2018年2月28日水曜日

ふるさとのレトロな建物


 ふるさとを離れて早半世紀、今回まんたんの骨折でふるさとに長逗留しています。春の訪れを感じながらふるさとの町を歩いていると、懐かしいレトロな建物に出会います。毒舌のポアロは、「レトロなおばさん」と私を呼びますがそれはお互い様です。
結婚する前に少しの間ですが、洋裁を習った洋裁学校の建物が当時のままの姿で建っているのに驚きました。昭和三十年代頃と思いますが、日本では花嫁修業が盛んでした。女性のたしなみのように、茶道、華道、洋裁、編み物など花嫁修業に精を出す女性がたくさんいました。華道教授として頑張っていた母のもとへは、本当にたくさんの若い女性たちが習いに来ていました。古い時代から新しい時代へと移る、ちょうど過渡期のような私の青春時代です。花嫁修業という呪縛を引きずりながら、洋裁学校へ通い真似事のような習い事をしました。新郎新婦となる二人のパジャマを、おそろいの柄で色違いのものを作りました。新しく母となるまんたんの夏物ワンピースを何着も作りました。先生の指導のもと、手作りで服を仕上げる喜びを味わいました。その建物は木造二階建てで、教室がいくつもありました。全盛期には、多くの教師がいてたくさんの若い女性が習いに来ていたようです。

時代とともに花嫁修業という言葉が死語となり、女性も男性と同等に教育を受けて、同等に社会進出するようになりました。私が習いに行った頃には、先生は病気を理由に洋裁学校は閉じておられました。先生は母と同世代です。私は短い間ということで、個人指導で教えていただきました。御子息はふるさとを離れ、両親亡き後も戻って来られていません。立派な建物が風雪に耐え、何十年も建ち続けています。レトロなおばさんは、レトロな建物に惹かれています。



2018年2月27日火曜日

平昌冬季五輪


 世界中の人を感動の渦に巻き込んだ平昌冬季五輪が閉幕し、選手団が帰国しました。「選手の皆さん本当にお疲れ様でした。感動をありがとう!」偉業を成し遂げた選手の皆さんの爽やかな笑顔が印象的でした。主将の小平奈緒選手が語った「百花繚乱」が心に響きました。辞書には「もろもろの花が色とりどりに咲き乱れること。転じて、すぐれた人物や業績が同時期にぞくぞくと現れ、活況を呈するありさま」とあります。日本を代表する選手の皆さんが、自分の限界に挑戦し力を発揮された国際舞台です。ふさわしい言葉だと思いました。小平奈緒選手の言葉は続きます。「たくさんの競技できれいな花を咲かせてくれた。今度はその花、メダルをさらに輝かせることができるような競技生活を皆で送っていければ」と語りました。エールを送り続けたいと思います。
カーリングで日本初となる銅メダルを獲得したチームには、素晴らしい言葉をもらいました。「そだねー」です。受容と共感が感じられます。子育ての場面や教育指導の場面でも、大切な言葉だと思いました。頭ごなしに叱ったり、否定したり、拒否するなどの場面は幾度もあったと反省しますが、それとは正反対の言葉です。人間関係の上でも、潤滑油になりそうです。まずは家族内で実行しようと思っています。
フィギュアスケート男子で連覇を果たした羽生結弦選手は「自分の幸せがみなさんの幸せになれば」と語っています。ケガを乗り越え、さらなる自分への挑戦に挑んだ彼の不屈の精神を感じます。選手の皆さんは、若者です。しかし自分との戦いに挑み続けた、強靭な精神力の持ち主です。皆さんそれぞれの一筋の道に感動しました。四年後の北京冬季五輪が楽しみです。3月9日に開幕する平昌パラリンピックにも大きな声援を送りたいと思います。

2018年2月26日月曜日

郷土の偉人(松浦武四郎)


 ふるさとを離れて早くも半世紀が過ぎました。生まれ育ったふるさとについて、多くの知識が無かったことに今さらながら恥じ入っています。北海道の名付け親である松浦武四郎(1818~1888)の名を知ったのは、四半世紀前のことです。松浦武四郎記念館が竣工した時に、偶然そばを通り知りました。その二年後から毎年二月に「武四郎まつり」が開催されているそうです。まんたんの骨折、入院、手術という突然の出来事が起こり、私達は病院へ足を運ぶ日が続いていますが、その合い間をぬって「武四郎まつり」に出かけました。





