたアニメです。京都府田辺市にある一休寺には、何度か行きました。一休さんが、晩年を過ごしたと伝えられています。懐かしい思い出です。

 

 ほかにも「アタックナンバーワン」とか「巨人の星」のアニメソングは、愛唱歌になっています。無意識に口ずさんでいます。ちなみに最近では「アニソン」というらしいです。

2020年11月10日火曜日

CMソング

  テレビで流れるCMソングをいくつぐらい歌えますか。子どもから大人まで、CMソングを歌ってくれればその宣伝は大成功だと思います。子どもの頃から長きにわたって口ずさんできたCMソングがいくつかあります。先日その一つが破産に追いこまれました。1902年創業の老舗レナウンです。かつて日本一の売上高を誇った名門です。華やかな若い女性たちの映像にのって流れる軽快なメロディーは、愛唱歌になるほどのCMソングでした。ファッションにも憧れました。何着かは買いました。時代の流れとはいえ、淋しいかぎりです。

 「チョコレートは明治」のCMソングもよく口ずさみました。年上の従兄が勤めていたので、いつもお土産にチョコレートをたくさんもらいました。懐かしい子ども時代の思い出になっています。

 「わっわっわっ輪が三つ」のミツワ石鹸のCMソングも愛唱歌でした。子どもの頃に大人気だったテレビドラマ「名犬ラッシー」のスポンサーでした。1860年~1975年にかけて、製造販売された石鹸のブランドです。現在の状況については知りません。

 「ポンポンポンと時計が三つ、坊やおやつを食べました」で始まる大須ういろのCMソングも大好きでした。子どもの頃に覚えたCMソングは、いくつになっても忘れることはありません。当時の思い出とともによみがえります。

 今もテレビから流れてくるCMソングを、すぐに覚えて口ずさむ子どもたちは多いことと思います。時代とともに変化するCMソングです。

2020年11月9日月曜日

人が変わる社会が変わる

   アメリカ大統領が変わりました。よその国とはいえアメリカという大国の大統領選です。興味関心好奇心を持って、投票開票結果を見守りました。難しい選挙システムでした。メディアが伝えるバイデン氏の人柄に魅力を感じました。妻と娘を交通事故で亡くし、最近では病気で息子さんを亡くされています。愛する人を失うという深い悲しみを経験され、強く逞しくそして他者に対する優しさを持たれているように感じています。この四年間、アメリカ第一という政治姿勢が変わります。バイデン氏は「分断ではなく結束を目指す大統領になる」と述べて国民の融和を訴えました。そしてアメリカ史上、最高齢の大統領が誕生します。七十七歳です。人生百年時代の到来、元気シニアの社会活動、同世代の人たちはその感化を受けて元気になります。元気もーりもりです。素晴らしいことです。私もそのあとについていこうと思います。

 副大統領候補のハリス氏も、魅力的な女性です。リーダーシップのある女性です。同じ女性として、ハリス氏を応援しようと思います。未来が明るくなったように感じています。

 コロナ禍で世界中が大変なことになっています。新型コロナウイルスは、たくさんの人の命を奪っていきました。これからもその力は弱まることはありません。経済的活動も大変な状況に陥っています。コロナ禍で、一流企業でさえも倒れそうです。給料カット、人材削減、その影響は多大です。最終的にすべてが個人の生活暮らしに陰を落とします。学校も大変です。オンライン授業が普通になってきます。リモートワークも増える一方です。人が社会が元に戻れることの見通しは灰色です。ついこの間のようですが、当たり前に思われた生業が危機のるつぼにおかれています。

2020年11月6日金曜日

思い出の中の歌

 いろんな歌を口ずさんでいる私は、無意識に出てくる歌を歌っています。記憶のメモリーに入っているたくさんの歌です。子守歌、童謡、唱歌、歌謡曲、フォークソング、軍歌、民謡、自分でも驚くほど多岐にわたる歌の数々です。考えて歌っているわけではありません。先日は調子よく無意識に口ずさんだ歌ですが、はて題名は何だったかなと苦笑してしまいました。しばらくして題名を思い出しました。舟木一夫の「君たちがいて僕がいた」です。「高校三年生」でデビューした舟木一夫は、次々と学園シリーズをヒットさせました。すべての曲が映画にもなりました。「高校三年生」からファンとなった私は、新曲が発売されるとそのたびにレコードを買いました。どの曲も大好きになり、レコードを聞いてはよく歌いました。十代の思い出です。 

