2014年9月28日日曜日

私の好きな金木犀

 今日自転車でチャリチャリ走っていると、金木犀のいい香りが漂ってきました。金木犀は私の大好きな花です。実家にも大きな金木犀がありました。私達が初めて手に入れたマイホ-ムの庭にも小さな金木犀を植えました。子供の成長と共にその金木犀は大きくなり、私が見上げるほどに育ちました。みんな懐かしい思い出です。
 今日金木犀の香りに誘われて入って行ったのは、京都府庁です。「京都こだわりマルシェ」が催されていました。小さいけれどもお店がいろいろ出ていて、私達は一周しました。美山町の美山牛乳は有名ですが、残念なことにもうすでに売り切れていました。私は茄子の漬物を買いました。産地から直送直売で、とれたて野菜やお米、栗もありました。手作りクッキ-も売られていました。私達は玄関前に出ているお店だけを回ったのですが、府庁の建物の中にも、いろんなお店が出ていたようです。玄関横のちょっとしたステ-ジでは、団塊世代と思われる男性三人のフォークソングのライブが行われていました。金木犀は回廊式の建物の外と庭にもあり、ちょうど満開で、とてもよい香りが漂っていました。





 素晴らしいお天気で、あちこちの小学校では運動会が催され、子供達の元気な声が聞こえていました。

2014年9月27日土曜日

言語比較論

 最近私は面白いことに気づきました。比較言語学という一見難しそうな学問が、世界を舞台に展開されていますが、一番身近な私の家庭の中で、長年交わされている言葉自体が、言語比較論そのものだということに気づいたのです。

 私、ポアロ(夫)、娘、の三者の出身地が違います。ポアロは難波の国、私は伊勢の国、そして娘は多国籍です。私は夫の転勤に伴い、いくつかの土地で暮らしましたが、その土地の個性的な言葉が方言として継承されています。そしてその方言には、他の土地に暮らす人々に、時には通じない言葉もあります。十年暮らした岡山では、語尾に「じゃろ」をつけて、老いも若きも、小さな子供から高齢者まで話されていました。その言葉が聞こえてくると、ほほえましい印象を持ちました。私は伊勢弁を連発します。ポアロは大阪弁です。娘はどこの出身かわからないほど、いろんな言葉を発します。はんなりした京都弁、きりっとした標準語、奈良独特の奈良弁など、その時に応じていろんな言葉が飛び出します。地方出身の私から見れば、東京で交わされる標準語といわれる言葉は、少しすました言葉のように聞こえます。気取っているようにも思います。これは私の偏見だと思いますが。私が伊勢弁で、語尾に「が」をつけて発言すると、ポアロと娘はびびります。「荒っぽくてきつくて怖い」と言うのです。私が何げなく発した言葉が、人に悪い印象を与えているとすれば、それは問題です。発する言葉に注意を払わねばなりません。また私が発した言葉が「おかしい、面白い」と言って、笑いころげるようなものもあります。その土地で何の気兼ねもなく交わしてきた言葉について、いろいろ指摘されると、私は萎縮してしまいます。これからは声の調子も変えて、すました顔で、標準語をしゃべろうかとも思いますが、それを思い描くと、自分らしさがなくなり、よそ行きの顔になるようで、やっぱり自分は自分、あるがままにをモット-にしていこうと思います。ポアロや娘に揶揄されても「負けないぞう-」の心境です。

2014年9月26日金曜日

京都スタンプラリ-(4)

 久しぶりに京都スタンプラリ-に二人で出かけました。自転車で浄土寺真如堂、金戒光明寺、知恩院、八坂神社を急ぎ足で回りました。四時で閉門になるので気が焦ります。
 浄土寺真如堂は、以前ブログに「珍しい花」というタイトルで、菩提樹のことを書きましたが、今回はスタンプをもらうために本堂での参拝だけです。



