2018年8月31日金曜日

「よかった探し」



いつの頃からか
私はよかった探しが得意になった

悪いことでも
見方を変えると
それほど悪いことでもない

こんな辛いことが
何故私に

こんなひどいことが
何故私に

こんな苦しいことが
何故私に

こんな悲しいことが
何故私に

たくさんのことが
あり過ぎて
書き上げることさえ
難しい

それでも
いつも頭に浮かぶ言葉がある

これは試練だ
試されているのだ
日にち薬だ

月日は友達
終わりは始まり

日の出があり
日没がある

日没があり
日の出がある

暗黒が続くことはない

涙も友達
泣いて泣いて
泣き明かそう

涙が枯れる頃には
朝が来る
新しい朝が来る

日が昇る
力が湧く

新しい朝が来る
さあ一歩踏み出そう

よかった探しは幸せ探し

よかった探しは幸せ探し



2018年8月30日木曜日

「もしも・・・」


もしも
私に孫がいたなら
その子はお姫さま
きらきらドレスで踊ります

ダンスはお得意
歌もお得意
ピアノを弾くのも断然お得意

「おばあちゃま 一緒に踊りまちょう
「おばあちゃま 一緒に歌いまちょう」
「おばあちゃま 一緒にピアノ弾きまちょう」

二人で踊るダンスは最高!
二人で歌うデュエットは最高!
二人で弾く連弾は最高!

もしも
私に孫がいたなら
その子は王子様
冠かぶりステッキ持って

ダンスはお得意
歌もお得意
ピアノを弾くのも断然お得意

「おばあちゃま 一緒に踊りまちょう
「おばあちゃま 一緒に歌いまちょう」


「おばあちゃま 一緒にピアノ弾きまちょう」

二人で踊るダンスは世界一!
二人で歌うデュエットは世界一!
二人で弾く連弾は世界一!

夢は広がる
もしも・・・
もしも・・・

孫は目に入れても痛くない
と言いますが

かわいくて
かわいくて
どうしようもなくかわいくて
目に入れても痛くないほどなのですね

夢は広がる
もしも・・・
もしも・・・



2018年8月29日水曜日

京都名水


 京都には古くから京の三名水と呼ばれる名水がありました。五条堀川下るにあった井戸、醒ヶ井(さめがい)は現在は石碑のみが残っています。平安時代、源頼義(988~1075)が築いた六条堀川邸の井戸だと伝えられているそうです。千利休や織田有楽斎などに愛用され、天下一の名水と言われていたそうです。京都御苑の西北、宮内庁京都事務所の裏側には、縣井(あがたい)がありました。江戸時代には、この辺りに一条家の邸宅があり、明治天皇の皇后となった昭憲皇太后の産湯にも使われたそうです。
唯一現存する現役の井戸は、梨木神社の染井です。京都御苑の東側、寺町通りに面しています。市民に愛され、毎日たくさんの人が染井の水を頂きに訪れています。自宅から自転車で10分たらずです。





以前ブログに書きましたが、ポアロは時々自転車で5分たらずの下御霊神社の井戸へ、水を頂きに行っています。下御霊神社からさらにもう少し足を延ばせば、梨木神社です。染井の水はまろやかで、お茶やコーヒーに合うとのことです。9世紀後半に栄えた藤原義房の屋敷があったそうです。染井の水を頂く時には、遥か昔に思いを馳せ、京都に湧き出る井戸水を有り難く思います。この事が後世に続いてほしいと願います。
梨木神社は境内の萩が有名で9月の17日から「萩まつり」が開催されます。




2018年8月28日火曜日

悲しい知らせ(まるこ)