「君たちがいて僕がいた」   作詞 丘灯至夫

               作曲 遠藤実

    心の悩みを うちあけ合って

   眺めたはるかな 山や海

   言葉はつきても 去りかねた

   そんなときには いつの日も

   ああ 君たちがいて 僕がいた

 

   さよならする日は 肩くみあって

   しあわせ信じて うたおうよ

   大人になるのは こわいけど

   そんなときにも 離れずに

   ああ 君たちがいて 僕がいた

2020年11月5日木曜日

越冬態勢

  東京で木枯らし1号が吹き各地から初雪の便りが届いています。我が家では、家の外も中も越冬態勢を進めています。ストーブ類を出し、ホットカーペットを敷き、寝具類も取り替えました。家の外では、生き物係であるメダカのお父さん、ポアロは、発泡箱を買ってきました。一番小さいグループ、メダカの保育園の子どもたちを寒さから守るために発泡箱に引っ越しました。メダカたちは、お父さんからたくさんの愛情をもらいスクスク育っています。

 越冬態勢は、庭にいる生き物たちの姿を隠しました。長期にわたり楽しませてくれた、アマガエルの姿はありません。そろそろ冬眠する時期に入ったのだと思っています。

 庭師ポアロは、ブドウの木の葉っぱを落としました。今年は一年目で、実はつけていません。ありのままの姿で、葉っぱはとても芸術的です。紅葉が始まり大きな葉っぱの端々には、朽ち果てる寸前の枯れ葉色が出ています。絵が描けるなら、絵手紙にしたいところです。自然が織りなす芸術です。山野草を題材にして生け花をされている方がおられますが、ブドウの葉も素晴らしい花材です。心打たれる自然の姿です。

ぶどうと桜の紅葉

幹と枝二本をのこして剪定されました

 コロナ禍で、人も社会も変化せざるをえない状況です。アメリカ大統領選もあと少しで結果が出ると思います。大きな変革が起こるかもしれません。大自然界に対して謙虚な人間の姿が求められているような気がしてなりません。

2020年11月4日水曜日

「完全燃焼」

 完全燃焼していますか

恋に

仕事に

人生に

完全燃焼していますか

 

振り返れば

いつも完全燃焼の私がいる

恋に

仕事に

人生に

完全燃焼の私がいる

そして今がある

 

後悔先に立たず

人生一度きり

当たって砕けろ

行動あるのみ

 

完全燃焼のあとに

後悔はなし

勝っても負けても

後悔はなし

 

爽やかさがある

達成感がある

結果は気にしない

 

そんな自分が愛おしい

そんな自分が誇らしい

 

人生には四季がある

春の喜び

夏の忍耐

秋の静けさ

冬の厳しさ

 

晴れだけの人生はない

雨だけの人生はない

嵐だけの人生はない

晴れあり

雨あり

嵐あり

雨のち曇りまた晴れる

 

完全燃焼心がけよう

不完全燃焼は体に悪い

 

我が人生に悔いはなし

最期は万歳で締めくくろう

 

人生万歳!!

完全燃焼万歳!!

 

そして

すべてに感謝!!

 

 

2020年11月2日月曜日

読書の楽しみ(ミヒャエル・エンデ)

  ミヒャエル・エンデの作品を読破しました。子どもたちが小学生だった頃にプレゼントしたものです。代表作三冊を一気に読み終えました。「モモ」「ジム・ボタンの機関車大旅行」「ジム・ボタンと13人の海賊」の三冊です。三十年以上前にその三冊を買ったのですが、愛蔵書として大切に保管してくれていました。子どもの本としては、少し高価なものでした。当時読書感想文のコンクールがあり、「モモ」が小学校高学年の課題図書の一つに選ばれていました。当時「モモ」はざっと読んだのですが、今回もう一度しっかり読もうと思ったのでした。 



 

 「ジム・ボタンの機関車大旅行」の初版は1960年、「ジム・ボタンと13人の海賊」は1962年、「モモ」は1973年です。第一作からドイツ児童文学賞を得て、世界各国でひろく知られた作家となりました。「モモ」でも再びドイツ児童文学賞をさずけられました。ミヒャエル・エンデは1929年に南ドイツに生まれました。父は画家エドガー・エンデです。ミュンヘンの演劇学校を出て、しばらく俳優をしていたそうですが、のちに子どものための本の執筆を始めました。

