2013年4月19日金曜日

気晴らし


 まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて二ヶ月半が過ぎ、夫も私も身心ともに疲れを感じています。初期の認知症と診断され、一人暮らしができなくなったと言ってもほとんど自分一人でできます。それなのに何故こんな暮らしが始まったのか、もっといろんな方法があったのではないだろうか、即断しすぎたのではないだろうか、いろんな思いが頭の中をかけめぐっていきます。夫婦二人だけの仲良く穏やかな暮らしを始めて、やっと落ち着いてきたと思っていた矢先、その暮らしが消え去り、毎日夫婦げんかが始まります。狭いマンションの中では、大声でけんかもできません。まんたん(義母)が自室へ引き上げてから、小さな声での言い合いです。何故こんなにイライラするのか、原因はストレスの蓄積です。夫婦とも自分を抑え、まんたん(義母)のことを一番において言動していることが、身心によくないのだと思います。

 まんたん(義母)に二時間ほどの留守番を頼み、今日は歯科へ自転車で行ってきました。片道二十分ほどの歯科行きです。風もなく穏やかなお天気の中、春の陽射しを浴びながら、気分は爽快、ストレスが飛んでいきました。こんなささやかな気晴らしが今の自分には大切なことだと、苦笑いしながらのプチサイクリングでした。

2013年4月18日木曜日

嬉しいこと 残念なこと


 先日NHKの番組「心の時代」に、私が所属しているボランティア団体「日本傾聴塾」の提唱者村田久行氏が出演されました。身近な人がNHKに出演されるというのは、とても嬉しく興奮しました。二十年前山形県で特養ホ-ムを訪問し、高齢の方からお話を聴くボランティアを一人でコツコツ始められました。傾聴ボランティアと命名され、養成講座を開講し、その後神奈川、札幌、庄内、京都、大阪、徳島、山口と日本各地に広がり、現在会員総数は五百名を超えています。それとともに傾聴という言葉もたくさんの人に知ってもらうこととなりました。

 番組の中で村田久行氏は、女性末期ガン患者との傾聴を通しての出会いを話されていました。女性は母親との確執わだかまりを、長い間心の奥に持ち続けてきましたが、傾聴ボランティアの援助によって、それらが少しずつ解けていき、母親との信頼関係を取り戻し、自分に対する母親の愛情も再確認し、やがて訪れる自分の命の終わりも受容することができるようになり、穏やかな最後の日々を過ごされたそうです。死というものが恐怖でなくなり、生と死が続いている永遠の命を手にされたのだと思います。傾聴が、宗教も医療も手の届かない魂の援助になるのだと思います。

 私が傾聴ボランティアに出会ったのは十一年前のことです。ホスピスや高齢の方々を訪ね、そばに寄り添い、ただひたすらお話を聴くのです。心をこめて、全身で耳を傾けて聴くのです。人の悩みや痛み苦しみが、お話を聴くことによって大きな援助となります。養成講座を受けて、理論と実践を学び、修了書を手にすれば晴れて傾聴ボランティアの会員となり、現場での実践が始まります。たくさんの人との出会いがあり別れがあり、私の傾聴ボランティアの経験はとても貴重なものとなりました。しかしここにきて退会せざるを得ない状況となり、退会を決意しました。まんたん(義母)の認知症発覚以来、今迄の生活が一変し、自分のいる現状がこの先いつまで続くのか、この先どうなるのか、見通しのつかないまま一日を必死に乗り越えているというありさまです。ボランティアができる時というのは、生活の中にいろんな意味で余裕がある時です。今の私は、身体的、精神的にアップアップしている状態です。傾聴ボランティアとして学び経験したことは、これからの私に大きなプラスになることと期待しています。