 今年は松浦武四郎生誕二百年であり、北海道に改称されて百五十年の節目です。市を上げての「武四郎まつり」が催されました。




  記念館の他に、今年から誕生地(実家)の一般公開と、彼が幼少期に読み書きを学んだ実家の近くの寺が特別公開されています。十代の頃から全国各地を歩き、江戸時代末期、六度にわたり蝦夷地を探査し、自分の脚で距離を測り、内陸部などを含めて詳細な地図を遺した松浦武四郎です。アイヌ民族をはじめ異なる文化を学び、愛し、楽しみ、その魅力を人々に伝えようとした武四郎です。記念館には、彼の偉業の数々が展示されていました。アイヌ文化を紹介する絵本も作りました。蝦夷漫画です。当時のアイヌの装いや生活スタイルを、絵でわかりやすく伝えています。蝦夷地の様子を伝える、蝦夷土産道中双六も作っています。とても上手な絵なので、画家としての才も感じました。旅行家、探検家、地誌学者、アイヌ研究家、出版者、地図製作者、ルポルタージュ作家など、多才な彼には本当に驚きました。







2018年2月23日金曜日

梅便り(2)

 先日確定申告に京都中京税務署へ行きました。合同庁舎なので、隣に少し古びた京都地方気象台があります。用事を済ませて外に出ると、梅の花の良い香りが漂ってきます。その香りにひかれて進むと、紅梅の立派な大木があり、花がほぼ満開となっています。私達は嬉しくて、京都の梅の花見となりました。あちこちで梅が見頃となっているようです。





 

今年になって早々まんたんの骨折、入院、手術という突然の出来事が起こり、三重に長逗留の日が続いている私達は、京都にゆっくりしておれません。用事を済ませたらとんぼ帰りです。つかの間の京都で梅の花見ができました。京都地方気象台なので、庭には植物標本木という木の札がついたカキの木がありました。梅の他に、ソメイヨシノ、クスノキなどいくつもの種類があります。毎年桜の開花を気象台が発表しますが、あちこちに標本木があるのかもしれません。気象台の仕事の一つになっています。季節に敏感、温度、湿度、風の調査研究など、気象台の仕事も面白そうです。






2018年2月22日木曜日

現代入院事情(2)

 まんたんが大腿骨を骨折して緊急入院し、手術して三週間が過ぎました。術後しばらくは点滴があり、両手を拘束されてのつらい日でした。それが終わりやれやれと思っていたところ、また点滴が始まり両手にグローブのような手袋がはめられました。看護師さんに聞くと、「絶食になったので」とのことで詳しいことは言われません。この間もリハビリは続いています。リハビリの効果は出てくるものと思っていました。私達は見守るしかない日が続き、三週間が経ちました。骨折で入院し、手術を受け、そのあとはリハビリで少しでも元に近づけられると思っていた私達は、このままの状態は本人に良くないと思い、主治医に面談を申し込みました。
点滴されてグローブをはめられてでは、ベッドの上でも自由がききません。寝たきりになりそうです。主治医の説明では、胃腸炎がおこり内科医の指示で絶食、点滴となったそうです。「骨折は順調に快復しているので、あとは食事に関して体が受け入れられるようになれば退院も可能です。」とのことでした。退院は、あと一週間から十日ぐらい先になりそうです。整形外科の専門医なので高齢者の骨折を手術し、リハビリで少しでも快復させるという経験は豊富です。耳の遠い高齢者はたくさんいると思います。まんたんもそうです。しかしもう一つ認知症を抱えています。認知症は、理解ができません。指示動作(指示された通りに動くこと)ができません。人生経験の長い高齢者は、頑固さを持っています。一筋縄では簡単に動きません。理学療法士、作業療法士さんたちの苦労が目に見えるようです。
主治医の口ぶりから、まんたんは問題児だったようです。整形外科の専門医として、患者を早く元の生活に戻すのが最大の目的です。それに反して認知症の患者は、良心的な医師の思い通りになりません。医師にとっては、匙を投げたくなるような患者です。整形外科医としては、「骨折が治ったらどうぞ退院して下さい」なのかもしれません。まんたんは、退院したら元いたホームへ戻ります。電動ベッドと車イスを使い、介護スタッフの支援を受けての生活が始まります。他の病院や施設で、リハビリを受けるというのは難しいようです。本人の意欲、意思がないと、リハビリの効果は出ません。認知症を抱えた高齢者は、これからますます増えていくと思います。病気、事故など闘病せざるをえない場合には、さらにいろんな問題が起こってきます。整形外科の世界を、少しですがのぞいてショックを受けています。