 初めて「モモ」を読んだ時は、子どもには少し難しいのではないかと思いました。「時間がない」「ひまがない」大人の口癖です。いそがしいのは大人ばかりではありません。子どもたちもいそがしいのです。これほど足りなくなってしまった「時間」とは何なのか、それがテーマです。機械的にはかる時間ではありません。人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がだんだんと失われてきました。「モモ」が書かれた時からほぼ半世紀が経ち、「時間」の問題はますます加速しています。科学技術の進歩発展の恩恵を受けて、スピードが最重要視されています。心が置き去りにされて「時間」と「結果」だけで評価される現代社会です。これからもますますこの方向に人間が踊らされるのだと思います。ミヒャエル・エンデは、少女モモを通して「時間」の大切さを、人間に生きることのほんとうの意味を気づかせ考えさせるのです。

 「ジム・ボタンの機関車大旅行」「ジム・ボタンと13人の海賊」を読んでの感想は、知らないうちにファンタジーの世界に入りこんでいるというものです。大人でさえ夢中になって、いつの間にかミヒャエル・エンデの世界に引き込まれているのです。子どもたちの思考は、純粋で柔軟です。素直にミヒャエル・エンデの世界を楽しむと思います。ミヒャエル・エンデは、自分の作品を「メールヘン・ロマン」と名付けました。大人にも子どもにもかかわる現代社会の大きな問題をとりあげ、その病根を痛烈に批判しながら、楽しく美しい幻想的な童話の形式にまとめました。作者の優しさ、寛大さ、思考の深さが、作品の中にあふれています。登場人物のせりふの端々に感じとれることができます。ミヒャエル・エンデのファンになりました。あといくつかの作品も読もうと思います。彼は1995年夏にこの世を去りました。65歳でした。日本人女性と結婚していた時期もあり、日本びいきだったそうです。

2020年10月30日金曜日

テレビの力

  今シニアの私たちにとって毎日の暮らしの中でテレビは欠かせない存在です。朝起きてから寝るまで、テレビから得る情報は大きなものです。見たい番組は、録画していつでも都合の良い時に見られるようにします。二つの局の番組を同時に録画することもできるようになりました。科学技術の進歩のおかげです。多大な恩恵にあずかっています。

昨夜は十三夜でした。十五夜に出る中秋の名月と並ぶ名月とされています。煌々と輝く十三夜の月にしばしの間見とれてしまいました。ウェザーニュースで知った情報です。

テレビを見ていて、恩師や知人に出会うこともあります。ずいぶん御無沙汰してしまっている方たちのお元気な姿に嬉しくなります。そういうことも何度かありました。

ニュースはよく見ています。地元のニュース、地域のニュース、日本全国のニュース、そして海外のニュースなど、目が離せません。娘が遠いフランスに住んでいるので、ヨーロッパ、フランスのことがいろいろと心配です。最近ではテロも起きています。残酷な酷い殺害をするなど、テロ集団は危険な存在です。コロナの感染拡大が大きくなり、再び非常事態宣言が出されました。今日から一ケ月ほど外出禁止となりました。国の努力が国民に届かないのでしょうか、国民性でしょうか、感染拡大を封じ込めるのは難しいようです。

聴力が落ちている私は、画面に字幕を出しています。その字幕でいろいろ勉強もできます。漢字の難しさ、読めても書けない漢字、今となってはあやふやになっている漢字、字幕を見ながら再確認です。特に同音異義語はためになります。テレビの力を味方にして日々過ごしています。

2020年10月28日水曜日

私の好きな言葉

  私の好きな言葉はたくさんありますが、そのどれもが生きる姿勢につながっています。今までいくつかはブログに書いてきました。座右の銘は一つではありません。

「立つ鳥跡を濁さず」もその一つです。結婚してふるさとを離れ実家へ帰った時は、自分たちの使ったもの、シーツや枕カバーなども洗濯して元通りにしてから出ました。我ながら健気だったということを思い出します。今は旅立つ時のことを考えます。長い人生を歩いてきて背負う荷物は増え続けました。「立つ鳥跡を濁さず」を心がけてきたというのに、それが実行できるか不安を感じています。人が旅立った後、誰が跡をきれいにしてくれるのでしょう。一番身近な人、家族しかいません。一大事業です。母が旅立った時は、父が奮闘しました。父が旅立った時は、兄が頑張りました。人それぞれですが、ほとんどの人は子どもにしてもらうしかありません。長生きすればするほど、頼りにするのは子どもです。私の場合は、頼りにする娘から強い言葉が出ています。「自分のことは全部自分でやっていってね」倒れてはおれません。頑張らねば頑張らねば、と思う気持ちはやまやまなれど、どこまで実行できるか、実行するのみです。

