2012年9月27日木曜日

東京へ


 明日から二泊三日で東京へ行って来ます。スカイツリーが完成し、東京駅丸の内駅舎を約百年前の開業時(1914年大正3年)の姿に復原する工事が終了間近となり、10月1日からグランドオープンします。東京も刻々と変わっていきます。東京に家族で数年住んで、そして東京を離れて早24年、月日の過ぎるのは、本当に早いものです。東京を離れてからも、時々東京へ行っているのですが、今回の東京行きは、4年ぶりになります。日本の首都東京へ、時々は行かないと、地方に住んでいる身にとって、何となく潮流に遅れてしまいそうな気持ちになり、東京の空気を吸いたくなります。従姉妹が2年前に東京へ転勤になったので、久しぶりに一緒に食事をし、ふれあい街歩きをしてこようと思います。ということで、ブログを3日間お休みします。

2012年9月26日水曜日

秋の味覚


 秋になると、たくさんのおいしい食べ物が、皆を楽しませてくれます。私にとって一番の秋の味覚は、栗です。子供の頃、台風が去ったあと、長ぐつをはいて、バケツとイガつきの栗をはさむ「はさみ」を持って、栗の木の下へ栗拾いに出かけました。実家には大きな栗の木が、三本ありました。台風が去ったあとの栗拾いは、子供の仕事です。実がはじけているもの、いい具合にイガが開いているもの、栗の実は、たくさん落ちていました。すぐにバケツがいっぱいになりました。母に茹でてもらって、おやつはたくさんの栗です。お腹いっぱい食べました。そして夕食には、栗ごはんです。秋の味覚が、口いっぱいに広がりました。

 二つ目の秋の味覚は、さつまいもです。畑へ行って、母や祖母と一緒に、子供たちはおいも掘りを手伝います。大小いろんな大きさのさつまいもの収穫です。さつまいもを蒸かしてもらっておやつです。バターを塗って食べました。油でカラッと揚げたカリカリの芋けんぴもおいしかったです。母が大学芋をたくさん作ってくれて、子供たちは取り合いしながら食べました。砂糖と水を煮詰めて作った蜜をからませてあるので、とても甘く、ここから超甘党家族が生まれたと思っています。

 三つ目の秋の味覚は松茸です。近隣の里山で松茸はとれました。松茸の香りは好きですが、そんなに興奮するようなものではなく、小さかった私は無関心でした。ところが日本国産の松茸がどんどん少なくなってきて、価格は高騰していき、気軽に食べられなくなりました。田舎に住む人達の身近にあった松茸が、手の届かないところへ行ってしまい、淋しい気持ちになります。

 秋の味覚の最後に、柿が思い出されます。柿の木は何本かあって、甘柿は富有柿と次郎柿でした。渋柿は、お正月の干し柿にしました。いつでも食べられる柿というイメージで、私は柿には鈍感になっていました。それだけ身近な柿だったといえます。

 故郷を離れ、いつのまにか都会暮らしになり、店頭に並ぶ秋の味覚の品々を横目で眺め、遠くなってしまった田舎の子供時代を、懐かしく思い出しています。

2012年9月25日火曜日

「無我夢中」


不器用な私は いつでもどこでも 無我夢中

無我夢中のスタートは 思春期の頃

好きになった歌手に 無我夢中

恋に落ちれば 無我夢中

勉強はテストの時だけ 無我夢中

 

本を読めば 止まらない

テレビを見れば 止まらない

ピアノを弾けば 止まらない

編み物すれば 止まらない

 

愛に出会えば 無我夢中

二人の子供の子育てに 無我夢中

愛犬二匹の世話に 無我夢中

 

走りっぱなしの私は いつでもどこでも無我夢中

 

還暦過ぎて やっとこさのスピードダウン

少し余裕がでてきた 私

少し周りが見えるようになった 私

 

