2024年4月18日木曜日

まだまだ知らない京都御苑

  今年の春は、何度も京都御苑を訪れました。雨降る中を、早咲きの枝垂れ桜を見ました。そして二度目の桜見は、今まで知らなかったさとざくらを見ました。梅林にあります。一般には、ぼたんざくらとか八重桜とか言われます。ソメイヨシノより遅く開花します。私たちが訪れた時は、ちょうど満開でした。この日はお天気に恵まれ、日曜日ということで、たくさんのお花見客で賑わっていました。薄いピンク色のものや、少し黄色く見えるものなど、色とりどりでした。一番印象に残ったのは、宮内庁京都事務所の入口に植えられているさとざくらです。樹齢はずいぶん古いようですが、きれいな花をたくさん咲かせていました。特徴は、花がぶどうの房のようにひとかたまりなっていることです。私は初めて見ました。満開で花の房が重いのでしょうか、枝がたわみ地面すれすれに花があります。情報収集ができていなかった私たちは、たまたまそのさとざくらに出会えました。 

 もう一つ今まで知らなかったことですが、桂の宮邸跡が、2022年から一般公開されています。今出川通りの同志社大学の前にあります。情報が広まっていないようで、私たちだけでした。外国の男性観光客が一人、私たちの後ろに続きましたが、私たちがどこへ行くのか興味関心を持ってついてきたようでした。情報を得てのことではないようでした。桂の宮邸跡は、静かな林の中にひっそりとあり、悠久の時の流れを感じさせてくれました。 


 

 隣にある近衛邸跡には、遅咲きの枝垂れ桜が満開となっていました。 

  

京都御苑も、以前に比べれば、ずいぶん整備されています。新しく生まれ変わった休憩所は、人気のお食事処となっています。京都御所、大宮御所、仙洞御所、迎賓館など、京都御苑には、四季を通じて魅力がいっぱいです。

2024年4月17日水曜日

御所散歩 里桜

 この一週間は晴天が続いています。御所散歩には最適の陽気です。ソメイヨシノが散った後は八重の里桜が咲いているようなので出かけました。御苑の梅林の近くまで歩きました。

 やはり外国の人が多いようです。新芽の季節でもあり新緑の御苑となっています。その中に八重桜のピンク色が見えています。皆さん近づいて写真を撮っておられます。その中によく見ると緑の花を咲かせている桜を発見しました。御衣黄という名前がついているようです。3月からこの御苑では梅、桃、サクラと春の花を楽しむことができました。これからは暑くなると散歩も緑の木陰が欲しくなります。








(ポアロ記)




2024年4月11日木曜日

今年のイチゴ

  4月に入り桜の開花と同時に我が家のイチゴも花盛りとなってきました。

昨年は100個以上の収穫がありましたが株が古くなったので昨秋に新株を定植し8鉢としました。温室はないので冬には軒の下に入れたり日に当てたり肥料を入れたり手をかけた結果立派な株となりました。早いものはすでに実を結び赤みを帯びてきました。




今年は何個収穫できるでしょうか? また報告します。
(ポアロ記)

2024年4月7日日曜日

ふるさと自慢(桜 2024)

  昨日今日と、全国で桜満開との情報です。先日は、京都御苑で美しく咲く満開の枝垂れ桜をたくさん見てきました。そして今度は、ふるさとの桜(ソメイヨシノ)が満開となっています。三重の家の前には、二級河川が流れています。その川の両岸に、桜がたくさん植えられていて、桜並木となっています。昨日今日は、土日でお天気にも恵まれ、たくさんの人がお花見に来ておられます。自宅から、桜並木やお花見の人たちの姿がよく見えます。絶景です。こんな環境に恵まれて、唯唯感謝です。短い花のいのちですが、一年に一度大きな感動をもらっています。





 

東京隅田川の桜並木は、大きな規模で圧倒されます。何年か前に訪れた東北桜旅で見た、各地の桜の名所が思い出されます。全国には、桜の名所が数えきれないほどありますが、ふるさとの桜をふるさと自慢とさせてもらいます。

2024年4月4日木曜日

京都御苑桜(2024)

 昨日小雨降る中、京都御苑へ桜を見に出かけました。ポアロは旧友との集まりがあり、大阪へ出かけているので、娘と出かけました。京都御苑は、自宅から歩いて15分ほどのところにあります。御苑に一歩入ると、たくさんの人です。外国の人もたくさんおられます。あいにくの雨模様ですが、今週が見頃という桜情報なので、皆さんレインコートを着て傘をさして歩いておられます。

有名な出水の枝垂れ桜は、満開が終わり葉桜になりつつあります。

前日にNHKで紹介された近衛邸跡の枝垂れ桜を見るため、御苑の最北に位置するエリアに向かいました。途中、京都御所の一般公開に行く人たちが、たくさん集まっておられます。行列です。一般公開は、無料です。外国の人にとれば、日本の皇室の歴史や文化やその流れを、身近に見学できるのは、魅力あふれる一つになっているように感じます。オープンな姿勢が、好感度を上げているように思います。 

近衛邸跡には、たくさんの枝垂れ桜があり、ちょうど見頃となっています。薄ピンク色の優しい花がたくさん咲いて、ほぼ満開です。雨の中、皆さん写真撮影です。私たちも、写真を撮りました。

近衛邸跡から南へと歩くと、迎賓館があります。あいにく昨日は休館日でした。迎賓館の隣には、清和院休憩所があるのですが、あいにくここも閉まっていました。私たちもそうですが、下調べなしで行っているので、休憩所に入れなくても、何人かの人たちは、雨宿りをしていました。迎賓館の南側の横門に通じる道は、両側にたくさんの桜があり、美しい桜並木でした。

迎賓館の南には、仙洞御所があります。広々とした美しい日本庭園です。何年か前に見学しました。異次元の世界に、足を踏み入れた錯覚を持ちました。季節の移り変わりを、庭園の木々が感じさせてくれます。見学は、事前予約と当日予約がありますが、人数に空きがあれば突然でも見学できます。もちろん無料で見学できます。

あいにくのお天気でしたが、久しぶりに京都御苑の桜を求めて、散策できました。この日の歩数は、12000歩でした。

 

2024年4月3日水曜日

2024年の桜

   いよいよ桜が開花しました。2024年の桜です。去年より10日遅れの開花です。今週末は、各地で満開となり、お花見で賑わうことでしょう。

 三重の家の前には、父が植えた桜が大きく育ち、毎年我が家から花見を楽しみました。しかし二十年ほど、私たちを楽しませてくれた桜は弱り、花を咲かせなくなりました。ところがそれとほぼ同時に、10メートルほど離れたところに、新しい桜が根をつかせ、一年ごとに成長し、今は立派な木となり、たくさんの花を咲かせています。自然生えで、こんなに大きく成長する桜に感動します。もうすぐ二十年です。

 私は、四人兄妹の末っ子です。兄が一人、姉が二人の四人兄妹です。しかし上の姉は、45歳で旅立ってしまいました。先日下の姉を誘って、桜の前で写真を撮りました。2024年の桜です。この日は快晴で、青い空と白い雲、そして桜は六分咲き、とても気持ちの良い朝のひと時でした。今は母も父も旅立ち、姉も私も、母の没年齢を超えています。父が植えた桜から、新しい桜へと、歴史が移り変わっていきます。来年の桜にも会えることを願いながら。

2024年4月2日火曜日

久しぶりのご対面(ケロ太)

