2020年10月30日金曜日

テレビの力

  今シニアの私たちにとって毎日の暮らしの中でテレビは欠かせない存在です。朝起きてから寝るまで、テレビから得る情報は大きなものです。見たい番組は、録画していつでも都合の良い時に見られるようにします。二つの局の番組を同時に録画することもできるようになりました。科学技術の進歩のおかげです。多大な恩恵にあずかっています。

昨夜は十三夜でした。十五夜に出る中秋の名月と並ぶ名月とされています。煌々と輝く十三夜の月にしばしの間見とれてしまいました。ウェザーニュースで知った情報です。

テレビを見ていて、恩師や知人に出会うこともあります。ずいぶん御無沙汰してしまっている方たちのお元気な姿に嬉しくなります。そういうことも何度かありました。

ニュースはよく見ています。地元のニュース、地域のニュース、日本全国のニュース、そして海外のニュースなど、目が離せません。娘が遠いフランスに住んでいるので、ヨーロッパ、フランスのことがいろいろと心配です。最近ではテロも起きています。残酷な酷い殺害をするなど、テロ集団は危険な存在です。コロナの感染拡大が大きくなり、再び非常事態宣言が出されました。今日から一ケ月ほど外出禁止となりました。国の努力が国民に届かないのでしょうか、国民性でしょうか、感染拡大を封じ込めるのは難しいようです。

聴力が落ちている私は、画面に字幕を出しています。その字幕でいろいろ勉強もできます。漢字の難しさ、読めても書けない漢字、今となってはあやふやになっている漢字、字幕を見ながら再確認です。特に同音異義語はためになります。テレビの力を味方にして日々過ごしています。

2020年10月28日水曜日

私の好きな言葉

  私の好きな言葉はたくさんありますが、そのどれもが生きる姿勢につながっています。今までいくつかはブログに書いてきました。座右の銘は一つではありません。

「立つ鳥跡を濁さず」もその一つです。結婚してふるさとを離れ実家へ帰った時は、自分たちの使ったもの、シーツや枕カバーなども洗濯して元通りにしてから出ました。我ながら健気だったということを思い出します。今は旅立つ時のことを考えます。長い人生を歩いてきて背負う荷物は増え続けました。「立つ鳥跡を濁さず」を心がけてきたというのに、それが実行できるか不安を感じています。人が旅立った後、誰が跡をきれいにしてくれるのでしょう。一番身近な人、家族しかいません。一大事業です。母が旅立った時は、父が奮闘しました。父が旅立った時は、兄が頑張りました。人それぞれですが、ほとんどの人は子どもにしてもらうしかありません。長生きすればするほど、頼りにするのは子どもです。私の場合は、頼りにする娘から強い言葉が出ています。「自分のことは全部自分でやっていってね」倒れてはおれません。頑張らねば頑張らねば、と思う気持ちはやまやまなれど、どこまで実行できるか、実行するのみです。

2020年10月27日火曜日

 久しぶりの姿

 

 先日久しぶりにアマガエルが登場しました。気温も下がり朝晩の冷え込みもきつくなり、アマガエルたちは退却したものと思っていました。気持ちよい秋晴れとなったこの日は、太陽の下ではとても暖かくなりました。お昼前のことです。ポアロが庭に出ると、足元にアマガエルです。アマガエルが姿をみせました。人間を見ると逃げると思っていたアマガエルが、ポアロの姿を見て寄ってきたのです。まるで「お父さん久しぶり」と言っているかのようです。私たち家族のことを理解しているようです。この家の住人と、この家の住人になったアマガエルです。絆が生まれているのです。今年は長期にわたり、カエル合唱団の歌を楽しませてもらいました。写真も何枚も撮ることができました。私たちが話しかけると、じっと聞いています。小さなかわいい目で、すべてを見ているのです。この日アマガエルは、長い間日向ぼっこをしていました。良い場所を見つけて、とても気持ちよさそうに日向ぼっこです。暗くなるまで同じ場所から動きません。

 

