2018年12月31日月曜日

ゆく年くる年


 ゆく年最後の日を迎えました。平成三十年が終わろうとしています。去り行く日々への愛しさが募っています。ゆく年を振り返るだけでも、あんなことこんなことが思い出されます。ブログは今回で1500回になりました。休み休みですが、回は膨らんでいます。読んで下さっている皆さんに、感謝しています。本当にありがとうございます。細く長く、継続は力なりでこれからも続けていきたいと思っています。よろしくお願いします。
 新しい年、くる年は、日本にとって節目となる年です。現天皇が退位され、皇太子さまが新しい天皇に即位されます。元号も変わります。皇室も時代によって変わっていきます。新しい年が良い年でありますようにと願っています。

2018年12月29日土曜日

京都の街に初雪


 昨日夕方から京都の街に初雪が降りました。買い物に出かけていた私たちは、店から出ると雪が激しく舞っているところでした。アーケードから外れると、すぐに服が雪で真っ白になりました。





冷え込みがきつく、朝から雪が舞っていたそうで、金閣寺が薄っすらと雪化粧した映像がニュースで流れていました。雪が珍しく、雪が大好きな私は、雪を被りながらも、気持ちはワクワクです。久しぶりに俳句を作りました。

あと三日 雪で見送る 京の街」

2018年12月28日金曜日

今年もあと三日


 ゆく年もあと三日を残すこととなりました。先日は三重に一週間滞在し、大まかながらもゆく年を締めくくる雑事を済ませてきました。お墓参りをして、ホームにいるまんたん(義母)を見舞い、俄か大掃除もしました。そして京都に戻りました。今年は秋にフランスから娘たちが来ていたので、何とか泊まれるように片付けたところです。年末大掃除というようなことは無く、平生の掃除だけで良いと思っています。年賀状も早くに投函しました。おせち料理も近所の仕出し屋さんに予約しました。家族の好きなものだけは、毎年作っています。ブリの照り焼きといりどりを作ります。かつてのような超多忙さはありません。本当に助かります。
 私が子供の時には、年の瀬は大人たちにとって超多忙の時期でした。お餅もつきました。鏡餅ものし餅も作りました。おせち料理はすべて手作りです。父はしめ縄も作りました。田舎の大きな家の大掃除も大変です。母の妹二人は、子供を連れて30日から手伝いに来てくれます。私たち子供は、手伝いと言いながらも楽しくて走り回っています。兄や姉たちは、しっかりお手伝いをしていました。遥か彼方へ遠ざかった思い出です。昔の人たちに申し訳ないほどの、今の年の瀬です。つくづく昔の人は偉かったと思います。

2018年12月22日土曜日

もうすぐクリスマス


 もうすぐクリスマスです。街は華やいでいます。クリスマスの音楽で溢れています。イルミネーションも、年々グレードアップしているようです。







河原町教会
日本では、宗教を離れて一つのイベントとして盛り上がります。外国では、クリスマスこそが一番の行事のようです。家族皆が、お互いにクリスマスプレゼントを贈るようです。私達も、遠いフランスへクリスマスプレゼントを送りました。家の近くの大型ホテルのロビーには、今年もきれいなクリスマスツリーが飾られました。
  

  子供たちが小さかった時には、本物の樅ノ木を買ってきて、大きなクリスマスツリーを飾りました。数年後は、市販のクリスマスツリーに変わりました。子供たちが育ち、ピアノの生徒さんたちのために、小さなかわいいクリスマスツリーを飾りました。


我が家のクリスマスツリーも、家族の歴史とともに変遷を余儀なくされました。シニアとなった今は、街のクリスマスツリーで、楽しませてもらっています。京都四条にあるデパートでは、面白い試みがされています。毎年ロビーに、大きなクリスマスツリーが設けられ、クリスマス関連の動物たちも勢揃いします。今年はそれに加えて、メリーゴーランドが登場しました。子供たちのための大サービスです。長蛇の列ができて、たくさんの親子が集まっていました。



