2022年10月25日火曜日

競争心

  今競争心をあおるプログラムにはまっています。遅ればせながらフランス語に首を突っ込んでいるのですが、競争心をむきだしにしています。ネットのゲームに夢中になる子どもたちが急増していますが、年齢に関わらず、今まさにその状態です。

 無料でネットで学べるというプログラムに飛びつきました。世界の人々が参加しています。フランス語だけでなく、あらゆる言語に対応しています。なんの制約制限もありません。自由に、自分の許す範囲の中で、時間を使います。いつでもどこでもです。

 入門編のユニット1から始まって、基礎1、あいさつ、基礎2、人々、旅行、家族、活動など、いろんな項目がありますが、どれでも順不同で自分で選んで学びます。スピーキング、リーディング、ライティングなど、むらなく出題されています。ゲーム感覚で、楽しく遊んでいる感じです。しかし遊んでいる間はいいのですが、だんだん競争心をあおられます。順位が表示されます。昇格降格もあります。1点2点の差でも、順位は順位です。人間誰もが持っている競争心がむきだしになってきます。下がるより上がる方が、嬉しいのです。さらに数多くのリーグがあって、各リーグの上位7人はワンランク上のリーグに移籍します。

 ただ遊んでいるだけと楽しんでいた私は、降格が続きショックを受けました。ある程度時間を割いて頑張らないと昇格できません。そしてそのリーグは、毎週日曜日の午後7時に線引きが行われます。土曜日曜には、世界の人が頑張っているので、手を抜くとどんどん追い抜かれます。賞品が出るわけでもなく、皆が競争心で頑張っているようです。ポアロも参加しています。どんどん先へ進んでいくポアロにも、競争心が湧き上がります。二人が少しの時間でも没頭しています。面白い光景です。脳活になると期待しています。

 (まるこ記)

 

 

 

2022年10月24日月曜日

ふるさと自慢 (ポアロ記)

 NHKの朝ドラ「舞いあがれ」の舞台は東大阪市の高井田、私の故郷の隣の学区です。大阪城の東に広がる中小企業の集中地域です。ネジ、金網、キャスターなど小型金物の生産で有名な地域です。また最近では人工衛星を地域の仲間で作り上げたというエピソードもありました。この朝ドラのセットやロケは見たことがある景色で懐かしく頭の中によみがえってきます。

 鉄と油の臭いのするこの地域に足を踏み入れるとフォークリフトが道路を我が物顔で走りまわっていました。私の隣家の息子さんもこの地域で金物加工業を立ち上げました。友達の父親はこの地でネジ屋を営んでいました。その友達は大学を出ると家業は弟に譲り金物部品業の商社に入りアメリカ暮らしとなりました。

 創意工夫がモットーのこの地域からはノーベル賞学者が2人誕生しています。江崎玲於奈さんと山中伸弥さんです。山中さんはまさにネジ屋さんの息子さんです。





 ドラマの主題でもある飛行機も縁があります。この地域の工業高校である布施工業高校には以前航空学科がありました。私はその滑走路跡で虫取りをした覚えがあります。今近大のキャンパスが広がっているところです。主人公は大学に進みますが、大阪府立大学には航空学科がありました。
 油や鉄の匂いがして、あまり綺麗とは言えない街並みですが大阪の工業化の発展の基礎となった街です。阪神工業地帯として海岸近くは重工業、内陸部は電気会社などが発展しましたがこの地域はそれらの製造会社を支える部品業で成り立っています。
 NHKの番組宣伝になりますが時間があったら見てください。俳優さんの大阪弁もまずまずのようです。
(ポアロ記)

2022年10月21日金曜日

変わりゆくふるさと

  先日久しぶりにポタリングに出かけました。朝から素晴らしいお天気です。雲一つない青空が広がっています。見上げる大空に思わず「天高く馬肥ゆる秋」を口ずさんでしまいました。私の生まれ月の秋は大好きです。お天気に誘われて、市中見回りのポタリングとなりました。きょろきょろしながら、懐かしさをかみしめながらのポタリングです。

 車でスーッと通り抜けるのとは大違いです。ふるさとを離れて半世紀、奈良、東京、名古屋、京都、大阪、岡山、など、あちこちへ移動し暮らしました。どこへ行っても縁を感じました。土地、人、風土、歴史、興味関心好奇心の旺盛な私は、いろんなことが面白くどこでも楽しく過ごせました。楽しい思い出がいっぱいです。そんな中で時々頭に浮かぶふるさとは、遠い存在となっていました。今回の市中見回りのポタリングは、忘れていたことを思い出す機会となりました。メインストリートさえも、昔の面影は消えています。市民の交通の要となっていた駅も、影の薄い姿になっています。駅の隣にあった百貨店も今はありません。青春時代には、よく通いいろいろと買ったお気に入りの店がありました。ファッションも物も時代を先取りした百貨店でした。そんな百貨店が無くなり、駅前ががらんとしています。大通りに面した店も、シャッターが目立ちます。高齢化、少子化、など理由はいろいろありますが、売る人も買う人も、時代の変化をまともに受けています。

