2014年10月31日金曜日

京都スタンプラリ-(6)

 今回は自転車で大徳寺へ行きました。北区紫野にあります。臨済宗大徳寺派大本山の禅宗寺院です。創建は1325年です。20を超える塔頭があります。スタンプラリ-に参加しているのは、その中の三つの塔頭です。あいにく一つは都合により拝観謝絶とのことで入れませんでしたが、大仙院と高桐院はもらえました。



 大仙院は、常時公開の塔頭です。長い間住職をされてこられた尾関宗園氏は著書も多く「今ここで頑張らずにいつ頑張る」
「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく」
など、有名な名言があります。ずいぶん前のことですが、家族で大仙院を訪れた時に、私は、尾関宗園和尚の言葉に惹かれ、書かれた書を買い、パネルにしていつも目に入るところへ置いていました。当たり前のような言葉と言ったらそれまでですが、いつも心の隅に置いて、忘れないようにしようと思ったからです。現在八十歳を過ぎておられますが、お元気とのことです。
 外国人が幾人か拝観に来られていて、しきりに庭の石組など興味深そうにカメラに納めておられました。こういうところが京都観光の真髄ではないでしょうか。





 
 次に訪問した高桐院も常時公開の塔頭です。京都での肥後細川氏の菩提寺で、細川忠興、妻ガラシャの墓があります。妻ガラシャは、明智光秀の娘です。細川忠興は、千利休の高弟で、茶の湯に造詣が深く、庭や茶室に表れています。紅葉の頃はさらに美しくなると思います。
  入口から建物に至るまで何度も折れ曲がる道行空間が素晴らしいです。







 樹木が生い茂り、とくに竹や苔は手入れがされて和の空間となっています。







 大徳寺は広くて、散策するのも素晴らしいと思います。通り抜けるだけでも、きれいに行き届いた手入れをされているので、気持ちが清々しくなります。


2014年10月30日木曜日

Good Idea

 最近寝つきが悪くなっている私は、よいことを思いつきました。布団へ入った途端、バタンキュ-と眠ったのは遠い昔のこと。今はなかなか眠れません。そこで思いつきました。一人寝の子守唄を歌おうと考えました。歌詞の始まりを五十音の順に歌うのです。その時、頭に浮かんだ曲を歌います。

(あ)あめあめふれふれ母さんが じゃのめでおむかえうれしいな
   ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

(い)今は山中 今は浜 今は鉄橋 わたるぞと
   思うまもなく トンネルの やみをとおって ひろ野原

(う)うさぎうさぎ なに見てはねる
   十五夜お月さん 見てはなる

(え)エ-ッサエ-ッサ エッサホイサッサ 
   おさるのかごやだ ホイサッサ
   日暮れの山道 細い道
   小田原ちょうちん ぶらさげて
   ソレヤットコドッコイ ホイサッサ

(お)お母さま 泣かずに 寝んね いたしましょ
   赤いお船で 父さまの 
   帰る明日を 楽しみに

(か)母さんが 夜なべをして
   手袋編んでくれた
   木枯らし吹いちゃ
   冷たかろうて
   せっせと編んだだよ
   ふるさとの 便りはとどく
   いろりのにおいがした

(き)きしゃきしゃ ポッポポッポ 
シュッポシュッポ シュッポッポ
ぼくらを乗せて 
シュッポシュッポ シュッポッポ
スピ-ドスピ-ド 窓の外
畑もとぶとぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな

(く)グッドバイ グッドバイ グッドバイバイ
   父さんお出かけ 手をあげて
   電車に乗ったら グッドバイバイ

(け)・・・歌詞が出てこない時はパスします

(こ)ことりはとっても 歌が好き
   母さんよぶのも 歌でよぶ
   ぴぴぴぴぴ ちちちちち ぴちくりぴい

(さ)咲いた咲いた チュ-リップの花が
   並んだ並んだ 赤白黄色
   どの花見ても きれいだな

(し)静かな静かな 里の秋
   お背戸に木の実の 落ちる夜は
   ああ母さんと ただ二人
   栗の実 煮てます いろりばた

(す)すずめの学校の先生は
   ム-チをふりふり ちいぱっぱ
   生徒のすずめは 輪になって
   お口をそろえて ちいぱっぱ
   まだまだいけない ちいぱっぱ
   も一度一緒に ちいぱっぱ
   ちいちいぱっぱ ちいぱっぱ