2020年10月27日火曜日

 久しぶりの姿

 

 先日久しぶりにアマガエルが登場しました。気温も下がり朝晩の冷え込みもきつくなり、アマガエルたちは退却したものと思っていました。気持ちよい秋晴れとなったこの日は、太陽の下ではとても暖かくなりました。お昼前のことです。ポアロが庭に出ると、足元にアマガエルです。アマガエルが姿をみせました。人間を見ると逃げると思っていたアマガエルが、ポアロの姿を見て寄ってきたのです。まるで「お父さん久しぶり」と言っているかのようです。私たち家族のことを理解しているようです。この家の住人と、この家の住人になったアマガエルです。絆が生まれているのです。今年は長期にわたり、カエル合唱団の歌を楽しませてもらいました。写真も何枚も撮ることができました。私たちが話しかけると、じっと聞いています。小さなかわいい目で、すべてを見ているのです。この日アマガエルは、長い間日向ぼっこをしていました。良い場所を見つけて、とても気持ちよさそうに日向ぼっこです。暗くなるまで同じ場所から動きません。

 

風を除け陽の当たるところでうっとり!夏に比べて大きくなりました。

気温は下がり暗くなり、どうするのかと見守りました。少しだけ場所を移動し、リビングの大きな窓の際から、私たちを見ているようです。その場を離れて台所で調理を始めた私は、しばらくしてからアマガエルの様子を見に行くと、もう姿はありませんでした。

 翌日も日向ぼっこするために姿を見せました。次の日もアマガエルに会えることを期待して、何度も庭へ見に行きましたが姿はありませんでした。そろそろ冬眠に入る頃かもしれません。「しばらく会えないからね」と、私たちに伝えにきたのではと思っています。

2020年10月26日月曜日

チャリダークラブ

  先日秋晴れの素晴らしいお天気に誘われてチャリダークラブに出かけました。久しぶりのチャリダークラブです。歳とともに遠出は危険と思うようになり控えています。

三重の家の前を流れる二級河川に沿って少し上流へ上ります。そして右折してふるさとの山並みに向かって走ります。農村部が広がります。稲刈りが終わった田んぼが続いています。今の時期は、大豆畑がたくさんあります。広い大豆畑には、よく育った大豆がいっぱいです。収穫は間近のようです。

集落の中を通ります。一頭のポニーとヤギが広い原っぱにいます。突然の光景で驚きました。牧場の存在は知りませんでした。 



  少し離れたところに、牛舎のような建物がありました。また少し走ると、今度はヤギが二頭います。カップルのようです。ヤギたちの行動範囲が最大にとれるような仕組みで、ワイヤーを使って考えられています。ヤギを飼う目的は、ヤギの乳を飲むためと、草を食べてもらい草刈りの手間を省くためかと思います。



幼い頃、実家にはヤギがいました。滋養の高いヤギの乳を飲み、子どもたちが丈夫に育つようにとの親心です。実家ではそのあと乳牛も飼いましたが、ヤギの乳とホルスタインの乳の違いは記憶に残っていません。ホルスタインの乳はなじみある乳牛の乳として、記憶の中に残っています。農村部を走りながら、遠く過ぎ去った思い出がよみがえりました。

一時間ほどの短いチャリダークラブでしたが、ふるさとの山を眺めて走る気分は爽快でした。いつまでも自転車に乗れることを願いながら帰途につきました。

2020年10月23日金曜日

刈り入れ

  我が家の野良部部長(娘)が育てた稲の刈り入れが行われました。お天気やスケジュールの都合で、ずいぶん遅れた稲刈りとなりました。バケツ田んぼというかわいい田んぼです。五つのバケツ田んぼで、稲はすくすく育ちかわいい稲穂が実りました。稲を刈り、きれいに束にして、洗濯ロープに掛けてしばらく天日干しをしました。


  この後の工程はどうなるのかと気をもんでいるのですが、白米になるのはもう少し先のようです。どれほどの収穫になるのか楽しみです。

2020年10月22日木曜日

季節は移り

  春から夏へ、夏から秋へと季節は移り、秋本番となっています。賑やかだった我が家の小さな庭も、表情を変えています。コロナ禍で巣籠り状態が続く暮らしの中で、私たちを癒やしてくれた花たちは、姿を消しました。庭一面に咲くタンポポ、春爛漫だった花たち、初夏から咲き出したたくさんのアサガオ、秋を迎える象徴の萩、すべての花が消えました。今あるのは、いつも元気なベゴニア、名前もゆかしいホトトギス、そしてがらんとなった小さな庭です。淋しい限りです。



