2012年6月30日土曜日

過ぎゆく一日

 今年も一年の半分が過ぎようとしています。歳を重ねるごとに、一年が本当に短く感じられます。同じ一年でも、その感じ方は年齢によって違います。
5歳の子供が感じる一年の早さは五分の一
10歳の子供が感じる一年の早さは十分の一
20歳の若者が感じる一年の早さは二十分の一
50歳の人が感じる一年の早さは五十分の一
70歳の人が感じる一年の早さは七十分の一
そう考えると、この先もっともっと一年が短く感じるようになるということですが、そういうことはあまり気にしないで、一日一日を充実させ、一日を大切に過ごそうと思います。
 今の私は燃えています。2月にブログをスタートしてからというもの、毎日原稿書きに励んでいます。いくら書くことが好きだといっても、イコール上手というわけではありません。家族に笑われながら、日々せっせと書いています。今はやりの脳トレになっていることは間違いなしです。脳を活性化させ、手を、指を使います。目は酷使すると問題が生じるので、気をつけながら休み休みしています。今はまだブロガー一年生ですが、チャレンジ精神で頑張ろうと思います。

2012年6月29日金曜日

徒然に想ううた   短歌三首



恋に恋 した遠き日々 たぐりよせ
    
恋にすべてが あると思いつ



夕焼けに 染まりし君の 笑顔見て
     
明日(あす)も共にと 願い祈りて



臥せし友 届けと祈る 蕺草(どくだみ)の
     
きらめく命 強き太きよ

2012年6月28日木曜日

夏至祭

 6月21日は夏至でした。太陽がもっとも北によって、北半球では、一年中で一番昼が長く、夜が短い日です。この日、三重県伊勢市二見町にある興玉神社で夏至祭が行われます。古来より、三重県伊勢市にある伊勢神宮に参拝する人達が、二見浦で心身を清め、けがれを祓い、禊(みそぎ)を行うのが慣わしでした。二見浦は、禊浜(みそぎはま)と呼ばれ、夫婦岩があります。二つの岩が、夫婦が寄り添うように見えることから名づけられ、二つの岩は、大注連縄(おおしめなわ)で結ばれています。1992年から夏至祭として、3時30分から神事が執り行われ、日の出予定時刻の4時40分に夫婦岩の前の海につかり、禊(みそぎ)を行います。毎年約300人の男女が参加されているそうです。男性は、ふんどし、女性は白装束で海に入ります。今年は、台風4号と5号との合間で、朝日の出現は難しいと思われていた瞬間、東の空が明るく赤く染まり出し、奇跡的に雲の隙間から富士山のシルエットが現れたのです。梅雨と重なるため、富士山と朝日が出ることはまれとのことですが、20回目となる去年、東日本大震災後の夏至の日は、夫婦岩の間に朝日と富士山が重なったそうです。

 私は、ニュースで見たのですが、その光景には感動しました。遠く離れた三重県伊勢市二見浦から日本一の富士山が見える。そして夫婦岩の間に朝日と富士山が並ぶ。その光景はまさに神々しいものです。夏至の日に、昔から執り行われ続けている神事の偉大さに、頭が下がります。

昨年の映像がありましたので見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=D-u60e_sjZg

2012年6月27日水曜日

ある風景


 先日、高速道路のSAで、心温まるほのぼのとした風景に出会いました。私達と同年代の御夫婦です。御主人が新車の前でVサインをして、それを奥様が写真撮影しておられます。車の中は、シートにビニールカバーがついたままです。一見して新車ということがわかります。そして私達と同年代と思われる御夫婦です。その上、新車を前にVサインの御主人のポーズです。私の想像力はどんどんふくらみます。