 悲しい知らせが届きました。「ちびまる子ちゃん」の作者、漫画家のさくらももこさんが先日亡くなられました。53歳でした。1990年からのテレビアニメ放送で、ちびまる子ちゃんは国民的アイドルになりました。その人気は平成のサザエさんと呼ばれるほどです。面白くて愉快な「ちびまる子ちゃん」を、家族でよく見ていたものです。1970年代の時代背景だということですが、私の体験してきた昭和30年代と重なる部分がよく登場しました。作者自身の体験した小学校時代の実話を基にした作品だそうです。ヒット曲の「おどるポンポコリン」は、子供たちの人気を呼び、運動会などでよく取り上げられました。
ちびまる子ちゃんは、三世代家族です。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、そしてちびまる子ちゃんの六人家族です。私は三世代八人家族で、四人兄弟の末っ子です。どこかちびまる子ちゃんと通じるものがあるのかもしれません。
ちびまる子ちゃんの登場以来、家族は私のことを「まるこ」と呼ぶようになりました。我ながら、その理由を納得していました。家族の愛情を一身に受けて、明るくほがらか、天真爛漫、ぼけもあったりして、のびのび育っています。私がブログをスタートさせる時に、家族は「まるこの本箱」というタイトルを提案してくれました。日常のいろんな場面で、お母さんは「まるこ的」と言われます。ちびまる子ちゃんに似ていると自負している私は、嫌に思うことはなく「私はまるこ、ちびまるこ」を連発します。作者のさくらももこさんが旅立たれたことは、とても寂しく残念なかぎりです。ご冥福をお祈りいたします。

2018年8月27日月曜日

満月の夜に


 昨夜は満月でした。月光を遮るものは無く、うっとりと眺めました。月は人の心を魅了します。月の名前もいくつかは知っていますが、三日月、上弦の月、十三夜月、十六夜、など月の満ち欠けによる名前は、文学的です。




満月の明るさは、月の光でピアノを弾けるほどです。私の好きなベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を、ついつい弾きたくなります。月の光の中で、「月光」に没頭して弾くことは、至福の時間です。満月を見ながら月光を浴びて、もの思いに耽るのも素敵な時間です。パワー、エネルギー、不思議な力をもらえるようです。詩人?作家?になれるような錯覚を感じます。酷暑が過ぎ秋の気配を感じながらも、まだまだ残暑厳しい日が続いていますが、満月に心癒されるひと時をもらいました。

2018年8月24日金曜日

私の好きな歌「少年時代」


お盆が過ぎた頃から気温も少し下がり、盛夏を脱したようです。秋を感じさせる心地よい風が流れ、ツクツクボウシの鳴き声も聞こえてきます。毎年この時期になると、自然に口ずさんでしまう歌があります。井上陽水作詞作曲の「少年時代」です。平成2年に映画の主題曲として登場した歌です。初めて聞いた時から、大好きな歌になりました。哀愁と抒情が溢れています。遠く過ぎ去った青春が脳裏に浮かんできます。誰にもある青春時代です。私だけでなく、たくさんの人に好かれている歌だと思います。

「夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれに さまよう
 青空に残された 私の心は夏模様

 夢が覚め 夜の中
 永い冬が 窓を閉じて
 呼びかけた ままで
 夢はつまり 想い出のあとさき」

















台風20号が去り青空が出てきました。

2018年8月23日木曜日

 ピアノの力(駅ピアノ)


 駅ピアノの存在を知ったのは数年前のことです。確かフランスから始まったと記憶していますが、その時はユーチューブを見て感動しました。最近NHKのBS1で、世界の駅ピアノが放送されています。放送時間が決まっていないようで、番組と番組の隙間を埋めるような駅ピアノです。偶然見ることができてから番組表をチェックするようになりました。夜中に放送されたり、本当にまちまちの時間で放送されていて一定ではありません。
  


 駅ピアノは、たくさんの人が乗り降りし利用する駅にピアノを置いて、誰でもピアノが弾けるように、「ピアノが弾きたい人はいつでもどうぞ」という趣旨で行われています。定点カメラが設置されているので、ピアノを弾く人の様子やコメントが映ります。音楽に国境はありません。たくさんある楽器の中でも、ピアノは誰にも馴染みある楽器です。音を出すことは容易です。赤ちゃんでも小さな手で、音を出すことができます。
映像に映る人達は、いろんな国の人達です。仕事もさまざまで、ホームレスの人もいます。私が観た時は、アメリカのロサンゼルス、チェコのプラハ、オランダのアムステルダムの映像でしたが、とても感動しました。日本社会ではあまり見ないような、ラフな服装の人がほとんどでした。気軽にピアノの前に座り、思い思いにピアノを弾きます。驚くのは、ほとんどの人が独学でピアノを弾いているのです。オリジナルの曲もあります。自分の想いをピアノで表現しています。長年ピアノに携わってきた私にとっては、目からうろこです。これこそ本当の音楽のように思えます。「好きこそものの上手なれ」です。映像に登場する人達は、皆さんピアノが大好きで、音楽が大好きで、心の中を表現しています。
コメントも哲学的です。
「音楽は自分のすべて」
「ピアノは自分のパートナー」
「ピアノに癒されている、救われている」
「いつでも夢を忘れない」
など、音楽に、ピアノに対する愛情と情熱が溢れています。
ある男性は「これまでの自分の人生には良かったものは何一つ無い。駅ピアノを弾いている時に声をかけてくれた女性と出会い、愛し合っている。駅ピアノが幸せをくれた」と言っていました。傍らにはその女性がいます。素晴らしい光景でした。映像には、様々な人生模様が映ります。音楽と人、ピアノと人との絆です。音楽の力、ピアノの力を再認識しました。私にとってもピアノはパートナーであり、嬉しい時、悲しい時、苦しい時、心の内を大きな心で受け止め、いつもそばにいて見守っていてくれました。大きな存在です。