いい加減が一番だと 気づいた私

いい加減が最高だと 知った私

六十年かかって 少し賢くなった私

 

でもでもまだまだ止まらない

人生に 無我夢中

生きることに 無我夢中

2012年9月24日月曜日

寿命


 毎年敬老の日になると、長寿のみなさんが紹介されます。今年の長寿日本一は、115歳の男性でした。ハッキリと発言されていました。しかも英語で「サンキュー ベリーマッチ」と、おっしゃいました。本当に驚きました。感心しました。毎年100歳になられる人が増えています。今年は、100歳以上の人が全国で5万人以上もおられます。過去最多です。そして男性と女性を比べると、圧倒的に女性の方が多いです。女性が87・3パーセント男性が12・7パーセントです。不思議なことです。神秘的なことのように思います。

 同じ人間であるはずの男性と女性。しかし寿命に表れている大きな違い。いろいろ研究されていますが、その差はどこからくるのでしょうか。見た目の強さは、どうしても男性に軍配が上がります。しかし内面の強さは、男性女性に関係なく、人それぞれ違います。人類の歴史を遡れば、女性は子供を産み育て、男性は妻や子供を守り、家族のために、狩猟に行き食べ物を調達するという役割分担がありました。時代とともに、役割分担の壁もなくなり、人それぞれが、男性女性にとらわれず、自由な生き方を選択するというライフスタイルになりました。しかし子供を産むということは、女性にしかできません。最近は、イクメン、イクジイも出現し、子育ては女性だけということは減少しています。男性の寿命を延ばすためには、女性達の手腕が必要なのではないでしょうか。そこには、母なる慈愛が求められているのかもしれません。

2012年9月23日日曜日

子宝


 先日テレビで、アメリカの大家族(19人の子供と両親)が出ている映像を見ました。男の子が10人と女の子が9人でした。お母さんは、17歳で結婚して、次々と子供を産み、現在46歳です。長男は、結婚して子供が2人います。お父さんは47歳で、不動産業をしています。若い頃に、授かった子供を流産してしまったという悲しい経験から「神さまから授かったものは、ありがたく全部頂こうと思った」と、お母さんが言っていました。19人もの子供が元気にスクスク育って、本当に素晴らしいことだと思います。

 最近では、結婚しても子供を持たないカップルが増えていますが、子供をお腹の中で十ケ月育て、産み、巣立ちするまで愛情と責任を持って、夫婦が力を合わせて育てるというのは大変なことです。経済的負担もかかってきます。ペットをかわいがるようなものではありません。子供を持つということは、若い親も子供と一緒に成長していくものなのです。大変な苦労もあると思いますが、子供を持った上での喜びも大きなものです。一回きりの人生です。「楽あれば苦あり」です。欲は出しません。父親と母親の命を受け継ぐ、二人の子供の命を授かりたいと願います。1+1=1+1で、親が去っても、二人の命が続いていきます。

2012年9月22日土曜日

昔話


 子供が小さかった頃、音楽の好きな私は、昔話と音楽を組み合わせたレコードを買いました。誰もが知っている昔話です。歌と音楽にのってお話が展開していきます。レコード何枚かがセットになっていて、たくさんの有名な昔話が入っていました。その中に「三匹の子ブタ」がありました。二人の子供は、歌も全部覚えて、毎日の生活の中で歌って踊って大変楽しいものとなっていました。「三つ子の魂百まで」ということわざがありますが、何でもない昔話が、二人の人間に大きな影響を与えていたのだということに気付き、我ながら驚いています。

前置きが長くなりましたが「三匹の子ブタ」に出てくるお母さんの口ぐせは「自分のことは自分でおやり」「自分の家は自分でお建て」というものでした。お母さんブタは、子供達の自立を促し、独立心を持たせようと思っていました。一つの昔話の影響だけではありませんが、いつのまにか、私はお母さんブタと同じような母親になっていたのかもしれません。二人の子供の自立心、独立心には、親が驚かされ続けています。