あちこちで企業の社会貢献の一環として、盛大なイルミネーションが提供されています。今年も五条の有名スポットとなっているイルミネーションを見に行こうと思います。

2018年12月21日金曜日

京都鴨川冬散歩


 季節は巡り、早くも冬散歩の時期を迎えました。家の近くの鴨川を散歩するのが、一つの楽しみになっている私達です。春、夏、秋、冬と、それぞれに違う表情を見せてくれる京都鴨川です。先日は初雪が降り、鴨川の北の山々は、うっすらと雪化粧となりました。


 
北に向いて歩くのは、冷たい風を受けての厳しい散歩となります。そんな中でも、いろんな鳥たちがいます。夏には涼し気に見えた景色が、今は寒々しく思えます。いろんな種類のカモがいます。ポアロは写真を撮るようになってから、カモの名前にも詳しくなったようです。マガモ、コガモ、ヒドリガモ、オナガガモなど、教えてくれます。





ユリカモメも冬にはたくさん飛んできます。京都では都ドリと呼ばれています。




私は詳しくはわかりませんが、鳥たちに注意して観察するのも、趣味の一つとして面白いかもしれません。他にシラサギ、アオサギ、トンビ、カラス、スズメ、ハトなど、たくさんの鳥が集まっています。







2018年12月20日木曜日

あれから10年(シャコバサボテン)


 私の誕生日にポアロがプレゼントしてくれたシャコバサボテンが、今満開となっています。薄ピンク色の優しい花です。あれから10年が過ぎましたが、毎年きれいに花を咲かせています。1週間前に一つ目が開きました。


 そして今はもう満開のようです。





ポアロが何度も株分けをして、四代目か五代目です。鉢は増え続け、10個以上になりました。先日は、ホームにいるまんたん(義母)のところへも届けました。お花の好きなまんたんは、とても喜んでくれました。植物の世話は大変だと思いますが、ポアロと我が家の野良部部長(娘)は、趣味の一つとしてせっせと惜しみなく世話をしています。

2018年12月19日水曜日

珍しいいただき物

 先日愛知県に住んでいる従妹宅を訪問しました。5年ほどのご無沙汰です。滋賀、東京、群馬へと、仕事の関係で移動していた従妹夫婦は、やっと愛知県に落ち着きました。同世代なので、話は通じあい話題に事欠きません。5時間ほどお邪魔させてもらって、おいとまする時にお土産を頂きました。家へ帰って開けてみると、見たことのない大きなお饅頭のような麩です。説明書きを読むと、たま麩というもので、お吸い物やお味噌汁、すき焼きなどにどうぞとのことです。お椀に入れるとあまりにも大きいのでどんぶり鉢に入れ替えてお吸い物を頂きました。




 本物の麩の味と香りです。その土地土地で、名物となっているものはたくさんありますが、私達は始めてたま麩を頂きました。次回はすき焼きに入れようと思っています。ごちそうさまでした。

2018年12月18日火曜日

まるで園芸屋さん?


  我が家の野良部部長(娘)が、大プロジェクトに挑んでいます。プランターで種から育てたストックが芽を出し、たくさんのポットに植え替えました。11月に植え替えたポットの数は200ほどあります。まるで園芸屋さんのようです。







  
仕事の休みの日には、数時間かけて世話をしています。いつものことながら、私は傍観者です。人それぞれにいろんな趣味がありますが、娘の一番の趣味は野良部です。土をいじり、植物に水や肥料をやり、惜しみなく世話をしています。その姿は生き生きとしています。手をかけ愛情を注ぎ、世話をとことんしています。私にはできないことです。
去年も一昨年も、ストックを育てることに挑戦しましたが、思い通りには行かなかったようです。去年は3月の予定が5月にやっと花を咲かせました。



今年こそはと、娘は意気込んでいます。大プロジェクトを計画しているようです。春は出会いと別れの季節です。それに向けてのプロジェクトのように思われます。今度こそ娘の目標が達成できることを願っています。