2018年2月21日水曜日

梅便り

 十日ほど前、三重南伊勢町へドライブした時に、梅が咲いているのを見ました。三重県南部なので梅の開花も少し早いのだと思いました。昨日散歩に出た時に、家の近くで紅梅、白梅が咲いているのを見つけました。いい香りが漂っています。いよいよ春到来です。







京都では北野神社の梅林が有名です。毎年たくさんの観光客が訪れます。私達は今までにいくつかの梅林を訪れています。はっきり記憶しているのは、子供達が小さかった頃にお弁当を持ってピクニックに出かけた奈良県の月ヶ瀬の梅林です。梅の花の下で、お弁当を食べました。今はどうなっているのかわかりませんが、当時は梅林が公園になっていました。

熱海の梅林へは、高校生と大学生になった子供に愛犬二匹の世話と留守を任せて、夫婦二人で一泊二日のプチ旅に出かけました。車で海岸線を走り、熱海の梅林で梅の花を満喫しました。梅の花便りを聞くと、今までの思い出がよみがえります。

2018年2月20日火曜日

話題の変遷


 話題に上がるものは、時の話題、今なら平昌冬季オリンピック、時事問題、政治、などいろいろあります。性別、年齢によっても異なると思いますが、今振り返ってみると私の場合は年齢によって顕著です。私は女性、平均的な日本女性です。こんな言い方をすると、どういうのを平均的と言うのかと突っ込まれて怒られそうですが、これも時代です。十代の頃、友達と語り合ったのは、将来のこと、夢、恋、などバラ色の未来でした。二十代になると少し現実的になります。平均的な日本女性なので、結婚についての話題が多くなります。友人も一人二人と独身生活に別れをつげて、新しい人生に飛び込んでいきます。漠然と考えていた結婚というものが、現実味を帯びてきます。四人兄妹の末っ子で、いつまでも親の庇護を受けていた私は、結婚というものはとても難しい人生の選択だと思っていました。兄も、二人の姉も、お見合いで結婚しました。今では考えられないほど、お見合い結婚が主流の時代でした。いつも夢を見ている私には、信じられないお見合い結婚です。映画やドラマで見る、出会い、恋愛、その先に結婚があると思っていました。親にべったりの私を親から引き離し、新しい人生へと羽ばたく人との出会い、恋愛、そして結婚というストーリーです。
友人達も順番に親となりました。子育ての時代です。みんなが無我夢中で、家庭経営と子育てに必死でした。会うことも少なくなってしまいましたが、電話やたまに会った時の話題は、子供のこと家族のことでした。そろそろ子供が巣立って行く時期が来ました。そして子供達の結婚です。次は孫の登場です。スマートフォンにはかわいい孫達の写真です。みんなが「おばあちゃん」と呼ばれるようになりました。孫も成長していきます。この辺りから夫の定年に関する話題が多くなります。そして皆がシニアの仲間入りとなり、年金族になります。話題は子供のこと、孫のことから、老後の暮らし、健康問題へと変わっていきます。そして今は墓問題、終の棲家、です。親を見送り、次は自分達の番です。最期の迎え方に話題が集中します。
人の数だけの人生があり、最期の迎え方もいろいろです。人生いろいろです。今ブームとなっている終活も話題の一つです。今ポアロは中島義道著「明るく死ぬための哲学」の読書真っ最中です。読後感想を聞くのが楽しみです。

2018年2月19日月曜日

「春」


まだ二月というのに
春がそこまで来ているのを私は感じる
木々にも
土の中にも

まだ雪が降るというのに
春はすぐそこまで来ている

冬が去り春になる
世の中が明るくなる

コートを脱ぎ
身も心も軽やかになる

こわばっていた体が解き放される
心も浮き立つ

春の歌を歌いましょう
「雪が溶けて 川になって 流れてゆきます、、、」
「春よ来い 早く来い あるき始めた みいちゃんが、、、」
「春が来た 春が来た どこに来た、、、」
「春の小川は さらさら行くよ、、、」
「みどりのそよ風 いい日だね ちょうちょもひらひら、、、」
「ラララ紅い花束 車に積んで 春が来た来た 丘から町へ、、、」
「春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯、、、」
「春のうららの 隅田川、、、」