「自分のことは自分でおやり」

「自分のお家は自分でお建て」

お母さんブタが言っていた通りに、育っていきました。親としては、どこか取り残されたような複雑な心境です。

2012年9月21日金曜日

幸せの音


 幸せに音がありますか

 幸せの音って何ですか

 

 私が子供の時、まどろみの中、台所で母が朝食の準備をするいろんな音が聞こえてきました。そんな音を聞きながら、心は安心し、幸せな思いで、またうつらうつらと眠ってしまったものです。私にとって最初に思いつく幸せの音は、そんな音です。

 学校のそばを通る時に聞こえてくる子供達のにぎやかな声。私にとって思いつく幸せの音は、子供達の元気な声です。

 住宅街を歩いている時に聞こえてくるピアノの音。私にとって思いつく幸せの音は、誰かが弾いているピアノの音です。

 住宅街を歩いている時に聞こえてくる笑い声。幸せの音は、家族団らんの笑い声です。

幸せの音で満ちあふれている社会は、理想の社会です。そんな社会に一歩ずつ近づけることができるのは、大人です。大人の責任で成し遂げねばなりません。大人一人一人がそのことを自覚し、子供達を守り、育てなければならないと思います。

2012年9月20日木曜日

「流れ星」



流れ星が一つ飛んだ

それは母さんからのメッセージ

「今日も一日頑張ったね」

私は嬉しい

母さんがいつも見ていてくれる

明日へのファイトがわいてくる

 
流れ星が二つ飛んだ

それは母さんからのメッセージ

「悔しいだろうが あの人を許しておあげ」

私は涙をふいた

母さんがいつも見ていてくれる

心が少し広くなった

 

流れ星が三つ飛んだ

それは母さんからのメッセージ

「遠く離れていてもよく見えるよ 

つらいことはいっぱいあるね 

いつも応援しているよ」

ありがとう 母さん

私は心に誓う

『何があっても負けないぞ

葦のように生きていこう』と

2012年9月19日水曜日

徒然に想ううた 俳句三句


我が庭に 今年も会いし 彼岸花

 

 

我が心 秋に馴染みし 賢者なり

 

 

降る風に 愛しき夫(ひと)の 想いあり

2012年9月18日火曜日

彼岸花

 もうすぐお彼岸です。お彼岸が近づいてくると、彼岸花が咲き始めます。田んぼのあぜ道や川の堤に、たくさんの赤い彼岸花が、一斉に咲く光景は見事です。子供の頃に見た彼岸花は、赤一色でしたが、最近では白や薄ピンク色のものもあってカラフルです。彼岸花の名は、秋の彼岸ごろから開花することに由来しており、別名の曼珠沙華は法華経などの仏典に由来するとのことです。日本では、北海道から琉球列島まで見られます。
 今年の彼岸の入りは9月19日、お中日は9月22日、彼岸明けは9月25日です。子供の頃、お彼岸は一大行事でした。お彼岸の行事は、仏壇と仏具の掃除をし、お花を飾りおはぎを作ってお供えします。お墓参りも行きます。お墓の掃除をし、お花を飾りお線香をあげます。
 今の私は、核家族で仏壇もありません。遠くに住んでいるので、お墓参りもお盆とお正月の2回ぐらいしか行けません。遠くから手を合わせるのみです。お彼岸と聞くと、子供の頃の一大行事が懐かしく思い出され、彼岸花に郷愁を感じる私です。

2012年9月17日月曜日

徒然に想ううた 自由句三句


ピンピンと 白寿を超える 人は増え


老い先を 案じてするは 子孝行


逆縁を 恐れて先に 我は逝く

2012年9月16日日曜日

「願い」

もし私が魔法使いになれたなら
ほうきに乗って世界中を飛び回ります

戦争をしている国へ飛んで行き
みんなに笑顔を届けます
戦争のない平和な暮らしを届けます
仲間同士でいがみあい 殺し合うなど
どんなにむごいことか 知ってもらいます
平和になれば みんなに笑顔が戻り
歌声も聞こえてくるでしょう