  二つ目は金戒光明寺です。浄土宗大本山で立派な山門があります。NHK大河ドラマ「新撰組」のオ-プニングのシ-ンとして、一年間放映された馴染みの場所です。会津藩の武士がたくさん眠っています。またNHK大河ドラマ「お江」の主人公で、江戸幕府第二代将軍徳川秀忠の妻ごうの墓所もあります。境内からは京都の町がよく見える絶景ポイントです。





 三つ目は知恩院です。有名すぎるほどの大きな立派な三門があり、男坂、女坂の二つの坂があります。私達は、ゆるやかな女坂を上りました。私の両親はここへ分骨しているので、何度もお参りに来ているところです。駆け足でスタンプをもらい知恩院をあとにしました。





 最後は八坂神社です。知恩院の近くにあり、円山公園を通り抜けて、八坂神社本殿前でスタンプをもらいました。夕暮れが近づきましたが、たくさんの観光客でにぎわっていました。中国、韓国などアジアからの観光客が多いように思いました。特に中国の方々は、団体で大きな元気な声で話されているので、中国の方だとすぐわかります。東山界隈は、観光客に人気のある京都の代表観光地です。


  今日のスタンプラリ-は、スタンプを四つもらえました。自転車で二時間かけて回りました。小さなスタンプですが、よい思い出になると思います。

2014年9月23日火曜日

「誕生に贈ることば(6)」

あなたの命が芽生えた時から
パパとママは願っていた
丈夫な子になあれ
強い子になあれ
頭の良い子になあれ
ス-パ-マンになあれ
どんどん欲張りになった

が、今はただ感謝するのみ

2014年9月22日月曜日

「誕生に贈ることば(5)」

君が生まれる日
パパはずっとママのそばにいた
ママの手をしっかり握っていた
パパとママの命から
あなたの命が生まれるのです
大切な大切なあなたの命
どうか健やかに

大きく育て!

2014年9月21日日曜日

「誕生に贈ることば(4)」

君が生まれた日
世界がこんなに明るいことを
空がこんなに美しいことを
人間がこんなに素晴らしいことを
みんな
大自然の中で生きているということを

パパとママは知りました

2014年9月20日土曜日

夏休みの札所参り(5)

 旅の終わり三日目は、少し逆戻りとなりますが、台風のために予定を変更した生野銀山を目指します。
 丹後から但馬へ戻りますがその途中にある出石城へ寄るルートをとりました。出石そばでも有名です。お城から遠くまで但馬の国が見下ろせます。但馬の国は、室町時代から山名一族の本拠地となり、出石は但馬の中心地として栄えました。一族の中でも、山名宗全は有名です。応仁の乱を引き起こし、西軍の大将となりました。出石城は時代とともに移り変わり、その城下町にはたくさんの見どころがあります。重要伝統的建造物も多くあります。私達は夏休みでにぎわっている商店街を少し歩き、有名な辰鼓楼を写真に撮りました。1871年(明治4年)に建設されたもので、今も時計台として時を刻み続けています。交通が不便なところですがなぜか外国の方も大勢来ておられます。見どころいっぱいの出石ですが、私達はつかの間の時間しかなく残念でした。




そして途中では先日立ち寄った竹田城の違う方向からの写真を撮りに行きます。観光ポスタ-になっている竹田城の美しい全景の写真を撮るために、反対側の高台まで上りました。雲海に浮かぶ竹田城ではありませんが、石垣が横に広がる全景の姿を撮れました。
  

 次に今回の旅のクライマックス生野銀山を訪れました。私達家族はいろんな私的学会を作って楽しんでいます。土木学会、お城学会など、今回は産業遺産学会です。最近はテレビで日本各地の産業遺産を取り上げているので喜んでいます。生野銀山は807年に発見され、昭和48年に閉山しましたが、1200年の歴史があります。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350キロメ-トル以上、深さは880メ-トルの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種以上に及んでいるとのことです。整備された観光坑道を歩きました。中はずい分寒くて、夏とはいえジャンバ-をはおりました。いろんな工程を見せてくれています。人間の偉大さに深く感動しました。観光坑道を出てから、生野銀山文化ミュ-ジアムを見学しました。