 我が家の庭師ポアロは、せっせと花たちの後片付けに精を出しました。アサガオのつるも片付けました。大きく育った萩も枝をはらいました。植木鉢も整理しました。何年か前に九州で買ってきたガジュマルを、一鉢から六鉢に増やしました。今ガジュマルが整列しています。そして一年中元気な雑草は、いつも変らぬ姿で元気もりもりです。淋しくなった庭を眺め、少しセンチメンタルな私です。

2020年10月21日水曜日

いずこも同じ

 

 先日スーパーへ食料の買い出しに行った時のことです。お昼前の時間でした。駐車場にはたくさんの車です。いつもならスーパーの二か所の入り口にいくつものカートがあるのに、一台もありません。買い物をすませて出てくるお客さんから、直接カートをもらわないといけません。そういう人がたくさんいて、カートを手にするまで結構時間がかかりました。

コロナ禍で巣籠りをするようになってからは、極力買い物に行くのを減らしています。一週間分ほどの食料の買い出しです。このスーパーでは十日に一度くらいの割で、5パーセントオフの売り出しをしています。私たちは、出来る限りその日に合わせて買い物に出かけます。二台のカートを使い、二人が手分けして店内を回ります。買い物の所要時間を短くするためです。買うものは前もってメモに書き、買い忘れのないように注意します。いつもとは違い、先日はすごい混みようでした。以前の年末とかお盆のような、お客の入りです。いくつものレジを使っていますが、それぞれに十人ほどの行列ができています。皆さんのカートには、たくさんの商品が山積みです。私たちも、二台のカートにいっぱい乗せています。店内はシニアの人たちであふれています。私たち同様、夫婦そろっての買い出しの方もたくさんおられます。皆が年金受給者です。涙ぐましい庶民の努力です。年金だけでの生活は、厳しいものです。そんな中、5パーセントオフの日を利用するのは、当然です。一万円分買って、500円の節約です。

年金受給者になるまでわからなかったことが、当事者になっていろいろと身に迫っています。病院通いも増えます。シニアのほとんどの人が、いくつもの病院へ行き、いろんな薬を飲んでいることと思います。人生百年時代に突入しましたが、人生の最終ステージがパラダイスになるのは夢の話です。みんながため息をついて暮らしているようです。「ハアー、ハアー」が聞こえてくるようです。

2020年10月20日火曜日

 懐かしい歌たち

  先日作曲家の筒美京平氏が亡くなられました。私の青春時代のヒットメーカーでした。たくさんの歌が思い出とともによみがえってきます。

 ブルー・ライト・ヨコハマ(1968)

 また逢う日まで(1971)

 ロマンス(1975)

 木綿のハンカチーフ(1975)

 魅せられて(1979)

これらは私がよく口ずさんだ歌です。

長年にわたり愛唱歌となっている「サザエさん」が、筒美京平氏の作曲だとは知りませんでした。驚きです。

「サザエさん」

     お魚くわえたドラ猫 追っかけて

     素足でかけてく 陽気なサザエさん

     みんなが笑ってる お日さまも笑ってる

     ルルルルルル 今日もいい天気

 

     買い物しようと街まで 出かけたが

     財布を忘れて 愉快なサザエさん

     みんなが笑ってる 小犬も笑てる

     ルルルルルル 今日もいい天気

 

私の好きな一番と三番が愛唱歌となっています。昭和44年からアニメ「サザエさん」がテレビでスタートしました。子どもたちは「サザエさん」を見ながら育ちました。それとともに家族全員の愛唱歌となっていきました。今でもたくさんの子どもたちが「サザエさん」を見ているそうです。家族の思い出の中に、そして家族の歴史とともに「サザエさん」があります。

2020年10月19日月曜日

  コロナ禍の中、GO TO トラベルで旅する人が増えています。私たちも旅は大好きですが、今はまだ巣籠り状態です。

 先日からポアロがフェイスブックにフランスへの旅を連載しています。三年前のフランス一周2700kmの旅です。フランス在住の娘の運転での車の旅です。私も日本に帰ってからブログに連載しました。娘がフランス人と結婚することになり、式やパーティーに出席するために渡仏したのでした。思いもかけず、娘の発案、案内で、フランス一周の旅を満喫しました。今ポアロのフェイスブックを見ると、感激感動とともに、旅の思い出がよみがえります。 