(せ)先生と お友だち
   先生と お友だち
   あいさつしよう こんにちは
 
(そ)空も港も 夜は晴れて
   月に数ます 船のかげ
   はしけのかよい にぎやかに
   よせくる波も こがねなり

 そろそろあくびが出て眠くなってきたと思います。今回は童謡が多く出てきましたが、何の曲でも構いません。自分が口ずさめる歌でいいのです。その日によって出てくる歌もいろいろだと思います。私の不眠対策の一つになるかと期待しているところです。

2014年10月29日水曜日

「心細い暮らし」

年金暮らしになって早六ヶ月
今迄気にならなかったことが気になる 
今迄目に入らなかったことが目につく
この変わりように驚いている

年金生活者は淋しい
年金は毎月入ってこない
二か月分まとめて偶数月に入るから
収入が年金だけだから
年金は減りはするが増えることはない
初めての世界
初めての経験

自分がその身になってわかることばかり
入ってくるものが増えない以上
出ていくものを少しでも抑えねばならない
欲しいものは辛抱しよう
欲しいものはあきらめよう

手にする年金額は人によりさまざま
私は介護保険料を引くと残りは五万無い
この数字は何を示すのか
この額では生きていけないということ
貯蓄を切り崩して生きていくということ
自分の命の残りと
貯蓄が無くなるのと
どちらが早いのか

年齢とともに体も老いる
体の不都合もどんどん起こってくる
体と経済状況
心配することがどんどん増える

ますます心細くなる

そして毎夜不眠が続く

2014年10月24日金曜日

徒然に想ううた 短歌三首


眠れぬ夜 考え深き 哲学者

     人生見つめ 我を見つめて




眠れぬ夜 針子は振れる 右左

     これでよしとし 不満抱かず




眠れぬ夜 楽しいことを 考えて


     一人にやにや 幸ワ-ルドへ

2014年10月23日木曜日

京都時代祭2014

 昨日10月22日に京都時代祭が行われました。京都三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)の一つです。雨天順延とのことでしたが、小雨降る中、執り行われました。国内はもちろん外国からの観光客もたくさん観覧されていました。御所から平安神宮までの、約2キロを2千人ほどの長い行列が続きます。市内の各学区分担で10年に一度くらい役割が回ってきます。





 行列は明治維新から平安時代へとさかのぼっていきます。先頭の維新勤王隊列は、横笛を吹きながら、足並みそろえての行列です。それに続く維新勤王隊列は、銃を肩にかついでの行列です。若者の隊列で、おそらく京都の大学の学生さん達だと思います。以前従兄弟が学生時代にアルバイトで行列に参加したことを思い出しました。 




 維新志士列では、坂本龍馬、西郷吉之助、桂小五郎、中岡慎太郎、高杉晋作、吉田松陰など、その人物に扮しての登場です。西郷吉之助は、体格・風ぼうがよく似ていると思いました。



 織田信長、羽柴秀吉、楠木正成など、時の権力者や時の名士に扮する人達の、気分は上々という雰囲気が、見ている者によく伝わってきました。







 各時代の婦人列は、美しく衣装もきらびやかなもので、うっとりしました。これからもできる限り、毎年観覧したいと思います。立派な衣装が雨にぬれて大丈夫かと気をもみました。













2014年10月22日水曜日

京都スタンプラリ-(5)

 JR東海キャンペ-ン20周年記念企画「そうだ 京都、行こう」にとびついた私達は、スタンプをたくさんもらえることができました。今回は京都中心部から少し離れた西山方面へ車で出かけました。大原野にある勝持寺・善峯寺・十輪寺・光明寺です。
 始めに光明寺へ行きました。長岡京市にあります。西山浄土宗の総本山で、法然が初めて念仏の教えを説いた地です。創建は1198年です。紅葉の名所としても有名です。私達は初めてお参りするお寺です。広大な敷地には、たくさんの建造物があります。立派な総門をくぐると、女人坂と呼ばれる表参道が続きます。西山のふもとにあるので、眼下には京都の町が広がります。こんな立派なお寺へ、今迄に来ていなかったのが不思議なほどでした。
  