 御主人は晴れて定年を迎え、その記念に車を購入しました。落ち着いた色、まさにシルバーグレーのスポーツカーなのです。新車が届いて間もなく、夫婦二人の旅に出発です。子供達はすでに独立していて、孫もいると思われます。長年走り続けてきた二人の頑張りの上に、今日があるのです。長きに亘るお仕事、本当にお疲れさまでした。御主人を支え、家庭を守り、家事・育児を長い間されてきた奥様も本当にお疲れさまでした。これからは二人仲良く、孫の成長を楽しみに、趣味を楽しみ、時々は愛車スポーツカーに乗って夫婦二人の旅行にお出かけ下さい。そんな暮らしが出来る限り長く続きますように。

 私達も見習いたいと思います。感化されやすいうちのポアロ(夫)は、早速「定年の記念にスポーツカー買おうかな」と、小さな声でポツリと言いました。

2012年6月26日火曜日

徒然に想ううた 俳句三句




「田植え田に 映る残照 たそがれて」





「わびしさに ホタル探すは 未来像」





「青白き ホタルの光 胸に染み」


2012年6月25日月曜日

私の好きなことば「本当に大切なものは目には見えない」


 「星の王子さま」の著者サン・テグジュペリが、伝えたかったことばです。6月29日は、星の王子さまの日です。サン、テグジュペリの誕生日です。
「心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ」
「肝心なことは、目に見えないんだよ」
「目には見えない本当に大切なもの」
どこの星の世でも、なにより「結びつき」というものが、大切であることに気がついた星の王子さまは、自分の星に帰る決心をします。

「目には見えない本当に大切なもの」とは、何でしょう。
愛情、信頼、誠実、思いやり、真の優しさ、心、・・・・・
「目には見えない本当に大切なもの」それはお金では買えません。
「目には見えない本当に大切なもの」
高慢に、傲慢に生きている人
自己中心で生きている人
感謝の気持ちを忘れている人
責任転嫁する人
自省しない人
人の痛みをわかろうとしない人

そういう人たちは「目には見えない本当に大切なもの」を失ってから、初めてその大切さに気づくのです。
「本当に大切なものは目には見えない」ということを、頭のどこかにしまって、日々過ごしていきたいと思います。

2012年6月24日日曜日

「母」


私が 熱を出した あの時
氷枕を 何度も何度も とりかえて
一晩中 付き添ってくれましたね
お母さん ありがとう

私も もうすぐ二児の母になります


母が 夜なべして 作ってくれた
かわいい リボンのついた ワンピース
フリルが 多いと言って すねた あのスカート

今度は 私が 娘に作ります

いつのまにか 母によく似た 母になりました

2012年6月23日土曜日

「うさぎとかめ」



これ これ いつまで寝ているの
足の速い うさぎさん
そんなに グーグー寝ていたら
かめさん 通り過ぎても 目があかないよ

そーっと そーっと 
寝かせておきましょ うさぎさん
かめさん のろくて 休みなし
ごほうび 一等 あげましょう

2012年6月22日金曜日

ホタルの光


毎年この時期になると、私の家の横の小さな川にホタルが飛んできます。数匹のホタルが、静かに飛んでいます。子供の頃には「ホーホーホタル来い、こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞ」と歌いながら、田舎の川辺を子供たちがぞろぞろ歩き、ホタルが飛んでいるのを見ると興奮したものです。テレビのニュースで、ホタルの乱舞を見ましたが、とてもにぎやかなホタルの群れでした。最近では、都会の川にもホタルを呼び戻そうという活動の成果が、出てきているようです。

私の家のそばで飛んでいるのは、静かな静かなホタルです。今からちょうど7年前の今頃、休日の夕食後のひととき、家族みんなでくつろいでいる時でした。ホタルが一匹飛んできて、リビングの網戸にとまったのです。みんながホタルの周りに集まって騒々しくしても、じーっと静かにしたまま、あかりの点滅をしているのです。その半年前に亡くなった愛犬が、ホタルに姿を変えて、私達の前に現れたのではないかと、思ってしまいました。それ以来、私の家の横の小さな川に、飛んでくるホタルは、愛犬たちだと思い込んでいる私です。