  数日雨が降り続き、そのあと雨が上がり青空が見えて、気温も上がり、春本番となりました。午後の3時頃のことです。庭を横切ろうとした私の足元から、何かが跳びはねました。驚いて足元を見ると、我が家のケロ太です。 

 

半年ぶりの再会です。嬉しくて大声で、ポアロと野良部部長(娘)を、呼びました。ケロ太は、じっとしています。私たちは、ケロ太に話しかけます。「半年ぶりだねケロ太。いよいよ春が来たね。今日はいいお天気。気持ちいいお天気だね」ケロ太は、じっと聞いています。私たちの言うことが、よく分かっているようです。この家の住人と、認識しているようです。ケロ太がしゃべれたら、どんなに素晴らしいでしょう。我が家の小さな庭の、住人であるケロ太は、もうずいぶん長い期間住み続けています。家族の顔も、声も、よく分かっている様子です。3センチほどの小さな体で、ちっちゃいちっちゃいかわいい目で、私たちを見上げています。しばらくの間、私たちとの再会を喜び、ケロ太は、ぴょんと跳びはねました。小さな庭の住人であるケロ太の仕事は、庭のパトロールです。ケロ太が、いつまでも我が家の家族でいてくれますようにと、願わずにはおれません。毎日ケロ太に会えるのを、楽しみにしています。

2024年3月31日日曜日

藪椿

  花や植木が趣味だった父は季節ごとに咲く花を植えていました。今の時期は藪にある大きな白い椿が花を落とし下の川に積もるようになってきました。



 2日前から急に温度が上がり桜の開花情報も入ってきています。椿から梅、桜からこぶし、桐の花、ツツジ、さつきと花とともに季節が移り替わっていきます。桜の開花予想は今年は外れたようです。植物の世界は温度や日差しに敏感で自然環境の鏡となっているようです。

2024年3月28日木曜日

春に咲く花

 三月も残り少なくなり、今は春休み真っ只中です。厳しい寒さも少しずつ緩んできています。季節は冬から春へと移りつつあります。気持ちは、春に向けてほのぼのしてきています。 毎日のちょこっと散歩で、目にする春の花は、なぜか黄色の花が多いように思います。春を象徴しているような、明るく希望に満ちて元気はつらつを感じています。ミモザ、菜の花、カタバミ、ラッパスイセン、チンゲンサイ、など、目についた黄色の花たちです。私の好きな色、ラッキーカラーが黄色なのです。我が家の小さな庭に、ポアロが育てたチンゲンサイが、植木鉢や地植えでたくさんありました。何度も食卓に上がり、この冬はたくさん頂きました。そしてそれらのチンゲンサイが、旬を通り越して、どんどん成長し、菜の花のように背丈が伸びました。菜の花にそっくりの、黄色のお花です。 


 

遠くから見れば、菜の花です。チンゲンサイとは、わかりません。食べておいしく、見て心豊かに、私たちを楽しませてくれるチンゲンサイです。春のにぎやかさを、黄色い花たちからもらっています。

 

2024年3月25日月曜日

涙あふるる歌

  卒業式の季節です。先日は、家の近くの小学校で、卒業式がありました。京都の中心部に位置する、都会の小学校です。たまたま、式を終えて帰宅の途にある、子どもたちに出会いました。女の子は、袴姿、男の子も紋付袴です。数年前から、話題になっている小学校の卒業式です。どれほどの割合かは、わかりませんが、年々増えているそうです。

 私のふるさと、三重へ帰ると、ふるさとの山、ふるさとの川、ふるさとの城が、迎えてくれます。そして、この時期は、私の学び舎が、鮮やかによみがえります。思春期の真っ只中、中学校の卒業式で歌った「仰げば尊し」が、思い出されます。口ずさむだけで、涙が滲んできます。難しい歌詞ですが、日本人の心にぴったりです。不思議に思うことですが、ずいぶん前から、学校では歌われていないようです。

    「仰げば尊し」     明治17年小学唱歌集発出 作詞・作曲者不詳

 仰げば尊し わが師の恩

 教の庭にも 早や幾歳

 思えばいととし この年月

 今こそ別れめ いざさらば

 

 互いにむつみし 日ごろの恩

 別るる後にも やよ忘るな

 身を立て名をあげ やよはげめよ

 今こそ別れめ いざさらば

 

 朝夕馴れにし 学びの窓

 蛍のともし火 積む白雪

 忘るる間ぞなき ゆく年月

 今こそ別れめ いざさらば

 

2024年3月24日日曜日

京都御苑枝垂れ桜

  先日、京都御苑の枝垂れ桜を見にいきました。前日の風、雨の荒れたお天気も回復し、良いお天気の中を御苑に向かいました。間の町通り(あいのまち通り)の間の町御門から入りました。



 この桜の木は御苑の西南に位置する梅林の近くにあります。樹齢はずいぶんありそうで、大木となった枝垂れ桜です。ポアロが発表しているフェイスブックに、過去の思い出が載るのですが、ちょうど一年前にも見に行っています。その時は、満開でした。枝垂れ桜の周りには、大勢の人がいます。外国の人もたくさんおられます。今年の枝垂れ桜は、五分咲きでした。つぼみがまだ多くあり、満開になるのが楽しみです。帰りは堺町御門から出ました。葵祭りや時代祭で有名な堺町御門です。

2024年3月21日木曜日

発掘された原稿(3)

 「母」(3)

  何不自由なく温室の中で育ったこの現代ママは、またも子供たちを同じように育てようとしている。結婚し、妻となり母となって、偉大な母に少しでも近づかなければと思いつつ、全く近づくことが出きない現代ママ。早く自分で何でもできるようになってほしいと願っているばかりで、子供の世話も「あ~しんど」という毎日です。毎日のお料理もうんざり、掃除、洗濯、毎日同じことのくりかえし・・・・・

 その中で、子供だけは確実に一日一日成長して行きます。そして、自分は老化していきます。とても、母のような母親にはなれそうにもありません。一日に、何回子供に怒鳴るでしょう。そして、叱ることにも疲れます。

 自分の子供のときと、今の子供と、どう違うのでしょう。その前に、昔と今の母親の違いを、考えなければならないのでしょう。

 いろんな面で乏しかった昔、でも世の中がのんびりとのどかで、何となく精神的にゆったりしていたような感じがあり、現代は、昔から考えたら、何もかもぜいたくで、物質的に恵まれているのに、人々は、あくせくと働き、、時に追われ、ゆったりした気分に浸れない。

 そして、サラリーマンの妻ほど、気楽なものはないのに、母と全く違った母親になっている。現代の子供も、自分の子供のときと同じように、慈愛に満ちあふれた母親を求めているに違いない。

 まだまだ先は長い。子供たちの求める母親に、一歩でも近づけるよう、努力を惜しんではならないと、自分に言い聞かせている昨今です。

発掘された原稿(3)

 「母」(3)

  何不自由なく温室の中で育ったこの現代ママは、またも子供たちを同じように育てようとしている。結婚し、妻となり母となって、偉大な母に少しでも近づかなければと思いつつ、全く近づくことが出きない現代ママ。早く自分で何でもできるようになってほしいと願っているばかりで、子供の世話も「あ~しんど」という毎日です。毎日のお料理もうんざり、掃除、洗濯、毎日同じことのくりかえし・・・・・

 その中で、子供だけは確実に一日一日成長して行きます。そして、自分は老化していきます。とても、母のような母親にはなれそうにもありません。一日に、何回子供に怒鳴るでしょう。そして、叱ることにも疲れます。