 その後、最近整備された旧生野銀山職員宿舎を見学したいと寄ったのですが、閉館ぎりぎりで「あ-残念」と思ったところ、年配の男性が「見学ですか、どうぞ」とおっしゃり、少しだけ見せてもらおうと入りました。ところが男性は丁寧に一時間もかけて説明してくださいました。旧職員宿舎は、明治・大正・昭和と建てられた時代の変遷をあらわしています。家具・調度品が置かれ、その時代の生活がよくわかります。ここには俳優志村喬氏が幼少時代を過ごした、明治9年に建てられた社宅が、志村喬記念館として再現されています。彼のお父さんが生野銀山の技師だったのです。職員宿舎の中でも、ここに復元されているのは、幹部の人達の住まいだったそうです。




 志村喬氏は、黒澤明監督の映画に数多く出演され「生きる」「七人の侍」は、映画史上の名作です。昭和57年に死去されていますが、私は何本かは観ています。ここへ来るまで、生野銀山と志村喬氏との関わりは知りませんでした。閉館時間を大幅に過ぎ、アメまで頂き、男性のあまりの親切に私達は恐縮し、美しい夕日を背にして帰途につきました。

2014年9月17日水曜日

夏休みの札所参り(4)

 二十九番札所松尾山へ四時迄に着かないと、閉門になると思い私達は急ぎました。舞鶴に向かう途中に、山椒大夫屋敷跡の案内看板があり、昔に読んだ物語を思い出しました。安寿と厨子王ゆかりの地だったとは驚きでした。時間ぎりぎりに松尾山に到着し、朱印をもらうことができました。



 次に目指すのは、舞鶴市の赤レンガ博物館です。1903年(明治36年)に竣工した旧日本海軍の倉庫群です。戦争という暗い歴史を今に伝えていますが、レンガ建築物としては日本最古級とされているとのことです。時を経てもレンガ造りの建物はしっかりしており、美しく整備された芝生に建つ十二棟のレンガ倉庫群は、どこか外国へ行ったような錯覚を感じました。博物館への入館は五時までだったので、少しのことで私達は中へ入れませんでした。写真はたくさん撮りました。






 次に行きたかったのは舞鶴引揚記念館ですが、ここも時間切れとなり行けませんでした。私は、舞鶴という地名は、子供の時からよく耳にしていました。父や母、叔父や叔母が、満州から引き揚げて来た時に上陸した港です。戦後生まれの私は、舞鶴イコ-ル引き揚げ、戦争という暗いイメ-ジを持っていました。以前ブログに書きましたが、傾聴ボランティアで出会った高齢の女性は、幼い四人の子供をつれて、毎月岡山から舞鶴へ夫を迎えに通いました。末の子供は父の顔を知りません。終戦を迎えても、夫に関する情報は届きませんでした。小学校の教師をしながら、四人の子供を育て上げたその女性は、悲しみ苦しみを乗り越えて生きてこられた立派な人です。戦後十一年経ち、夫は戻りました。何も入っていない白木の箱です。彼女のお話を聴いた時、私は、小説あるいは映画のスト-リ-のように感じました。戦争は、彼女のような人達をたくさん生み出したのです。舞鶴へ来て、日本の暗い過去を思い出し、私は感傷的になりました。





 時間に追われ、この日もあわただしく、宿泊予約をとったホテルへ向かいました。

2014年9月16日火曜日

夏休みの札所参り(3)

 二十八番札所成相山成相寺へ参拝し、納経所で朱印帳に印をいただき順調に事が運びました。しかしその後私は失敗をしてしまいました。書いてもらった朱印帳を乾かせようとペ-ジを開けたまま数歩歩いたところで、朱印帳にはさんでいたいろいろなものを全部ばらまいてしまいました。