 夏の祇園祭の花形となっている三社の一つである八雲神社の前を通りました。神社の前にあった化粧品やさんもわかりません。おじさんおばさんとのご縁で、足繁く通い親しいおつきあいがありました。おじさんおばさんの笑顔が思い出されます。手広く商いをされていた蜂蜜やさんもわかりません。ふるさとでは老舗だった呉服屋さんもわかりません。それらのお店は、地元の有名店でした。親世代のみなさんは、千の風になられていることでしょう。ポタリングをしながら、いろいろ考えてしまいました。すべてのものの命を、そして変わらないものはないということ。不変であり続けるということ。ザ・フォーク・クルセダーズの曲「悲しくてやりきれない」の歌詞「悲しくて悲しくてとてもやりきれないという」フレーズを口ずさんでしまいました。時の流れ、時代の変化、刻々と移りゆくすべてのものに涙が溢れます。

(まるこ記)

2022年10月20日木曜日

零余子(むかご)

 零余子(むかご)、漢字で書くと難しいですがご存知でしょうか? 小料理屋では塩あじでゆでたものが突き出しに出たりします。数年前から家の垣根や電柱にまで巻き付いているつる草が夏に白い小さな花を付け、秋にこの実のようなものに気づきました。正しくはヤマイモのムカゴです。植物の茎が肥大化したものの総称のようです。このヤマイモのむかごはコメと炊き込んで零余子飯として晩秋の季語にもなっているようです。煮たり蒸したりすると皮はつるりとむけます。ごく淡白な芋の味です。


我が家では8月の中ごろに白いかわいい花が咲きます。ツルは細いですが強くて引っ張っても切れません。




10月になるとこのように茎にパチンコ玉程度の塊ができてきて、20日ごろになると茎を引っ張るとポロポロと落ちてしまいます。そのうちにこの根っこを突き止めて長芋を掘ってみたいと思います。




(ポアロ記)

 

2022年10月18日火曜日

誕生日

  今日は私の誕生日です。何回目かの誕生日です。戦後生まれの私は、日本の高度経済成長と共に育ちました。敗戦を経験した日本が、国民一丸となって、逞しく成長していったのです。活気に満ちた日本、町に溢れる若者たち、物が豊かになり、手の届かなかった

車にも乗れるようになりました。富裕層の特権だったかのような、車、テレビ、家電用品など、庶民にも身近なものになりました。仕事を頑張れば収入を得て、欲しいものは何でも手に入れられるようになったのです。そんな日本は戦争も忘れがちとなり、パラダイスの国へと変貌していきました。本質を見抜く力は置き忘れられて、効率が重視されるようになりました。社会が人が、少しずつ変わってゆきました。

 高齢者になった今、心から願うことは、人間にとって何が最も大切かということを、よく考えて決断し、実行することです。ステレオタイプの人間にならないように気をつけなければなりません。そしていつも感謝の気持ちを忘れてはいけません。己が大切なように、それと同様に他者も大切な存在です。人間だけではありません。自然界に存在する全てが大切です。山あり川あり海あり、すべてが愛しい存在です。そのすべてに感謝して、高齢の日々を過ごしたいと思います。感謝、感謝、感謝です。

 

2022年10月11日火曜日

ローカル線 JR名松線


 青空の下、ススキがなびく誰もいない駅。このJR名松線は松阪と三重最西端の名張を結ぶつもりで松阪から工事が始まったのですが1935年に部分開通したのが最後で現在は伊勢奥津という山間部の駅が終点になったまま43.5kmで88年も経過しています。横の道を通りかかったので駅舎を見に寄ったらやはり無人駅。駅前にも何もなく寂しい限りです。


この井関駅はちょうど中間位に位置し、まるこの母の実家はこの駅から歩いて30分ほどの波瀬にあり、よく来たそうです。


小さな待合室があり時刻表が貼ってあります。上り下りそれぞれ2時間ピッチ、つまり1時間に一度だけ列車がくるようです。少し待つと列車がくるようなので待ちました。


松阪方向から鉄橋の音、レールの振動を伝えてやってきました。一両の気動車です
キハ11型とあります。


定刻に到着しましたが降りる人も乗る人もいません。扉もあかずに30秒ほど停車して出発していきました。多分、朝夕の高校生、病院通いの高齢者がお客さんでしょう。


 この先は谷間の川を縫って、トンネルをくぐって進んでいきます。車の発達した現在将来とも乗客が増えることはないでしょう。数年前少人数の県立高校が甲子園に登場して話題になった白山高校はこの先の家城駅の近くにあります。終点の伊勢奥津駅は以前に報告しました。