 自分の子供のときと、今の子供と、どう違うのでしょう。その前に、昔と今の母親の違いを、考えなければならないのでしょう。

 いろんな面で乏しかった昔、でも世の中がのんびりとのどかで、何となく精神的にゆったりしていたような感じがあり、現代は、昔から考えたら、何もかもぜいたくで、物質的に恵まれているのに、人々は、あくせくと働き、、時に追われ、ゆったりした気分に浸れない。

 そして、サラリーマンの妻ほど、気楽なものはないのに、母と全く違った母親になっている。現代の子供も、自分の子供のときと同じように、慈愛に満ちあふれた母親を求めているに違いない。

 まだまだ先は長い。子供たちの求める母親に、一歩でも近づけるよう、努力を惜しんではならないと、自分に言い聞かせている昨今です。

2024年3月20日水曜日

発掘された原稿(2)

 「母」(2)

  警察官の父と、華道の師匠の母の元に、長女として生まれ、子供のときに、母、父を相次いで亡くし、二人の妹と一人の弟の母のような存在であり、全く経験したことのない大百姓の一人息子のところに嫁ぎ、戦争へ行く夫を見送り、留守の間、家を守り、六人の子供を産み、そのうち二人は亡くし、敗戦後は、夫婦力を合わせて、新しい生活の開拓に挑み、悲しみにも負けず、苦労を苦労とも思わず、たくましく生きて来た母・・・・  

 それに比べ、両親の暖かい庇護のもとで、何の苦労もなく生きてきた自分・・・・その生い立ちの差が、母親としての違いにも現れているのでしょうか。やはり人間は、苦労を経験して生きて行くことの方が、尊いのでしょう。

    続く

2024年3月18日月曜日

発掘された原稿

 

 去年から終活をスタートしました。後期高齢者の仲間入りをした私は、たまりたまったあらゆるものに、ため息を連発しています。先日たくさんの書類の中から、懐かしいものを発見しました。忘れ去られていた原稿です。その存在さえ、頭の中から消え去っていました。長女が幼稚園の時に、PTAが発行したものです。原稿を募っていて、書くのが好きな私は、忙しい日々の中書きました。とても面白いのは、ペンネームがあいのいずみです。四十年前の、若い私がいます。四十年前の原稿を、そのままブログに載せることにします。

  「母」(1)

 「お母さん」と呼べば、今も頭に浮かんでくるのは、真っ白いかっぽう着で、ニコニコと笑顔で忙しく働いている母の姿です。真っ白いかっぽう着を着て、家にいてくれる母が大好きでした。優しくて、何事もお母さんの言うとおりが正しく、本当に偉大な女性でした。母の手は、魔法使いのように素晴らしく、何でも上手に作ってくださった。子供たちを喜ばせようと、夜なべにサンタクロースの服を縫い、上手にサンタさんになって、自家製の落花生や、かきもちや、ビスケットなどを袋につめて、私達にプレゼントとしてくださった。手はガサガサで赤切れしていても、朝早くから農作業に、また時間を見つけては、自分の華道の勉強にもよく動いていましたね。お母さんにおこられた事はありません。目をギョロッとして、にらむだけで、その効果は大でした。慈愛に満ちあふれた母のまなざし、暖かく大きな手。母のそばにいるだけで、ほのぼのとした暖かい気持ちになりました。

                                続く

2024年3月15日金曜日

時は巡り

 

 今日は春本番との予報です。昨日、我が家の小さな庭に、土筆が顔を出しました。土筆が三本顔を出しました。春の訪れと、土筆との再会です。私の心には、喜びが胸いっぱいに広がりました。時は巡っています。自分の心にも体にも、関わりなく、時は巡っています。自然のおりなす時の流れ。厳しい寒さの冬も、こころがほっとする春に、バトンタッチです。自然界に感謝です。



2024年3月12日火曜日

折々の歌

  桃の節句「ひなまつり」も終わり、各家々では人形たちが片付けられました。家の近くのスーパーでは、一月には「お正月」、中旬頃からは「福は内」、そして二月中旬頃からは「ひなまつり」の歌が流れます。「ひなまつり」が終わった今は、端午の節句「こいのぼり」です。歌の好きな私は、折々の歌に耳をすませます。季節が変わり、咲く花も変わり、折々の行事も変わり、一年を通して、買い物を楽しんでいます。

2024年3月11日月曜日

心に残る言葉

  先日、ある知人の方から心に残る言葉を頂きました。

 「すべては心に始まり 心に終わる」

 この言葉をお聞きした時、私の心はじんときて、熱くなり、涙がこぼれそうになりました。悲しみ、苦しみを、心に抱え、それでもそれらに負けじとふんばり、生きて行こうとする、人間の強さが伝わってきます。人生は長い道のりです。いいことも悪いことも、あるのが自然の成り行きです。自分を励ます言葉に聞こえます。目の前に広がる多くのものたち。自分にとってどれを一番ととらえるかは、人さまざまです。つきつめていくと、心こそすべてという気がします。もちろん命は究極の大切なものです。自分の命も、他者の命も。

 今日は、東日本大震災から13年の節目です。テレビでも特集されています。新しい年が、能登半島地震で始まった日本は、いつ、どこでも、災害が起こり得る国です。人ごとではなく、国民みんなが、被災地を想い、支援を続けていかねばなりません。その大本に「心」があることを忘れないでと、願うばかりです。

 

2024年3月8日金曜日

疲弊

  二拠点暮らしも長くなりました。二十年以上経ちました。三重、京都、岡山、そして大阪の事務所と、最多の時には、四か所を飛び回っていました。今振り返れば、よくそんな無謀と言えるようなことをしたものだと、我ながらあきれます。それが若さだったのかもしれません。

 今、私たちは、後期高齢者となり、年金暮らしです。二拠点を維持し、二拠点暮らしを続けています。京都に憧れ、京都暮らしを手に入れましたが、そろそろ疲れも出てきました。今は車で移動していますが、何年続けられるか、保証はありません。電車での移動を想像すると、あまり経験のない私には、とても煩わしくて億劫です。ふるさと三重と、大好きな京都。それぞれの素晴らしさが、私をはなしません。どちらも、私の宝です。地方と都市、それぞれの魅力は、比べ物にはなりません。夫婦二人で、頑張ってきた集大成が、現在です。疲弊しながらも、「あと少し、あと少し」とつぶやきながら、日々を過ごしていきそうです。

2024年3月7日木曜日

平安蚤の市

  京都岡崎の府立図書館に出かけたら平安神宮前の公園で「平安蚤の市」が開かれていました。この場所はフリーマーケットや正月の出店が出る場所です。




 京都では骨董といえば古門前町、新門前町、寺町が有名ですがそちらはかなり高価なもの、蚤の市、がらくた市は毎月21日の東寺弘法さんや25日の天神さんが有名です。

 この「平安蚤の市」は初めての訪問ですが展示がきれいなのと若い人や女性が出品者となっているし訪問者も若い人が多いかなという印象です。

 ほぼ毎月開催されていますが3月は26日も開催とのことです。

(ポアロ記)