食べるものが無くて困っている人達に
たくさんの食べものを運びます
お腹いっぱい食べてもらいます
みんなに笑顔が戻り
歌声も聞こえてくるでしょう

どこかで涙を流している人がいれば
飛んで行ってじっくりお話を聞きましょう
手をとって悲しみを半分わけてもらいましょう
少しずつ少しずつ元気が戻ってくるでしょう

魔法使いよ 飛んできておくれ
私の願いを叶えておくれ
早く早く 飛んできておくれ
私の願いを叶えておくれ

2012年9月15日土曜日

 私の好きなことば「覚悟を持って生きる」

 「覚悟を持って生きる」よく耳にすることばです。どんな覚悟を持って生きるのでしょうか。それは「生」の先にある「死」を覚悟して生きることだと思います。普段の生活で、時間に追われ、忘れている「生」の辿る先の「死」を覚悟して生きることだと思います。命あるものすべてに、平等に与えられている最後のその時。そのことを心のどこかにおいて生きている人は、自分の周りのすべてに、愛しさが沸き起こるのではないでしょうか。心が広くなります。そして感謝の気持ちも生まれます。自分を見つめ、反省することを忘れ、不平不満を言って、何事も人のせいにして、幸せの青い鳥を追い求めている人が多いような気がします。幸せは、心の中にあるのです。
 「覚悟を持って生きる」そんな生き方をしたいものです。

2012年9月14日金曜日

「天は人の上に人をつくる」


天は人の上に人をつくる

それは権力ですか

金力ですか

学歴ですか

 

いいえそれは清らかな魂です

あなたはどんな魂を持っていますか

権力を求め続けた魂ですか

お金だけを求め続けた魂ですか

点数だけを求め続けた魂ですか

魂は輝いていますか

 

最後のその時

権力も金力も学歴も

すべてあなたの元から離れていきます

残るのはあなたの素の魂だけです

今からでも遅くありません

どうか清らかな魂を持って下さい

自分の魂を磨きながら生きていって下さい

 

天は人の下に人をつくる

それは地位ですか

名声ですか

富ですか

 

いいえそれは清らかな魂です

あなたはどんな魂を持っていますか

地位を求め続けた魂ですか

名声だけを求め続けた魂ですか

富だけを求め続けた魂ですか

魂は輝いていますか

 

最後のその時

地位も名声も富も

すべてあなたの元から離れていきます

残るのはあなたの素の魂だけです

今からでも遅くありません

どうか清らかな魂を持って下さい

自分の魂を磨きながら生きていって下さい

 

清らかな魂は 永遠の魂となります

永遠の魂は 永遠の命となるのです

2012年9月13日木曜日

記念日


 今日は、ブログ200回目の記念すべき日です。2月20日にスタートしたブログが、200に到達しました。書くことが大好きな私ですが、毎日となるとやはり大変です。いつも頭の中は「今日のブログは何を書こうかな」でいっぱいです。ブログとは「ホームページ上に書き込む日記のこと」と辞書にありますが、本来の日記は、人に見せるものではないので、見る人を意識していませんが、ブログは、姿の見えない不特定多数の人の存在を常に意識しています。ブログに書く私の拙い作品も、何人かの人が読んで下さるということに感謝しています。読んで下さる人の世界分布図もあって、外国に住んでおられる方(多分日本人)も、何かのきっかけで私のブログを読まれているということがわかり、インターネットが世界を結ぶという現代社会に驚くとともに、畏敬の念を禁じ得ません。「おくればせながら」ブログでネットに参加できたことを喜んでいます。

 書くことが大好きな私は、俳句、短歌、詩、随筆、お話など、私のブログはまさにチャンポンです。若い頃から書き溜めてきたものもたくさんあって、時代が少し遡るような感想を持たれる人も多いかもしれません。