2012年6月21日木曜日

素敵なお話―3


 6月5日のブログに書いた渡辺和子氏の著書「置かれた場所で咲きなさい」が、話題になっています。

 波乱万丈の人生を歩んでこられた渡辺和子氏は修道女となり、36歳でノートルダム清心女子大学の学長に就任され、日本のカトリック教育の最前線に立ち続けてこられました。著書「置かれた場所で咲きなさい」の中から、いくつか心に響く言葉を書いてみようと思います。

  「時間の使い方は、命の使い方です」


  「今日より若くなる日はありません。今日という日を、私の一番若い日として輝いて生きてゆきましょう」


  「不機嫌は立派な環境破壊だということを忘れないで。私たちは時々、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。これらは大気を汚染し、環境を汚し、人の心をむしばむのです」


  「どうしても咲けない時もあります。そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために」
 

  「迷うことができるのも、一つの恵みです」


  「老いは、人間をより個性的にするチャンスです」


現在85歳の渡辺和子氏の言葉の一言一言が、ずしりと重く、心に響きます。

昨日より今日、今日より明日へと、わずかずつでも成長していきたいと思います。

2012年6月20日水曜日

六月の花


 六月の花といえば紫陽花(あじさい)です。梅雨の時期、雨にぬれしっとり咲いています。見る者の心をしっとり優しくしてくれます。子供の頃、実家には色とりどりの紫陽花がありました。華道の師匠をしていた母と、園芸・庭いじりの好きだった父は、いつも庭にいろんな花や木を植えていました。梅雨に入ると色とりどりの紫陽花が、存在感を現します。白、ピンク、赤、青、紫、薄紫、赤紫、青紫、瑠璃色など、いろんな色がありました。一番なじみがあるのは、薄紫の紫陽花でした。紫陽花の花は、色が微妙に変わっていくのもきれいでした。そしてしゃれた感じがするのはがく紫陽花です。紫陽花には、ホンアジサイ、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、セイヨウアジサイなど、約50種類あるそうです。

 全国には、あじさい寺やあじさいの宮は、たくさんあると思います。それぞれの地域で有名になり、観光名所となっているところもあるでしょう。私も、今迄にいくつかのあじさい寺やあじさいの宮へ行きました。その中でも京都伏見にある藤森神社と奈良の矢田寺が懐かしく思い出されます。以前住んでいた町、子育てに奮闘していた若かりし自分や家族、今は亡き父や母、六月の紫陽花は、その頃にタイムスリップするようです。








2012年6月19日火曜日

ツバメの子育てー2


 高速道路のSAへ立ち寄ったところ、そのSAにはあちこちにツバメの巣があり、たくさんのツバメが忙しく飛びかっていました。どの巣にもかわいいツバメのヒナが5羽ほどいました。クリクリの真っ黒な目の愛らしいヒナたちです。親ツバメが交代でエサを運んでくるのですが、一瞬にして親からエサをもらうそのスピードの速いこと速いこと。親ツバメがスーッと飛んできたと思ったら、ワッとエサをヒナたちにやり、又、スーッと飛んでいきます。トイレの中にも巣を作っていました。

安全なところに巣を作るツバメの賢さには、感心します。高速道路のSAのたくさんの巣と、ヒナたちの元気なにぎやかな声は、まるで保育園、幼稚園のようです。梅雨に入りましたが、ヒナたちの巣立ちも間近です。みんな元気で、旅が無事でありますよう、祈ります。







2012年6月18日月曜日

所変われば品変わる


 フランスに住んで10年になる知人の女性から聞いた話です。日本とフランスの違いはたくさんあって、ありすぎて度肝を抜くことが日常茶飯事だそうです。「日本だったらこうなのに」ということは通用しません。フランスで生活するということは「郷に入っては郷に従え」ということで、フランス流に合わせねばなりません。

 先日、依頼を受けて送った郵送物が、1ヶ月になるのにまだ届かないというのです。そしてその2週間後に送った郵送物が、先に届いたのです。フランスへの航空郵便は、SAL便で送りました。だいたい10日前後で着くはずです。フランスでは、ストも多く、バカンスの時期に重なると、郵便スタッフも少なくなるので、日本からの郵送物も所要日数が平常よりは長くなります。

