2013年10月30日水曜日

徒然に想ううた 自由句三句


 

山の端を 染めて夕焼け 明日へと

 

 

虫の声 聞いて名を当て 合戦か

 

 

あこがれの 年金貴族 夢の夢

2013年10月29日火曜日

どさまわり


 月日の過ぎるのは、本当に早いものです。私達が、どさまわりをスタ-トさせてもうすぐ十年です。仕事の関係で、中国地方、近畿地方、中部地方をバタバタとまわります。ホテルへ泊まるというのではなく、三ヶ所に住まいがあります。もちろん賃貸も含めてです。それぞれいつでも生活できるようにしてあるので、電気・ガス・水道・電話など止めてはいません。人からは、何とぜいたくなことと言われますが、事の流れでこうなってしまいました。冷蔵庫はいつも動いています。保存期間の長い食品はいいのですが、あっという間に賞味期限が切れていて、もったいないこととなる食料が数々出てきます。本当に非経済的なことです。

 一ヶ所にじ-っと暮らしていたというのは、十六年ほどです。単身赴任が十年ほどあり、二重生活の落ち着かない暮らしが始まりました。当たり前ですが、ほとんどの人は一ヶ所で落ち着いた生活をしているのです。しかし、私には遠い日々のように思われます。あちこちに住むというのは、何と言っても地域とのつながりが希薄になります。気楽といえばそうですが、シニアの暮らしは、地域とのつながりが大切です。仕事を終えた後は、そのことをよく考えて生活設計を立てようと思っています。

 そんなわけで、三ヶ所バタバタのどさまわりのため、体も疲れ、ブログを休んでしまいました。これからは気長に、あせらずゆっくり継続したいと思っています。

2013年10月24日木曜日

「空」


今日の空は真っ青

雲一つない晴天

私の心は晴れ渡り

今にも踊り出しそう

 

今日の空は灰色

雲いっぱいの曇天

私の心は沈みがち

思考回路が曇ります

 

今日の空は真っ黒

一日中雨が降り続きます

私の心は伏せています

静的な私です

 

晴れのち曇り 時々雨

たまには雪 たまには嵐

天気の移り変わりは人生模様

移り変わりは自然の流れ

移り変わりを楽しめる人

そんな人になりたいと思う私です

2013年10月23日水曜日

思いつき


 先日、年金受給請求のために戸籍謄本が必要になりました。その時、私は面白いことを思いつきました。戸籍謄本を昔へどんどん遡っていったら、家系図が作れるのではないかとひらめいたのです。

 戸籍謄本は本籍地でしかもらえません。住民票のある所と本籍地が、遠く離れている場合は大変です。郵送でも取り寄せられますが、面倒です。郵便小為替を買って、必要な事由を書き、本人であることを証明する文書、切手を貼った返信用封筒を同封しなければなりません。小為替は、郵便局で平日の4時までしか買うことができません。

 いつからか知りませんが、本籍をどこへでも自由に変えられるようになったそうです。聞いたところによると、自由自在に本籍地を決められるとあって、皇居のある東京都千代田区千代田1番1号や大阪城(大阪市中央区大阪城1-1)、阪神甲子園球場などに人気が集中しているとのことです。本籍をどこへでも動かすことができるなら、戸籍と住民票が同じでもよいのではないかと思ってしまいます。日本国籍を証明するために、また自分のル-ツ・歴史を知るために戸籍があって、本籍地につながるのだと思っていた私には、不思議に思えます。

 そのひらめきから家系図を作ろうと思った私達夫婦は、動き出しました。今のところポアロ(夫)の曽祖父まで辿りつきました。何と江戸時代です。父は大正6年生まれ、祖父は、江戸時代の終わり慶応2年の生まれです。ここの期間が少し開き過ぎの感がありますが、江戸時代がぐっと近づいてきました。身近に感じられます。私の実家は古い家で、同じ土地で何代もずっと続いているので、戸籍ができたところから知ることができると思います。もちろん先祖の戸籍謄本を集められればですが。

 .また一つ、私の夢中になることが始まりました。ドキドキ、ワクワクです。

2013年10月22日火曜日

サイクリング(4)


 先日家族で京都の町を自転車で走りました。

 萩で有名な梨の木神社へ寄り参拝しました。京都御所のそばにあります。ちょうど萩が見頃で、萩祭りで句会や茶会が催され多くの人でにぎわっていました。
 

 昼食は同志社大学のカフェテラスでワンコインランチ(500円)を食べて、ひと休みできました。大学のカフェテラスですが、一般の人も利用できます。ワンコインでできたての食事が食べられるとあって、いつもにぎわっているそうです。
 
 

 次に東方向へ走り、京都近代建築にあげられている内の一つ駒井邸へ行きましたが、あいにく休館日で中へは入れませんでした。駒井邸は、京都大学の近くにあります。私の家族は昔から全員、建築・土木に興味関心があり、旅行する時にはいつも建築・土木遺産を見て周ります。京都には、それがたくさんあります。又追ってブログで紹介したいと思います。
 