 「継続は力なり」を目標として、無理をしないでこつこつと、私のブログを書き続けたいと思います。どうぞよろしく。

2012年9月12日水曜日

天然記念物


 天然記念物とは「広義には日本の自然を理解するうえで欠くことのできない自然および自然現象をいい、狭義には文化財保護法によって指定された動物、植物、地質鉱物などをさす」天然記念物とは「学術上貴重なものとして法律で保護するようにきめられた動物、植物、鉱物などをさす」と辞書に出ていましたが、「天然記念物のような人」と人を評した時、一体どのような人のことをいうのでしょうか。めったに存在しない人。凡人でない人。魂が清らかな人。神、仏に近い人。そんな人でしょうか。人間はいろんな欲を持って生きている。人間は生々しいもの。きれいごとだけではすまされないもの。

 私は、まだ「天然記念物のような人」に会ったことがありません。もしそんな人に出会ったら、いろんなことを聞きたいと思います。この広い世界のどこかに、そんな人がいるかもしれないと思うと、期待で胸がふくらみます。楽しみです。

2012年9月11日火曜日

 私の出会った城下町 龍野


 兵庫県龍野市は古い城下町です。そして古くから醤油、手延べそうめんが有名です。誰もが知っている日本の名曲「赤とんぼ」の作詞者三木露風(1889年明治22年~1964年昭和39年)が生まれた町です。故郷から遠く離れた北海道で教職についていた32歳の時、作品が生まれました。昭和2年山田耕筰の作曲により「赤とんぼ」は、童謡として世に出たのです。

 まず始めに龍野城を散策しました。龍野城は、別名霞城と呼ばれています。1672年に脇坂安政が再建した平山城で、本丸御殿や多聞櫓、埋門、隅櫓が往時の姿を残しています。現在の城は、復元されたもので、敷地内に龍野市立龍野歴史文化資料館がありました。

 桜や紅葉で有名な龍野公園の敷地内に建つ、国民宿舎で昼食をとりました。あいにく私が訪れたのは夏だったので、館内に飾られている春や秋の写真に見入りました。眼下に揖保川と龍野の城下町を、遠くには瀬戸の島々を、望む景色は抜群でした。国民宿舎のそばには、「赤とんぼ」の歌碑が立っていました。

 帰りに老舗の和菓子屋で、おいしい和菓子をお土産に買いました。播磨の小京都と呼ばれる龍野へ来て、龍野城、龍野公園を散策し、落ち着いた町並みの中を歩いて、数時間の滞在ですが、心がほっとする安らぎを感じました。

 
 
 
 

2012年9月10日月曜日

徒然に想ううた 短歌三首


満月の 1.5割 大きくて

    

家族みんなの 夢も広がる

 

 

Sunset 胸にみなぎる 明日へと

    

心に誓う 闘魂持てと

 

 

命綱 長生きしてと パラサイト

    