風を除け陽の当たるところでうっとり!夏に比べて大きくなりました。

気温は下がり暗くなり、どうするのかと見守りました。少しだけ場所を移動し、リビングの大きな窓の際から、私たちを見ているようです。その場を離れて台所で調理を始めた私は、しばらくしてからアマガエルの様子を見に行くと、もう姿はありませんでした。

 翌日も日向ぼっこするために姿を見せました。次の日もアマガエルに会えることを期待して、何度も庭へ見に行きましたが姿はありませんでした。そろそろ冬眠に入る頃かもしれません。「しばらく会えないからね」と、私たちに伝えにきたのではと思っています。

2020年10月26日月曜日

チャリダークラブ

  先日秋晴れの素晴らしいお天気に誘われてチャリダークラブに出かけました。久しぶりのチャリダークラブです。歳とともに遠出は危険と思うようになり控えています。

三重の家の前を流れる二級河川に沿って少し上流へ上ります。そして右折してふるさとの山並みに向かって走ります。農村部が広がります。稲刈りが終わった田んぼが続いています。今の時期は、大豆畑がたくさんあります。広い大豆畑には、よく育った大豆がいっぱいです。収穫は間近のようです。

集落の中を通ります。一頭のポニーとヤギが広い原っぱにいます。突然の光景で驚きました。牧場の存在は知りませんでした。 



  少し離れたところに、牛舎のような建物がありました。また少し走ると、今度はヤギが二頭います。カップルのようです。ヤギたちの行動範囲が最大にとれるような仕組みで、ワイヤーを使って考えられています。ヤギを飼う目的は、ヤギの乳を飲むためと、草を食べてもらい草刈りの手間を省くためかと思います。



幼い頃、実家にはヤギがいました。滋養の高いヤギの乳を飲み、子どもたちが丈夫に育つようにとの親心です。実家ではそのあと乳牛も飼いましたが、ヤギの乳とホルスタインの乳の違いは記憶に残っていません。ホルスタインの乳はなじみある乳牛の乳として、記憶の中に残っています。農村部を走りながら、遠く過ぎ去った思い出がよみがえりました。

一時間ほどの短いチャリダークラブでしたが、ふるさとの山を眺めて走る気分は爽快でした。いつまでも自転車に乗れることを願いながら帰途につきました。

2020年10月23日金曜日

刈り入れ

  我が家の野良部部長(娘)が育てた稲の刈り入れが行われました。お天気やスケジュールの都合で、ずいぶん遅れた稲刈りとなりました。バケツ田んぼというかわいい田んぼです。五つのバケツ田んぼで、稲はすくすく育ちかわいい稲穂が実りました。稲を刈り、きれいに束にして、洗濯ロープに掛けてしばらく天日干しをしました。


  この後の工程はどうなるのかと気をもんでいるのですが、白米になるのはもう少し先のようです。どれほどの収穫になるのか楽しみです。

2020年10月22日木曜日

季節は移り

  春から夏へ、夏から秋へと季節は移り、秋本番となっています。賑やかだった我が家の小さな庭も、表情を変えています。コロナ禍で巣籠り状態が続く暮らしの中で、私たちを癒やしてくれた花たちは、姿を消しました。庭一面に咲くタンポポ、春爛漫だった花たち、初夏から咲き出したたくさんのアサガオ、秋を迎える象徴の萩、すべての花が消えました。今あるのは、いつも元気なベゴニア、名前もゆかしいホトトギス、そしてがらんとなった小さな庭です。淋しい限りです。



 我が家の庭師ポアロは、せっせと花たちの後片付けに精を出しました。アサガオのつるも片付けました。大きく育った萩も枝をはらいました。植木鉢も整理しました。何年か前に九州で買ってきたガジュマルを、一鉢から六鉢に増やしました。今ガジュマルが整列しています。そして一年中元気な雑草は、いつも変らぬ姿で元気もりもりです。淋しくなった庭を眺め、少しセンチメンタルな私です。

2020年10月21日水曜日

いずこも同じ

 