 
 

 それから西方向へ走り、京都御所の近くへ戻って、有名な「とらや」でスイ-ツを食べました。たくさんの人でどうしようかと迷いましたが、折角来たのだからと待つことにしました。30分ほど待たされました。待っている間に、目の前を宇治金時のかき氷が、次から次へと運ばれていきます。この日はまだ暑くて、一番の人気が宇治金時のかき氷だと知りました。私達は、クリ-ムあんみつと宇治金時かき氷を食べました。ほどよい甘さでとてもおいしかったです。
 
 
モダン和風の店内

 その後、大きなスポ-ツショップへ入り、いろんなスポ-ツウェアを見ました。サイクリングに夢中になってきた私は、これから先のためにウインドブレ-カ-を買ってしまいました。衝動買いをしてしまいました。

 そして夕食は、2002年にノ-ベル化学賞を受賞した田中耕一氏で有名な、島津製作所旧本社ビルにあるレストランで、コ-スを食べました。少しリッチな気分になりました。この建物は昭和2年の建築で、天井高はとても高く広々空間です。調度品も昔のままで、懐かしさを感じます。今は横に小さなチャペルを作り、結婚式もパ-ティもできます。赤いじゅうたんが敷きつめられ、古いエレベ-タ-もあり、ドアなども重厚です。



 今日は自転車で京都の町を走りまわり、おいしいものを食べて、おまけに買い物もして、ステキな一日でした。走行距離は15キロ、お出かけ時間は7時間でした。

2013年10月21日月曜日

「答えのない問い」


人はどこから来てどこへ行くのか

この問いに誰か答えてくれたでしょうか

私はこう答えたいと思います

人は父と母から来て父と母の元へ行くのだと

肉体は滅んでも魂は父と母の元へ戻ります

 

我はどこから来てどこへ行くのか

この問いに誰か答えてくれるでしょうか

私はこう答えたいと思います

我は父と母から来て父と母の元へ行くのだと

肉体は無になろうとも魂は父と母の元へ帰ります

 

自分はどこから来てどこへ行くのか

この問いに誰か答えてほしいと思います

私はこう答えます

自分は父と母から来て父と母の元へ行くのだと

肉体は消え去ろうとも魂は父と母の元へ帰ります

 

父と母は私の原点

父と母は待ってくれています

大海原の向こうで

無限大に広がる宇宙の向こうで

2013年10月20日日曜日

いま夢中になっていること(2)


 今、私は映画に夢中になっています。月刊のテレビ番組ガイドを買って、映画の放送を見落とさないように、赤マジックで印をつけています。用事で外出する時は、録画予約をします。最近になって映画に目覚めました。何でもかんでも観るのではありません。やはり人それぞれの好みがあります。私は、ホラ-映画とアクション映画は好きではありません。見終わったあと、何かを考えさせてくれる映画が好きです。映画館へ行って観るのは少しおっくうです。自宅で一人映画に没頭します。誰の目も気にせず、涙を流せます。時には英語の勉強にもなります。

 何年か前、脚本を書けるようになりたいという衝動にかられ、映画会社のシナリオ学校へ、少しばかり通いました。一つのものを作り上げるという共同作業に魅力を感じますが、脚本を書くというのは難しかったです。映画を見終わったあと、スト-リ-の進め方に感心させられることがあります。観客があっと驚くような展開の仕方、進展する中で、最後を暗示させる場面を少し見せる手法など、客観的な見方をすると面白いものです。

 最近観た映画では「死ぬまでにしたい10のこと」が、見終わったあと深く考える機会を与えてくれました。自分だったらどうするか、自分だったらどうしたいか、準備はするべきだと思いました。

 映画は娯楽の一つですが、想像力を働かせ、いろんな人生を知ることができると思います。今迄の人生で、映画に夢中になったことはない私ですが、これからは大いに楽しもうと思っています。

2013年10月19日土曜日

今 思うこと


 今迄人生は長い線のようなものだと捉えていました。しかしここへきて人生は点のつながりのようなものだという気がしています。たくさんの点を連ねて、今ここに自分がいるのだと痛感しています。あの点、この点、その点、どの点、点はいろいろ。すべて自分の人生を作っています。点の一つ一つがとても愛しく感じられます。無駄な点は一つもないのです。

 毎年巡ってくる誕生日。一年一年と年輪を刻んでいます。私は誕生日を迎える前日に、この一年を振り返ります。こんなことあんなこと、一年という期間にはいろんなことがあります。自分はこの一年をどう過ごしたか、自問自答します。自分の信念を貫いて生きているか、自分はブレてはいないか、真摯に生きているか、など。一年を反省して、又新しい一年の一歩へと進みます。そうすることで、私は、とても爽やかな気持ちになるのです。

2013年10月18日金曜日

おもちゃ(2)