 (ポアロ記)

2022年10月7日金曜日

ポタリング

 数日前から急に涼しくなったので自転車を手入れして近場のポタリングに出かけました。普通の自転車なのでゆっくりとした走りです。まずは自宅前から堤防のみちをさかのぼります。車は通らないのでゆっくりと走れます。


道沿いにはまだ彼岸花が残っていました。


いい匂いがするので見上げると金木犀です、丁度満開です。


川から離れて田んぼ道を行くといつものヤギさんの牧場です、知らぬ間に3匹に増えています。3月ごろは2匹でしたが、少し小さいのは子供でしょうか?


堀坂山からの川はサラサラと光っています。


田んぼの中に小さな林があり泉の森という表示、初めて訪れました。林の中からきれいな水が流れています。

 


林を抜けるとリゾートホテルのような建物? 産婦人科病院です。環境も建物も素敵な感じです。


やっと着きました目的地の農業公園です自宅から≒5km。平日なので空いていました。


ここは松阪インターの近くにあり体験農場、イングリッシュガーデン、グランドゴルフの芝地、軽食Café、農産売店、文化教室などがあります。今回は野菜とおはぎを買ってきました。

この建物はCaféとイングリッシュガーデンの入口です。


帰り道は少し下り坂になるので自転車はらくちんです。秋の涼しいこの時期には海や山などあちこちにポタリングに出かけたいと思います。今回は約10km、2時間半のお出かけでした。

(ポアロ記)







2022年10月6日木曜日

過ぎ去った日々(6)

  ここまで自分史のようなものをダイジェスト版で書き進めてきました。過ぎ去った日々に思いを馳せると、すべてが懐かしく思い出され自分自身への愛しさが募ってきます。好きな言葉の一つに完全燃焼がありますが、いつの時も完全燃焼で突き進んできました。不器用な人間がどのように完全燃焼できたのでしょうか。不器用な人間だからこそ成し得たように思います。常に一つのことしかできません。器用な人は、いくつものことを同時にこなしていくでしょう。私は一つのことに全身全霊で取り組んできました。結果がどうであれ、爽やかな気持ちで前に進ことができました。

 両親の大きな翼の下で育ち、深い愛情に育まれ、ずっと見守り続けてもらったことに感謝、感謝です。そして私の親友であり恋人であるピアノがいつもそばにいてくれました。ピアノは理想の恋人です。ピアノを恋人のように想い、つらいことも悲しいこともピアノにぶつけて、受け取ってもらいました。包容力のあるピアノです。十代の頃から夢中で読んだ本たちからも、生きて行く上で大切な多くの言葉をもらいました。マーガレット・ミッチェル著「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの言葉、「明日は明日の風が吹く」強く逞しく生きる彼女の姿に感動しました。人間としていろんな面がありますが、強く逞しくという信念を持った女性として、理想とする女性の一人になっています。結婚という船出の前には、いろいろ読みました。深く考えるのが好きな私は、愛とは、結婚とはなど、哲学的な本を読みました。人生というものは幸せばかりではないということ。いろんな試練が待ち受けているということ。先輩方の書かれた本からも、考えるヒントをもらいました。たくさんの本を読みましたが、記憶に残っている作家はたくさんいます。石川達三、田中澄江、遠藤周作、司馬遼太郎、河合隼雄、五木寛之、森瑶子、瀬戸内寂聴、養老孟司、樋口恵子、曽野綾子、桐島洋子などが思い出されます。医師であり音楽療法の先立ちとして活躍された日野原重明氏からは、「今は過去、未来は今」という宝物をもらいました。座右の銘となっています。

 まだ今は旅の途中です。百年人生を目指して歩み続けようと思っています。

(まるこ記)

2022年10月5日水曜日

過ぎ去った日々(5)

  社会人となった私はピアノ教師となり、忙しい毎日が始まりました。三重県南部の音楽教室の講師として、遠隔地までも通いました。電車、バスを乗り継ぎ、二時間かけての通勤です。太平洋に面する漁村でした。会場は小学校の音楽室や漁業組合の二階でした。海が大好きな私は、バスに揺られながら太平洋を眺め、教室の窓から毎日変わる海の表情に見とれました。春夏秋冬四季それぞれの海の姿は、とても魅力的です。荒々しくも優しく包容力を感じさせてくれます。海の魅力に引き込まれます。土曜日と日曜日には、遠隔地へ出向き、他の日は都市部での仕事でした。長い通勤時間に飽きることなく、読書をしたり、編み物に精を出しました。充実した日々でした。