2018年8月22日水曜日

全国高校野球記念大会


 全国高校野球記念大会が終わりました。まだ興奮覚めやらぬといった感じです。今年は100回目の記念大会です。決勝戦は、北大阪代表の大阪桐蔭高校と秋田県代表の金足農業高校の対戦でした。桐蔭高校は、春夏の連覇を目指し、金足農業高校は、大会一回目の決勝戦に挑んだ秋田県代表に続き100年ぶりの記念すべき決勝戦です。決勝戦の試合が始まる前から、テレビでは金足農業高校のいろんな話題を提供してくれました。盛り上がりは大変なものでした。強豪大阪桐蔭高校に関しては、あっさりしたもののように感じました。どちらのチームを応援するかについて、大阪人のポアロは、大阪桐蔭高校を応援します。私は、テレビから得た情報を元に金足農業高校を応援します。金足農業高校の応援の席には、雑草軍団と書かれた横断幕が人々の目をひきます。強くたくましく、何事にも全力で立ち向かうといった、高校のスローガンのようです。決勝戦を前にして、高校では飼育しているブタが9匹の赤ちゃんを産みました。飼育担当の生徒が決勝戦に出ています。9匹のブタの赤ちゃんの姿もテレビに登場し、誰もが「かわいい!」を連発します。
試合が中盤に入ると、強豪桐蔭高校の強さが目立ってきます。実況中継をするアナウンサーの「応援席の空気が変わってきたようです。金足農業高校に大きな声援が送られています」という言葉が出ます。テレビの前にいる私達にも伝わってくるような、甲子園の熱風です。手に汗を握るといった状況で、試合が進んでいきます。日本人の判官びいきが表れているようです。金足農業高校に、何とかあと1点でも追加点が入るようにと願い祈ります。9回表で試合が終わりました。
  


結果が出たものの、しばらく放心状態です。試合が終わり、閉会式に向けて準備が始まります。少しずつ気持ちも落ち着いてきます。100回目の記念大会ということが、ずしりと響いてきます。大会委員長の言葉が胸に染み入りました。「三つのHが浮かんできます。ヒーロー、ハンドレッド、ヒストリーです」の言葉には、深い意味があるように思います。戦争をはさんでいるものの、100回という記念すべき大会です。全国高校野球選手権大会が100回も続けられてきたのです。若人の純真な心、野球一筋にかける青春、試合を見ている者にとっても、過ぎ去った青春時代がよみがえります。優勝チーム、準優勝チームが、球場を一周します。大きな拍手が送られます。甲子園の空には不思議なことに虹が出て、空からも若者達に声援が送られているようです。感動で瞼が熱くなります。いつものことながら「感動をありがとう」の言葉を贈ります。翌日のニュースでは秋田の空にも同時刻に虹が出ていたそうです。
 私のふるさと三重県は、県立白山高校が初出場の快挙を手にしました。県庁所在地津市の西部に位置する、山に囲まれた田園地帯にある小さな高校です。始めは部員の数も足りず、2年前までは県予選1回戦で敗退していました。今回三重県代表となった白山高校は、マスコミからも注目され「下克上」と言われました。野球部の部長は、女性教諭です。このこともマスコミは取り上げて取材をしていました。全国でも珍しいそうです。三重県代表となったことから、地元では大騒動です。応援団もありません。ブラスバンド部は、たったの8人です。俄か仕立てのブラスバンド部は、近隣の中高生も加わり80人となりました。寄付金集めも地元では大きな仕事です。甲子園での白山高校は、初々しさを感じる爽やかな印象を醸し出しています。初出場ということもあり、三重県人は一生懸命応援しました。勝敗にはこだわりません。甲子園に来たというだけで十分です。参加したことに意義ありです。
100回記念大会には、史上初の56校が出場しました。すべての人がふるさとを想い、それぞれのふるさとの代表高校を応援します。皆が盛り上がる素晴らしいものです。高校野球が終わるとともに、2018年の夏が終わった気がしています。