紅葉の時期が楽しみです




 次に西国三十三所第二十番札所の善峰寺へ行きました。ずい分と高い山へあがりました。立派な山門が迎えてくれます。創建は1029年です。御朱印とスタンプをもらいました。桜や紅葉の名所です。境内各所から、京都市街や比叡山が一望できます。天然記念物になっている遊龍の松があります。樹齢約600年の五葉松で、幹が横に這うように伸びていることから、この名が付けられたそうです。高さは2メ-トルあまりですが、横へ37メ-トル以上も幹を伸ばしています。境内は3万坪あり、四季折々の花がたくさんあります。応仁の乱に巻き込まれて、伽藍が消失しましたが、江戸時代になってからは、桂昌院(徳川三代将軍家光の側室、徳川五代将軍綱吉の母)の援助を受けて再興されました。山腹一帯にたくさんの諸堂が建っています。ゆっくり見て回ると1時間が過ぎていました。何年も前のことですが、父や母と一緒にお参りしたことが思い出されました。





 東南の方向に京都の街を遠望



スタンプラリ-に参加している勝持寺・十輪寺も回りました。天台宗勝持寺は、通称花の寺とも呼ばれ、679年創建の古刹です。古くから桜の名所として知られ、春には100本近い桜が境内を埋め尽くすそうです。平安時代の僧、西行が植え、愛したというしだれ桜「西行桜」は鐘楼堂のそばにありました。境内のあちこちに萩が植えられています。しっとり落ち着いた雰囲気のお寺でした。




 十輪寺は天台宗の寺院で、古刹です。在原業平が晩年隠棲したと伝えられ「業平寺」とも呼ばれます。ひっそりと佇むお寺でした。




 スタンプラリ-にはまっている私達は、スタンプを集める楽しさと重ねて、今日は御朱印をももらい大満足でした。

2014年10月21日火曜日

思い出の中のうた(4)

 時々、無意識に口ずさむ歌があります。子供の頃、歌を歌いながら遊んだ「花嫁人形」です。この歌を口ずさむと思い出されるシ-ンがあります。私が十九歳の時でした。五歳年上の姉が嫁ぐ日の朝、自宅で花嫁衣裳を着付けしてもらった姉は、家を出る前に父と母にあいさつをしました。映画やドラマでよく見るシ-ンです。床の間の前で、父と母、姉だけでなくその場にいたみんなが感極まって涙です。嬉しいはずの婚礼の日が、涙で始まりました。女性が花嫁となり、生まれ育った家を出て行くのです。花嫁の胸の中には、覚悟と決意がしっかり刻まれていたのでしょう。送り出す父と母の胸の内も同様だったと思います。時代は四十五年前のこと、今とは時代の考え方も違います。嬉しいはずの悲しい光景を見ていた私は、自分の結婚の時は、父と母に感謝の手紙を書き、新婚旅行に飛び立つ前に渡しました。涙を流すのは避けたかったからです。その姉も四十五歳という若さで亡くなり、今生の別れをした父と母も、今は千の風になりました。無意識に出てくるこの歌に、私は苦笑しながらも、少し物悲しいメロディ-に、胸にこみ上げてくるものを感じています。

2014年10月20日月曜日

悲しい掟

 台風19号が日本に近づいている連休の中日の朝、我が家の小さな庭に来客がありました。庭の隅に植わっている萩のそばにいる鳩を発見しました。家事をしながら時々鳩に目をやる私は、鳩があまり動かないことに気付きました。目はキョロキョロとし、頭は動かすのですが、体はじっとしています。何かおかしい、どうしたのかと不思議に思いながらも、家族で朝食を済ませたあと後片付けをしていました。


するとポアロ(夫)が「大変だ!カラスが鳩を追い回している」と大きな声で言い、カラスを追っ払いに庭へとんで行きました。するとじっとしていた鳩が、カラスに追われて私達のいる方へ寄ってきたのです。羽が傷ついているのか鳩は飛べないようです。飛べないけれどピョコピョコとは歩けるようです。