 先日スーパーへ食料の買い出しに行った時のことです。お昼前の時間でした。駐車場にはたくさんの車です。いつもならスーパーの二か所の入り口にいくつものカートがあるのに、一台もありません。買い物をすませて出てくるお客さんから、直接カートをもらわないといけません。そういう人がたくさんいて、カートを手にするまで結構時間がかかりました。

コロナ禍で巣籠りをするようになってからは、極力買い物に行くのを減らしています。一週間分ほどの食料の買い出しです。このスーパーでは十日に一度くらいの割で、5パーセントオフの売り出しをしています。私たちは、出来る限りその日に合わせて買い物に出かけます。二台のカートを使い、二人が手分けして店内を回ります。買い物の所要時間を短くするためです。買うものは前もってメモに書き、買い忘れのないように注意します。いつもとは違い、先日はすごい混みようでした。以前の年末とかお盆のような、お客の入りです。いくつものレジを使っていますが、それぞれに十人ほどの行列ができています。皆さんのカートには、たくさんの商品が山積みです。私たちも、二台のカートにいっぱい乗せています。店内はシニアの人たちであふれています。私たち同様、夫婦そろっての買い出しの方もたくさんおられます。皆が年金受給者です。涙ぐましい庶民の努力です。年金だけでの生活は、厳しいものです。そんな中、5パーセントオフの日を利用するのは、当然です。一万円分買って、500円の節約です。

年金受給者になるまでわからなかったことが、当事者になっていろいろと身に迫っています。病院通いも増えます。シニアのほとんどの人が、いくつもの病院へ行き、いろんな薬を飲んでいることと思います。人生百年時代に突入しましたが、人生の最終ステージがパラダイスになるのは夢の話です。みんながため息をついて暮らしているようです。「ハアー、ハアー」が聞こえてくるようです。

2020年10月20日火曜日

 懐かしい歌たち

  先日作曲家の筒美京平氏が亡くなられました。私の青春時代のヒットメーカーでした。たくさんの歌が思い出とともによみがえってきます。

 ブルー・ライト・ヨコハマ(1968)

 また逢う日まで(1971)

 ロマンス(1975)

 木綿のハンカチーフ(1975)

 魅せられて(1979)

これらは私がよく口ずさんだ歌です。

長年にわたり愛唱歌となっている「サザエさん」が、筒美京平氏の作曲だとは知りませんでした。驚きです。

「サザエさん」

     お魚くわえたドラ猫 追っかけて

     素足でかけてく 陽気なサザエさん

     みんなが笑ってる お日さまも笑ってる

     ルルルルルル 今日もいい天気

 

     買い物しようと街まで 出かけたが

     財布を忘れて 愉快なサザエさん

     みんなが笑ってる 小犬も笑てる

     ルルルルルル 今日もいい天気

 

私の好きな一番と三番が愛唱歌となっています。昭和44年からアニメ「サザエさん」がテレビでスタートしました。子どもたちは「サザエさん」を見ながら育ちました。それとともに家族全員の愛唱歌となっていきました。今でもたくさんの子どもたちが「サザエさん」を見ているそうです。家族の思い出の中に、そして家族の歴史とともに「サザエさん」があります。

2020年10月19日月曜日

  コロナ禍の中、GO TO トラベルで旅する人が増えています。私たちも旅は大好きですが、今はまだ巣籠り状態です。

 先日からポアロがフェイスブックにフランスへの旅を連載しています。三年前のフランス一周2700kmの旅です。フランス在住の娘の運転での車の旅です。私も日本に帰ってからブログに連載しました。娘がフランス人と結婚することになり、式やパーティーに出席するために渡仏したのでした。思いもかけず、娘の発案、案内で、フランス一周の旅を満喫しました。今ポアロのフェイスブックを見ると、感激感動とともに、旅の思い出がよみがえります。 

ラベンダー満開のセナンクの修道院

ゴルド 丘の上の村

 
アルビ:レンガの街、ロートレック美術館

カオール:巡礼の道 ヴァラントレ橋

川をまたいだ美しい城:シュノンソー城

ジベルニー:モネの庭

遠い国フランスで、車に乗って自由旅を楽しめたなんて、本当に信じられないほどのことでした。フェイスブックに載せられた写真を改めて見ると、よく行けたものだと驚くほどです。日本でもよく知られている観光地はたくさんありますが、小さな街や村を訪れる感激感動は表現が難しいほどです。立派な教会は、各街各村にあります。大聖堂の建築には、日本の寺院と違った感動があります。