2018年8月21日火曜日

プチプチトリップ(日吉ダム-2)


 京都府南丹市日吉町にある日吉ダムは、20年ほど前に造られました。この地域は、京都丹波高原国定公園になっています。ダムの周辺には、いろんな施設があります。道の駅「スプリングスひよし」には、レストランや売店、無料足湯があります。温泉施設も整っています。室内温水プールや体育館、グランドゴルフやキャンプフィ-ルド、BBQガーデンもあります。

ダムの下の広い芝生はグランドゴルフ場


左がレストラン、真ん中は温泉プールと温泉施設、右は体育館

バーベキューコーナー


レストランで昼食をと思っていましたが、1時間待ちとのことで諦め、売店でおにぎりとお弁当を買って木陰で食べました。ダム周辺の建築物は、建築学会賞をとっているとのことです。ダム湖を眺めながら、少し散策しました。ダムのそばにはビジターセンターがあり、ダムについてのいろんな説明を知りたかったのですが、残念なことにこの日は休館日でした。日吉ダムは、堰堤が長く、たくさんあるダムの中でも珍しいそうです。438メートルもあるそうです。ダムの底にはかつて集落があり、120軒ほどの家があったそうです。
 
ダムカレーが名物ですが満員であきらめました

ビジターセンター

7月豪雨のあと雨が降っていません

貯水率60%らしいです


広い駐車場には、他府県からの車もたくさん停まっていました。遠くは関東地方や四国、中国地方からの車もありました。夏休みということで、たくさんの人が訪れていました。気温も28℃ほどに下がり、心地良い風が流れていきました。
 自宅から30キロほどのところに、素晴らしい日吉ダムがありました。途中には田園風景が広がり、美しい山並みが続き、空気が澄み、都会に暮らす人達にとっては憧れの場所でした。帰りは高速道路を走り、あっという間に京都の街に戻りました。プチプチトリップですが、楽しい一日でした。

2018年8月20日月曜日

プチプチトリップ(胡麻、日吉ダム)


 7月の西日本豪雨の時には、京都の桂川嵐山では危険水位を超え心配な状況となりました。その時に、桂川上流にある日吉ダムから放水が行われ、なお一層の心配状況となりました。大事に至らず良かったのですが、ダムからの放水については、他県で被害拡大となり問題になっています。ダムについて興味関心を持った私は、行ったことのない日吉ダムへ行きたくなり、プチプチトリップで出かけました。自宅から30キロほどのところにあります。
行きは国道9号線で、亀岡市を通りました。途中の公園で満開になっているたくさんの蓮に遭遇しました。ちょうど見頃となっていました。お盆を迎える頃に、タイミングよく満開になったようです。私達は、嬉しくて車を停めて写真を撮りました。広い公園の池一面に咲く、薄ピンク色の蓮の花はとても美しく、お盆にピッタリの景色でした。上空からはパラグライダーが連なって池の向こうへ降りてきました。





次に最近テレビで知ったJR山陰線の胡麻駅に寄りました。京都府南丹市日吉町にあります。無人駅で、一時間に1本しか停まりません。私達が着いたちょうどこの時に電車が来て、十人ほどの乗客が乗って行かれました。駅舎に郷の駅が併設されていて、その土地のものが売られていました。日本全国に過疎の村が増えつつありますが、胡麻地区もその一つです。移住者を募っています。空き家バンクでは、たくさんの物件が紹介されています。テレビに登場したある家族は、東京からの移住でした。外国人男性との国際結婚をした女性が、田舎暮らしについて話されていました。お店は無く、移動物品販売の自動車が何ヶ所も回っています。





胡麻駅から1キロぐらいのところに、かやぶき音楽堂があります。その存在は、ずいぶん前から知っていますが、行きたいと思いながらもまだ実現していませんでした。周りを田園に囲まれた、美しいかやぶき音楽堂です。ご夫妻でピアノデュオコンサートをされていた有名な音楽家です。残念なことに近年ご主人は亡くなられています。外国の方です。コンサートには行けなかったのが、心残りです。