春は楽しい
春は出会い
大好きな花に囲まれる


2018年2月16日金曜日

現代入院事情


 まんたん(義母)が大腿骨を骨折して、緊急入院し手術してから二週間が過ぎました。私達は、久しぶりに入院病棟へ出入りしています。今の入院事情には驚いています。以前ならタオルからパジャマ、ティッシュペーパー、コップ、歯ブラシなどすべての物を持ち込みましたが、今は一日五百円ですべてが用意されます。家族がたくさんの洗濯物を持ち帰る必要はありません。本当に助かります。
この病院は父が十四年ほど前に八十八歳で他界する前、少しの間入院した公立総合病院です。入院病棟へ出入りするのは、少し緊張します。整形外科なので他の病棟とは違い、重苦しさは少ないと思いますが、それでも私は苦手な場所です。昔の病院とは違い、窓は大きくてとても明るい近代的な建物です。三十畳ほどの食堂兼ラウンジがあり、面会に来た家族とそこへ来れる患者さんは、ここで談笑できます。テレビも置かれています。まんたんはまだそこまで快復していないので、私達は病室へ入ります。
骨折で入院手術と聞くだけでは、わからない光景が広がっています。まんたんは九十三歳の超高齢者です。認知症もあります。若い人と比べれば、気力、体力が違います。若い人は、早く快復させ元の生活に戻りたいという思いが強いと思います。まんたんは、今自分が置かれている状況がわかりません。ずっと混乱状態です。リハビリをするにも痛いしんどいが先に立ち、意欲はありません。理学療法士、作業療法士さんの叱咤激励を受けて、何とかこなしている感じです。快復に向けての不安が頭をよぎります。高齢者のお手本のような立派な体だったまんたんは、骨折によりずいぶん変わってしまいました。骨折により自分の体を自由に動かすことはできません。排泄も看護師さんのお世話になっています。点滴をする場合は、両手を拘束されます。認知症があるので「さわらないで下さい」と言われてもいじってしまいます。認知症がなければ、超高齢者でも正しく理解することができるのでしょうか。疑問です。父は八十八歳で亡くなりましたが、その前に胃ろうとなっていたので、両手は拘束されていました。高齢者の気持ちは、邪魔なものは取り外したいというものだと思います。認知症でなくてもそれが自然の姿だと思います。スパゲッティー症候群(いろんな管に繋がれて最期のステージを過ごすこと)は、誰もが避けたいと思うことです。長寿を喜ぶというのは、単純なものではありません。長寿になればなるほど、できれば避けて通りたいと思うことに身をさらすことが起こります。まんたんが今の状況から早く脱却して、本来の自分を取り戻してくれることを願いながら病院へ通っています。

2018年2月15日木曜日

「地図のない人生」



人生に地図はありますか
地図を見ずに安全航海できますか

誰もが探す幸せの星
それはどこにありますか

あなたはどこを目指しますか
山ですか
海ですか
地平線ですか

ところどころに灯台があります
サーチライトが灯ります

灯台は誰ですか
難破せぬよう
賢者が灯しています

道を選ぶのはあなた
こつこつ石橋叩いて渡りますか
冒険が好きですか
チャレンジを続けますか

地図のない人生
それは無限大

しかし
ピリオドをうつ日が待っています
皆平等にその日が訪れます

地図のない人生
それでも人は歩み続けます
幸せ求めて歩みます

2018年2月14日水曜日

愛車最後のドライブ-2(三重紀伊長島へ)


 まんたん(義母)が骨折、入院、手術して二週間が過ぎました。快復は順調で、一日二回のリハビリを頑張っています。私達は、顔を見るだけの病院通いが続いており、三重に逗留というのに物足らず、再度愛車最後のドライブに出かけました。目指すは、紀伊長島です。国道42号線で、二時間半ほどで着きました。以前テレビで見たレク都市の複合施設(宿泊、ビーチ、プール、各種スポーツ)にあるレストランで昼食をと思っていたところ、三日前までの予約が必要だったため機会を逃してしまいました。残念でしたが道の駅マンボウで、海の幸を食べることにしました。海へ来たら海の幸です。お刺身がのった海鮮丼とカキフライを食べて、満足することができました。