ラベンダー満開のセナンクの修道院

ゴルド 丘の上の村

 
アルビ:レンガの街、ロートレック美術館

カオール:巡礼の道 ヴァラントレ橋

川をまたいだ美しい城:シュノンソー城

ジベルニー:モネの庭

遠い国フランスで、車に乗って自由旅を楽しめたなんて、本当に信じられないほどのことでした。フェイスブックに載せられた写真を改めて見ると、よく行けたものだと驚くほどです。日本でもよく知られている観光地はたくさんありますが、小さな街や村を訪れる感激感動は表現が難しいほどです。立派な教会は、各街各村にあります。大聖堂の建築には、日本の寺院と違った感動があります。

ルーアン大聖堂

ジャンヌ・ダルク蜂起の街オルレアン サント・クロア大聖堂


シャルトル大聖堂で結婚式に遭遇

各街各村の表情にも感激します。日本とは違う景色です。街や村が一つのかたまりとなって存在しているのです。農業国フランスの景色にも感動します。その中を車で通り抜けることができたのは、素晴らしい体験でした。 

フランス中央部は大規模な農業地

たくさんの写真の中から抜粋してコメントとともに公開しているポアロのフェイスブックは、コンパクトです。美しい街や村、山や川、数々の教会、おいしかった食べ物、知らなかった歴史、今再び旅の喜びに浸っています。

素敵なシャンブル・ドット(民泊)


ブルターニュ地方はガレットの本場

フランス北部は魚介類の宝庫





2020年10月16日金曜日

懐古

  BSプレミアムで放送される映画を観るのが大好きで、今の私の趣味の一つになっています。先日観た映画はとても古いものでした。

 1965年イギリス制作の「バニー・レークは行方不明」です。ベテラン刑事として登場したのは、ローレンス・オリヴィエ(1907~1989)でした。名前を聞いただけで記憶がよみがえります。高校生の時に観た映画「嵐が丘」です。イギリスの作家エミリー・ブロンテ(1818~1848)の不朽の名作と言われています。ローレンス・オリヴィエのアメリカ映画第一作として有名で、1939年のアメリカ映画です。1940年のアメリカ映画「レベッカ」も観ました。監督はアルフレッド・ヒッチコックです。ローレンス・オリヴィエが出ています。

 1967年のアメリカ映画「刑事マディガン」には、ヘンリー・フォンダ(1905~1982)が出ていました。1981年の「黄昏」は、人生の黄昏を描いています。ヘンリー・フォンダの晩年の映画です。老夫婦の日常と娘との交流、観ていてジンとくるものがありました。

 1962年のアメリカ映画「史上最大の作戦」は、第二次世界大戦の連合国軍のノルマンディー上陸作戦を描いています。三年前に訪れたノルマンディーが懐かしく思い出されます。出演は豪華キャストです。当時大活躍していた俳優たちの顔がずらりと並びます。ちょうど親世代の人たちです。ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートン、ショーン・コネリー、ポール・アンカ、ロバート・ライアン、ジョン・ウエインです。ジョン・ウエイン(1907~1979)の映画はたくさんあってよく観ています。大きな体(193㎝)で存在感の強い俳優です。

 親世代の俳優たちに重ねて親を思い出します。時代と時代背景を観るのも面白いものです。昔の映画に描かれる街の風景、街の雰囲気、その時代に生きる人々の姿、生きざまなど、興味関心好奇心がわき起こります。

2020年10月15日木曜日

 時代

  歳を重ねるとつくづく時代は移り行くことを感じます。科学技術の進歩発展についていくことが難しくなってきます。パソコンについても、ワードで文章を打つとかネット検索するとかぐらいしかできません。どこでもいつでも携帯電話を自分のそばに置いて愛用していますが、いろんな操作はできません。たくさんの人が普通に使っているLINEもできません。友人の中にはLINEを楽しむ人もいて、つくづく時代遅れを感じます。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)という言葉にも、なかなか馴染めません。インターネット上の交流の場ということですが、ややこしい操作は億劫になります。略してスマホと呼ばれる携帯電話スマートフォンをシニアたちも持ち始めましたが、いろんな機能を熟知し操作できる人は少ないと思います。知人の中には、「スマホを買ったけど、携帯電話にしか使っていない」という人がたくさんいます。河島英五のヒット曲「時代おくれ」が、頭に浮かびます。時代の変化に抗わず、すべてを受け入れる柔軟な心と思考力を持って過ごしたいと思います。