 日本では、とにかく安心安全正確さ信頼性を目標としているので、何かの間違いが起こらない限り正確に届きます。彼女の話では、以前にも1ヶ月以上たっても日本からの郵送物が届かないということがあり、他人宛の間違った郵送物が届き、郵便局へ持っていって調べてもらっても、彼女宛の郵送物はどこへ行ったかわからないと言われ、あきらめていた頃、2ヶ月過ぎてやっと届いたというのです。郵便事情を取り上げただけでも、もっといろんな違いがあるそうです。

 フランス国民の民族性によるのかもしれませんが、そういうことの流れには、そんなに不満を持たないようです。権利は、強く主張し、すぐストを決行しますが、日本のように「つうかあ」と事が運ぶことのほうが、珍しいと見ているようです。日本にいる私としては、何とか無事に彼女の元へ、郵送物が届くことを祈るしかありません。

2012年6月17日日曜日

「幸せですか」




みんな 幸せですか

幸せに なって下さい

僕は幸せだ

私は幸せだ

感謝の気持ちが あれば みんな幸せ



みんな いい顔してますか

私も いい顔

あなたも いい顔

笑顔が あれば みんないい顔

2012年6月16日土曜日

「みんなで」




この指とまれ

みんなで 遊ぼ

何して 遊ぼ

おにごっこ して遊ぼ



お月さんも とんどいで

お星さんも とんどいで

みんなで みんなで

おにごっこ して遊ぼ

2012年6月15日金曜日

「今 何処(いずこ)」


あのお転婆の女の子は どこへ行ったのですか

あの天真爛漫な女の子は どこへ行ったのですか

あの明るい女の子は どこへ行ったのですか



おばあちゃんと隣のおばさんを お客にして

歌って踊っていた女の子は 誰ですか



幼稚園のクラスみんなで写した写真

運動靴をはいているみんなの中で

ただ一人 下駄をはいているのは 誰ですか



面白くて おかしくて 愉快だったあの女の子

あの女の子に会いたいと 思います



今 どこにいるのか 教えて下さい

お手紙 書いて下さい



お手紙 届くのを 待っています

2012年6月14日木曜日

蕺草(ドクダミ)


 今、私の家の小さな庭に、ドクダミが美しい花を咲かせています。群生しているドクダミの小さな花は、白くてとてもかわいくきれいです。昔からドクダミの効能は有名ですが、自分では実際には利用していませんでした。

 近くに住む友人が、数年前から体調を崩し病院にかかるようになり、あまりよくない病気が発見され、現在も闘病生活を送っています。そんな折、我が家に群生しているドクダミのことを知り、ぜひ欲しいという連絡が入りました。役立つものならどうぞと言ったところ、毎年御主人がきれいにドクダミをとっていかれるようになりました。私の方は、庭をきれいにしてもらえるありがたい申し出です。それ以来、友人の家では、ドクダミ茶を作り、同居している息子家族も、孫達も、ドクダミ茶が普通のお茶になっているそうです。五年以上たって、友人の体調も安定しています。梅雨に入った今頃が、ちょうど収穫に適していると聞きました。

 子供達が小さかった頃、父と母がドクダミ茶を作って送ってくれたことを思い出します。二人の娘が、アトピー性湿疹で、ずいぶん苦労した経験がありますが、ドクダミの効能はわかっても、毎日続けて飲むのは難しかったです。ドクダミ独特の香りがあり、子供達はあまり飲みませんでした。父と母の孫達への愛情が、ドクダミ茶につながっていたのだと、改めて感謝の思いでいっぱいです。