ルーアン大聖堂

ジャンヌ・ダルク蜂起の街オルレアン サント・クロア大聖堂


シャルトル大聖堂で結婚式に遭遇

各街各村の表情にも感激します。日本とは違う景色です。街や村が一つのかたまりとなって存在しているのです。農業国フランスの景色にも感動します。その中を車で通り抜けることができたのは、素晴らしい体験でした。 

フランス中央部は大規模な農業地

たくさんの写真の中から抜粋してコメントとともに公開しているポアロのフェイスブックは、コンパクトです。美しい街や村、山や川、数々の教会、おいしかった食べ物、知らなかった歴史、今再び旅の喜びに浸っています。

素敵なシャンブル・ドット(民泊)


ブルターニュ地方はガレットの本場

フランス北部は魚介類の宝庫





2020年10月16日金曜日

懐古

  BSプレミアムで放送される映画を観るのが大好きで、今の私の趣味の一つになっています。先日観た映画はとても古いものでした。

 1965年イギリス制作の「バニー・レークは行方不明」です。ベテラン刑事として登場したのは、ローレンス・オリヴィエ(1907~1989)でした。名前を聞いただけで記憶がよみがえります。高校生の時に観た映画「嵐が丘」です。イギリスの作家エミリー・ブロンテ(1818~1848)の不朽の名作と言われています。ローレンス・オリヴィエのアメリカ映画第一作として有名で、1939年のアメリカ映画です。1940年のアメリカ映画「レベッカ」も観ました。監督はアルフレッド・ヒッチコックです。ローレンス・オリヴィエが出ています。

 1967年のアメリカ映画「刑事マディガン」には、ヘンリー・フォンダ(1905~1982)が出ていました。1981年の「黄昏」は、人生の黄昏を描いています。ヘンリー・フォンダの晩年の映画です。老夫婦の日常と娘との交流、観ていてジンとくるものがありました。

 1962年のアメリカ映画「史上最大の作戦」は、第二次世界大戦の連合国軍のノルマンディー上陸作戦を描いています。三年前に訪れたノルマンディーが懐かしく思い出されます。出演は豪華キャストです。当時大活躍していた俳優たちの顔がずらりと並びます。ちょうど親世代の人たちです。ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートン、ショーン・コネリー、ポール・アンカ、ロバート・ライアン、ジョン・ウエインです。ジョン・ウエイン(1907~1979)の映画はたくさんあってよく観ています。大きな体(193㎝)で存在感の強い俳優です。

 親世代の俳優たちに重ねて親を思い出します。時代と時代背景を観るのも面白いものです。昔の映画に描かれる街の風景、街の雰囲気、その時代に生きる人々の姿、生きざまなど、興味関心好奇心がわき起こります。

2020年10月15日木曜日

 時代

  歳を重ねるとつくづく時代は移り行くことを感じます。科学技術の進歩発展についていくことが難しくなってきます。パソコンについても、ワードで文章を打つとかネット検索するとかぐらいしかできません。どこでもいつでも携帯電話を自分のそばに置いて愛用していますが、いろんな操作はできません。たくさんの人が普通に使っているLINEもできません。友人の中にはLINEを楽しむ人もいて、つくづく時代遅れを感じます。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)という言葉にも、なかなか馴染めません。インターネット上の交流の場ということですが、ややこしい操作は億劫になります。略してスマホと呼ばれる携帯電話スマートフォンをシニアたちも持ち始めましたが、いろんな機能を熟知し操作できる人は少ないと思います。知人の中には、「スマホを買ったけど、携帯電話にしか使っていない」という人がたくさんいます。河島英五のヒット曲「時代おくれ」が、頭に浮かびます。時代の変化に抗わず、すべてを受け入れる柔軟な心と思考力を持って過ごしたいと思います。