 共に人生を歩む人との出会いがあり、人生の第二ステージへと更なる忙しい日々が始まりました。父母の大きな愛に包まれ成長した私は、いよいよ両親の元から飛び立つのです。寂しさを感じながらも、新しく始まる未来に期待満々でした。

 親元を離れ、奈良で新生活が始まりました。不器用な私は、すべてを自分一人でこなすのに必死でした。それに加えて意欲満々の私は、仕事も再開しました。自宅でピアノ教室を開きました。住まいはニュータウンです。同世代の人たちがたくさん暮らしています。子どもたちがたくさんいます。ありがたいことにピアノ教室は、大盛況でした。

 娘が二人誕生し、私の役割に母親という大きな任務が加わり、ますます必死に毎日を過ごしました。そんな中でも、子どもはすくすく育っていきます。仕事と家事と子育て、大変ながらも、充実した日々でした。怖いもの知らずの若い私たちは、長期ローンでマンションも買いました。ポアロの転勤で、東京暮らしがあったり、戸建てを買ったり、ポアロの東京での八年にわたる単身赴任があったり、そんな中でも娘たちは最終の進学となりました。

 娘二人が社会人となり、羽ばたいて行った後には、また元の二人の暮らしが始まりました。会社員だったポアロが大阪で起業し、私の履歴にオフィスレディーが加わりました。経理担当としてできる限り出勤しました。生まれて初めてのオフィスレディーです。京都から大阪へ、都会での暮らしです。通勤ラッシュも初めての経験です。興味関心好奇心の旺盛な私は、新しい生活が面白く毎日ワクワクでした。

 都会での暮らしは、良い刺激を受けました。経済的にも少しゆとりが出てきた私は、多岐にわたる勉学を始めました。音楽療法、ホームヘルパー、傾聴、大学で社会福祉の勉強、英会話、フランス語会話、手品、スイミング、さらに華道家元での研修、また東洋のハリウッドといわれた太秦の東映シナリオ学校にも通いました、やる気満々の私でした。

 そんな中で、我が家に大異変が起こりました。下の娘が日本を飛び出し、南仏で暮らし始めていたのですが、東日本大震災が起こり、南仏で東日本を助けようと支援活動を起こしました。そこで出会ったフランス人男性が、共に歩む人生のパートナーになったのです。国際結婚です。私たちの暮らしも変化しました。ポアロが大学での職を得て、岡山県倉敷市での生活が始まりました。大阪の事務所と倉敷と、フル活動の日々でした。そして娘の国際結婚があり、私たちはフランスへ何度も行くことになりました。まだまだ続きますが、今回はこの辺でピリオドとします。

2022年10月3日月曜日

過ぎ去った日々(4)

  中学に入ると、本格的に音楽の道を歩み始めました。小さい時から歌を習い、器楽クラブでテレビにも出演し、ピアノのレッスンも地元の先生宅へ通っていました。中学生になってからは、隣の市に住んでおられる大学の先生に習うことになりました。国立大学の先生で、姉が大学受験をするために通い始めたので、私もその先生に習うことになったのです。

小学校時代は、野山を駆け回っていたおてんばの少女は、思春期のお嬢さんに変貌しました。学校ではおとなしくても、いつも学級委員に選ばれてクラスの世話をすることになりました。体育祭では、今までどおりに陸上の花形でした。家では適当な勉強とピアノのレッスンに明け暮れました。

高校生になると、進路を絞り大阪の音楽大学を目指すことになりました。夏休みや冬休み、春休みは、旅館に泊り込んで大学の講習会に参加しました。小学校時代から始まった、田舎コンプレックスは、ますます強まったように感じました。しかし大阪という大都市では、いろんなたくさんの人が集まってきています。その中に混じって一人の田舎の女の子は、目立たない普通の女の子となり、気持ちが楽になりました。

無事音大生になることができて、毎日がバラ色の楽しい日々となりました。寮暮らしも経験し、他府県から来ている友達とも仲良くなり、視野が広くなっていきました。ピアノ科なので、明けても暮れてもピアノを弾き続けました。大曲難曲は、簡単には弾けません。努力の人になりました。他の科の人たちは、練習し過ぎると弊害が出てきます。繁華街の梅田に出かけては、青春を謳歌していました。

青春時代は、何といっても恋する時代です。何も知らなくてもただ恋するのです。それが楽しく良い思い出となっています。純粋な恋する気持ちは、何事にも代えられません。恋する思い出は、青春時代の宝物です。

(まるこ記)