2012年6月13日水曜日

文化の町 松本


 松本は、文化の町です。松本の夏は、音楽で盛り上がります。世界中から演奏家が集まり、聴くのを楽しみにしている人びとがたくさん押し寄せます。

 総監督・指揮小澤征爾氏による世界的に有名なクラシック音楽のフェスティバルが、毎年夏に松本で行われています。桐朋学園の創設者のひとりであり、偉大な教育者であった故・斉藤秀雄氏の没後10年にあたる1984年、世界各地に散る同門の志が一堂に集い、メモリアルコンサートを行ったことから生まれたサイトウ・キネン・オーケストラが母体となり、小澤征爾氏が総監督を務めるオーケストラとオペラで形成される音楽祭です。世界でソリストとして活躍している人々が、この時だけ集まってオーケストラを編制するので、演奏のレベルが非常に高く「サイトウ・キネン」は世界でもトップレベルの音楽祭として注目されています。

 1992年から始まった「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、今年20周年を迎えます。2012年8月4日から9月7日まで松本市のあちこちで音楽祭が催されます。松本市民芸術館、松本文化会館、ザ・ハーモニーホール、松本市あがたの森文化会館などです。今年、小澤征爾氏は体力回復のために苦渋の決断をされ、総監督に専念されるということです。

 私はまだ機会を得ず20年過ぎましたが、何とか都合をつけて行きたいと思っています。


松本市民芸術館

2012年6月12日火曜日

信州松本へ 続き


 去年の4月から半年間NHKで放送された連続テレビ小説「おひさま」は、松本、安曇野を舞台にしたお話でした。あちこちでロケをしたと聞いていましたが、随所に「おひさま」ロケ地という案内板が立っていました。わさび農場駐車場脇の美しい川辺には、主人公陽子の店「百白花」が、セットされ撮影していたそうです。現在はすでにありませんが、ここがセット「百白花」という碑がありました。




 陽子の兄春樹が通う松本高校として登場したのは、旧制松本高校で信州大学の前身です。あがたの森公園にあり、現在は松本市立あがたの森文化会館となり、図書館、研修室があり公民館として使われています。誰でも無料で入れます。北アルプスを見渡す絶景の場所でした。雪の北アルプスを見に、また行きたいと思います。

  

2012年6月11日月曜日

信州松本へ


 先日、久しぶりに信州松本へ行ってきました。23年前、8人乗りのワンボックスカーに、私たちの親3人と家族4人の計7人で、一泊二日の旅に出ました。長野の善光寺参りをして、松本城、開智学校、安曇野を回りました。幼かった子供達や今は亡き父や母の元気だった姿が懐かしく思い出され、23年の時の流れを身にしみて感じました。
  あいにくの雨の中、訪ねた松本城は、四百余年の風雪に耐えて、凛然としたたたずまいを見せていました。松本城は、国宝になっています。1593年~1594年に建てられた五重六階の天守閣は、日本の城でもっとも古いそうです。




 松本城の北側にある旧開智学校は、明治6年(1873)に開校され、校舎は明治9年に新築され、90年間使われていました。日本で最も古い小学校のひとつです。和風と洋風の入り混じった擬洋風建築の校舎は、明治の文明開化を象徴する代表的な建造物で、近代の学校建築として最初の重要文化財に指定されたと、ガイドブックに説明されていました。




 松本から安曇野のわさび農場へ回りました。日本一の規模を誇るわさび農場は、開拓から約百年がたっています。北アルプスの雪解け水がこんこんと湧き、一面のわさび畑を潤しています。川辺には水車小屋があり、澄みきった透明の水は、ひきこまれそうです。わさび農場でそばを食べ、お土産に生そばを買い、わさびアイスを食べながら、安曇野をあとにしました。



 23年前、子供達は、ささら(民族楽器のひとつ)を、おじいちゃんに買ってもらい、帰りの車の中では、みんなが元気にささらと一緒に「こきりこの歌」をうたい盛り上がりました。23年前の大勢のにぎやかな旅と違って、夫婦二人の静かな旅は、思い出が多く、大きく、少しセンチメンタルになった旅でした。