2020年10月14日水曜日

とんだ迷惑

  最近ではネコの人気があがり、ブームを呼んでいるようです。テレビでのCMでもネコがたくさん出演するようになりました。ネコ写真家が世界中のネコを紹介しています。NHKでは番組も制作しています。犬大好きな私はネコは苦手です。

 我が家の小さな庭にいろんな生き物が訪問してくれるのを、嬉しく思いブログに書いてきましたが、先日からネコの糞害に閉口しています。毎日ということはありませんが、堂々と悠々と庭に置き物をされるのは困ります。ネコは犬のようにはできません。いつも自由に散歩に出かけます。そして気に入った場所に置き物を置いていきます。どんな理由で我が家の小さな庭を気にいってくれたのかはわかりませんが、散歩コースになっているようです。まだ遭遇はしていませんが、困ったネコです。近くといっても結構離れている所に魚屋さんがあります。魚屋さんの周辺では、いつも何匹もの野良ネコがたむろしています。魚屋さんは、野良ネコたちに大好物の魚を与えています。ますます野良ネコが集まってきます。ネコ対策として、ペットボトルを並べている家がありますが、景観はよくありません。何らかの対策を取らねばなりません。

2020年10月12日月曜日

 「時間」

 

時間はあるのかないのか

一日は24時間

皆に平等にある時間

 

時間は長いのか短いのか

ある時 時間は短い

ある時 時間は長い

時間は七変化

 

時間は面白い

伸びたり縮んだり

自由自在に七変化

 

楽しい時

時間は短い

嬉しい時

時間は短い

幸せな時

時間は短い

 

苦しい時

時間は長い

つらい時

時間は長い

悲しい時

時間は長い

 

モモは天才少女

時間どろぼうに立ち向かう

 

大切な時間が

もしも盗まれたら

 

時間貯蓄銀行に

せっせと節約して貯めた

時間はどこへ行く

 

時間どろぼうに

用心 用心 ご用心

 

ミヒャエル・エンデの世界に

モモに

教えてもらおう

 

時間の大切さ

時間の行方を

 

2020年10月9日金曜日

 ところ変われば

  日本に住んでいる日本人でさえも、ところ変われば品変わるを痛感しています。土地土地で風俗や習慣が違うということ、同じ物でも土地が変わると名前や用途も変わります。その土地の文化は、時代とともに変わりながらもその地で育まれてきたと思います。方言もその一つです。日本の東と西では、いろんな面で違いがあります。東西対決は、昔からその定番です。身近な人との間にも、けんかを引き起こすことになるかもしれません。

 先日ポアロが珍しい野草を見つけました。我が家の小さな庭に咲く野草については、知りつくしていると思っていたので意外でした。コンクリート塀のすぐ外に咲いていました。ツル草で薄紫の小さな花を咲かせています。初めて見る花で可憐です。きれいなのでガラス瓶にさしました。くるくるとしたツルと四角っぽい葉がかわいい感じです。 



ポアロは早速ネット検索して調べました。花が藤に似ているので「フジマメ」というらしいです。その実は豆となり食べられるそうです。植物でも所変われば名前が違います。伊勢地方では千石マメと呼ばれているそうです。豆の形が千石船に似ているそうです。石川県金沢市では「ダラマメ」と呼ばれているそうです。その説明文に面白いことが書かれていました。「だら」というのは「あほう」のことだそうです。誰でも簡単に作れるからだそうです。私は小さい時から「だら焼き」が大好きでした。小麦粉を水と混ぜて焼きます。焼けたら黒砂糖を上におきます。熱で黒砂糖がじわーっと溶けていきます。甘党の私が誕生した原点かもしれません。最近になって私は「だら焼き」を復活させました。ホットケーキの粉を牛乳で混ぜて焼き、はちみつをかけて食べます。子どもの頃に食べた「だら焼き」が進化した、私だけの「だら焼き」のバリエーションです。名前の由来は、フライパンにだらーと置いて焼くからだと思っていました。結婚以来長年食べ続けてきた朝食は食パンでした。それまではごはんとみそ汁、つけもの、たまご焼き、丸干し、ちょっとしたおかず、といった典型的な和食でした。農家に生まれ育った私は、結婚して初めて洋風の朝食を食べました。朝の食パンがモダンでハイカラで、時代をリードしているかのような錯覚を起こしました。しかし長年食べ続けてきた食パンに飽きてきたようです。ポアロは食パン、私は「だら焼き」というメニューになってしまいました。ポアロは早速仕入れた情報を連発します。「だら焼き」は「あほう焼き」だったのだー、と。私は笑いころげます。「だら」が「あほう」だったとは、しらなかったと。ところ変われば品変わるでした。