国道42号線から紀伊長島へ向けては、峠を下ります。荷坂峠です。そこから美しい海を眺めることができます。太平洋です。熊野灘です。数年前に高速道路ができて時間は短縮されました。高い位置を走り山の間をトンネルが続いていますが、私は国道42線の荷坂峠から見る海が大好きです。この日はお天気も良く、海はキラキラ輝いていました。




紀伊長島で昼食をすませて、そこから海岸線を走ります。以前は無かった道が、国道として立派な道となっています。小さな漁港、小さな漁村が、入り江ごとにあります。私が半世紀近く前に音楽教室講師として通った漁港の名が出てきました。バス路線が通っていない場所なので、要所の港から巡航船に乗りました。漁業協同組合の二階が教室でした。海に育つ元気な子どもたちが思い出されます。もう少し走ると以前通った別の教室が、おぼろげですが記憶がよみがえってきました。ここは小学校の音楽教室を借りてのレッスンでした。今は廃校となっていますが、校舎は昔のままで建っていました。懐かしくて門の前で写真を撮りました。



この辺りのお寺へは、ピアノの個人レッスンで寄せてもらっていたのですが、それは見つけることができませんでした。この教室へは、伊勢からバスで通いました。自宅から片道二時間以上かかる教室へ毎週通い、三ヶ所の教室を担当した私は、遠隔地教室指導ということで表彰されました。電車、バス、船に乗って、海を見ながらの通勤は苦にならず、むしろ楽しい職場でした。その頃出会った子どもたちは、立派な大人になってお父さんお母さんになっていることと思います。ひょっとしたら孫がいる人もいるかもしれません。時の流れをしみじみと感じました。大好きな海、懐かしい場所へ時々来たいと思いました。

2018年2月13日火曜日

愛車最後のドライブ(三重大王崎灯台へ-3)

 大王崎灯台を見て公園を散策し、写真をたくさん撮り、素晴らしい眺めとこの地の空気を胸いっぱいに吸い込んで、灯台から緩やかな下り坂が続く道を歩きました。この地の名産特産を売る店が続きます。三重県伊勢志摩といえば真珠です。そして海の幸、いろんな魚です。真珠や干物・乾物を売る土産物店が続きます。日本中にはたくさん灯台、漁村がありますが、ここは現在観光客がたくさん押し寄せるような観光地ではありません。ひなびた雰囲気を感じました。漁港近くまで数軒の土産物店が続いています。出来立ての柔らかいカワハギの干物を買いました。そこの駐車場の前は海です。入り江の一番奥です。そこにたくさんのトンビが集まっている異様な光景が目に入りました。


 何十羽というトンビが、港に集結しています。そして私達の目の前へ飛び降りてきて、水際でキラリと光る小さなものをくわえて舞いあがります。たくさんのトンビが次から次へと降りてきては、つかみ飛び上がります。口にくわえるトンビ、足でつかむトンビですが、そのスピードは恐ろしいほどのものです。私は何が起こっているのか興味津々で水際へ近づきました。トンビは人間を怖がりもせずに、エサとりに夢中です。キラリと光る小さなものは、少し小さめのイワシでした。元気にはねているイワシを、トンビは素早くつかみます。






滅多に見ない光景にくぎ付けになっている私達の周りに、人が集まってきました。土産物店のおじさんおばさん、通りがかった人達、数少ない観光客です。漁村に生きる人達には珍しくもない光景かと思っていたところ、皆さん「こんなの初めて見るなあ」と言われます。一人のおじさんが、一匹を手でつかみおともをしてきた愛猫にやりました。猫は、生きているイワシ、飛び跳ねているイワシを怖がりなかなか口にくわえません。しばらく手でイワシをいじり遊んでいましたが、そのあと口にくわえてどこかへ行ってしまいました。土産物店のおばさんは、タモでイワシを採り始めました。みるみるうちにタモの半分ほどまで採れました。トンビ達は、満足したのかその場を少し離れました。