2024年3月6日水曜日

ファミリーヒストリー

 NHKで放送されている「ファミリーヒストリー」は、いつも興味津々で見ています。長寿番組です。その感化を受けて、我が身のファミリーヒストリーに想いを馳せました。

 私の父は、一人っ子です。父の両親は、それぞれ二人兄妹です。父には、兄妹がいませんが、従兄弟は七人いました。七人の内、上の二人は、若くして戦死したので、最後まで兄妹付き合いがあったのは、五人の従兄弟です。次の代は、私のはとこです。父が一人っ子だったので、五人の従兄弟は兄妹のようでした。それぞれが結婚して、子どもが生まれ、ファミリーツリーは大きくなりました。この時点で、私のはとこは、九人でした。私は四人兄妹なので、その当時、親戚が集まると、子どもは十三人となりました。

 私の母は、六人兄妹です。そして私の従兄弟は、十二人です。母方が集まると、私の兄妹を入れて、十六人です。ファミリーツリーは、ますます大きくなっていきました。

 結婚して、実家を離れるまでは、たくさんの人たちと交流がありました。父や母の叔父叔母まで、お付き合いは広いものでした。子どもの頃の記憶をたどれば、それぞれの職業までわかります。警察官、郵政省、教師、銀行、国鉄、製薬会社、製菓会社、役場勤めなど、多岐にわたります。後期高齢者になった今、記憶からファミリーヒストリーを書きたいと思います。

2024年3月5日火曜日

玄米(自然の力)

 

先日、我が家の野良部長(娘)が、玄米を炊いてくれました。健康志向は誰でもですが、最近いろいろ勉強しているようです。私は、今まで玄米を食べたことがありませんでした。テレビ等で、有名人が玄米を絶賛している番組はよく見ていたのですが・・・。なんだか手間暇かけて、面倒に思え、遠ざかっていたのです。

 部長は、ハッスルしていました。玄米は、炊く前に長時間水につけておくそうです。4時間ほどつけていました。そして、炊飯器の玄米モードで炊くのですが、90分ほどかかりました。炊きあがるまで、首を長くして待ちました。

 玄米ごはんのできあがりです。白米のような白ではありません。少し茶色っぽく見られます。部長は、「田んぼのにおいがする!」と興奮していました。我が家のごはんは、いつも少し柔らかめなので、玄米も少し水を多くして炊いたようです。食べてみると、素朴な味で昔を思い出しました。記憶にはありませんが、小さかった頃には、きっと玄米を食べていたのでしょう。もちもちとしていて、おいしかったです。

 玄米は、ビタミン・ミネラル・食物繊維などを豊富に含み、とりわけビタミンB1が、白米よりも多く含まれているとのことです。健康のためには、パーフェクトの食材です。我が家の献立も、これからどんどん進化していきそうです。

2024年3月4日月曜日

酒粕-懐かしい味わい

 娘夫婦がおつきあいしている蔵元から、酒粕を頂きました。久しぶりの酒粕です。子供の頃、かす汁は冬の定番料理でした。大根、人参、白菜など、いろんな野菜と、こんにゃく、ちくわも入れたお味噌汁に、酒粕を入れて仕上げます。厳しい寒さの冬には、体が温まってほっこりします。結婚してからは、数回作りましたが、子供たちがあまり好まず、だんだん遠のいてしまいました。

 今回本当に久しぶりに、我が家のシェフ「ポアロ」に依頼して、かす汁を作ってもらいました。レシピとにらめっこしながら、ポアロ作、初めてのかす汁ができていきます。具材は、昆布とだしで煮て、お味噌汁を作ります。今回は、ちょっと贅沢に鮭が入ったかす汁です。最後に酒粕を少量のお湯と、お味噌汁の汁でといて本体にいれます。少しネギをちらします。酒粕のいい香りが、ただよいます。昔を懐かしく思い出しながら、頂きました。体が温まり、おいしくて感動の一品でした。

2024年3月2日土曜日

近所で梅満開

 

 家の近くに元鐘ヶ淵紡績の工場跡があります。とても広い敷地です。今は市民のための、公園になっています。図書館や博物館、多目的のイベント会場もあり、市民の憩いの場となっています。大木となったケヤキや、アメリカフウ、松、もみじなど、昔の面影を残しています。私が子どもだった頃には、たくさんの工場が建ち並び、女工さんたちの全寮制学校もありました。工場の始業や終業のサイレンは、近隣住民にとっての時報でした。

   公園の西北に梅林があります。白梅、紅梅、しだれ梅などが、植えられています。そろそろ満開だと思い、先日梅を見に出かけました。近づくと、梅のほのかな香りが漂っています。

 



 

 白梅、紅梅は、満開直前。しだれ梅は、満開になるまでもう少しというところです。とても面白く、興味をもったのは、大きな白梅です。私の背丈で見渡せるかぎりは、すべて白梅です。しかし、上を見上げると、なんと、紅梅の花がたくさん咲いています。足元を確かめましたが、一本の木です。こんな梅を見たのは、初めてです。紅梅、白梅が、仲良く一本の木に生きています。今でいうハイブリッドです。その姿を見て、ほほえましく、厳しい冬の終わりに、穏やかな気持ちになりました。家の近くで梅見をして、楽しませてもらいました。

2024年3月1日金曜日

今日から三月

 


  今日から三月です。「春よ来い、早く来い・・・」と口ずさんでいた私は、嬉しくて心も軽く、活動もできるようになりました。どんよりとした雪空は、気持ちも暗く下向きになるようでした。三月と聞いただけで、こうも気持ちが変わるものかと、苦笑しています。

 三月になれば、桃の節句です。ひなまつりの準備をしなければなりません。両親からプレゼントしてもらった、七段飾り、木目込みのおだいりさまとおひなさまもあります。そしてもう一つ小さな焼き物の、おだいりさまとおひなさま。これは、ポアロが事務所を開設した時に、私たちが買ったものです。それぞれのおだいりさまとおひなさまは、我が家の歴史です。祖父母として、孫にあたたかい愛情をそそいでくれた思いが伝わってきます。感謝の一語につきます。いろんな事情で、ひなかざりを飾るのは、たった三日です。心の中で「ありがとう。たった三日でごめんなさい」と、つぶやいています。

 

2024年2月29日木曜日

高齢者の交通事故

  数年前から高齢者の交通事故が、増え続けています。私もポアロも後期高齢者となった今、いつまで車を運転するのかと悩んでいます。事故を起こしてからでは、間に合いません。自発的に、免許証を返納する時期を決めねばなりません。気持ちには、何の変化もなく、年輪を刻んできただけのように思っています。しかし、心身的には、すべてにおいて、老いの坂道を下っているのでしょう。視力、聴力、判断力、理解力、記憶力、瞬発力、体力など、すべてです。歳を重ねるということは、本当に残酷であり、悲しい限りです。一つ言わせてもらえば、歳を重ねるということの醍醐味は、人間力の成長です。個人の力量によりますが、徳を少しずつ積み上げられる人と、歳の数を増やすだけで、人間力の成長が見られないという人もいると思います。人の命を奪ったり、人に瀕死の危害を与えたりすることは、あってはありません。加害者にならないように、早目の対応が大切です。免許証返納という決断が、私たちに迫っています。

 

2024年2月19日月曜日

路地の奥に・・・?

