2019年5月31日金曜日

お国柄


 私は日本で暮らす日本人なので、自分の国のことしかわかりません。日本を出て、外から日本を見た時、いろんなことがわかると思います。ざっと外国を見回した時、日本ほど完璧志向の国はないように感じます。安全、安心、平和を目指す日本です。サービスの分野においては「お客様は神様」の神話の国、日本です。問題が起これば、徹底的に追求し、解明します。「お客様は神様」というお客様に、迷惑はかけられません。同じ間違いを二度と繰り返すことはありません。
 先日フランス在住の娘が、フランスからクロアチアへプチトリップに出かけた時のことです。エールフランスを利用して、パリ経由でクロアチアのドゥブロブニクまで飛びました。無事に目的地に着いたのは良かったのですが、荷物が一つ行方不明となりました。どうなることかと心配しましたが、五日後に旅先の娘の元に届きました。やれやれですが、フランス、エールフランスへの信頼度は落ちています。


一昨年私たちがフランスへ行った時、帰りパリから関西空港までエールフランスを利用しました。無事に帰国できてホッとする間もなく、自分達の荷物がすべてないということがわかりパニックになりました。パリドゴール空港に置き去りにされていたのです。荷物は翌日自宅に届きましたが、エールフランスの対応は驚くものでした。自分達に非は無く、荷物が勝手に行方不明になったのだというような態度です。謝罪の言葉はありません。本当に驚きました。日本では有り得ないことです。


今回の娘の荷物は、パリからウイーン、ウイーンからドゥブロブニク、ドゥブロブニクからザグレブ、ザグレブからスプリットへと、飛行機に乗って五日も旅を続けました。娘からのメールで、事の詳細がわかりましたが、エールフランスのサービスに対する捉え方にはあきれかえってしまいます。同じミスを何度起こしても、一向に向上しないようです。「ケセラセラ、なるようになる」の歌が浮かんできます。

2019年5月30日木曜日

「個性」


個性は面白い

個性は不思議



自己探索を続けると

自分の個性が見えてくる



この個性はどこから来たの?

この個性のルーツは?



世界中探しても

この個性は一つ



似ている人はいるだろう

そっくりさんはいないだろう



完璧志向は肩がこる

いい加減がちょうど良い



大らかは素晴らしい

心が広い

器が大きい



大空のように

心は自由



私は私

私の個性で生きる



誰にも邪魔はできない



個性は宝

個性は宝石



どこでもキラキラ

いつでもキラキラ



私が愛する

私の個性



個性は面白い

個性は不思議

2019年5月29日水曜日

一ヶ月のイタリア暮らし


 今ポアロの友人御夫妻は、一ヶ月のイタリア暮らしを楽しんでおられます。仕事を終えられてから、二年に一度の割合で外国暮らしをされています。滞在期間は一ヶ月です。ホテルではなく60㎡の1LDKです。アパート一室借りで、家具、電気器具すべてが揃っています。今までに行った国は、アメリカ、イギリスで、今回三つ目の国イタリアです。滞在都市は、ニューヨーク、ロンドンで、今回はミラノです。建築や都市計画に携わってこられました。趣味はスポーツでは、剣道やテニスを高校時代からされてきたそうです。食べることが大好きで、料理にも目覚めました。カメラも大好きです。仕事を終えてからは、自宅をレストランのようにリフォームし、ことあるごとに友人を招き手料理を披露されています。フェイスブックに写真も載せられるので、私たちはいつも驚かされています。素人なのにお料理に関してこんなに器用でセンスのいい人がいるとは驚きです。自分の店を出せるほどです。




ランス在住の娘のフランス人婿殿の義兄を思い出します。一昨年にフランスへ行った時に、自宅へ招かれて彼の手料理を頂きました。そのときの感想も、日本でフレンチレストランが開けそうだと感じたほどです。本職は税務署勤務で、料理はまったくの趣味なのです。




