2015年10月31日土曜日

「我が家の新入り家族」





我が家に家族が増えました
かわいいカエル三兄弟です


































長男はいつも沈着冷静
名前はヘイスティングス
知に富むリーダー



二番目は女の子
名前はHANA
おっとり奥ゆかしいお姫様
優しくて
幅広い物の見方・考え方のできる
将来は賢婦人









末っ子は腕白坊主
名前はケロックス
理屈より行動
実行力大の次男坊


三匹は大の仲良し
いつも一緒
遊ぶ時も
勉強する時も
ピアノ大好き

三匹は音楽が大好き
HANAがピアノを弾くと
すぐに合唱団が誕生します 
美しいハーモニー
みんなに届けます
愛を込めて









よろしく


ヘイスティングス HANA ケロックス
我が家の新入り家族です

どうぞよろしく

























大根を植えました

芋堀をしました



2015年10月30日金曜日

「不眠症」


眠りたいのに眠れない
ヒツジを数える
ヒツジが一匹二匹・・・
数学者になる
小さい数字から大きい数字まで
ますます頭が冴える

ラジオをつける
眠れない仲間がいる
たくさんいる
気持ちがホッとする
一人じゃない
耳を澄ませば
聞こえてくる
みんな一緒よ
友達だ

眠れないと言いながら
コタツでうとうと
気持ちよさそに眠っていた父
テレビをつけて
テレビを子守唄にして

ラジオ深夜便
父のお気に入り
ラジオ番組
父に似たのか
不眠症
苦笑する私

不眠症のるつぼに落ちる
飲みたくないのにワインを飲む
食べたくないのに何かを食べる
頭も体も冴えてくる

眠りたいのに眠れない
頭が冴える
思索がグルグル回る
哲学者になる

眠りたいのに眠れない
頭が冴える
俳句に短歌
ポエムにエッセイ
次から次へとあふれ出る
文学者になる

不眠症のるつぼに落ちる
飲みたくないのにワインを飲む
食べたくないのに何かを食べる

頭も体も冴えてくる

2015年10月29日木曜日

徒然に想ううた(自由句三句)


プラタナス 色づき舞って 筆進む


朱・黄・緑 絵筆握って 瞬間(とき)描く



命見え 描くキャンバス 色満ちて







2015年10月26日月曜日

お出かけ(8)美杉村-2北畠神社

もう一つの目的地は奥津駅の少し北にある北畠神社です。ここは父が生前よく話題にしていた北畠氏ゆかりの神社です。






美杉村には歴史の香りが色濃く残っています。かつて伊勢国司北畠氏が本拠を構え、城下町として栄えて「小京都」と呼ばれたと伝えられているそうです。たくさんの遺跡や文化財があります。北畠顕能を祀っている北畠神社です。境内には北畠氏館跡があり庭園は公開されています。






北畠氏は公家の一つで鎌倉時代末期に北畠親房が出て、後醍醐天皇の建武の新政を支えました。親房の三男北畠顕能が伊勢国司となったことが、伊勢の北畠氏の起源と言われ、美杉地域を本拠に伊勢国を治めたという歴史があります。戦国時代に最盛期を迎えますが、織田信長の次男織田信雄を養子とし、雪姫の婿として家督を相続するものの、信長の謀略により北畠は滅亡していきます。悲しい物語として語り継がれてきた雪姫の雪姫桜は「枝は枯れても株は枯れず」といわれ、今も若木から花をつけるそうです。
北畠神社の絵馬は珍しい形をしているということを聞いていたので買い求めました。




 2014年に公開された映画「WOOD JOB!」のロケ地となった美杉町には、あちこちに映画ロケ地という立て看板がありました。若者が林業にチャレンジしていくストーリーです。機会をみつけてこの映画を観たいと思います。