2013年4月17日水曜日

桜の季節


 桜前線も北上し、私の住んでいる地域では、美しく咲いて人々を楽しませてくれた桜も葉桜となりつつあります。桜の季節といえば、自分自身や家族、子供達の節目節目での入学や入社など、新しい門出を祝う季節です。日本では桜は国の花のような存在で、この季節を待ち望み、開花予報も報じられ、国民あげて桜を愛でています。嬉しいことを手にした時は「サクラサク」残念だった時は「サクラチル」など、桜は人々の生活の中にもしっかり入り込んでいます。

 桜はほとんどの場面において、楽しい、嬉しいなど、喜びを表現するような花ですが、私にとって、つらい悲しい別れの時と、桜は重なって思い出されます。姉が長い間病気と闘い、四十四歳で旅立ったのが桜の季節でした。日本中が桜の花に酔いしれ、うかれている時、父、母、兄、姉、姉の家族、私達家族は桜の花も目に入ることなく、せっせと病院へ通っていました。姉が旅立った日に、気付けば桜吹雪でした。美しく咲いた桜の花が散り、春の嵐の風に舞い上がり、美しくも無常な姿を、私達の目に焼きつけていきました。大切な人の命の終わりを桜吹雪で見送り、桜吹雪とともに旅立った大好きな姉を、この季節になると思い出します。

2013年4月16日火曜日

 MCI(軽度認知障害)


 認知症とは呼べないという状態を軽度認知障害と呼び、その中には高齢で老化による知的能力の低下もあります。

 次の五つが全部当てはまるとMCIと考えられるとのことです。

1.物忘れを自覚している。(周りの情報でもよい)

2.客観的に記憶障害がある。(新しいことを覚えられない、維持できない、思い出せないこと)

3.認知機能は保たれている。

4.日常生活は基本的にできる。

5.認知症ではない。

 

 まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて二ヶ月半が経ちました。最近は認知症についてテレビでも新聞でもよく取り上げているように思います。先日もテレビでMCI(軽度認知障害)について放送していました。現在の調査で、65歳以上の人の55%は認知症になるという結果が発表されています。検査を受けて、ただの老化による認知機能の低下なのか、MCIなのかでその対応をしなければなりません。MCIとわかってそのまま放置すると、数年後には認知症に移行するとのことです。

 

 今、各地で認知症の予防対策が進められています。

  人とのコミュニケ-ションをとるようにする。

  頭を使って計算をする。

  軽い運動をする。

  創造的なことをする(何か新しいことにチャレンジする)

  プライドをすて積極的に認知症予防の会に参加する。

などその成果は出ていると報じていました。

 

何事も100パ-セント完璧な理由、原因はないと思いますが、我が家のまんたん(義母)が何故認知症になったのか不思議です。今、日本中に増えている独居老人は、毎日の生活の中で人との会話が少なくなっているというのは当然で当たり前ですが、そのことが認知症の道につながる大きな原因の一つになっているような気がします。 

2013年4月15日月曜日

四十年の歳月


 四十年前の今日、私は人生の航海に船出しました。人生の荒波を予想する知識、知恵もなく、ただただ純粋な愛、他に代えられない永遠の愛、真実の愛、と自分が思い込んでいただけの、幸せを胸いっぱいにつめこんで旅立ちました。四十年前のあの日の自分を思い出すと、健気で可憐で純真で、大きな温かい父母の翼のもとでぬくぬくと、スクスク育った乙女でした。二人の子供に恵まれ、仕事と子育てに追われる日々の中、無我夢中で年輪を積み重ね、いつのまにかシニアの仲間に入りました。

 長い歳月の中には、いろんなことがありましたが、その都度、終着駅で人生を振り返る時、あんなことこんなことたくさんあったものだと、笑い話になるようにという思いで「今は過去、未来は今」の言葉を心の中でつぶやきながら、乗り越えてここまできました。しかし今、人生の荒波は、まだまだこれから先も、生きている限り、押し寄せてくるということを実感しています。