ポアロの友人は、ミラノの暮らしぶりをフェイスブックで毎日報告してくれます。食材を買いに市場へ出かけるのも、観光を兼ねてです。ACミランのサッカー観戦や一流デパートへのお出かけなど、毎日盛りだくさんです。もうすぐオペラの本場ミラノのスカラ座で、二つのオペラを聞きに行かれる予定です。以前私たちも行ったリゾート地のコモ湖へは、一泊二日の車でのプチトリップを予定されています。シニア暮らしをエンジョイされているご夫婦は、これからの百年人生を先取りされておられるように思います。毎日のフェイスブックを楽しみにしています。

2019年5月28日火曜日

ひとすじの道 室井摩耶子さん


 先日偉大なピアニストのお話を聞きました。1921年生まれの室井摩耶子さんです。九十八歳になられます。現役のピアニストです。1956年第一回ドイツ政府給費留学生に選ばれ、ベルリン音楽大学に留学されています。1964年には「世界150人のピアニスト」で紹介されています。1980年に帰国するまでドイツを中心に活躍されてきました。八十歳を過ぎてもオーケストラとの共演を続けられ、演奏会も意欲的に行われています。今年三月には「平成三十年度文化庁長官表彰」を受けられました。
ピアノの練習は、少なくても一日4時間、演奏会の前は一日8時間されるそうです。長年一日も欠かさず続けておられるそうです。大好きな食べ物は牛肉で、毎日100グラムは食べるとおっしゃっています。ひとすじの道を歩まれてこられた偉大なピアニストが話される言葉には、引き込まれます。授かった天分、授かった立派な体はさることながら、ひとすじの道を歩むための努力、生き方に感動します。
人生100年時代と言われていますが、室井摩耶子さんはお手本となる超高齢者です。パソコンを駆使してブログを自ら更新されているそうです。
「たくさんの天才音楽家たちの音楽哲学をみなさんに届けたいと思っています」と話される室井摩耶子さんの奏でるピアノにはわくわくします。「作曲家たちが楽譜に込めた想いを読み取り、自らの演奏で次の世代へ伝えたい」室井摩耶さんの夢です。著書もあります。遅ればせながら室井摩耶子さんの大ファンになりました。

2019年5月27日月曜日

「五月病」


平成から令和へと元号が変わる
10連休が終わる
気分が沈む

楽しみの前と後との気分の違い
楽しみが大きいほど
過ぎ去った後の気分は沈む

何故 何故 何故
いろんなことが
面白くない
楽しくない

過ぎ去った日々ばかり
追ってしまう今の私

疲れているの?
しんどいの?

何故 何故 何故
寂しい
悲しい

大切な人が遠ざかる
後ろ姿が小さくなる

もう手が届かない

もう一度
もう一度
会いたい

大切な人

私は五月病
五月が終われば治る

私は五月病
気分がふさぐ

私は五月病
五月が終われば治る

あと少しで五月が終わる

2019年5月24日金曜日

京都上御霊神社―御霊祭


 先日京都上御霊神社では、御霊祭が行われました。家の近くの下御霊神社の還幸祭もその翌日に行われました。私の住んでいる地区は、下御霊神社の氏子になっていますが、上御霊神社は北隣の地区にあります。令和元年の御霊祭で盛り上がっています。自転車で、上御霊神社まで出かけました。京都御所の北にあります。 




 御霊祭は、貞観五年(863)に天災や疫病の流行を鎮めるために神泉苑で行われた御霊会を起源とし、以来千五百年以上、ご祭神の御神霊の安らかなること、そして、世界の平和を祈りつづけているお祭りだそうです。御神輿三基、御車をはじめ、剣鉾、八乙女、稚児行列、武者行列など総勢六百名の渡御行列が行われます。私たちは、初めて見る御霊祭です。明治以後途絶えていた御苑巡幸が、平成二十一年に復活しました。約百四十年ぶりとのことです。同志社大学の前にある今出川御門から御所に入るという情報を得て、その辺りで待ちました。すでにたくさんの人が集まっています。外国人観光客もたくさんおられます。御所の空は青く晴れ渡り、歴史的なそしてきらびやかな御苑巡幸が見られるということで、みなさんワクワクしながら待っています。どの隊列も素晴らしいのですが、三基の御神輿が掛け声とともに進んでくるのは見ごたえがあります。