かやぶき音楽堂を見てから、日吉ダムへと向かいました。


2018年8月17日金曜日

五山送り火


 京都では毎年8月16日に五山送り火があります。お盆でこちらへ帰ってきた死者の霊を送る五山送り火です。大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形の五つです。昨年はフランスへ行っていたので見ることはできませんでしたが、今までに何回かは見ています。
午後8時に大文字に点火され、そのあと5分ごとに、妙法、船形、左大文字、鳥居形へと点火が続いていきます。いつものことながら、私達は鴨川岸辺で大文字を見ることにしました。8時10分前に家を出ました。鴨川に着くと、たくさんの人が集まっています。地べたに座って点火を待つ人で賑わっています。京都へは、年々外国人観光客が増えていますが、この日も驚くほどのたくさんの外国人です。いろんな言語が聞こえてきます。二条三条辺りにホテルがたくさんできたからだと思います。外国人観光客にとっては、鴨川岸辺で大文字を見るのが、最適のスポットになっているようでした。
夕方に雨が降ったので心配しましたがその後涼しくなり、空もすっきりとして最適の送り火となりました。鴨川の上流方向を見ると妙法の上の方が少し見えています。30分ほどで完全に消えました。夏の終わりを感じます。
 
点火直後は白い煙が出ます

10分後が最盛期

20分後はひとつひとつの碑がはっきりと

妙法の妙の字の上だけ見えています。

 京都テレビでは実況中継をしています。録画をとって、帰宅してから見ました。この日を迎えるために、たくさんの人が暑さ厳しい中で、頑張ってこられました。伝統的行事となった五山送り火を絶やさないための努力を、たくさんの人が担ってくださっています。見る側には、知られていない裏事情を放送しています。NHKBSでは「にっぽんのお盆」で、五山送り火など全国の送りの風景を中継して放送していました。大阪北部地震や西日本豪雨で亡くなられた人達を送るシーンでは、胸に来るものがありました。五山送り火では点火の前に、皆で黙祷をされていました。
自宅に近い大文字や妙法は、なじみがありますが、船形、左大文字、鳥居形はなかなか見にいけません。来年はそれを考えて見る場所を探したいと思っています。2018年のお盆が終わりました。

2018年8月16日木曜日

恒例行事(デパート)


 デパートの夏の恒例行事となっている、ギフト商品解体セールの模様がニュースで報じられました。大阪梅田にある大手デパートからの、中継でした。皆さん大型カートに山積みで、たくさんの商品を買っておられます。解体といっても、箱詰めの商品を買っておられます。通常の価格より、物によっては半額近いものまであります。お得感いっぱいです。自宅用だけでなく、ちょっとしたお土産や進物にも使える商品です。一堂に幅広い商品が並んでいるので、選り取り見取りです。買い物をする楽しみもあります。
 用事があって京都のデパートへ行った時に、この恒例行事のことを思い出したので寄ってみました。ちょうどこの日から始まったところでした。テレビで見た大阪の大手デパートとは違い、少し手狭の催事場にたくさんの人が集まっています。皆さん買い物カートにいっぱいの商品を入れて、回っておれらます。消費者にとって、デパートの商品イコール信頼度大の商品という思いがあります。その商品が、大きな値引きで買えるとなると、魅力ある催事場です。私も、その場の空気にのまれ、ついついたくさん買ってしまいました。それでももっと買ったらよかったと後悔し、開催期間一週間の内にもう一度出かけようと思っています。買い物の楽しみは、特に女性達の楽しみのように思いました。たくさんの女性客で賑わっていました。