 人生をたとえる時「酸いも甘いも」「花も嵐も踏み越えて」「楽あれば苦あり」とか言いますが、人生を生きるということの大変さを、この歳でなおいっそうかみしめています。

2013年4月13日土曜日

学ぶを知る


 先日、私の長年の願いを実行、実現しました。母が半世紀もの歳月を邁進した、華道の家元へ勉強しに行ってきました。

 母が華道教室を開き、たくさんの生徒さんが来てくれていたので、私は子供の頃から遊び半分でおけいこをしていました。中学高校の頃はお友達も習いに来てくれたので、おつきあいでずっと続けてきました。その中には母娘二代にわたりいけ花を習いに来てくれた友人もいて、彼女は結婚するまでおけいこを続け門標も取りました。私も結婚して実家を離れるまでいけ花を続けましたが、結婚し転勤族となり、仕事、子育てに追われる日々の中で、いつしかいけ花は遠い昔のことになっていました。もしいつか勉強できる日が来たら、ぜひ家元へ行きたいと心の底に願いを持ち続けていました。故郷の地に戻った時は、片道二時間かけて、高齢になった母のいけ花教室の手伝いに、週に一度、日帰りで通ったりもしましたが、母が心筋梗塞で突然亡くなりピリオドが打たれました。その後、母の後を姉が受け継ぎ、教室をしているので、時々は私もいけ花をしていました。

 そして夫婦二人きりのシニアの暮らしが始まり、六十代後半に入る今こそ願いを実行、実現しないと、その願いは儚い夢となって終わると思い決行したのです。願書を出し入学許可書を受け取り、学費を振り込んだ後に、義母の異変が起こり、私の願いは不可能になるかと悩みましたが、夫が介護休暇を取り、五日間の家元での勉強を無事終えることができました。年に四期、計二十日間受講するコ-スなので、あと三期を何とか乗り越えたいと思っています。

 家元での勉強は、とても新鮮で、午前は教授陣の講義があり、午後は実技です。いけ花をしたという経験はあっても、自分でテ-マを決め、自分で花材を選ぶというのは、とても難しいことです。いけて手直しをしてもらって、アドバイスを受けます。その後はデッサンをして、クラスのみんなの手直しを見せてもらったりして、全員の実技が終わるまで授業は続きます。何をどのようにいけるかを、自分で考えたことはありませんでした。普段のおけいこの時は、与えられた花材で、先生のいけた手本を見ながらいけて、手直しとアドバイスをもらうだけです。経験のないことをするのは、大きな刺激です。

 今期のクラスメイトは三十二人で、北海道から九州まで、香港からは中国の方、イギリスロンドン在住の日本人とか、国際的なのには驚きました。年齢は二十代の若者から私ぐらいの方までという、親子以上の年齢差があり、その中には男性が五人もいて驚きました。男性の年齢は、二十代後半から三十代後半までの人達でした。このクラスで一年を共に勉強するので、早速盛り上がり親睦食事会が開かれました。独身の女性も多くて、一年後にはカップル誕生という、婚活の場にもなるような感じです。日本の伝統的文化のいけ花に、興味関心を持っている若い人達がいるのは頼もしい限りです。学ぶことの楽しさ、面白さ、学ぶことによって手にする喜び、感動、大げさに言えば未知との遭遇です。それは年齢に関係ありません。何歳になっても学びたいという意欲を持ち続けたいものです。

 母が若かりし頃、家元へ勉強しに、数日家を留守にして行っていたのですが、最後の日に、私は父に連れられ、母を迎えに行きました。その時、大きな台風が来て帰れなくなり、父と母と私の三人は、急遽旅館へ泊まることになったのです。十歳の私は、思いもかけないプレゼントをもらったようで、嬉しくてはしゃいで、旅先で川の字になって寝たことを懐かしく思い出します。

 母が、三十代で亡くなった母の母に、子供時代からいけ花の手ほどきを受け、いけ花と共に生きた母の人生を辿り、かつて母がそうだったように、家元でいけ花を学ぶことのできる幸せを感謝しています。