写真をたくさん撮ってもらいました。京都に住んでいながら、初めて見る上御霊神社の御霊祭と御苑巡幸でした。

2019年5月23日木曜日

京都府立植物園―バラ園


 京都府立植物園では先日バラフェスタが開催されていました。都合で行けなかったのですが、今日あまりの良いお天気に誘われて行ってきました。自転車で行ってきました。30分ほどで着きました。気温は30℃近く上がりましたが、乾燥していて気持ち良い風もあり、鴨川に沿って自転車を爽快に飛ばしました。ペダルを踏むのは、運動になり気分も一新します。






植物園は、北大路通りから北山通りまでの広い敷地です。北大路通りに面して正面入り口があります。入って少し歩くとバラ園です。赤、白、ピンク、黄色、オレンジ、クリーム、薄紫など、色とりどりのバラが咲いています。それぞれに名前を書いた札が立っています。香りについても、微香、中香、強香と説明がついています。バラのほのかな香りが一面に漂っています。250種、2000株が植栽されているそうです。花の大きさも、小さなものからずいぶん大きなものまでいろいろあります。こんなにたくさんの種類があるとは、本当に驚きです。







東には比叡山が見えます







20世紀代表のピース
 バラ園をゆっくり見てから、園内を散策しました。シャクヤクは満開でした。大木のケヤキやムク、ヒマラヤスギなどの下を歩くとまるで森林浴です。




樟の並木道
紫陽花や菖蒲の見頃はもう少し先のようです。また自転車を飛ばして、見に行きたいと思います。


2019年5月22日水曜日

東北桜旅(11)帰途三重へ

 和田宿を2時に出発し、帰途につきました。岡谷から長野自動車道を少し走り、中央道へ入ります。諏訪湖を見ながら走ります。伊那市、駒ケ根市を通り、駒ケ岳SAで休憩しました。以前私たちは仕事で駒ケ根市へ来ています。地方の街を散策するのも楽しいことです。大きな立派なお寺にも出会いました。駒ヶ岳がすぐそこにあり、いつか登ってみたいと思い続けてまだ実行できていません。激しい登山と違って、バスや車で頂上近くまで行きあとはケーブルカーで運んでもらえるとの情報を得ていますが、行くとなればきちっと調べねばなりません。

木曽駒ケ岳2,956m

飯田市が過ぎれば恵那山トンネルです。3時40分岐阜県に入りました。4時過ぎてポアロが眠くなってきたと言うので、恵那峡SAで少し長めの休憩をとりました。40分ほど休んで出発です。土岐市を通過し、土岐JCで東海環状道路へ入ります。多治見市が過ぎれば愛知県瀬戸市です。瀬戸焼で有名です。愛知県豊田市から伊勢湾岸道路に入るため、少し遠回りするようですが、名古屋市の郊外を走ります。5時半頃伊勢湾岸自動車道へ入りました。
中央道では交通量が少なかったのですが、東名、新東名からたくさんの車が合流となり、一気にたくさんの車の流れとなりました。途中刈谷PAでトイレ休憩し、一路三重へと向かいます。伊勢湾岸道路から見る美しい伊勢湾の海です。懐かしの伊勢湾の海です。大型貨物船やタンカーが停泊しています。東海、中部の海の玄関、名古屋港です。世界へと続く大動脈です。活気あふれる名古屋港を感じました。伊勢湾岸道路では、大河木曽三川を渡ります。河口です。もう三重県に入りました。伊勢湾岸道路から、今年3月に開通した新名神とがつながりました。私たちは少し手前で、東名阪自動車道へ入ります。以前暮らした桑名市を通過します。思い出がたくさんの桑名暮らしでした。亀山市から伊勢自動車道となります。松阪インターで出て、スーパーで食料を買って、7時半頃無事帰宅することができました。