これは大変なことになったと家族で大騒動です。私達は定住していないので家では飼えません。近くの小学校へ持って行ったらどうか。交番へ届けたらどうか。などいろいろ意見が出ました。我が家の生きもの係でもある娘は、鳩のそばへ行って観察します。「足に輪っかが付いてるよ。伝書鳩みたい」と言い、輪っかに刻まれている番号を読みあげます。それからはポアロもインタ-ネットで情報収集です。その番号からわかったことは、今年の登録番号で個人の所有するレ-ス参加の鳩ということでした。インタ-ネットの情報では、レ-スに参加する鳩は選ばれた優秀な鳩で、50キロとか100キロとか、最高で500キロも遠い距離を飛ぶそうです。血統書もついていると書かれています。迷い込んできた鳩は、羽の色も模様もきれいです。ポアロが伝書鳩協会と鳩レ-ス協会へ電話しましたが、東京の本部は連休なので誰も出ません。次に鳩レ-ス協会に所属しているという大手個人のネット情報を見て隣の市へ電話しました。運よく人が出てくれたので、事情を説明し、鳩の登録番号を伝えました。その人はすぐ調べてくれましたが、把握している中にはないということでした。私達の住んでいる市に連絡できる人がいれば連絡してほしいと、こちらの電話番号を伝えました。しかし夕方になっても夜になっても電話はかかってきませんでした。台風19号が近づき夕方からは雨が降り出しました。娘は鳩が濡れてはいけないと、ブロックやレンガや材木で、小さな雨よけのための家を作りました。鳩が自由に出入りできるような小さな囲いです。人間になれている鳩は、娘のしていることをそばでじっと見ています。そして完成した家に入っては出てを繰り返します。言葉は通じなくても人間のすることを理解しています。かわいいくりくりした目で私達を見ます。雨がきつくなり、鳩は娘の作った家の中でじっとして夜が更けていきました。


 朝、私が一番に鳩の様子を見ました。雨はずい分降っています。鳩は昨夜と同じく家の中でじっとしています。家族三人で朝食を済ませ、少量のパンを細かくして鳩のそばへおいてやりましたが、いつもの食べ物とは違うのでしょう、鳩は食べません。台風が近づいてきているので、私とポアロは午前中に京都へ移動した方がよいと考え、急いで家を出ました。鳩は、しばらく休んだら飛べるようになるだろうと、明るい推測をしたのです。そして京都へ着いてから娘に電話をかけて、鳩の様子を聞きました。「朝からずっと家の中にいて、パンは食べていない模様。雨がどんどんきつくなってきたので、ずぶ濡れになって鳩の家の補強をした」と言います。
 鳩のことを気にしながら、再度夜娘に電話をかけました。すると娘の様子がおかしく嗚咽の気配です。夕方、娘が鳩の様子を見に行こうとドアを開けたところ、庭一面に広がる残酷な無惨な鳩の姿が目にとびこんできたのです。鳩は襲われて追い回されて、羽は庭にちらばり体は食いちぎられていたそうです。その時は大雨洪水暴風警報が出ていました。娘は家の中にいて、外の異変には気付かなかったそうです。あまりのショックで行動は起こせないと言います。台風19号は、夜9時には関東地方へと遠ざかっています。私は鳩の後片付けをするため、急遽翌日の朝に戻ることにしました。
 ポアロは仕事で岡山へ行きます。京都駅で別れました。私は普段ほとんど電車に乗ることはありません。どこへ行くのも車です。一人で電車に乗るのは本当に久しぶりです。緊張します。でも鳩を弔い見送らねばなりません。緊急事態発生です。幸いなことに、この日は隣に住んでいる姉が在宅で助けてもらえました。姉に手伝ってもらい、何とか仕事を終えました。
 たった二日あまりの鳩との出会いでしたが、情は生まれています。悔やまれることは、連休で協会にSOSが届かなかったことや、台風が近づいている為に私達が早く家を出たことと、仕事のために移動せざるをえなかったことなど、いろいろ理由があがります。自然界に生きる命あるものすべてが、弱肉強食の世界です。悲しいけれどそれは掟です。飛べなくなった鳩は、子羊です。他の生きものが生きるための、標的となり餌食となります。人間がそばにいることは、鳩を守るための最高の手段だったと思います。犯人はカラスか猫か、何者かはわかりません。無惨な姿の鳩が、何時間を経てかは不明ですが、庭から数メ-トル離れた物陰に移動していたので、犯人はイタチかもしれません。
 娘は、突然あまりにもひどい惨状を目にして、庭に出られないほどのショックを受けました。鳩に愛情を注いだ分、衝撃も大きかったことと思います。今もPTSD(心的外傷後ストレス障害)が残っているようです。今、私にできることは、鳩の冥福を祈るとともに、娘の心の傷が癒やされ、本来の元気な姿に戻る日が早く来るのを祈ることです。