ロケ地となった建物


2015年10月22日木曜日

お出かけ(7)美杉村-1奥津


 久しぶりに母の思い出の地を訪ねました。母の父は警察官をしていたのであちこちを回ったのですが、母が小学生の頃、数年この地で暮らしました。村の駐在所での暮らしです。母からその頃の話を聞いていたので、再度行きたくなったのです。

名前の通りの美杉村です

名松線の踏切には運休中のロープがありました

 美杉村奥津は、現在三重県津市美杉町奥津になっています。名松線の終着駅です。伊勢本街道の奥津宿です。駅に立つと昔の賑わいが伝わってくるようです。駅周辺を歩いてみました。かつて駅前には映画館もありました。大手運送会社の支店もありました。駅前通りには郵便局、銀行、病院など、あったところに碑が立っています。現在は何もありません。空き地が並んでいるだけです。戦いすんで夢のあとのような幻覚を感じます。昔は旅籠もたくさんあったようですが、今はその名残りのような、伊勢本街道奥津宿と記された立派な暖簾が、各家の玄関にかけられています。









唯一駐在所だけありました。母が暮らしていたのは九十年も前のことです。建物は時代とともに変わっていることでしょう。今風の建物が建っていました。ここで母家族が短いとはいえ数年暮らしていたのだと思うと、感慨深いものがありました。きっと幸せな暮らしが続いていたことと思います。母は長年華道の師匠をしてきましたが、母の母もこの地でいけ花を教えていたと聞いています。山間の小さな村ですが、西日本から「お伊勢参り」の参宮街道であった伊勢本街道の宿場町で要所でした。

新しい駅舎ですが来春まで運休です

終着駅の車止めです

汽車の時代の名残の給水塔です


 2009年10月の台風の影響で、一部区間が不通になっている名松線が来春復旧するそうです。今まで二度自動車で行っていた奥津へ、今度は名松線に乗って出かけようと思っています。見逃せない何かを得られるような気がしています。

2015年10月21日水曜日

お出かけ(6)京都川床

 五連休となった今年のシルバーウィークは、ちょこちょこのお出かけをいくつかしました。そしてその最後に京都鴨川川床に出かけました。京都暮らしが始まって早十五年、途中十年は岡山へも行ったりしていたので正味は短いものです。その中で私は川床へまだ行ったことがありません。敷居が高く感じられ、観光客が行く所と思い込んでいました。しかし京都に住んでいながら、川床へ一度も行っていないとは、京都人の恥だと考え、思い切ってチャレンジすることにしたのです。



 前日までの予約が必要とのことで予約もとりました。そして五時に店へ入りました。まだ誰もお客はいません。入ったお店は三条下る先斗町にあります。


 三条大橋をたくさんの人が行き交います。鴨川の岸辺を散歩する人もたくさんいます。鴨川が眼下に流れ、比叡山、北山、東山が見渡せます。川床からの眺めはこういうものだったのだと、初体験の私はしみじみ、じっくり味わいます。今迄走る車の中から、歩く道から川床を眺めていた私が、みんなから眺められています。予約しておいたのはコースです。アルコールよりも食事がメインの私達は、お料理が出されるとすぐ写真を撮りあっというまにいただいてしまいます。テンポのあまりの速さに、シェフさんは驚かれていたことでしょう。









次第にお客さんも増え、いつのまにか満席になっていました。各お店が鴨川の脇流の「みそそぎ川」の上に張り出して設けているので、両隣のお店のお客さん達がお互いに丸見えです。この日は秋分の日、祝日です。見回せばやはり観光客の方が多いように思いました。日が落ち辺りは薄暗くなってきました。東山に月が出ました。



おいしいお料理をいただいてお腹もいっぱいになりました。最後にデザートです。そしてお店を出た時には、楽しい時間が二時間ほど経っていました。

 主婦である私にとって外食は楽しみの一つです。上げ膳据え膳は夢物語です。長年の夢でありあこがれだった京都川床での食事を大満喫しました。今年の京都川床も九月三十日で終了しました。次回もまたまたその次も来たいと思っています。プチ贅沢に感謝です。