 6泊7日の東北桜旅は、お天気にも恵まれて、グッドタイミングで桜の満開に出会えて、感動的な旅でした。車の運転に自信のあった私ですが、若い頃とは違い車を運転する機会も減り、今回の旅ではポアロが全行程を運転してくれました。感謝です。素晴らしい写真の数々、思い出いっぱいの東北桜旅でした。全走行距離は、2760.8キロでした。遠い遠い青森県まで走ってくれた愛車にも感謝です。
 今回の東北桜旅のベスト3を挙げておきます。


No1. 大潟村(八郎潟)の11kmの桜並木
No.2 天童市の枝垂れ桜

No.3 弘前城の満開の桜




2019年5月21日火曜日

東北桜旅(10)宇都宮泊・佐久・和田宿

 栃木県宇都宮駅の近くに泊まり、9時前にホテルを出ました。朝からあいにくの小雨です。宇都宮神社と宇都宮城址へ行き、車の中から写真を撮りました。以前NHKのブラタモリで観た宇都宮神社です。私は初めて来たのですが、栃木県の県庁所在地である宇都宮市は大きな町でした。




今日は東北桜旅の最終日です。気を引き締めて無事に帰宅しなければなりません。9時半鹿沼ICから東北道へ入りました。雨が本格的に降り出しました。栃木市を通り、北関東道で高崎方面に向かいます。今日は10連休の前日なので東京方面を避けて上州、信州まわりで帰ります。佐野市、足利市を通り、10時に群馬県に入ります。伊勢崎市、前橋市を通り、高崎JCで東京方面への関越道と、長野方面への上信越道とが分岐します。高崎市を通り、私たちは上信越道を走ります。世界遺産になった富岡製糸場のある富岡市を通過します。霧が出始め濃霧となってきました。トンネル内で、群馬県から長野県佐久市に入りました。11時半トンネルを出るとお天気はがらりと変わり、素晴らしい青空です。思わず「野に咲く花のように」を歌ってしまいました。「時には暗い人生も、トンネル抜ければ夏の海」まったくその通りです。気温は13.5℃、桜は満開です。
 
佐久SAは晴れて桜とレンギョウ満開

佐久の鯉太郎、後は佐久平


佐久ICを出て、国道141号線で白樺湖方面へ向かいます。小諸市、立科町を通り、1時前和田宿に到着しました。中山道の宿場町です。道の駅和田宿でそばを食べました。食事中大夕立となりましたが、食べ終わる頃には青空となりました。食後40分ほどかけて、和田宿を散策しました。山間の村は桜や桃、辛夷が満開でまるで桃源郷の趣です。


枝垂れ桃のようです

桃の「源平咲き」というそうです





 和田宿は、長野県の中央に位置し、標高800mほどで、途切れることなく湧き出す水と四季折々の彩りが美しい森と、多くの歴史的遺産を残す里山と言われています。太古の昔には「矢じり」などの材料となる黒曜石の産地として古くから交易の場、営みの場として開けていたそうです。江戸時代から明治時代にかけて、中山道の宿場として栄え、今もその町並みを残しています。皇女和宮(徳川14代将軍家茂の正室、仁孝天皇の皇女)が徳川家に輿入れする時に中山道を通りました。和田宿本陣に宿泊しました。幕末の文久元年(1861)3月に本陣など宿場の大半が火災で焼失しましたが、この年の11月に皇女和宮の大行列を迎えるために、町並みを復興させたそうです。







本陣、脇本陣、いくつもの神社、お寺、旅籠など歴史を感じる建物が多くあります。メインストリートを歩くと、江戸時代にタイムスリップしたように感じます。この日は数組の観光客しかいなくて、少し寂しい雰囲気でした。2時頃和田宿を出ました。標高1120mのところにある新和田トンネルを通ります。大夕立のあとの青空です。標高1300m辺りでは、気温は13℃となりました。ここから三重までまだまだ遠い道のりです。