2012年6月10日日曜日

「故郷(ふるさと)の小川」


ぼくが さかなとりして 遊んだ 田舎の小川
フナに ザリガニ ドジョウも いたな

麦わら帽子に タモと 大きなバケツ
夢中で さかなとりした 夏休み
走り回って わんぱく大賞 もらったな
いつも 一番星見て 帰ったよ

今も さかなとりして いるのかな
故郷(ふるさと)の あの小川では

2012年6月9日土曜日

「噴水」


生まれた 生まれた 小さな噴水

ぼくのともだち かわいい噴水



大きくなった 大きくなった パパの噴水

あがれ あがれ 天まであがれ



お日さまに とどくといいな

お日さま びしょぬれ おどろくだろな

2012年6月8日金曜日

徒然に想ううた   短歌三首


イタリア語 英語ドイツ語 フランス語

     夢は広がる 地球家族へ



団塊も シニアと呼ばれ ふと気づく

     長い道程(みちのり) 幕はまだまだ



漱石の こころと同じ 怖きもの

     ベールで隠し 人は旅する

2012年6月7日木曜日

不思議な地名


 先日、 朝日新聞の天声人語に面白い地名のことが書かれていました。京都市下京区にある「天使突抜(てんしつきぬけ)」という地名です。地名の由来は、桓武天皇が、京都を平穏にするために、天神を迎え入れ天使の宮として「五條天神宮」を建設しました。当時は最大級の鎮守の森でした。16世紀後半、豊臣秀吉の京都改造の時、町を開くために、近くにある五條天神宮の鎮守の森に道を作りました。五條天神(天使の宮、天使社)の境内を突き抜けて造られた道ということに由来します。五條天神宮は「てんしんぐう」と発音し、昔は「天使の社」と書いたそうです。祀られているのは、少彦名命(スクナヒコナノミコト)という神様で、天から使わされた「天使」なので、別名「天使の社」とも呼ばれたということです。

 2010年に映画「天使突抜六丁目」は、全国公開され話題になったそうですが、私は知りませんでした。京都市下京区に実際に存在するのは、「天使突抜一丁目から四丁目」で六丁目はありませんが、地名から着想を得られたとのことです。監督は山田雅史氏です。

 今まで知らなかったことを教えてもらい、地名とその由来に興味がわいてきました。今は亡き郷土史家の知人に、いろんなことをお聞きすればよかったと悔やまれます。

2012年6月6日水曜日

「幼き日」


幼き日 私はガキ大将だった

ガキ大将は世襲だった

兄、姉、姉、気がついたら私がガキ大将をしていた

いつも十人ほどの子供をひきつれ村の中を遊びまわった

ガキ大将は独裁者

ターザンごっこは自分がターザン

遊びの発案者はガキ大将

自分が飽きるとさっさと次の遊びに移る

学校ごっこはいつも先生

生徒に命令指示を出し指導する



幼き日 私は女王だった

いつも十人ほどの家臣をひきつれ村の中を遊びまわった

女王様はこわいものなし、こわいもの知らず

男の子は気は優しくて力もち 重宝だった

女王様は気まぐれ、我がまま、したいほうだい



幼き日 私はお姫様だった

みんなの愛を全身に受け 甘やかされた

すべて自分の望むとおりと勘違いしていた

自分は動かず、手も使わず、何でも周りの者がしてくれた



幼き日 私は内弁慶だった

淋しがりやで恥ずかしがりやだった

村のガキ大将は町の学校で姿を変えた

村の女王様は町の学校で姿を変えた

村のお姫様は町の学校で姿を変えた

幼き日 私は何変化(へんげ)だったのであろうか

2012年6月5日火曜日

素敵なお話―2

 先日テレビで渡辺和子氏のお話を聞いて、とても心に響く言葉がありました。

渡辺和子氏は現在85歳です。シスターです。岡山県の清心学園の理事長をされています。彼女の父、渡辺錠太郎氏は、1936年(昭和11年)の二・二六事件で、娘の目前で襲撃を受け射殺されました。渡辺錠太郎氏は、当時陸軍教育総監をされていました。渡辺和子氏は、子供のときの悲劇を乗り越えて生きてこられました。

