2019年6月28日金曜日

時代の移り変わり(消えるコンビニ)


 京都の家のすぐそばにあったコンビニが、今月末で閉店することになりました。「三十年のご愛顧に感謝します」と書かれたお知らせを見て驚きました。私たちが京都に住み始めて20年ほど経っていますが、ちょっとした忘れ物などを買いによく利用したコンビニです。
年々コンビニの数も増えましたが、この地域では一番古いコンビニでした。私たちと同世代のご夫婦が経営されていました。昼間はアルバイトの人を雇っておられましたが、24時間営業のコンビニなので、ご夫婦は深夜も働かねばなりません。コンビニの24時間営業については、社会問題にまで発展して騒動を巻き起こしています。消費者としてコンビニを利用するのは、常時ではなく突発的な買い物です。日用雑貨や食料品などは、ほとんどスーパーで買います。コンビニの方が価格は高いからです。買い忘れをした時や緊急時は、コンビニを頼ります。若者や現役世代の単身者は、買う量も少なく便利なコンビニを愛用しています。
京都市役所があるこの地域には、十年ほど前からマンションが増え人口も急激に増えています。小規模のスーパーは、地域内に4店舗にもなりました。コンビニは、ざっと見回しただけでも7~8店あり、激戦区です。時代の移り変わりとは言え、家の前のコンビニが消えるのは寂しい限りです。

2019年6月27日木曜日

夏越の大祓い(茅の輪くぐり)


 昨日近畿地方の梅雨入りが発表されました。観測史上最も遅く、去年よりも三週間遅い梅雨入りとなりました。そんな中、私たちは茅の輪くぐりを求めていくつもの神社を回りました。自転車で出かけました。京都で一番大きい茅の輪ということで、まず始めに北野天満宮へ行きました。茅の輪は出ていません。青もみじまつり開催中とののぼりがあります。平日で修学旅行生たちがたくさん来ています。お店は出ていません。30日が夏越の大祓い神事(茅の輪くぐり)と案内があります。 



 

次に蹴鞠(サッカー)の神様を祀っている白峯神社へ回りました。茅の輪は出ていません。サッカーの神様ということで、中学や高校の修学旅行生で賑わっています。



どこかの神社には、茅の輪が出ているだろうと期待して、京都御苑に沿って烏丸通りを南下します。茅の輪を発見しました。イノシシが守り神という和気清麻呂公を祀っている護王神社です。早速茅の輪くぐりをしました。左へ一回、右へ一回、最後にもう一度左へ回る作法です。茅の輪くぐりをする人も少なく、この時は三組だけでした。





次に氏子になっている下御霊神社へ行きました。茅の輪が出ています。ここでも茅の輪くぐりをしました。境内には誰もいません。 




あちこちの神社では、夏越の大祓い神事(茅の輪くぐり)が催されると思いますが、6月30日が大祭なので、たくさんの人が集まるのはもう少し先です。子供の頃には、近くの神社で茅の輪くぐりをしました。千年以上も続く伝統ある神社、松阪神社です。無病息災を願いこの夏を無事に越せますようにと、茅の輪くぐりをした懐かしい思い出です。今回京都で茅の輪くぐりができて大満足です。欲張って二ヶ所で茅の輪くぐりをしてしまいました。

2019年6月26日水曜日

シニア暮らしの味方(図書館)


 今世間では年金問題について連日報道が繰り返されています。年金生活に入った時には、年金だけでは足らないので、退職時に2000万円は貯蓄していないと苦しいというものです。平均寿命がどんどん延びて、人生百年時代の到来です。当事者になって数年ですが、毎月年金だけでは足らず貯蓄を崩しての生活です。当事者になるまでは、甘く考えていた状況です。
 二ヶ所暮らしをしている私たちは、当然支出も膨らみます。嬉しいことに、京都も三重も図書館が近くにあります。本というもうのを、かつてはバンバン買っていましたが、現在は図書館を利用しています。読みたい本を設置されているパソコンで検索すると、すぐに教えてくれます。先日来岸恵子著書を10冊一気に読みました。大文字で出版したものもあって助かりました。どこの図書館もいつも大盛況です。とくに平日は、シニアの方が多く来られています。本を買うことから卒業したシニアたちです。図書館は、シニア暮らしの強い味方だとつくづく思います。

2019年6月25日火曜日

京都夏の風物詩(川床)


  今年も川床の季節がやってきました。5月1日から9月末までの期間です。たくさんのお店が川床を出しました。




京都川床料理と聞けば、和食をイメージしてしまいますが、昔と違って今はいろんな料理のお店があります。近くの鴨川沿いには、和食だけではなくフレンチ、イタリアン、そして居酒屋もあります。高級料理だけでなく、価格も幅広くあります。若い人も気軽に行ける川床です。日が落ちてお店に明かりが灯る頃に、写真を撮りに出かけました。鴨川の対岸から見る川床は、絶景の写真スポットです。旅情あふるる京都鴨川の川床です。鴨川の水面に、明かりがボーっと映っています。私の好きな光景です。