 

   間口が2メートルもないような路地の奥に、かわいい喫茶店があります。前を通るたびに、いつも気になっていました。先日、やっと訪れる機会を得ました。細い路地を進むと、しゃれたケーキが並べられているケースが迎えてくれます。そこで注文をして、左手奥にある茶房へ進みます。20席ほどある茶房は満席で、庭にある席に座りました。3席あります。この日は、春の訪れが感じられる穏やかなお天気だったので、外の席でも寒くありません。小さな庭が、かわいい喫茶店によく似合っています。青空も見えます。屋内からは、賑やかな女性たちの声が聞こえてきます。お客さんは、ほとんどが女性です。女性たちの笑い声や話し声が、店内を明るくしています。私たちは、ホット紅茶と、ショートケーキにアイスクリームをトッピングして頂きました。ほどよい甘さが、口に広がります。ゆったりとした気持ちで、一時間ほど過ごしました。気がかりだったかわいい喫茶店を訪れて、大満足です。

2024年2月17日土曜日

初めて聞く言葉「オヤカク」

  先日、NHKのニュースの中で、「オヤカク」という言葉を知りました。初めて聞く言葉です。就活する学生たちの、最終段階で内定をもらう場面で使われる言葉だそうです。内定をもらった後で「取り消しをしません」という約束を、親から念書をとるそうです。親にその確認をするというのが「オヤカク」です。ニュースでは、企業の説明会に、親と子供が連れ立って参加している映像がでました。

 今の時代は、こんな状況なのだと知って驚きました。大学を卒業する時には、二十歳を超えています。子供に対して、過保護な親が増えているのでしょうか。子供が、自由に羽ばたくために、親が見守り続けることは大切です。子供を信頼することも大切です。相談を受ければ、真摯に向き合うことも大切です。何が起ころうとも、自分でよく考え、決断し、立ち向かう勇気が重要です。企業と親が、子供の先回りをするような「オヤカク」には、驚きました。

2024年2月16日金曜日

私の好きな歌「早春賦」

  立春が過ぎ、春一番が吹き、いよいよ春の到来です。しかし寒の戻りがあったりします。二月に入ると、毎年私はこの歌を口ずさみます。大好きな歌「早春賦」です。難しい歌詞ですが、この時期にぴったりで、歌いながら「そうそう、そのとおり」と、笑みがこぼれます。同時に、春がそこまできているということを実感します。暗く厳しい寒さの冬から、明るく希望あふれる春へと、季節が移っていきます。その喜びが、胸いっぱいに広がります。わくわくします。

 

「早春賦」

 

   春は名のみの風の寒さや

   谷の鶯歌は思えど

   時にあらずと声も立てず

   時にあらずと声も立てず

 

   氷解け去り葦は角ぐむ

   さては時ぞと思うあやにく

   今日もきのうも雪の空

   今日もきのうも雪の空

 

   春と聞かねば知らでありしを

   聞けば急かるる胸の思いを

   いかにせよとのこの頃か

   いかにせよとのこの頃か

2024年2月14日水曜日

私が目指す人

   振り返ればいつの頃からか、自分が目指す人間像がありました。二人の子供の母となってからは、子供たちにも私が目指す人になってほしいと願ってきました。七夕の短冊に、その願いを書いて飾りました。そしてほぼ半世紀が経ち、私も子供たちも、成熟した人間になりました。これらの願いを、懐かしく思い出し、書き記そうと思います。

  *素直な心を持った人になってくれますように。

  *いつも感謝の気持ちを忘れない人になってくれますように。

  *心の広いおおらかな人になってくれますように。

  *謙虚な心を持った人になってくれますように。

  *人生のすべてにおいて、よかったさがしのできる人になってくれますように。

  *地道な努力を積み重ねられる人になってくれますように。

  *自分を大切にする人になってくれますように。

  *どんな困難にも負けないで、立ち向かって行く勇気と根性を持った人になってくれます           ように。

    *明日を信じて希望を持って、明るく生きて行く人になってくれますように。

    *いつか、努力の報われる日がきますように。

 

2024年2月11日日曜日

自由句(5句)

 カラスの子 いつまで甘え すねかじる



 にぎやかに 鳴いた兄弟 巣立ちの日



 かわいい子 旅に出したい 親心



 心配で 手元に置いて いつまでも



 母と子の きれいな絆 永えに 

2024年2月10日土曜日

不思議なワード

 言葉は生きている

 一つ一つの言葉の中で

 私は遊ぶ

 空想する

 世界が広がる


 言葉は生きている

 言葉は活動する

 生き生きと飛び跳ねる


 今は若者

 今はシニア

 今は子供


 過ぎ去った時の中へ

 私は還る


 今は青春時代

 今は幼き日

 今は壮年


 キラキラ光る

 言葉の中で


 私は自由自在


 今は過去の世界へ

 今は未来の世界へ


 時空を超えて

 私は飛び跳ねる


 そして

 今は現実の世界 

2024年2月8日木曜日

わたしは サザエさん?

 わたしは、小さい時から「サザエさん」が大好きでした。明るくて面白くて、少しあわてんぼうで、失敗は日常茶飯事です。みんなを笑わせてくれるサザエさんは、人気者です。若い時のわたしは、サザエさんのような女性に憧れ、サザエさんのようになりたいと願っていました。

 地のわたしは、サザエさんによく似ています。幼い頃は、祖母や隣のおばさんを前にして、歌ったり踊ったり、一人芝居を得意気に演じたりしていました。けれど、成長とともに、わたしは、変わっていきました。おしとやかになり、人の前に立つことを避けるようになりました。

しかし、もともとの地のわたしは、変わったわけではありません。家ではいつも大きな声で歌を口ずさみ、家族を笑わせていました。けれど、結婚してからは、無意識のうちに、理想の妻であり母であるようにという呪縛がかかり、大きな重圧を感じることもありました。

時が流れ、子どもたちが巣立った今は、シニア夫婦の暮らしとなり、少しずつ地のわたしが戻ってきています。肩の力も抜けて、サザエさんのように、失敗しても、ケセラセラと笑えるようになりました。サザエさん、万歳です!

2024年2月7日水曜日

おばあさん 英語で遊ぶ

  コロナ禍で英会話教室へ行けず、悶々と過ごしていましたが、久しぶりに出かけました。リモートレッスンも数回受けましたが、やはり、対面レッスンに勝るものはないと思いました。久しぶりに出席した教室は、ずいぶん様変わりしていました。長年教わった講師はやめられていました。そして、新しい講師がたくさん赴任して来られていました。母国語は英語でも、出身はそれぞれ違います。イギリス・スコットランド・オーストラリア・アメリカなどです。眼の色・髪の色もいろいろです。女性も男性もいます。年齢は、20代から30代・40代です。一番若い先生は22歳です。

今日は、一番若い22歳の先生でした。日本へ来てまだ2ヶ月とのこと。しかし、4年前に京都の大学へ一年留学していたそうです。日本の歴史に興味を持ち、仏教にもひかれて専門的に学んだそうです。浄土宗・浄土真宗・天台宗などについても勉強途上といえ、深い知識があるようです。漢字やひらがなも熱心に勉強して、日本語の会話も素晴らしいと思います。「日本語はかたことです。」と謙遜されていました。英会話ができるとは、到底思えない私は、世界の人に相手をしてもらっています。とにかく楽しくて面白くて、毎回大満足で帰途につきます。英語で遊ぶおばあさんです。

2024年2月5日月曜日

来なかった年賀状

   長年年賀状を出し合っていた友人から、今年は届きませんでした。どうされたのかと気をもんでいました。ところが、新しい年が始まってから一ヶ月が過ぎた頃に、ハガキが届きました。年賀状ではありません。年頭の挨拶を控えさせてもらったというものでした。年の瀬もせまった頃に、ご主人が永眠されたそうです。七十代のご主人でしたが、現代の平均寿命からすればまだお若いというお歳です。私たちも同世代です。そういう年齢になってきているのだと、しみじみ思い知りました。誰にも訪れる永遠の別れですが、悔いのないように一日一日を、大切に過ごそうと思います。

2024年2月4日日曜日

カモメの羽休め(ポアロ記)

  数年前からカモメの群れが自宅前の川に来るようになりました。朝一番に飛んできて羽休めをして午後に海の方へ飛んでいきます。ここは河口から8㎞程上流ですが堰があり池のように静かに水が溜まっています。エサを食べるわけでもなく電線や欄干に留まったりして半日過ごします。そして午後には一団が一斉に舞い上がり輪を作りリーダーの鳴き声とともに海の方向に飛び去ります。岸辺に巣があるカモたちはちょっとびっくりして巣に戻ります。

 このユリカモメは顔がだんだんと黒くなってくるとシベリアに飛んで行って子供を育てるそうです。来年もまた来るでしょうか?