2020年10月14日水曜日

とんだ迷惑

  最近ではネコの人気があがり、ブームを呼んでいるようです。テレビでのCMでもネコがたくさん出演するようになりました。ネコ写真家が世界中のネコを紹介しています。NHKでは番組も制作しています。犬大好きな私はネコは苦手です。

 我が家の小さな庭にいろんな生き物が訪問してくれるのを、嬉しく思いブログに書いてきましたが、先日からネコの糞害に閉口しています。毎日ということはありませんが、堂々と悠々と庭に置き物をされるのは困ります。ネコは犬のようにはできません。いつも自由に散歩に出かけます。そして気に入った場所に置き物を置いていきます。どんな理由で我が家の小さな庭を気にいってくれたのかはわかりませんが、散歩コースになっているようです。まだ遭遇はしていませんが、困ったネコです。近くといっても結構離れている所に魚屋さんがあります。魚屋さんの周辺では、いつも何匹もの野良ネコがたむろしています。魚屋さんは、野良ネコたちに大好物の魚を与えています。ますます野良ネコが集まってきます。ネコ対策として、ペットボトルを並べている家がありますが、景観はよくありません。何らかの対策を取らねばなりません。

2020年10月12日月曜日

 「時間」

 

時間はあるのかないのか

一日は24時間

皆に平等にある時間

 

時間は長いのか短いのか

ある時 時間は短い

ある時 時間は長い

時間は七変化

 

時間は面白い

伸びたり縮んだり

自由自在に七変化

 

楽しい時

時間は短い

嬉しい時

時間は短い

幸せな時

時間は短い

 

苦しい時

時間は長い

つらい時

時間は長い

悲しい時

時間は長い

 

モモは天才少女

時間どろぼうに立ち向かう

 

大切な時間が

もしも盗まれたら

 

時間貯蓄銀行に

せっせと節約して貯めた

時間はどこへ行く

 

時間どろぼうに

用心 用心 ご用心

 

ミヒャエル・エンデの世界に

モモに

教えてもらおう

 

時間の大切さ

時間の行方を

 

2020年10月9日金曜日

 ところ変われば

  日本に住んでいる日本人でさえも、ところ変われば品変わるを痛感しています。土地土地で風俗や習慣が違うということ、同じ物でも土地が変わると名前や用途も変わります。その土地の文化は、時代とともに変わりながらもその地で育まれてきたと思います。方言もその一つです。日本の東と西では、いろんな面で違いがあります。東西対決は、昔からその定番です。身近な人との間にも、けんかを引き起こすことになるかもしれません。

 先日ポアロが珍しい野草を見つけました。我が家の小さな庭に咲く野草については、知りつくしていると思っていたので意外でした。コンクリート塀のすぐ外に咲いていました。ツル草で薄紫の小さな花を咲かせています。初めて見る花で可憐です。きれいなのでガラス瓶にさしました。くるくるとしたツルと四角っぽい葉がかわいい感じです。 



ポアロは早速ネット検索して調べました。花が藤に似ているので「フジマメ」というらしいです。その実は豆となり食べられるそうです。植物でも所変われば名前が違います。伊勢地方では千石マメと呼ばれているそうです。豆の形が千石船に似ているそうです。石川県金沢市では「ダラマメ」と呼ばれているそうです。その説明文に面白いことが書かれていました。「だら」というのは「あほう」のことだそうです。誰でも簡単に作れるからだそうです。私は小さい時から「だら焼き」が大好きでした。小麦粉を水と混ぜて焼きます。焼けたら黒砂糖を上におきます。熱で黒砂糖がじわーっと溶けていきます。甘党の私が誕生した原点かもしれません。最近になって私は「だら焼き」を復活させました。ホットケーキの粉を牛乳で混ぜて焼き、はちみつをかけて食べます。子どもの頃に食べた「だら焼き」が進化した、私だけの「だら焼き」のバリエーションです。名前の由来は、フライパンにだらーと置いて焼くからだと思っていました。結婚以来長年食べ続けてきた朝食は食パンでした。それまではごはんとみそ汁、つけもの、たまご焼き、丸干し、ちょっとしたおかず、といった典型的な和食でした。農家に生まれ育った私は、結婚して初めて洋風の朝食を食べました。朝の食パンがモダンでハイカラで、時代をリードしているかのような錯覚を起こしました。しかし長年食べ続けてきた食パンに飽きてきたようです。ポアロは食パン、私は「だら焼き」というメニューになってしまいました。ポアロは早速仕入れた情報を連発します。「だら焼き」は「あほう焼き」だったのだー、と。私は笑いころげます。「だら」が「あほう」だったとは、しらなかったと。ところ変われば品変わるでした。