 私はあわてて拾い集めたのですが、五十代くらいの外国人男性が親切に一緒に拾って下さるのです。私は恐縮しました。そこから会話が始まりました。ポアロ(夫)が彼に話しかけました。彼はスイスから来られた方で、四十五日間のバカンスを利用して、日本へ二度目の旅行とのことでした。彼も朱印帳を手にしています。日本への外国人観光客はたくさんおられますが、西国三十三ケ所巡りをされている外国人は少ないと思います。私達は不思議に思いその理由を尋ねました。彼は高校の地理の先生で、四年前に始めて日本へ来て、日本が大好きになり、その時は京都の有名な寺社へは参拝したのだけれど、西国三十三ケ所巡りのことを知り、次の旅では三十三ケ所巡りをしようと決意し、今回の旅となったそうです。京都山科に宿をとり、京都市内の札所巡りを済ませ、宮津まで足をのばしたとのことでした。私達の拙い英語力に丁寧に答えてくれます。私達は娘が十年以上も南仏に住んでいること、音楽の仕事をしていること、スイスへ旅行したこと、家族は地理が大好きなことなど、四方山話をしました。彼はヨ-ロッパのほとんどへ行ったことがあり、南仏へも行ったと話されました。日本に魅力を感じ、何度も日本へ来られる外国人がおられるのは、嬉しい限りです。三十分ほど和気あいあいとおしゃべりをして、旅の無事を願って握手をして別れたのですが、最後に私達に「あなた方は素晴らしい日本人です」という言葉を言ってくれました。予想もしていなかった遠い異国の人と異文化コミニュケ-ションをとれたという興奮の余韻の中、私達は次の札所松尾山へ向かいました。




2014年9月12日金曜日

夏休みの札所参り(2)

 旅の二日目は、朝早く起きて食事の前に温泉街を散策し、写真をたくさん撮りました。温泉大好きのポアロ(夫)は、中心地から一番遠い外湯まで足を運びました。


 二日目の予定は、天橋立の成相寺と舞鶴の松尾山への札所参りです。城崎温泉をあとにし、海大好きな私のために、丹後半島の海岸線を選び長距離ドライブとなりました。
台風一過のよいお天気です。日本海は美しく、どこまでも続く大海原を見せてくれています。一級河川が海に出る河口では、濁流のつめあとを思わせる色が広がっています。丹後半島も広く、途中いくつかの温泉もあり、海岸沿いに広がる砂丘では、メロンやスイカが栽培され、直売店も多く出ていました。


七姫伝説では、静御前・小野小町・細川ガラシャなど、ゆかりある場所の案内看板がたくさんあり、私の知らなかった歴史を教えてくれました。次に丹後半島の先端にある、夏の人気スポットとしての経ケ岬灯台へ寄りました。
一世紀以上もの間、海の安全を守り続けて、近代化産業遺産群に認定されているとのことです。


 日本海を眺めながら走り、以前NHK朝の連続ドラマ「ええにょぼ」の舞台となった伊根町も通りました。丹後半島の海岸線を三時間ほど走り、宮津市にある成相山に到着しました。参拝する前に成相山パノラマ展望所まで車で上り、絶景パノラマを満喫しました。眼下には美しい天橋立が見えています。天橋立へはずいぶん前に二回来ていますが、このパニラマ展望所から見るのは初めてです。



そのあと二十八番札所成相寺へ参拝しました。そこで思わぬ出会いがあり、嬉しいひとときを過ごしました。


2014年9月11日木曜日

夏休みの札所参り(1)