2018年12月17日月曜日

 難しい質問


 縁もゆかりもなかった岩手県大槌町で、娘たちのためにご縁パーティーを開いて頂いて感無量の私です。たくさんの方が娘たちの結婚を祝ってくださり、たくさんの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。出会いがあり、ご縁を頂き、絆が生まれました。個々の属する国に関係なく、地球家族を感じて心が温かくなりました。ご縁パーティーの会場で、何人かの方から難しい質問を受けて驚きました。初めて受ける質問です。今もその質問について考え続けています。
 「お母さんは、どういう子育てをされたのですか」という質問です。突然のことで驚き、普段思っている言葉しか咄嗟には出てきませんでした。「どこの親も同じだと思いますが、一生懸命子育てをしました」と答え、少し謙遜して「反面教師ですが、私は箱入りで何もできなかったので、子供たちには何でもできるようにと望みました」と付け加えました。この質問はとても難しい質問です。答えも一つではありません。親がこう育てたから、子供がこうなったとは言えません。親も子も一人の人間です。それぞれの持って生まれた個性があります。東北慰霊旅を終えて日常に戻った私は、この難しい質問を受けて、私の子育てを振り返っています。
 まずは胎教なのでしょうか。ピアノ教師としての仕事を持ちながら家事もそれなりにこなしていました。忙しい毎日ですが、充実した日々で子供の誕生を待ちながら、二人でその準備にも追われました。お腹にいる時から、8ヶ月頃からは父と母の声を聞いているそうです。ピアノを弾いたり、弾き歌いをしたり、ピアノとギターで合奏したり歌ったり、レコードを聞いたりと、音楽が身近にありました。胎教を考えてのことではなく、自分たちの暮らしがそうだっただけです。
 誕生したその日から私は歌を歌って子供に語りかけました。私の気持ちにぴったりの歌「こんにちは赤ちゃん」です。
   こんにちは赤ちゃん あなたの笑顔
   こんにちは赤ちゃん あなたの泣き声
   その小さな手    つぶらな瞳
   はじめまして    わたしががママよ
   
こんにちは赤ちゃん あなたの生命(いのち)
   こんにちは赤ちゃん あなたの未来に
   このしあわせが   パパの希望(のぞみ)よ
   はじめまして    わたしがママよ
 
 生まれたばかりの子供でも、一生懸命歌を聞いている様子です。病院に一週間いる間に、おしっこをしたら「あ~」と声をだしてまるで教えているかのようです。こちらのキャッチと対応が良かったのかなと思いましたが、本当に驚きました。
 実家での生活が一ヶ月過ぎて、いよいよ自分たちだけの生活が始まります。近所に住む姉や義母の助けを借りて、私は仕事を再開します。
子供が幼い時には、子守り歌や童謡の絵本を見ながら歌って聞かせ、少しすると子供も一緒に歌うようになりました。お話しと歌がセットになったレコードもよく聞きました。幼い子供は、音楽に合わせて踊って歌ってとおおはしゃぎです。この頃の記憶の中で、今も鮮明に思い出されるお話しがあります。「三匹のこぶた」です。お母さんぶたは、いつも同じせりふを口癖のように言っています。「自分のことは、自分でおやり。自分の家(うち)は、自分でお建て」です。子供たちはレコードの音楽と一緒に歌も覚えて歌います。私も一緒に歌います。「三匹のこぶた」のお母さんの台詞は、いつのまにか我が家の愛唱歌になりました。今でも思い出すと笑いがこみあげてきます。
子どもが育つ過程において、影響を及ぼすのは親だけではありません。私の父は、本の虫というほどの読書家でした。子供たちが字を読めるようになった頃から、会えばいつも本をプレゼントしてくれました。その影響を受けて、子供たちも本が大好きになりました。私の母はお寺へお参りすると、お供をする子供たちに「聖徳太子」や「法然さん」などの絵本を買ってくれました。祖父や祖母からの、幅広い影響も受けていると思います。
私は、口出し手出しはあまりせず、見守るという母親でした。「自分でよく考えて、決断し行動する」というのは、常に根底にあった私の信条です。世間一般ですが、スポーツにおいても他の分野においても、親がしてきた道に進む人は多いと思います。環境が影響を与えているのだと思っています。私がピアノの道を進んできたということも、子供たちにとって環境の一つになっていたのは間違いありません。環境はどうであれ、進路は自分で決めて進みます。アドバイスを求められれば、答えられるという程度です。そういう段階を経て、娘は音楽の道に進みました。
子育てといっても、結局は親の生きる姿勢を長きにわたり見つめてきた子供たちです。親が何を考え、どう生きようとしているかが重要だと思っています。私が目指す人間像は、信念の人です。見方を変えれば頑固一徹です。そして人の心の痛みを慮れる人です。ノーベル賞を受賞された本庶佑氏は「あきらめない、とことん追求することが大切」とおっしゃっています。偉人の言葉は、胸に響きます。
娘は音楽の道に進み、大学時代からアルバイトに精を出しました。修士課程を終え、貯めた資金を基に、更なる勉学を目指してフランスへ飛び立ちました。音楽の勉学を続けながら、生活のために仕事も始めました。フランスでたくさんの人との出会いがあり、その輪はどんどん広がっていきました。音楽の仕事もどんどん広がっていきました。渡仏して8年が過ぎようとしていた時に、2011年3月の東日本大震災が起こりました。娘の人生観が開花したようです。遠いフランスで日本を想い、被災地を想い、被災者支援に向けて立ち上がりました。それから7年9ヶ月が過ぎようとしています。そんな経緯から、今回の岩手県大槌町でのご縁パーティーへとつながりました。
親の元から飛び立ち、親を超えていきました。難しい質問を受けて、自分の子育てを振り返ったのですが、ある意味では自分史を書いたように思います。こういう機会をもらったことに感謝しています。