床の下のみそそぎ川ではカルガモの親子が水草をついばんでいます。


 それにしても一年の過ぎ行く早さには、驚くばかりです。歳を重ねれば、もっともっと早く感じるのだとは思いますが、少し寂しさをともなって川床を眺めています。


2019年6月24日月曜日

ふるさとの風景(ハグロトンボ)


 先日から我が家の小さな庭に珍客の訪問があります。毎日来てくれます。ハグロトンボです。他所では見たことがありません。


 三重の家の前には、二級河川が流れています。後ろには田んぼへ水を引き込むための小さな川が流れています。その小さな川の向こうに続いて、実家の藪があります。子どもの頃には、その藪にたくさんのハグロトンボがいました。藪から坪庭へ、そして表庭へと、ハグロトンボは飛んできます。私にとっては、夏休みの思い出でした。他のトンボと違って、子ども心にもハグロトンボを採りたいとは思いませんでした。静かに飛んできて、静かにとまり、30秒に一回くらい黒い羽を2回静かに広げては閉じます。そのしぐさから別名神様トンボと言われているようです。







体の大きさは、少し小ぶりです。黒色のトンボは、何か意味ありげに飛んでくるのです。小さな体ですが、存在感を感じます。蛍のように短い時だけの命かもしれません。今、飛んできては小さな庭のいろんな草花にとまるハグロトンボを見て、子どもの頃を思い出しています。

2019年6月21日金曜日

読書の楽しみ(岸恵子著書)


 今、岸恵子著書にはまっています。著書がたくさんあることに驚き、次から次へと読破しています。ここしばらく視力の低下を気にして、読書は控えていました。しかし現在86歳の彼女の近況をテレビで知ってから、著書に飛びつきました。最新の著書「孤独という道づれ」は、まだ読んでいませんが、タイトルに飛びついています。
 一気に読んだ本は、
・「30年の物語」
・「私の人生ア・ラ・カルト」
・「私のパリわたしのフランス」
・「巴里の空はあかね雲」
・「ベラルーシの林檎」
の五冊です。随筆です。これらは20年以上も前の著書で、時代的には古いものです。十代でスターダムに上り詰め、24歳ですべてを捨てて一人でフランスへ渡ります。その後18年間の結婚生活にピリオドを打ち、一人娘と共に新しい人生に出港します。
出会い、結婚、別れ、今生の別れ、人生のすべてが赤裸々に語られています。選りすぐられスターとなった人、最高の幸せを掴んだ人、キラキラ輝く女性の星と思われていた特別の人の悲哀を知り、胸がキュンとなります。本を読み進めるうちに、彼女の強靭な精神力が伝わってきて、ますます彼女の人柄にひかれます。有名すぎる名前と時々テレビで拝見するお顔は知っていても、人物については詳しくは知りませんでした。著書を読んで、文筆家でありジャーナリストであり、女優でもある彼女の魅力にひきつけられています。女性として大先輩の人の今までの人生、そしてこれから先の彼女の生き方を、著書から学ぶことができます。期待に胸が膨らみます。

2019年6月20日木曜日

小さな庭の草花たち


 二十年ほど前に家を建てた時には、小さな庭は芝が育っていました。芝刈りという仕事がありました。歳月が流れ、小さな庭も少しずつ変遷を余儀なくされました。モグラの襲来も二度あり、新しい芝を植えたりもしましたが、現在は芝より雑草が多い状況です。私の好きな歌「野に咲く花のように」の草花がたくさん咲いています。以前芝刈りは芝刈り機でしました。私も手伝いました。小さな庭でも、園芸の好きなポアロと野良部部長(娘)は、いろいろ楽しんでいます。野良部部長は、植木鉢やプランターで、花や野菜、果物も育てています。ポアロは植木鉢で種から育てた花を、時期を見て地植えに移したりとこまめに世話をしています。今はアサガオとアスターを育てています。アサガオがつるを伸ばしてグリーンカーテンになってくれることを期待しています。 



 小さな庭に咲く草花の写真を撮って、名前も調べてフェイスブックに載せているポアロです。知識も増えつつあります。庭に咲く小さな草花(野草)は、見落としてしまいがちですが、写真に撮ると立派な花になります。小さな花も、小さい庭でしっかりと自己主張をしています。
ネジバナは刈らずに咲かせます

何故かブタクサという名前


ムラサキツユクサ

カタバミ ピンク

オリヅルラン

ドクダミ

キイロカタバミ

地獄のふた

ヒメジオン



2019年6月19日水曜日

懐かしい場所(三重松阪港)