 今年の夏、家族で札所参りに予定していた日に台風が旅行コースに直撃となりました。行くか中止するか気をもんで、午前中は家で待機していましたがお昼に台風が通過したのを確認してから恐る恐る出かけました。天橋立近くの二十八番札所成相山成相寺と舞鶴の二十九番札所松尾山です。午後の出発となったのでルート変更し、途中をカットして予約していた城崎温泉を目指しました。国道は通行止めのところがありましたが高速道路はまだ通行止めになっておらず、激しく降る雨の中をスピ-ドを落として走りました。こんなお天気の中を通行する車は少なく、少し不安な気持ちになりましたが、今年の夏休みの計画として、家族で楽しみにしていたので、中止にするのが残念で決行しました。高速道路を出たあたりから小雨になりましたが、たくさんの雨が降り続いた後なので、途中の川は岸ぎりぎりに濁流がすごい勢いで流れていきます。怖いほどでした。


  ショートカットのルートですが数年前から天空の城として話題になり、人気を呼んでいる竹田城へ寄りました。兵庫県朝来市にあります。以前テレビで雲海に浮かぶ竹田城を見た私は、ぜひ一度行ってみたいと思っていました。この日は雨上がりで、下から城壁を見上げただけで頂上の城への道は封鎖されていました。ということで今回は中腹の案内所から見上げるにとどまりました。


映像のような天空の城の光景は、季節や時間、お天気による貴重な偶然のようです。次回は「天空の城竹田城」を見てみたいと思いました。
 次にカバンで有名な兵庫県豊岡市へ寄りました。カバンストリ-トを歩きました。何軒かお店を回りましたが、結構な価格で、さすがブランドだと思いました。娘は珍しい豊岡カバン自販機で袋物を買い、私は色・形のセンスの良さに飛びつき財布を買いました。豊岡は落ち着いた雰囲気の町でした。


 そして城崎温泉へ到着したのは六時過ぎでした。城崎温泉は志賀直哉、谷崎潤一郎などの文豪達に愛された古い温泉です。外湯めぐりスタンプラリ-が行われていて、食事の後に参加しました。ポアロ(夫)は七つの内、四つの湯に入りました。私と娘はスタンプラリ-だけ参加して、両岸に柳が並ぶメインストリートを散策しました。情緒あふれる温泉街を十時前迄歩いて、温泉気分を満喫しました。台風が通過した直後、という状況にも関わらず、夏休みということでたくさんの観光客で賑わっていました。



不安な気持ちで旅に出た私は、来てよかった、来れてよかったと思い、旅の一日目を終えました。

2014年9月10日水曜日

「誕生に贈ることば」(3)

そんなに
ママのおなかの中は心地良いですか
予定日を十日も過ぎました
こんなにゆっくりしていると
ジャンボベイビ-になりますよ
ママは君に会うのを

首を長くして待っています

2014年9月9日火曜日

「誕生に贈ることば」(2)

風薫る五月
気持ちよい季節
グイグイ
ママのおなかの中で
早く外へ出たいよと
手足を動かしている
君からのメッセ-ジ
パパとママは
「こんにちは赤ちゃん」を歌いました
聞こえましたか

はじめまして 私がママよ

2014年9月8日月曜日

「誕生に贈ることば」(1)

ママのおなかをなでながら
書いては消して
消しては書いて
二人で考えた君の名前
君を初めて抱っこした時
すぐに決まった
君の名前は「愛」です
パパとママの「愛」です

2014年9月7日日曜日

 「たからもの」

私はたからもち
ダイヤモンドのネックレス?
指輪?
たくさんの宝石?