*今回の娘たちの来日で、嬉しい発見がありました。婿殿が着ているTシャツの背中に、私の大好きな言葉が書かれていたのです。
 「ぶれない ゆれない まどわされない」
 みんながこのような人を目指してほしいと願っています。



2018年12月14日金曜日

東北から帰って(娘たちと)


 娘たちが日本を飛び立つ日まで、あと四日となりました。娘たちはスケジュールが詰まっています。一日はマンガミュージアムでの上司だった方からの招待で、出かけました。結婚のお祝いの席を用意してくださったのでした。
二日目は、私達と一緒に、栂尾高山寺へ出かけました。台風の被害が出ていて、半分ほどしか見ることはできませんでした。娘たちは、折角だからと神護寺へも行きました。私達は山登りのような階段を避けて、ふもとの茶店で待っていました。
  


西明寺

神護寺下の茶店
三日目は、宇治の黄檗山万福寺へ行きました。黄檗宗の大本山で禅寺です。婿殿がこよなく愛する七福神の一人布袋さんがおられます。七福神は現在執筆中のテーマだそうです。万福寺へお参りしてから、宇治の有名老舗茶どころで、抹茶デザートを食べてひと休みしました。
  
万福寺山門


布袋さん




娘たちは、お出かけの合間に買い物です。フランスへのお土産です。婿殿のお父さん、お姉さん、妹さん、その家族、友人、職場の同僚などへのたくさんのお土産です。日本へ来た時も、今回は東北行きがあったのでキャリーバッグ五個も持ってきました。帰る時は、荷物が入らないからと、新しく一つ買っての大騒動です。
あっという間に時間が過ぎてゆきます。出国する日は、朝5時半に自宅を出ました。関西空港まで車で送ります。娘たちが来日してから、毎日がばたばたと過ぎてゆきました。忙しくも楽しかった日々が終わろうとしています。搭乗ロビーで、二人を見送りました。良いお天気に恵まれ、美しい青空です。ルフトハンザ航空でフランクフルトまで11時間の飛行です。乗り換えてマルセイユまで飛び、そこから車でモンペリエの自宅へ帰ります。長旅です。私達は家へ帰ってから、ネットでフライトレーダーを見つめ続けました。迎える時も、送る時も、念力をかけて飛行機の無事を願い祈り続けます。娘から無事に家へ着いたとのメールが入りました。やれやれです。安堵しています。

関空から出発

無事フランンクフルト着