2018年8月15日水曜日

お盆に想うこと

 先日お墓参りに行ってきました。我が家は新家なので、義父だけが眠るお墓です。三重にあります。そばには私の実家のお墓があるので、そちらもお参りしました。先祖代々のお墓なので、たくさんの人が眠っています。私が顔を会わさなかった人も、たくさん眠っています。春のお彼岸、秋のお彼岸、お正月、そしてお盆、年に最低四回はお墓参りをしています。
普段は忘れていることですが、お墓参りをすると、御先祖様に思いを馳せるよい機会となります。今、自分が存在していることは、たくさんの御先祖様から命のリレーが脈々と続いてきたからです。
京都に戻り、私の趣味の一つになっている家系図を、またまた取り出し眺めてしまいました。私のところまでは、実家の家系図です。結婚によって、ポアロの家系図と一つになります。そして子や孫へと続いていきます。家系図の広がりは、留まることはありません。昔を振り返ることになりますが、親の結婚、祖父母の結婚、曾祖父母の結婚によって、家系図はどんどん横へも広がっていきます。一般的には直系だけを書き表した家系図だと思いますが、私は横へ広がる家系図に興味関心を持ってしまいます。それは手作りの家系図です。継ぎ足して作ります。わかった部分を少しずつ足していきます。三代遡るだけでも、膨大な家系図となります。子供、兄弟の数が多ければ、登場する人の数は膨れ上がります。そこまでいくと、親戚を通り越して、世の中の全ての人とどこかで繋がっているように思います。結局は、赤の他人はいないように思われます。面白いことです。日本という島国では、特にその可能性は大きいと思います。元を辿れば、みんな親戚です。
お盆だからこそ、御先祖様が夢に現れるかもしれません。楽しみです。

2018年8月14日火曜日

酷暑の中のプチトリップ(4)


 近江八幡の「たねや日牟禮茶屋」で昼食のあと少し街を散策し、そこから車で5分ぐらいのところにある、ラコリーナへ移動しました。ラコリーナは、たねやが展開するお菓子のテーマパークです。広大な敷地に広がっている異次元のような空間です。自然をうまく取り入れた、人と自然が協和する空間です。山並みを眺め、田園もあり今は稲穂が見事です。建物の屋根には芝があります。






雨水を利用して、芝には常に水がまかれ、ポタポタと滴り落ちています。夏休みということで、子供連れ家族や若いカップル、シニアの方まで、本当にたくさんの人が集まってきています。






お菓子やデザートなどいろんなメニューがあります。食べたり飲んだり歩いたり、お土産物ショップをのぞいたりして、あっという間に数時間が過ぎてしまいました。ラコリーナはこれからまだまだ大きく展開するそうで、今はまだその途中だとのことです。楽しいひと時を過ごすことができました。






 帰りは湖岸道路を走り、2時間ほどで自宅に到着しました。隣の滋賀県には琵琶湖だけではなくたくさんの歴史、名所旧跡があり、美しい田園が広がっています。これからも訪れたいと思っています。

2018年8月13日月曜日

酷暑の中のプチトリップ(3)

  先日京都から三重へ移動する時に、琵琶湖周りをしたのですが、寄りたかった所へ時間切れで行けなかったので再度挑戦しました。今度は三重から京都への移動です。目指すのは近江八幡市です。前回も近江八幡市を通ったのですが、寄りたいと思っていた所へは行けませんでした。日牟禮八幡宮の前にあるたねやというお店です。ここで念願叶い昼食を食べることができました。老舗の和菓子のお店として有名です。1872年(明治5年)設立の老舗です。1階が茶店、2階は和室で食事処となっています。







豊臣秀吉の甥で養子となった豊臣秀次が築城した、八幡山城がある八幡山のふもとにあります。ロープウェーで八幡山城跡へ行けますが、酷暑ということでパスしました。食事のあとは、古い町並みを散策しました。近江商人の町並みです。豊臣秀次が商業都市としての礎を築きました。

日牟禮神社、後ろは八幡山

白雲館(明治10年にできた学校でした)

新町通りの街並み

八幡堀には、きれいな水が流れ屋形船が通ります。お城の堀と商売の舟運を兼ねて作られたようです。古い町並みは、時代劇の映画やドラマに最適の撮影地となっています。ゆっくり時間をかけて散策したい落ち着いた町ですが、酷暑なのでざっと回りました。