電柱のてっぺんに陣取るのはリーダーでしょうか?きりりと立っています。


電灯の上は大関、関脇


暖かくなるとだんだん顔だけ黒くなってきます。


2024年2月3日土曜日

チェロ始めました!(ポアロ)

  昨年末からチェロを始めました。以前からやりたかったチェロ、というのはヴァイオリンは子供たちが小さいころ少し習っていたのですがあまりにも小さくて大人の大きな手ではむつかしいなと感じていました。それに比べるとチェロは大きくしかも有名なサンサーンスの「白鳥」のように落ち着いた心の休まる音色に惹かれていました。ところが定年退職と同時に頸椎ヘルニアを患い右手指の痛みが取れなくなり無理かなっと思っていましたが年齢的に最後のチャンスと思い教室の門をたたきました。数回お試しレッスンを受けてから続けられそうなのでチェロを購入することにしました。楽器が手元に来てからちょうど2か月、毎日30分を2回欠かさず続けていると左手の指使い、右手の弓の動作にも慣れ一番簡単な練習曲が弾けるようになり楽しさが増してきました。月2回のレッスンで次の課題が出るので復習と次の譜読みの予習をしています。チェロは音程を自分で合わせしかも移弦をするというのが基本ですが多くのテクニックがあるようで先は長いです。目や体の衰えとの競争となりそうです。いつかは「白鳥」が弾けるのを目標に頑張ります。



2024年2月2日金曜日

茶の間絶賛

  子どもの頃、家にいる時は、ほとんどの時間を「茶の間」で過ごしていました。茶の間の真ん中には「ちゃぶ台」があり、家の中心的な役割を担っていました。家族が集まり、食事をして、子どもも大人もその日にあったことなどを話しました。時にはけんかが起こっても、笑い声があふれ、笑顔が絶えることはありませんでした。家族団らんの時間から、明日の希望へと続いていきました。結婚して半世紀、いつの頃からか我が家のちゃぶ台・茶の間が姿を消しました。結婚してしばらくは、ちゃぶ台・茶の間があったのですが、生活が洋式へと変化して、ソファーのあるリビングになりしました。

 後期高齢者となり、無性に昔のちゃぶ台・茶の間が恋しくなりました。遅ればせながら、今からちゃぶ台・茶の間を作ろうと思い立ちました。

 三重県松阪市にゆかりのある「小津安二郎映画監督」の作品には、ちゃぶ台・茶の間が多く登場します。時代の変化と言ってしまえば簡単ですが、日本的な暮らしの象徴のように思います。

 我が家のちゃぶ台・茶の間がどんなふうによみがえるか、乞うご期待です。楽しみに待っていてください。

 

2024年2月1日木曜日

私の好きなことば(オープンマインド)

 私は思春期の頃から、心の広い人になりたいと思っていました。完璧な人を目指すことは頭にありません。人間は不完全なものです。心がけることは大切ですが、完璧を目指す必要はないと思います。心の広い人に魅力を感じます。「寛大であれ!」「寛容であれ!」世界中の人々が、そう考えることができれば、戦争もなくなることでしょう。

 オープンマインドとは、「こころが広い。思考が柔らかい。開放的。偏見がない。」などの意味を持つとのことです。私もまだまだ成長の過程です。人生百年を目指して、修養を続けたいと思っています。

2024年1月31日水曜日

日々の想い

  後期高齢者になって数カ月が経ちました。人生百年と叫ばれるようになり、まだまだこの道は続くように思われます。ここまで来て後ろを振り返れば、長い長い道のりでした。短いようで長く、長いようで短い道ですが、やはり長い長い道でした。光り輝く青春時代、仕事に追われ、子育てに夢中になり、家庭経営の難しさに負けそうになり、わき目もふらず歩いてきた一本道です。どこかあの頃に戻りたいとか、もういちどやり直したいとか、そういう思いは一切ありません。完全燃焼するわたしです。後悔はありません。あとに続く人たちに伝えたいことは、完全燃焼の人生を送ってほしいということです。失敗するとか、成功するとか、それは結果です。自分の思うように、人生を突き進んでほしいと思っています。

2024年1月29日月曜日

さがしものはなんですか?

 この前、ポアロと私の間でとびかう「アレ」について書いたのですが、もうひとつ、

とびかうものがあります。それは、「〇〇〇どこいった?」です。(これを言わずに、

何かをさがしている動きでわかることもあります。)

 〇〇〇は、めがね・車の鍵・携帯電話・・・などなど。すぐにみつかることもあり

ますが、2人でさがしてもみつからなかったり、次の日になってからみつかったりで、

困ってしまいます。

 こんな時、「♪さがしものはなんですか? みつけにくいものですか?♪」という

歌を思い出して歌っています。お互いさまのことですが、今のところは、ポアロの方

がポイントが高い状況です!

2024年1月28日日曜日

ポケトーク

  先日フランス人の知人家族が京都観光に来られました。和食ランチの会を設けることにしました。先方はフランス語、我々は当然日本語、英語は双方ともあいさつ程度。そこで数年前に購入したポケトークの登場です。

 待ち合わせ場所、時間はSNSで連絡を取り、それぞれがスマホ上で翻訳して確認ができました。ポケトークは前日に使いかたを復習して充電し準備。さいわい公衆ネットワークとの接続SIMの期限が今年の11月までありました。

 当日、待ち合わせ場所で無事会うことが出来Bonjour!の後はポケトークの出番です。少しの散歩を提案してその後和食の店へ。メニューは英語版があったので助かりました。その後料理の説明、魚の種類、食べ方等、ポケトークが大活躍。おいしい食事に満足しながら息子さんの大学進学や円安などの経済問題。彼らの東京、大阪、京都、奈良の観光などの話題で盛り上がりました。彼らもスマホの翻訳アプリで日本語で会話を続け楽しく過ごしました。

 最新の情報ではAI機能でほぼ同時通訳のアプリもできたとのこと。IT技術の進歩、特に身近なスマホの進歩で辞書、地図やナビ、計算機、新聞、写真、ビデオ、料理本などの利用がなくなりアナログ系の業種が変わりつつあります。

(ポアロ記)

2024年1月26日金曜日

ヴァイオリン復活

 今年から、ヴァイオリンの演奏にチャレンジしています。数十年前から手元にあったヴァイオリンですが、練習にとりかかることができないままでした。年明け、練習を始めたのですが、長い年月の間に、弦も弓も傷んで、悲し気な音になっていました。

 今年からは、しっかり練習しようと決めていたので、2週間ほど前、楽器店に持って行き、修理をお願いしました。そして、今日、修理を終えて、手元に戻ってきました。復活したヴァイオリンを見て、やる気倍増です。今まで、手入れできていなかったことに、ごめんなさいです。これから、すてきな音色が奏でられるよう、がんばります!