 彼女の言葉です。

  丁寧に生きる(ぞんざいに生きないということ)

  病気も挫折も両手で頂きなさい(無駄に病気になっているのではない)

  愛情は年月と比例しない

  信頼は98パーセントでとめておく(残りの2パーセントは、相手が間違った時に許しの時のためにとっておく)



 著書「置かれた場所で咲きなさい」は、現在ベストセラーになっています。



 お話しされた一つ一つが、大きなそして重い言葉として胸に入ってきました。

2012年6月4日月曜日

墓参


 先日、義母を誘ってお墓参りに行ってきました。義父が眠っている墓所は、私の実家と同じ菩提寺にあります。私の嫁ぎ先のお墓は、新家なので義父だけが眠っています。二百年続く実家のお墓は、私が同じ時を過ごした祖父や祖母、そして父と母が眠っているお墓以外に、多くのご先祖様が眠っている苔むした素朴なお墓があります。
 お墓の前に立つと、現在日本で問題になっているお墓、檀家、寺問題を考えてしまいます。実家は今のところ、兄、甥がいるので、しばらくは墓守ができそうですが、先のことはわかりません。
 地方から都会に出て働き、結婚し、子どもを育て、マイホームも建てて、定年を迎える頃、田舎の親は介護が必要になってきます。そして親が亡くなり、生まれ育った家とお墓が残ります。そうなった時、墓守はいつまでできるでしょうか。子の代では何とかできるかもしれません。でも孫の代では、田舎のおじいちゃんおばあちゃんが元気だった頃、親に連れられて遊びに行ったくらいで、そんなに強い絆があるわけでもありません。そうなるとお墓は無縁仏になるか、子、孫が都会にコインロッカーのようなお墓を作るか、それともお墓を持たず散骨で終わりにするか、これからの日本は今迄と違う形で、亡き人を弔うようになるのかもしれません。
 一昨年夫を亡くした友人は、新家です。一人娘は結婚していますが、今日本で増え続けている子どもを持たないカップルです。友人は仏壇を買いましたが、お墓については悩み迷っています。娘に墓守の負担をかけたくないけれど、高額なお墓を買っても二代で無縁になるのがわかっているから、無駄なことをするのではないかと。彼女が悩み迷うのはよくわかります。先のことを考えれば考えるほど、決断はそう簡単ではありません。
 私は、一年に4回~5回しか行けませんが、お墓参りをすると心が落ち着きます。義母も私も、ぼんやりですがこの先が見えてきています。終焉がそう遠いものではありません。そう思うと、このお墓に眠っている人達と一緒に自分も眠れる所として、終の棲家として愛着が湧いてきます。
 お墓の前に立つと、亡き人たちと生きている者たちとをつなぐ唯一の場所に思えて、心が安らぎます。こんな私の思いから考えると、生きている者が、死後の自分の姿を知るための所として、お墓はとても大切に思えます。

2012年6月3日日曜日

「胸をはれ」



みんな みんな 胸をはれ
悲しい 時でも 胸をはれ

みんな みんな 胸をはれ
苦しい 時でも 胸をはれ

みんな みんな 胸をはれ
つらい 時こそ 胸をはれ

胸をはったら 元気が出るよ
胸をはったら 力が出るよ
胸をはったら 幸せくるよ

2012年6月2日土曜日

「なみだ」


お目目が お池になりました
どんどん どんどん あふれてきます
あふれて 川ができました
ぷるるん ぷるるん お首をふれば
しゃぼんのように とんでいく

これで ハッキリ 見えますか
きれいに きれいに 見えますか
夕やけ 小やけ 明日天気になあれ

2012年6月1日金曜日

徒然に想ううた   自由句三句



スタスタと 子の前歩く 親白寿


「ありがとう」 つい言いそびれ 君は逝き


うたを詠み 指を数えて 俳句かな