 先日松阪港まで、自転車で行ってきました。片道4キロありました。三重の家の前を流れている二級河川阪内川の河口です。
  



幼い頃、祖母のお供をして、貝拾いに何度も行った懐かしい場所です。私は、籐でできた大き目の乳母車(?)に乗って、実家から二人で出かけました。しばらく貝拾いをして、飽きてきた私は、乳母車の中で、海の歌を大きな声で歌いました。周りには誰もいません。大好きな海が広がっています。寄せては返す静かな波の音を聞きながら、天真爛漫な私は気分良く歌いました。

「うみはひろいな 大きいな 月がのぼるし 日がしずむ
 うみは大なみ あおいなみ ゆれてどこまで つづくやら
 うみにおふねを うかばせて いってみたいな よそのくに」

「我は海の子 白浪の さわぐいそべの 松原に
 煙たなびく とまやこそ わがなつかしき 住家なれ

 生れて潮に 浴みして 浪を子守の 歌と聞き
 千里寄せくる 海の気を 吸いてわらべと なりにけり

 高く鼻つく いその香に 不断の花の かおりあり
 なぎさの松に 吹く風を いみじき楽と 我は聞く」

難しい歌詞もなんのその。丸暗記で歌っていました。

 高度経済成長の頃には、フェリーも発着していました。中部国際空港ができてしばらくは、空港行きも発着していました。当時の名残りの建物が、風雪に耐えて建っています。時代の移り変わりに胸が痛みます。



 港から見る風景は、いつも見ているふるさとの山々ですが、ずいぶん遠くに見えます。





 シニア暮らしの一つに、釣りを思いついた私たちは、下見に出かけたのです。何人かの男性たちが釣りをしています。ポアロが様子を聞きにいきました。「今日は全然釣れない」とのことで、釣り場としての魅力は消え去りました。


 私は、爽やかな風を感じ、ポタリングのようにキョロキョロしながらふるさとの風景を楽しみました。




2019年6月18日火曜日

京都ご近所散歩(夏椿)


 夕方のひと時、家の近くを散歩するのが日課となっています。まだ梅雨入りが発表されていない近畿地方は、過ごしやすいお天気が続いています。爽やかな風を感じながら歩いています。先日は、美しく咲く夏椿に出会いました。





店先に咲くかわいい夏椿です。別名シャラの木(娑羅の木)で、仏教の聖木とされる沙羅双樹(さらそうじゅ)とは違うそうです。今まで夏椿と沙羅双樹は同じものと思い込んでいました。歩いていると、個人の家の玄関先やいろんな店の店先には、それぞれの思いで多種多様の植物が植えられているのに出会います。四季折々に咲く花々を楽しませてもらっています。

2019年6月17日月曜日

心に残る言葉(草枕より)


 今から十年ほど前のことです。叔母の葬儀が終わり、最後に夫である叔父の謝意が述べられました。叔母は心不全で突然亡くなりました。八十歳でした。その時叔父は八十六歳でした。長年警察官として勤め上げ、冗舌ではありませんでした。何人かいる叔父、叔母の中では、寡黙なほうでした。そんな叔父が語る謝意には、みんなが耳を澄ませました。叔父は小さな声で、ぼそぼそと語りました。途切れ途切れに聞こえてくる言葉から、夏目漱石の「草枕」の一文だとわかりました。

 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

 叔父がぼそぼそと語るこの言葉は胸に響きました。世渡りの上手な人もたくさんいると思いますが、叔父は真面目にこつこつ人生を歩んだように思います。二人の息子のうち、長男は四十二歳で亡くなっています。親としてどれほどつらく悲しい苦しみを経験されたことでしょう。読書家で博学だった叔父、目立たないけれど立派な精神性の持ち主だった叔父が語った言葉は、何年経っても忘れることはありません。時々ふっと思い出します。叔母が亡くなって五年ほど後に、叔父も静かに旅立ちました。

2019年6月14日金曜日

梅雨入り間近(あじさい)



 東海、関東甲信、北陸、東北南部が梅雨入りしたと、気象庁が発表して一週間が過ぎています。近畿地方の梅雨入りは、まだ発表されていません。今日は朝から梅雨入りかと思われる雨が、しとしと降っています。そろそろ梅雨入りかと思いますが、雨に似合う紫陽花の花の写真を撮りに出かけました。
 
富小路と柳馬場の間は青紫が素晴らしい
 近くの京都御池通りのケヤキ並木の足元には、たくさんの紫陽花が植えられています。買い物に出るたびに、紫陽花の開花の様子を気にかけていました。今日はグッドタイミングで、紫陽花の花の満開を見ることができました。紫陽花の花は、雨に濡れてしっとり美しく生き生きとしています。



空高く伸びるケヤキの足元を、たくさんの紫陽花の花が賑やかせています。道行く人も、足を止めて美しい紫陽花に見とれています。スマホで写真を撮る人もいます。私の好きな散歩道でもある御池通りが、華やいでいます。

河原町の東側は赤色系統とガクアジサイ