2014年10月19日日曜日

「もしも」

もしも時を巻き戻せるなら
私は子供時代に戻りたい
父と母の巣箱に戻りたい

父と母の深い愛情を受けて
川の字になって眠った遠き日々
父の大きな手 
頼もしい背中
母の心広い包容力
ほっとする母のぬくもり
優しい眼差し

もしも時を巻き戻せるなら
戻りたい
温かいあの巣箱へ

もしも時を巻き戻せるなら
私は若き母親に戻りたい
子供たちの手をつなぎ
歩き回ったあちこちを
もう一度旅したい

天真爛漫な子供たちのあの笑顔
何の疑いも持たず
百パ-セント以上の信頼を
私達に寄せてくれた子供たち
百パ-セント以上の愛情を
私達に寄せてくれた子供たち

狭い巣箱に
四本川で眠ったあの頃
家族四人で仲良く過ごした遠き日々
笑顔があふれ
元気があふれ
希望に燃えた遠き日々

時は過ぎ去る
もう手は届かない
思い出の中に生き続ける遠き日々

父の偉大な後姿
母の偉大な後姿

私達は父や母に
少しでも近づけただろうか

お手本となる父と母の姿
まだまだ間に合う
一歩でも近づけることを願って

二人で歩いていこう

2014年10月18日土曜日

野良部のイベント

 先日、我が家の野良部のイベントが催されました。秋の大収穫祭、芋掘り大会です。
 野良部の部長(娘)が、野良部の部員(ポアロ&まるこ)を前にして、開会のあいさつをします。開会式が始まる前に、部長自ら、さつまいもを植えたプランタ-におおいかぶさった繁った葉やつるを、きれいにとってくれています。

6月ごろに育ち始めたところです

 枝と葉っぱをとっていも掘りスタートです


部長のあいさつのあと、一斉に芋掘りが始まりました。いもづる式に引き上げたらバラバラにちぎれるとの説明を受け、軍手をはめてさつまいもに傷をつけないよう気をつけて、周りの土を掘っていきます。手ごたえを感じます。これは大きいさつまいもだと思うとワクワクします。そして上手に引き上げます。10センチほどの大きさのさつまいもに、5センチほどの小さいのが3ケくっついています。30分ほどかけて全部を掘り起こしました。私の掘った10センチが最高の大きさでした、全部で個数としては、25個ほどありました。

傷をつけないように掘り出します



掘りたてはおいしそうな色です

最後に部長の閉会式のあいさつがあり、芋掘り大会は終了しました。部長の話では、今年の苗は少し元気のないものだったことと、プランターが少し浅いので大きく育つことができなくなったとのことを反省し「来年はもっと大きなものを収穫できるようにするので、期待していて下さい」というものでした。
 この日の夕食は天ぷらです。掘って数時間後のさつまいもは、とても柔らかく甘くて、さすが新鮮そのものでした。しばらくはさつまいもの料理が続くと思います。おみそ汁に入れたり、焼き芋にしたり、ふかし芋にしたり、懐かしい故郷の味です。農家の娘である私にとって、さつまいもは子供時代の思い出と、優しく愛情あふれる母の笑顔につながります。

 野良部の部長さん、お疲れさまでした。そしてありがとう。来年の収穫を楽しみにしています。