2020年10月8日木曜日

興味あること(無意識)

  無意識とは潜在意識。無意識とは意識では自覚されない意識のこと。心理学ではよく取り上げられる無意識です。無意識は生まれてから今までに経験した体験によって作られているそうです。無意識は海に深く沈む氷山です。氷山の一角が意識として顔を出しています。割合はほとんどが無意識で、意識はほんの少しです。

 いつもと言っていいほど歌を口ずさんでいる私は、無意識で歌っています。あの曲を歌おう、この曲を歌おうとかまったく考えていません。意識さえありません。無意識で次から次へといろんな歌がわき出てくるのです。家族に「何の歌?」と聞かれても、すぐに答えられません。一瞬考えます。はてな、何の歌だったかな。考えて歌のタイトルを引き出します。何十年もの間に積み重ねられたあらゆる歌が、記憶のメモリーにあるのです。わらべ歌、童謡、唱歌、コマーシャルソング、歌謡曲、民謡、軍歌、合唱曲など、広い範囲にわたります。場面ごとに出てくる歌は変わります。これは無意識の中で、脳が曲を選択しているのだと思います。朝日を見る時、夕陽を見る時、その場面にぴったりの歌が出てきます。特別私が歌大好き人間なのかどうか、他の人のことはわかりません。家族はほとんど歌を口ずさみません。私は一人で歌い続けます。歌は太陽、歌は喜び、歌詞にあります。無意識の中に組み込まれた私の歌たちです。人生が歌とともにあります。歌は最高!歌万歳!です。

2020年10月7日水曜日

リモート

  コロナ禍の社会になって少しずつ変化が起きています。リモート○○が大流行となっています。コロナ感染拡大を防止するために、外出自粛となり人との密を避けるようになりました。一堂に会することもなく目的が達成できるようになったのです。リモートワーク、リモート学習、リモート診療、リモート会議、リモート飲み会、リモート食事会などたくさんのことがリモートでできるようになっています。コロナ禍になって今まで思っていなかったことが、どんどんできるようになったのです。そしてそれが発端となり、地方への移住も増えているそうです。どこにいても仕事ができるのなら、大都市にしがみついての人生も必要ありません。大都市を離れれば、経済的にもいろんなことが軽減されます。今まで考えられなかったことが、目の前に広がります。ニュースで知ったのですが、大手の企業が地方への本社移転を発表しました。東京一極集中だった日本が、少しずつ変化していくという時代に入ったようです。

 ポアロはリモート勉強会を始めました。ずいぶん前から、勉強会と称して大学時代の仲間の集まりを続けてきました。コロナ禍となり、リモート勉強会となりました。一回目はリモート勉強会の立ち上げということで、リモート飲み会でした。六人の仲間が、それぞれ目の前に飲み物を置いてのリモート飲み会です。二回目は、勉強会にふさわしくテーマが出され、皆の意見、考え、思いを述べます。六人という数は少ないように思えますが、一人ずつしゃべれば時間があっという間に過ぎてしまいます。先日は、二時間もリモート勉強会が続きました。それぞれ住んでいる所は、遠く離れています。大阪府内、四国、三重、京都を結ぶリモート勉強会です。ネット社会となり、テレビ電話のようなことができるようになりました。どこにいても、お互いに顔を見ることができるのです。リモート○○は、これからどんどん普及していくと思います。

2020年10月6日火曜日

 大豆の収穫

  我が家の野良部部長(娘)が育てた大豆が収穫の時を迎えました。まるでジャックと豆の木のようにどんどん大きくなり、どうなるのかと心配しましたが実もつけ育ち食べごろになりました。真夏の水やり、害虫駆除(マルカメムシ)はポアロが協力しました。