それとも
家の権利書?
土地の権利書?
いいえそれらは重要書類

世の中にたからは数々あれど
私のたからはとってもかわいい

子供達が幼き日
私達に書いてくれたたくさんの手紙

字を書けるようになったあの日から
嬉しくて嬉しくて
パパへ
ママへ
と次から次へと届く手紙

その手紙はどんどん増えて
その手紙はどんどん進化して
ついに家庭新聞へと発展した

二人の子供が作る二つの家庭新聞
それぞれの個性あふれる家庭新聞
絵あり クイズあり トピックスあり
盛りだくさんの二つの家庭新聞

そしてついに二人の子供は会社を設立した
二人の子供はそれぞれの会社社長になった

名前はサ-ビス株式会社
サ-ビス満点の株式会社

肩もみ 足もみ お茶わん洗い
お客の依頼を受けて
すぐに馳せ参じるサ-ビス会社

時は流れて
そこからまたまた進化して
二人の子供は教祖になった
会う人 会う人を引き付けて
多くの人に愛されている

私のたからもの
それは子供からの手紙

私のたからもの
それは子供からのメッセ-ジ

何年たっても色あせしない
未来永劫私のたからもの

大事な大事なたからもの

2014年9月6日土曜日

「私の家族」

私のおうちは十人家族
おじいちゃんにおばあちゃん
お父さんにお母さん
お兄ちゃんにお姉ちゃん
犬のタロ-にねこのミ-
金魚のはなこ
私を入れて十人家族
とってもにぎやか私のおうち

おじいちゃんは何でも屋さん
お家の中でもお外でも
いつでも何でも直します

おばあちゃんはお花の先生
小さなものから大きなものまで
お花の名前で知らないものはありません

お父さんはお家を作る大工さん
トンカチトントン
ハ-イお家のできあがり

お母さんはケ-キ屋さん
みんなのお誕生日には
おいしいケ-キを作ります

お兄ちゃんは生意気盛りの中学生
お姉ちゃんはちょっとおすまし六年生
私は元気な一年生
タロ-とミ-とはなこはお留守番

私のおうちは十人家族
お誕生会 十回あるよ
おいしいケ-キ 十回食べて
お祝いします誕生日

ケンカもいっぱいあるよ 
私のおうち

いいこといっぱいあるよ
私のおうち

とってもにぎやか
私のおうち




2014年9月4日木曜日

「豊かさ」

カバの子供が尋ねました
「豊かさってなあに」
お父さんとお母さんは考え込んでしまいました

お金持ちになることかしら
大きな家に住むことかしら
溢れるほどの物に囲まれることかしら

どこか違う気がします

お父さんとお母さんは、いつも幸せを感じています
子供はたからものだと思っています
友達もたからもの
おじいさんもおばあさんもたからもの
犬のタロ-もネコのミ-もたからもの
美しく咲く花たちもたからもの
緑の木々もたからもの
お日さまもお月さまもたからもの
夜空の星もたからもの

見るものすべてがたからもの
あるものすべてにありがとう

お父さんとお母さんは言いました
「ありがとう」と言える心を持つことが「豊かさ」なのよ


2014年9月3日水曜日

御無沙汰しました

 カレンダ-も新しいペ-ジとなり、気持ちのよい季節を迎えました。ずい分とお休みをしてしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 今年の夏は本当に変なお天気が続きました。台風、大雨、豪雨など、各地で大きな被害が出ました。被災された方々が、元の暮らしに戻れるのはいつのことかと案じ、無力ながら一日も早い復興を願っています。テレビに映る被災地の様子は非常に残酷なもので、日本全国どこでも起こりうる状況ではないでしょうか。人ごとではないように思います。

 私にとってのこの夏休みは、終活への一歩を始めたことです。自分が生きてきた足跡を振り返り、確認しながら、たまりにたまった書類の整理・分別をしました。燃えるゴミに出すもの、資源ゴミに出すもの、保存しておきたいものとに分別し、ずい分すっきりしました。人から見たら全部ゴミだと言われるでしょうが、自分にとっては大切なものと思われるものもたくさんあるので、これから徐々にもっともっと減らしていこうと思っています。人生も長いようで短いと痛感しています。これからの日々を楽しみながらも、自分の後始末をしなければなりません。一人の人間が去った後に残ったものは、ほとんど、いいえすべてがゴミとなるのだと思います。そう思うと焦ってきます。自分の人生の後始末を急がねばなりません。