2013年5月31日金曜日

最高の季節

 私は一年の中で今のこの季節が大好きです。今日(523日)の気温は各地で30度ぐらいになり真夏日と伝えています。確かに気温は高くなっていますが、湿度は32パ-セントほどでカラッとしています。そして今日は風がありとても気持ちよいお天気でした。夜十時庭に出てみました。月の光は明るく、ベ-ト-ヴェンピアノソナタ「月光」を弾きたい気分です。空にはたくさんの星が輝き、まだ飛行機も飛んでいきます。
 こんな爽やかなお天気の日には、何年か前にフランスの南の地方へ旅行したことを思い出します。太陽の日差しはきつくてもカラッとした湿度と心地よい風の中で、日本から遠く離れた地を旅し、開放感を満喫しました。そして心身のリフレッシュができたことは旅の醍醐味でした。
 もう一つ、この季節は私にとって最大の出来事のあった季節です。それは二人目の子の出産でした。お腹の中で十ヶ月大切に守り育ててきた新しい命の誕生です。上の子も下の子も生まれた時は4キログラムもあるジャンボベイビ-でした。生まれたあとはさすがジャンボなので何をするにも安心感を持ってすることができました。この季節実家は茶摘みで忙しく、実家にいる私達の元へ毎週末帰ってくる夫は、製茶工場へ車で運ぶ手伝いをしてくれました。今は亡き父や母の愛情をいっぱい受けて、私も子も心安らぐ日々を実家で一ヶ月過ごしました。

 風薫る五月、新緑の候、新茶刈り入れの頃、いろんな思い出が、この季節になるとよみがえります。

2013年5月30日木曜日

一大事(2)


 引っ越しの前日の夕方にまんたん(義母)と私で、御近所へのあいさつ回りに行こうと前々から決め、お礼の品も用意してありました。ところが前日の夕方まんたんは「しんどいから横になる」と言い寝てしまい、起きるのを待っていたのですが一向に起きる気配がなく、時間が遅くなってきたのでやむを得ず起こしました。「明日は朝八時にトラックが来て、荷物が出たら後片付けや掃除をしないといけないし、あいさつ回りは今日済ませておいた方がいいから」と説明しました。まんたんは「しんどいから行けない」と言います。「仕方ないから私一人であいさつ回りに行ってきます」と言いながら、私は用意したたくさんのお礼の品を玄関へ運びました。すると「けったいなことして」とのまんたんの言葉です。私は睡眠を削り時間と闘いながら必死の思いで引っ越しのために動いています。堪忍袋の緒が切れました。「けったいなことしてとはどういうこと?」声を荒げました。「こんなに一生けんめいしているのにわかってもらえないの?損得でしているんじゃないのよ。一生けんめい助けているのよ」耳の遠いまんたんに聞こえるように大きな声で言いました。私の言うことがわかったのか、まんたんはそのあと神妙になりました。

 初期の認知症と診断されて以来、まんたんと二十四時間べったりの生活です。記憶に関しては認知症の大きな症状ととらえていますが、それ以外にそう・うつの気分の浮き沈みが激しく、パニック症候群のようなものもあります。四十年近く住み慣れた場所を離れること、近所の人達にあいさつをして回ることなど、まんたんにとって気の重いことだったのかもしれません。後で振り返れば冷静に対処すべきだったのかもしれません。しかし疲労困憊の中、時間に追われていた私は、その場に不似合いなまんたんの言葉にカッとなり感情を抑えられなかったのです。「引っ越しって本当に大変だね。二人でこんなしんどい目して、これもいい思い出になるね」この三日間の中で出たまんたんの言葉です。自分が言った言葉さえ、言ったすぐから忘れます。きっと私がカッとなったことさえ記憶に残っていないと思います。

2013年5月29日水曜日

一大事(1)


 まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて三ヶ月が過ぎ、私達は大きな決断をしました。まんたんが四十年近く一人暮らしをしてきた住まいを畳み、私の実家のそばに建てた私達の家の一室を提供することにしました。八十八年の人生と共に、暮らしの品々は一人暮らしとはいえ多いこと多いこと。一所帯の生活道具は何から何まであります。引っ越しを決めた時から気が遠くなるようなこの一大事。迎えるのは一部屋です。ほとんどの物を捨てねばなりません。引っ越しの四日前の夜に私はまんたんと現地入りしました。夫は仕事で引っ越しの前夜まで来ることができません。運送屋がたくさんのダンボ-ル箱とテ-プやヒモを届けてくれています。廃棄処分も同時にしてもらえると思っていたところ、それはできないとのことで、家中の物すべて、ゴミも一緒に運んでもらうのです。