 そのあとそこから車で5分ぐらいのところにある、ラコリーナへ移動しました。ラコリーナは、たねやが展開するお菓子のテーマパークです。明日報告します。

2018年8月8日水曜日

子守歌


 子供を寝かしつける時に歌う歌が子守歌ですが、私は自分を寝かせつける時にも歌います。そのジャンルは広く、童謡、唱歌、フォークソング、歌謡曲など、何でも歌います。歌を歌うのが得意でもなく、上手でもありません。誰にも披露することはありません。そのことを知っているのは家族だけです。いつからか始まった習慣ですが、それは老化と関係があるように思います。視力も低下し、聴力も低下し、自然と行動にセーブがかかります。それまでは本を読んだり、音楽を聴いたり、ラジオ深夜便を聞いたりしていましたが、視力・聴力を駆使することに疲れを感じるようになりました。そこで思いついたのが自分のために歌う子守歌です。その効果は大きく、2曲あるいは5曲ぐらい歌うと眠ってしまっています。
目を閉じて歌うには、歌詞を覚えていなければなりません。歌詞をすべて完全に覚えている曲は数曲です。あとはすべてうろ覚えです。職業柄楽譜はたくさん持っています。その中でも一番のお気に入りは、日本叙情歌全集です。分厚い本が三冊で、合計600近い曲が載っています。欄外には曲の説明が載っています。その曲の時代背景も知ることができます。目を閉じて歌える曲の数を増やそうと、歌詞ノートを作りました。歌詞を書きながら、少しずつ覚えています。これらは脳活になります。そしてうろ覚えだった歌詞を読むと、詩として素晴らしいと感動します。一つ一つの言葉を選んで作詞したたくさんの作詞家に出会います。今はその作業が楽しみになっています。自分のために歌う子守歌は、眠れぬ夜にお薦めです。

2018年8月7日火曜日

酷暑の中のプチトリップ(2)


 気温39℃を超える酷暑の中を、京都から鯖街道を走り琵琶湖北部の奥琵琶湖湖岸道路へと出ました。この辺りでは、カヤックする人、モーターボートに乗る人、泳ぐ人、水遊びする子供たちなど、たくさんの人が琵琶湖で夏本番を楽しんでいます。しばらく湖岸道路を走り、長浜市へと入りました。



「三姉妹の郷・道の駅」があったので寄りました。三姉妹とは、織田信長の妹、お市の方の娘三人のことです。NHK大河ドラマ「江-姫たちの戦国」を熱心に観ていた私は、三姉妹に親近感を持っています。お市の方と三人の娘たちの銅像があったので、記念に写真を撮りました。国道8号線を走っていると、浅井長政の居城、小谷城の案内があります。三姉妹の父です。家族五人で幸せな時を暮らした、小谷城です。賤ヶ岳古戦場、姉川古戦場の案内もありました。関ヶ原もすぐ東側に当たります。




東に伊吹山が見えています。美しい山並みと、田園が広がっています。広大な稲作地帯です。代々この土地に暮らし、米作りに勤しんできた人達の努力が表れています。広大な田園は、日本の原点です。人間が食べて生きていく源です。素晴らしい田園風景は、豊かさを感じさせてくれました。
 次の目的地は、中仙道の醒井(さめがい)の宿です。米原市にあります。最近NHKの「小さな旅」で放送され、ぜひ行ってみたいと思っていた醒井です。厳しい暑さにも関わらず、たくさんの人で賑わっています。日本書紀、古事記にも名が残り、江戸時代には中仙道の宿場町として栄えた醒井宿です。伊吹山などの山系から湧き出た清水が、宿場町の中を流れています。手を浸してみました。とても冷たくて、酷暑の影響はありません。14℃らしいです。






 この川には関西ではめづらしい梅花藻があり丁度花が咲いています。流れの中でいかにも涼しげです。ピンクの花は岸辺のサルスベリが散ったもののようです。

 

 清流に棲むというハリヨも保護されているようです。


 
テレビに登場した老舗の醤油屋のお店に寄って、記念の品を買いました。冷たく甘い甘酒が人気を呼んで、たくさんの人が飲んで休んでおられました。茶屋では湧水で作ったというコーヒーも人気を呼んで、たくさんの人が集まっていました。



  本陣あとは日本料理店になっています。当主もテレビに出ておられましたが、醒ヶ井養鱒場も近くにあって鱒料理が有名だそうです。この日は予約でいっぱいとの断りの張り紙が出ていました。



湧水が出ている地蔵堂の裏手のすぐ上には名神高速道路が走っています。走る車の音も聞こえています。中仙道、今、昔、というタイトルで、写真を撮ってもらいました。面白い構図でした。



 このあと近江八幡市を通って、国道8号線から1号線に出て、途中で食事をして、三重へと向かいました。三重へは9時に到着しました。走行距離270キロ、所要時間9時間でした。ポアロ一人の運転で、酷暑の中のプチトリップは無事終わりました。知るを楽しむいい思い出ができました。