親の年金 子供も孫も

2012年9月9日日曜日

「涙」

涙は不思議なもの
涙はおかしいもの

悲しい時 涙はこぼれる
悔しい時 涙はこぼれる
嬉しい時も涙はこぼれる
涙って不思議なもの

つらい時 涙はこぼれない
腹が立った時 涙はこぼれない
笑いころげた時 涙はこぼれる
涙って不思議なもの

涙がこぼれたあと
気持ちは落ち着く

涙がこぼれたあと
気持ちはスッキリ

涙は私の味方
涙は私のサポーター

涙のおかげで
私はまた立ち上がる

涙のおかげで
私は強くなっていく

2012年9月8日土曜日

「雲」

空を見上げると
真っ白い雲がある
まぶしいほどの純白の雲

この世に生まれ出た赤子のような
清らかなもの
汚れなき純粋なもの

悲しみを乗り越え
苦しみを乗り越え
少しずつたくましくなっていった私

壁にぶつかり
踏み付けられ
少しずつ強くなっていった私

どんなに強くたくましくなろうとも
純白な心を持ち続けたい

ずる賢い大人にはなりたくない
卑怯な大人にはなりたくない

勝つことだけを目指すのではない
負けたとしても心は負けない

空に浮かぶ
真っ白な雲
まぶしいほどの純白の雲

そんな心を生涯持ち続けたい

2012年9月7日金曜日

「父母への手紙」

 お父さんお母さん、長い間お世話になりありがとうございました。いよいよ明日、二十四年と六ヶ月間の私に別れを告げ、新しい人生に向かって出発します。いつまでも両親のもとで暖かい愛に囲まれて生きて行くことができるなら、どんなに幸せなことでしょう。しかし人間として独り立ちするためには、いつかは小鳥が巣を飛び立って行くように、親のもとから飛び出さなければならないと思います。いつかは飛び立たなければならないものなら、少し早いか遅いかだけの違いです。親孝行も今までの恩返しも、何一つできなかった私ですが、せめてこれからの人生を幸福なものにしようと努力することで、親孝行をしようと思います。お父さんもお母さんも、これからは自分達二人のことだけ考えて、孫の成長を楽しみに、人生を楽しんで下さい。そしていつまでもいつまでも元気でいて下さい。では新婚旅行に行って来ます。

2012年9月6日木曜日

人生の大先輩


 9月は敬老の日があるので、情報メディアも特集を組んで放送しています。先日テレビでお元気な高齢者の姿を拝見しました。お歳を知って本当に驚きました。

 105歳の女性の声楽家の方は、現役で後進の指導をされています。元気はつらつです。日本の代表的な作曲家山田耕作の最後の愛弟子ということです。自らを「たいたい婆さん」と呼び「歌いたい、聞きたい、食べたい、オシャレしたい、・・・・・」と、好奇心いっぱいの女性です。息子さんを、突然の病気で10歳で亡くし、3年間は何もできずボーッと過ごされたそうです。気がついたら歌を口ずさみ始めていて「歌は私の命です」とおっしゃっていました。白寿(99歳)になった時「今まで自分が苦労と思っていたことが、そんなものは苦労ではないということがわかった」ともおっしゃっていました。色紙に書かれた言葉は「感謝」でした。最後に、「元気のひけつは?」と聞かれ「くよくよしないこと」とおっしゃいました。

 もう一人のお元気な高齢者は、101歳の男性です。50年前に妻を亡くし、83歳の時にキリマンジャロへ行き、そこで出会った人から「日本で私のコーヒー豆を売ってほしい」と頼まれ、85歳から珈琲豆の輸入の仕事に挑戦し、今も一人で店を切り盛りされています。自転車に乗って配達もされています。雨が降らない限り、毎日3時間のウォーキングをされています。「なんでも人に優しく、喜んでもらえるようにすることが大切。だから人が来てくれる。ありがたいことだ」と、おっしゃっています。趣味は登山で、仲間と月に一回登山をされています。色紙に「輪」と書かれました。人の輪がどんどん広がっています。

 この番組のタイトルは「目指せ生涯現役、人生の大先輩に学べ」です。105歳の女性、101歳の男性の周りにいる人達はみな「元気をもらっています」「パワーをもらっています」と言っていましたが、確かにお二人の姿を見ているだけで、こちらも元気になります。「ボーッとしておれない」という気持ちになります。100年を生きる、1世紀を生き抜くということは、すごいことだと思います。身と心を両輪として、周りの人達との絆を大切に、感謝の心を持って、人の輪を広げていけたら、どんなに素晴らしい人生になるかを教えてもらいました。