 一日目は洋服ダンス、和ダンス、整理ダンス、ミニクロ-ゼットに取り掛かりました。必要な物と捨てる物の仕分けを後でするのは大変なので、まんたんが捨てると決めた物は、どんどんゴミとしてダンボ-ル箱へ入れていこうと考えていましたが、なかなかゴミとなる物が出てきません。口では「いらん物は捨てないとね」と言いながら「これはゴミね」と私が言うと「あっそれちょっとおいといて」の始末。本人の意思を尊重して仕事を進めます。近くのス-パ-で昼食にはお弁当を、夕食にはおすしを買ってきます。飲み物もペットボトルで済ませます。気の遠くなるような作業を八十八歳のまんたん相手にするのです。いくら元気とはいえ午後になると「しんどいから横になる」のセリフが出ます。私は布団を敷き「倒れるといけないからゆっくりしてて」とまんたんを寝かせ、一人黙々と作業を続けます。とにかく時間がありません。引っ越し当日は朝八時に運送屋が来ます。連日の睡眠不足で髪を振り乱しひどい形相で必死です。

 二日目は食器棚を空にします。一個一個紙で包み、考えながらダンボ-ル箱へ収めていきます。まんたんは朝から「しんどい」のセリフです。始めからあてにはしていません。ほとんどを私一人でするつもりです。「しんどい」と言いながらダンボ-ルの中身が気になるようでのぞいています。自分でも忘れ去っていた懐かしい品々が、家のあちこちから続々と出てきます。私はとにかく何が何でも家の中の物すべてを箱詰めにしなければなりません。今迄に引っ越しを五回経験していますが、一所帯の荷物、家族が多ければ多いほど、住まいが大きければ大きいほど荷物はたくさんあります。住まいを空にすることの大変さは身にしみています。ため息とあせりと必死さで時間と闘います。八十八歳のまんたん相手に不可能と思われることを可能にしなければなりません。

 三日目は下駄箱を空にして玄関のすべてを箱に詰めます。狭い玄関のどこにこんなにたくさんの物が隠されていたのかと驚くほど、下駄箱の下から後からいろんな物が出てくるのです。大小の本箱にはたくさんの本が並び、雑貨も一箱には収まりません。何から何まで箱に詰めていきますが本当にうんざりします。次に押入れです。布団は当日の朝布団袋へ入れるとして、他の雑物を箱に詰めます。台所の食器棚以外にも鍋多数、フライパン多数、やかんポット、米びつ、調味料多数、不思議なことは、一人暮らしなのに砂糖も塩もしょうゆも料理屋?と思うほどの大きな入れ物にたくさん入っています。大正十四年生まれのまんたんが、戦争をくぐり抜けて生きてきた証かもしれません。そして神棚もあります。冷蔵庫の中にはまだまだいろんな物が入っています。一月末から留守にして、来るたびに処分していたのですが空にはなっていませんでした。私の顔には青筋が何本も立ち、般若の形相です。ものを言う暇もありません。最低限の飲み食べです。

 夫が帰宅する頃には、ダンボ-ル箱が高く積まれ、まあまあ何とか箱詰め作業が終わりました。

 

2013年5月28日火曜日

「窓から見える風景」


私の部屋から見える風景は刻々と変化している
美しい雄大な山々が見えていたのも束の間
次々と高層マンションが建ち山は見えなくなった
五十年現役を貫いた老舗旅館が姿を消した
廃業を知らせる看板がかけられ建物はシ-トでスッポリ覆われた
長い間にぎやかな音が鳴り響き解体工事が進んでいる

そしてある日解体工事が終わりシ-トがはずされた
すると旅館が建っていた向こうに山が顔を出した
久しぶりに私の部屋からまた山が見えるようになった

部屋から山が見える
それは私の青春時代につながる
四季折々の山の表情
私はボ-ッと山を見つめるのが大好きだった
人が生まれ育ち去っていくのを静かに見守っている山
どんなことが起ころうと泰然自若の風
その山に大きな懐を感じる

大きなクレ-ンが二機忙しそうに動く
右へ左へ大きな手を伸ばす
朝から夕方まで働き詰めに動く
工事現場には活気がある
一日一日着々と工事は進む
大きなクレ-ンの動きを見ているだけで元気をもらう

老舗旅館のあとには現代的なホテルが建つ
工事が進みホテルは一階二階と高くなってきた
二階の私の部屋から山が少しずつ見えなくなった
私の部屋から見えた山はラストシ-ンを迎えた