 大き目のプランターに植えた大豆ですが、収穫するとボールいっぱいになりました。一度には食べきれない量です。三回に分けて食べることにしました。たっぷりの塩を入れて茹でます。いい香りが漂います。美しい緑色の枝豆となりました。採れたての美味なる旬のものです。      


 この日はちょうど中秋の名月でした。幼い頃ススキと団子、そして茹でた枝豆を母がお供えしました。家族みんなでお月見です。美しい満月です。懐かしい気持ちが胸いっぱいに広がります。眩いばかりの月光です。隣地には自然に育ったススキがたくさんあります。今年はコロナ禍で大変な年となっていますが、たくさんの人が素晴らしい中秋の名月を見ていることを願いました。

2020年10月5日月曜日

 「年輪を刻む」

 

 歳を重ねることは

年輪を刻むこと

一年また一年

年輪は増える

 

喜びだけの

年輪は無い

悲しみだけの

年輪は無い

 

喜びも

悲しみも

すべてが

年輪となる

美しい年輪となる

 

母との別れ

父との別れ

姉との別れ

兄との別れ

友との別れ

 

愛しい者たち

遠くへ旅立った

愛しい人たち

 

その悲しみ

一つ一つが

年輪となる

美しい年輪となる

 

終わりの無い人生は無い

すべての人に

終わりがある

 

戦争があっても

戦争が無くても

終わりはある

 

短い人生

あっという間に過ぎる人生

長いようで

決して長くない人生

 

人として生まれ

女性として生まれ

母となった

 

大切な宝物

それは子どもたち

 

いつの世も

変わらない宝物

それは子どもたち

 

子どもたちのために

美しい年輪を刻む

刻まねばならない

 

2020年10月2日金曜日

小さな庭の来訪者

  今我が家の小さな庭に来訪者があります。地面のすぐ下を、所狭しと走り回っています。モグラです。庭の周囲がまるで耕したかのように土が盛り上がっています。石やレンガを持ち上げての活躍です。小さな体のモグラですが、力は巨大です。

 

  ところどころに穴があります。忙しく走り回るモグラが、仕事の途中で時々顔を出しているように思えます。クリクリの小さな目で穴から顔を出し、地上の様子を窺っているかと思うと面白い光景です。



  一匹のモグラなのか、家族なのかはわかりませんが、モグラの来訪はもう少し続きそうです。数年前にも来ているので、二度目の来訪です。

2020年10月1日木曜日

感動の自然現象

  朝早く起きる私は、一人静かに朝のコーヒータイムとなります。ブログをパソコン入力しながら日の出を楽しみます。駐車場に停めてある車に朝日が当たります。朝焼けです。ほんの少しの時間のことです。夕焼けと同じように朝焼けにもパワーがあり、元気をもらいます。朝日も夕陽もあこがれの存在です。朝日百選、夕陽百選を見る旅にいつもあこがれていますが、実現は難しいと思います。見るポイントは一か所ではありません。季節により、お天気により、時間により、見れるポイントは変わります。朝日を見れば「新しい朝が来た、希望の朝だ」を口ずさみます。ラジオ体操の歌です。夕陽が沈む時は、「グッドバイグッドバイグッドバイバイ」と、くちずさみます。明日が来ると思い込んでいるからです。朝日にも夕陽にも、いつも感動しています。過ぎ去った思い出と重なる朝日と夕陽です。あの場所で、また違うあの場所で、いくつもの朝日や夕陽を見てきました。本当に素晴らしい光景でした。

 数日前のニュースで、京都の素晴らしい虹を知りました。雨が上がった時に、180度に広がる虹が二重に重なって出たそうです。はっきりくっきり見える虹だったそうです。そこへ夕焼けの美しさも加わり、短い時間の中で天体ショーのように見る人を魅了させました。写真が載っていました。  

京都新聞より

素晴らしい自然現象です。いつまでも続くコロナ禍の中で、小さな幸せをもらっているようです。