 おじさん達の話では、このイワシはカタクチイワシで、大きな魚に追われて水際まで来たものの戻れなくなったのだろうとのことでした。数日前ニュースで、東北の浜辺に大量のイワシが打ち上げられているとの報道を見たばかりでした。日本を襲っている最強寒波で海流の水温も異常変動を起こしていて、その海流から逃げようとしたイワシが元へ戻れなくなったのではないかと報じていました。ひょっとしてここのカタクチイワシもそのことに関連しているのかもしれません。驚きの光景を見ることができました。
 最近NHKの番組で、灯台が人気を集めているというのを見ました。シニアの人達は、四十数年ほど前の新婚旅行で灯台を訪れた人が多いそうです。そして今、時を経て再度その地を訪れるというのがブームを呼んでいる理由らしいです。私の場合は新婚旅行ではありませんが、若かりし頃にデートで大王崎灯台へ行きました。海、太平洋が大好きな私は、何かの折々に海を見たくなります。今回は愛車との別れを惜しみながらのドライブになりました。よく走ってくれた愛車に「ありがとう。さようなら。」を贈ります

2018年2月9日金曜日

愛車最後のドライブ(三重大王崎灯台へ-2)


 大王崎灯台がよく見える近くの公園は、撮影スポットです。白い灯台と青い空、キラキラ輝く大海原太平洋、そこに佇むと沈んだ気持ちが再生されるようです。すべてを忘れさせてくれます。


 その公園に絵を描く画家の銅像がありました。絵描きの町「波切(なきり)」とあります。明治以降画家たちがこの眺めに魅了され、多くの絵を描いたそうです。思い出しましたが、昨夏に訪れたフランスのノルマンディー地方エトルタも、画家たちに愛された町でした。絵を描けない私は、素晴らしい眺めを心に焼き付けました。




 この公園の入り口の所に観光案内と碑が建っているのに気づき近づいて読んだところ、この地に波切城(九鬼城)があったのだそうです。九鬼一族は有名ですが、初代当主がこの地に城をつくり、九鬼一族の繁栄がここから始まったということです。灯台のふもとにある仙遊寺は、九鬼一族の菩提寺として五輪塔がありました。小さな漁村で小さな町波切ですが、歴史ある町ということを知りました。






2018年2月8日木曜日

愛車最後のドライブ(三重大王崎灯台へー1)


 車の大好きなポアロは、半世紀以上車に乗り続けてきました。十二台目の車に十一年乗り、走行距離は約18万kmになります。毎週京都、岡山を往復し、月に何度かは三重へも走りました。旅行でもあちこちへ走りました。四国、九州、山陰、中国地方、そして信州、富士山へも走りました。車も人間と一緒で、年齢が高くなるとあちこちに不都合が出てきます。いよいよ買い換える時が来たと判断したポアロは、決断しました。もうすぐお別れです。パートナーとして頑張ってくれた愛車との、最後のドライブに出かけました。
私の大好きな海、太平洋に面して建つ三重県志摩市大王崎灯台を目指します。二十四年前に母が心筋梗塞で突然亡くなった時も、心の傷を癒しに出かけたことを思い出します。


後ろは富士山の方向ですが残念ながら見えません。


昭和の初めにできたようです。

岩の上では釣り人が。

冷たい海でも海女さんは潜っています

久しぶりの大王崎灯台です。この日は風が少しあるものの、陽射しは暖かく早春を感じさせてくれます。眩しいほどの大海原です。遠くには大型船がたくさん見えます。思い出に写真をたくさん撮りました。


2018年2月7日水曜日

カモメ飛来


 三重の家の前を流れている二級河川の橋の周辺には、いろんな鳥が集まってきます。先日はカモメが群れをなして飛んでいました。家の上空を何度か回って川に着水しました。100羽くらいいそうです。

突然のカモメの群れです。

着水地点を探しています。

川上にいるカモに遠慮をして川下側に着水しました。

カモよりも動きが速いようです。

「カモメの水兵さん」の歌を思い出します。

河口から6㎞ほどあるこの場所でカモメが群れをなして飛び交うのを見るのは初めてです。京都では都どりと呼ばれて人気者のカモメです。正式にはユリカモメという種類のようです。カモメの体はわりと大きくて、ハトより一回り大きいと思われます。カモメの群れが元気よく飛び交っているのを見たのは、ツバメと同じくお昼前でした。河口からここまでに川が堰き止められている所は少ないのかもしれません。その理由で餌が豊富なのかもしれません。カモメの群れに遭遇して、しばらくの間見とれてしまいました。