2024年1月25日木曜日

別れと出会い

   私は、長い間、英会話教室に通っています。しかし、コロナ禍の間、なかなか対面レッスンに行くことができませんでした。昨秋から、久しぶりに、対面レッスンを受けています。

 この3年半の間に、先生方もメンバーが入れかわって、長い間、お世話になった先生との別れもありました。最後のレッスンの日には、記念写真を撮ることができ、思い出の1枚となりました。新しい先生との出会いもあり、イギリス・アメリカ・オーストラリア出身の先生からは、それぞれふるさとの街の話を聞かせてもらい、行ったことがない遠い国を身近に感じることができました。

  私のつたない英会話力ですが、私も先生も一生懸命伝えよう聞きとろうとしているので、いつもレッスンがとてもおもしろいです。私にとっての脳活、これからも楽しみです。

2024年1月23日火曜日

懐かしいもの

 

年末、書斎の片づけをしました。片づけが苦手な私は、たまにしか、片づけができません。すると、本棚から懐かしいものが出てきました。趣味で書いているいろんな分野の原稿です。一生懸命書いて、応募した作品の下書きでした。本棚からは、下書きと一緒に、新しい原稿用紙も出てきました。

数時間後、片づけをして、きれいになった机の上に、新しい原稿用紙を置くと、ちょっと作家になった気分になりました。そして、また書きたいな、という気持ちがむくむくとわいてきました。

自称文筆家としての、新たなスタートの年にしたいと思います。

 

 

2024年1月22日月曜日

ゆりかご

 最近、家族が運転する車に乗ると、すぐにあくびが出て、いつの間にか居眠りしてし
まいます。短時間でもそうなります。どうしてでしょう。
 たぶん、車の中の温度と車の動きが、ちょうどよく、心地よいからだと思います。赤
ちゃんがゆりかごで昼寝をするような感じ・・・。
 今日も、用事があって、車で出かけたのですが・・・。いつもと同じことになりまし
た。子どもが赤ちゃんの時に、子守歌を歌いながら寝かしつけていたことを思い出しま
す。子どものかわいい寝顔に癒やされました。

2024年1月21日日曜日

半世紀を超えて(驚きの真実)

 

喜寿を前にして、無事に金婚式を迎えた私です。ところが知りつくしていると思い込んでた相方から、先日思いがけない言葉を耳にしました。青天の霹靂です。深刻な話ではなく、たわいない話ですが、私にとれば、自分の生き方に関わる重要な話です。独立した一人の人間と一人の人間が、共に暮らすという結婚の難しさを痛感しています。

 私の生き方の基本は、他者への思いやりです。家族であれ、家族以外の人であれ、常に思いやりを持って接しています。先日の話は、トイレのペーパーについてのことです。私はいつも、残り少なくなったペーパーを最後まで待たずに、ホルダーから外して新しいのに替えることにしています。残ったものは、他の用途に使っているので、捨てるわけではありません。早目早目の対応は、思いやりからのことです。ところが、相方は、最後のペーパーを使い、トイレットペーパーの芯を取りだすのが好きだと言うのです。趣味の問題なのでしょうか?私の早目早目の対応により、自分のしたいことが、できなくなっていたと言うのです。半世紀を超えて、シニアライフとなり、二人がべったりのような生活に変化して、いろんなことに気づき始めたようです。まったく笑い話のようです。私は思いやりでしていたことですが、相方は、不満を募らせていたようです。これからますます、こんな些細なことが、二人の行き違いが、増えてくる気配です。思いやりの難しさも痛感しています。用心用心です。

後日談・・・相方は最後まで使う達成感を味わってるとのこと。

 

 

2024年1月20日土曜日

最近よく聞くのは?

  阪神岡田監督の「A.R.E.」は、とても有名ですが、最近、我が家でも「アレ」を

聞くことが増えてきました。

 「アレ、取って!」「アレ、誰やった?」・・・私とポアロの間で、「アレ」が飛びかっています。「アレ」が何なのか、すぐにわかることもあるけれど、わかるまでに時間がかかることもあります。

 今後は、さらに増えることが予想される「アレ」です。明日もきっと「アレ」が飛びかう?かな・・・。おたがいに。

2024年1月19日金曜日

地図をみながら

 今月10日のブログに登場した知人は、タヒチからの来日でした。地図を広げて、タヒ

チをさがしてみました。行ったことはないけれど、知人から聞いた話から、タヒチの風景

や生活の様子をイメージしてみました。すると、地図をみながら、旅行に行った気分にな

りました。

 地図帳の他のページもみてみると、想像がどんどん広がっていきました。実際に行くこ

とはむずかしいけれど、地図をみながらの世界旅行をしばし楽しみました。


2024年1月18日木曜日

この曲は・・・

 家の近くに、スーパーマーケットがあって、時々、買い物に行きます。先日、店内

放送の音楽が耳に残り、家に帰ってからも、メロディーが頭からはなれず、

「♪ おにはそと (チャチャ) ふくはうち (チャチャ) ・・・」

と、歌っていました。題名はわかりませんが、節分の豆まきの曲でした。

 スーパーでは、いろいろな音楽が流れています。ひなまつり・クリスマスなどの行

事のもの、食材をテーマにしたもの等があります。今回の曲は短いものでしたが、お

客さんが覚えて家で歌うというのは、おもしろいなあと、一人で笑ってしまいました。

子どもたちもすぐに覚えて、元気よく歌っていることと思います。


2024年1月17日水曜日

hanamizu・・・

  最近、ちょっと気になったことがあります。「hanamizu=鼻水」は、いつ、

どんなときに出るのだろう?

 風邪や病気のとき以外だと? 一番目にあげられるのは、悲しいとき・うれしいと

き。(涙とともに出ます) 次にあげられるのは?・・・ラーメンを食べているとき。

その次は?・・・私の場合は、・・・あくびが出たときです。ふいてもふいても出て

くるので、困ってしまいます。

 他にもみつけてみようと思います。


2024年1月16日火曜日

1月15日の思い出

  きのうは、1月15日。この日づけで思い出すのは、子どもの頃の「どんど焼き」です。

家の前のお寺に、近所のおじいさんたちが朝から集まり、「どんど焼き」の準備をしてくれ

ました。子どもたちにとっては、地域の一大行事です。お寺に集まり、おじいさんたちのま

わりで、楽しく過ごしたことがなつかしいです。

 インターネットで調べてみると、地域によって日程や呼び方が違うそうですが、今も各地

で、この伝統行事を受け継ぎ、お世話をしてくださっている方々がおられました。いろいろ

な年中行事がありますが、大切にしていきたいと思います。

2024年1月14日日曜日

手に汗にぎる・・・

  今日、全国都道府県対抗女子駅伝が開催されました。毎年、楽しみにしている駅伝です。京都の街を駆け抜ける選手のみなさんの力走は、いつも胸があつくなります。

 全員の選手のみなさんを応援していますが、特に、私がこれまでに住んだことのある街、ご縁のあった街に注目しています。それは、出身地である三重県・10年間暮らした岡山県・人生の中で一番長く暮らしている京都府です。その府県の選手の方がテレビにうつると、その土地で暮らした時の風景や思い出が目にうかびます。

 