2020年10月8日木曜日

興味あること(無意識)

  無意識とは潜在意識。無意識とは意識では自覚されない意識のこと。心理学ではよく取り上げられる無意識です。無意識は生まれてから今までに経験した体験によって作られているそうです。無意識は海に深く沈む氷山です。氷山の一角が意識として顔を出しています。割合はほとんどが無意識で、意識はほんの少しです。

 いつもと言っていいほど歌を口ずさんでいる私は、無意識で歌っています。あの曲を歌おう、この曲を歌おうとかまったく考えていません。意識さえありません。無意識で次から次へといろんな歌がわき出てくるのです。家族に「何の歌?」と聞かれても、すぐに答えられません。一瞬考えます。はてな、何の歌だったかな。考えて歌のタイトルを引き出します。何十年もの間に積み重ねられたあらゆる歌が、記憶のメモリーにあるのです。わらべ歌、童謡、唱歌、コマーシャルソング、歌謡曲、民謡、軍歌、合唱曲など、広い範囲にわたります。場面ごとに出てくる歌は変わります。これは無意識の中で、脳が曲を選択しているのだと思います。朝日を見る時、夕陽を見る時、その場面にぴったりの歌が出てきます。特別私が歌大好き人間なのかどうか、他の人のことはわかりません。家族はほとんど歌を口ずさみません。私は一人で歌い続けます。歌は太陽、歌は喜び、歌詞にあります。無意識の中に組み込まれた私の歌たちです。人生が歌とともにあります。歌は最高!歌万歳!です。

2020年10月7日水曜日

リモート

  コロナ禍の社会になって少しずつ変化が起きています。リモート○○が大流行となっています。コロナ感染拡大を防止するために、外出自粛となり人との密を避けるようになりました。一堂に会することもなく目的が達成できるようになったのです。リモートワーク、リモート学習、リモート診療、リモート会議、リモート飲み会、リモート食事会などたくさんのことがリモートでできるようになっています。コロナ禍になって今まで思っていなかったことが、どんどんできるようになったのです。そしてそれが発端となり、地方への移住も増えているそうです。どこにいても仕事ができるのなら、大都市にしがみついての人生も必要ありません。大都市を離れれば、経済的にもいろんなことが軽減されます。今まで考えられなかったことが、目の前に広がります。ニュースで知ったのですが、大手の企業が地方への本社移転を発表しました。東京一極集中だった日本が、少しずつ変化していくという時代に入ったようです。

 ポアロはリモート勉強会を始めました。ずいぶん前から、勉強会と称して大学時代の仲間の集まりを続けてきました。コロナ禍となり、リモート勉強会となりました。一回目はリモート勉強会の立ち上げということで、リモート飲み会でした。六人の仲間が、それぞれ目の前に飲み物を置いてのリモート飲み会です。二回目は、勉強会にふさわしくテーマが出され、皆の意見、考え、思いを述べます。六人という数は少ないように思えますが、一人ずつしゃべれば時間があっという間に過ぎてしまいます。先日は、二時間もリモート勉強会が続きました。それぞれ住んでいる所は、遠く離れています。大阪府内、四国、三重、京都を結ぶリモート勉強会です。ネット社会となり、テレビ電話のようなことができるようになりました。どこにいても、お互いに顔を見ることができるのです。リモート○○は、これからどんどん普及していくと思います。

2020年10月6日火曜日

 大豆の収穫

  我が家の野良部部長(娘)が育てた大豆が収穫の時を迎えました。まるでジャックと豆の木のようにどんどん大きくなり、どうなるのかと心配しましたが実もつけ育ち食べごろになりました。真夏の水やり、害虫駆除(マルカメムシ)はポアロが協力しました。





 大き目のプランターに植えた大豆ですが、収穫するとボールいっぱいになりました。一度には食べきれない量です。三回に分けて食べることにしました。たっぷりの塩を入れて茹でます。いい香りが漂います。美しい緑色の枝豆となりました。採れたての美味なる旬のものです。      


 この日はちょうど中秋の名月でした。幼い頃ススキと団子、そして茹でた枝豆を母がお供えしました。家族みんなでお月見です。美しい満月です。懐かしい気持ちが胸いっぱいに広がります。眩いばかりの月光です。隣地には自然に育ったススキがたくさんあります。今年はコロナ禍で大変な年となっていますが、たくさんの人が素晴らしい中秋の名月を見ていることを願いました。