2012年9月5日水曜日

秋の訪れ


 厳しい暑さもやっと峠を越えたようです。我が家の小さな庭にも、秋が訪れてきています。日が沈む頃になると、庭では虫たちが鳴き始めます。暑い夏には、朝早くからセミたちの合唱が始まりましたが、秋の虫たちの鳴き声は、にぎやかな中にも風情があります。耳を澄ませば、何種類もの虫の声が混じっているのがわかります。虫博士ではないので、それぞれの虫の名前はわかりませんが、いろんな種類の虫の声ということはよくわかります。虫の声を聞いていると、心が落ち着き、俳句や短歌を作って、秋の夜長を楽しもうという気持ちになります

 そして明るい月です。月の光をあびて、私はベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を弾き始めます。ライトはいりません。若い頃から、ベートーヴェンに魅かれてきた私は、ベートーヴェンに思いを馳せて、目を閉じて、一楽章を弾き始めます。至福のひとときです。そして、愛犬たちが足元で、気持ちよさそうに眠っていた頃のことが、つい最近のことのような錯覚に落ち入ります。「月光」を弾きながら、大切な人たち、愛しい人たちとの思い出が、走馬灯のように、頭の中を通り過ぎていくのを感じています。静かな秋の夜、少し物悲しくなる秋の夜、センチメンタルになる秋の夜、それでも秋が大好きな私です。

2012年9月4日火曜日

 旅の途中で詠んだうた(山陰)


 今年の夏、山陰へ旅をした時に詠んだものです。

 

日傘さし 出雲参りで 縁願う     (出雲大社にて)

 

 

カナカナと 我を導く 銀山へ     (石見銀山にて)

 

 

沈みゆく 夕陽に祈る 感謝こめ    (稲佐の浜にて)

2012年9月3日月曜日

九月の花


 九月の花は、コスモスです。いつからか休耕田に植えられるようになり、車で走っていると、たくさんの色とりどりのコスモスを、見ることができるようになりました。先日もテレビのニュースで、650万本のコスモス畑の観光紹介をしていました。今、満開で8月末までが見頃と言っていましたが、子供の頃から、コスモスは秋桜と書くように、秋の花と思っていたので、そんなに早く満開になるとは意外です。

 秋桜の思い出、それは歌「秋桜」の歌詞とつながります。あの歌詞のとおりの母との思い出がよみがえってきます。結婚前の荷造りを、母と二人で楽しくおしゃべりをしながらしていました。庭にたくさんの荷を広げて、順番に箱へ詰めていきました。私の胸に、結婚するという嬉しい思いの中にも「いよいよ、父、母の元から飛び立つ日が来たのだ」という覚悟のようなものが芽生えていました。荷造りの途中、母も私も、何度か込み上げてくる思いに声をつまらせながら、まるで泣き笑いしているかのようでした。母にとっては、末っ子の私を手放す淋しさが、大きかったのかもしれません。

 今でも「秋桜」の歌を歌うと、母の淋しげな笑顔が思い出され、胸がキュンと熱くなります。

2012年9月2日日曜日

「秋」


秋になると 多くの芸術家が生まれます
秋は 人の心に 何を運んでくるのでしょうか

人の心を 広く広く
人の心を 深く深く
人の心を 優しく優しく
たくさんの 詩人が生まれました

秋になると 多くの芸術家が生まれます
広くなった心には たくさんのイメージが生まれ
深くなった心には 美しい色彩が生まれ
優しくなった心には 美しいメロディーが生まれます

そして本物の芸術が生まれます
澄みきった青空
流れる雲 
胸にしみいる虫の声
心地よい秋風に
人の心は 素直になるのです

2012年9月1日土曜日

「秋の香り」


今朝は雲一つない 澄みきった青空
大きく開け放した 窓から
秋の香りを感じました
いつの日か 出会ったような

そうです
子供の頃 遊びながら手伝った 
稲刈りの 稲穂の香りです

秋の香りとともに
父の笑顔
母の笑顔が
浮かんできます

私は大きな深呼吸をしました
秋の香りが
胸のすみずみまで
しみこんでいきました