2024年1月13日土曜日

カレンダー

  年末に、新しい年(2024年)のカレンダーを準備しました。壁かけ用と

卓上用です。壁かけ用は、イラストが少し入っていて、ほんわかするものを選

びました。卓上用は、デザインがシンプルなものを選びました。

 予定が決まっているものを書き込み、2024年がスタートしました。カレ

ンダーには、予定だけでなく、その日の行動も書き込むようにしています。予

定(未来)をみるだけでなく、行動(過去)を振り返るのにも、活用していま

す。

2024年1月12日金曜日

むずかしい・・・

    後期高齢者となり、健康保険証が変わりました。保険料も変わりました。役所からは、

お知らせや書類が送られてきますが、これまでとの違いがわかりにくく、とてもむず

かしくなりました。

これまでポアロにまかせっきりでしたが、後期高齢者は、被保険者一人ずつの負担

ということで、独立独歩となりました。説明をしっかり読み、ぬけおちることがない

よう、気をつけていきたいと思います。

2024年1月11日木曜日

2000回記念

  このブログも、2000回を超えることができました。第1回目は、2012年2月でした。10年以上前のことで、今日までの年月を振り返ると、いろいろな出来事や自分の考えたことを思い出します。はじめの頃は休む日も少なく、「継続は力なり」をモットーに、がんばって書き続けていました。年齢的なこともあり、書く回数は減りましたが,「興味・関心・好奇心」を大事に、2000回記録を更新していけたらと思います。



2024年1月10日水曜日

プチ国際交流

 今日は、タヒチから来日した知人一家と、京都で会うことができました。6年半
ぶりです。家族4人とも初来日です。
 知人は、料理が好きで得意です。前に会った時は、おいしい料理を作ってくれま
した。そこで、今日は、日本食のお店で食事会をしました。互いに相手の国の言語
が話せないので、身振り手振りを交えながら、近況や今回の来日について伝え合い
ました。言語はわからないけれど、なんとか互いに伝え合えたと思います。そのこ
とが、とても不思議で、プチ国際交流になったと感じています。また、何年か先の
再会を楽しみにしています。
 

2024年1月9日火曜日

年賀状

  毎年、年末に年賀状を準備し、元日に年賀状が届くのを楽しみにしています。学生の

時の友人とは、かれこれ60年ぐらい、やりとりが続いています。年に一度、この機会

に近況を伝え合っています。

 今年は、年賀状が届かなかった友人がいました。体調が悪く、年賀状を出せなかった

のだろうかと、心配でした。どうしたのだろうかと心配しながら、一週間が過ぎました。

すると、今日、郵便受けに友人からの年賀状を発見! ぼちぼち過ごしている、との文

面に安心しました。

 これからも、友人たちとのやりとりを続けていけたら、と思っています。

2024年1月8日月曜日

一歩一歩

  新しい年がスタートして、一週間。年のはじめにがんばろうと決めた「ブログ」も、

なんとか8回続けることができました。短い文章ですが、肩の力をぬいて、一歩一歩、

すすんでいきたいと思います。

 書くことが好きですが、毎回どんなテーマにしようかと、頭を使います。脳活だと

思っています。

2024年1月7日日曜日

散歩

  用事がない日も、一日一度、外へ出て歩くようにしています。外の空気で呼吸する

と、ほっとした気持ちになります。その日の天気や気分によって、出かける方角を東

西南北どこにするかを決め、出かけています。その方角にある建物や目印で、○○○

コースと名前をつけています。短い距離でも、できるかぎり毎日続けていきたいと思

います。

2024年1月6日土曜日

日記

   私は小さい頃から日記を書くことが好きでした。小学校一年生の時の絵日記は、今も手元にあります。大人になってからも、できるかぎり書き続けてきました。父も晩年まで日記を書き続けていました。

 年の暮れ、テレビで「三屋清左衛門残日録(原作 藤沢修平)」を見ました。清左衛門さんが、毎日「残日録(日記)」を小筆で書く姿がかっこよく、惹きつけられました。

 「残日録」・・・「日残りて 昏るるに 未だ遠し」

2024年1月5日金曜日

ゆく年くる年

  我が家の大晦日の楽しみは、NHKの「ゆく年くる年」を見ることです。年が明ける0時をはさんで「ゆく年が15分、くる年が15分」放送されます。全国各地の様子が中継されます。いつもどこが中継地なのか、予想しながら楽しみにしています。

 今回は大きなお寺の映像から始まりました。見覚えのあるお寺で下。知恩院でした。知恩院は京都市東山区にある浄土宗総本山です。開山は法然上人です。開山から今年は850年とのことです。私の母も父も知恩院に分骨しています。これまでに何度もお参りしています。

 たくさんの僧侶の方々による鐘つきは荘厳でした。数分の映像に引き込まれました。ゆく年を思い、感慨深くなりました。そしてくる年の平穏を願いました。

2024年1月4日木曜日

厳しい冬の先に

  新しい年が始まって、早々に痛ましい出来事が続いています。暗雲の中に

立ちつくすばかりです。

 我が家の小さな庭にいちごの花が咲きました。可憐な小さな白い花です。

チンゲンサイも育っています。春を感じさせてくれます。

イギリスの詩人シェリーの「冬来たりなば 春遠からじ」という言葉を思

い出しました。








 

2024年1月3日水曜日

羽田空港大事故

 

 新しい年がスタートして二日目に、またしても悲惨な事故が起きました。羽田空港で、航空機が海保の航空機と衝突しました。激しく燃える航空機の映像を目にして、戦争という二文字が頭に浮かびました。旅客機には乗客乗員379人が乗っていました。ニュースにくぎ付けとなり、379人全員が無事に避難できたことを知りました。一方海保の航空機乗組員6人のうち、5人が死亡されました。痛ましいことです。どういう原因があったのでしょうか。これからの調査を待たなければなりません。旅客機の乗客の皆さんは、楽しいお正月休暇の真っ只中だったはずです。楽しい日々が一瞬にして、恐怖の中に放り込まれました。多くの人の命が救われたことは、不幸中の幸いだと思うしかありません。

 

2024年1月2日火曜日

巨大地震

  昨日、ブログを投稿した直後、テレビの地震速報がながれ、その後、我が家も

地震の揺れを感じました。能登地方で震度7の巨大地震が起きたと伝えています。

これまでに起きた数々の巨大地震が頭をよぎりました。新しい年が始まって、1

月1日に巨大地震が起きるとは、大きな衝撃です。ずっと、テレビの報道に釘付

けとなり、お正月ということを忘れました。被災地の大変さが伝わってきます。

これ以上被害が大きくならないことを祈り続けます。



2024年1月1日月曜日

新しい年のはじめに(2024年)

 

初春のお慶びを申し上げます。みなさま、お変わりございませんでしょうか。

 

ずいぶん長い間、お休みしてしまいましたが、今日から再開したいと思います。

「一年の計は元旦にあり」と申しますが、新しい年に新しいことへのチャレンジ

を決意しました。ヴァイオリンのレッスンを始めたいと思います。2人の子どもが

幼い頃、ヴァイオリンのレッスンに通っていましたが、私は、全く初めてのことで

す。手元にあるあるヴァイオリンは、早40年も眠っていました。宝のもちぐされ

で、やっと日の目を見ることになりました。ヴァイオリンの持ち方から弓の動かし

方までを練習して、今日が「はじめの一歩」となりました。

人生のパートナーであるピアノとは、苦節70年を共に過ごしてまいりました。

素晴らしい友(ピアノ)に見守られながら、ヴァイオリンのレッスンに励みたいと

思います。

今年も日々の徒然をできるかぎり、綴っていきたいと思います。よろしくお願い

します。