 早いものでポアロ(夫)が、まるでおもちゃのように片時も離せず、いじっているタブレットが我が家に来て一年が過ぎました。最近では、私がタブレットの恩恵を受けています。起きている間はテレビがついていて、テレビを見ながらの食事、団らんが根付いている私達夫婦は、面白いことに布団に入ってからいろんな論議が始まります。私は記憶より考える方に得手があり、何かにつけて質問をします。地理、歴史、人物、芸術、芸能、映画、ミ-ハ-な話題など、あらゆる分野のことが話題に出ます。私の質問に正確に答えたいポアロは、タブレットが離せません。それをそばで見ている私は、面白くて次から次へと質問を連発します。百科事典、百科辞典のごとく、タブレットは本当に便利です。今迄どこの家にもあった百科事典、百科辞典はいらなくなりました。国語辞典、漢和辞典、広辞林、医学辞典、英語辞典など、何でも知りたいことはタブレットで調べられます。

 私はたくさんの質問を出しておいて、ポアロの説明を聞きながら、それをまるで子守歌のようにしていつのまにか眠ってしまいます。タブレットさん本当にありがとう。一生懸命検索してくれるポアロに感謝です。

2013年10月17日木曜日

夢のような旅


10月15日にクル-ズトレイン「ななつ星in九州」がデビュ-しました。三泊四日で九州を一周します。博多~豊後森~湯布院~大分~宮崎~都城~隼人~鹿児島~阿蘇を周り博多へ戻ります。そして選べるプランやオプションイベントもあります。途中一泊は超高級旅館に泊まるとのことです。テレビで列車の中も見ましたが、ゴ-ジャスな設えで高級感が漂っています。その報道をうっとりして見ていましたが、費用を聞いて驚きました。誰もが気楽に気軽に利用できるものではないものでした。宝くじでも当たったら別ですが。経済的に選ばれた人達の、特権をかざす人達のもののような気がしました。日本が豊かな国になって、富裕層と呼ばれる人が増えたのでしょうか、来年の6月迄予約がいっぱいとのことです。申し込まれた人の年代別内訳は、一番多いのが60代、次いで50代、40代、70代の順となっているそうです。地域別内訳は、関東が最も多く、次いで関西、九州・沖縄となっているそうです。

今迄数回家族で車で九州へ旅行していますが、少しでも経費を低くすることを考えるような庶民の旅でした。武士は食わねど高楊枝の気分で、雲の上のような旅、クル-ズトレイン「ななつ星in九州」を見守り続けようと思います。

2013年10月16日水曜日

「もしもし」


 

ある日 女の子はカメに出会いました

 

もしもし カメさん

「私かね 何だい お嬢さん」

 

カメさんはどうしてそんなに歩くのが遅いのですか

「大きな家を背中にしょって歩いているからね」

 

大きな家には誰がいるのですか

「私の家族だよ」

 

たくさん家族がいるのですか

「子供達の元気な声が聞こえるだろう 妻と八人の子供がいるんだよ」

 

じゃあ十人家族なんですね

「十人の家族が生きていくのは大変なんだ」

 

食べるだけでも大変ですね

「家族の食べるものをとってくるのは大変だ」

 

あなた一人が働いているのですか

「まだ子供達は皆小さくて 末っ子は赤ん坊だよ」

 

じゃあ当分はしんどいですね

「途中でバテないように ゆっくりゆっくり歩いているんだよ」

 

子供達が育っていく日まで 頑張ってくださいね

「その日まで何とかやっていくから 又会いにおいで」

 

カメさんはゆっくりゆっくり歩いて遠ざかっていきました

2013年10月15日火曜日

サイクリング(3)


 今日は娘も誘って、三人でサイクリングに出かけました。田園地帯では、あちこちで稲の刈り取りが行われています。今は農業も機械化が進み、たくさんの人の手を使わずに刈り取りができます。大きなコンバインは、稲を刈り取り、同時に脱穀しどんどん袋へ詰めていきます。コンバインには、人間が一人乗っているだけです。私が子供だった頃の稲刈りとは、大違いです。たくさんの人の手を借りて、背中や腰を痛めるほどの、鎌を使っての稲刈りでした。稲が刈り取られた後の田んぼには、白鷺や青鷺、カラス、スズメなど、いろんな鳥達が集まってきています。自然界の共存、共生を思ってしまいます。

 今から○十年前、二十代の私達は、上の子が一歳にもならない頃、三人でサイクリングによく出かけました。ポアロ(夫)の自転車の前の部分に、小さい子供を乗せるイスを取り付けて、娘を乗せて走りました。田舎の風景を見ながら、山すそまで遠出しました。風をきって走ります。幼い娘は、キャッキャ、キャッキャと声を上げて喜びます。そんな懐かしい思い出を脳裏に浮かべながら、私はポアロと娘の後を追ってペダルを踏みました。

 この日は、思いがけず懐かしい集落を通りました。私の祖母の実家がある村です。私は幼い頃、祖母に連れられその家へ何度か行きました。昔のことです。車はありません。バスも通っていない田舎の村です。家から歩いて二時間ぐらいかかる、山すその行き止まりの村でした。私は乳母車に乗せてもらって祖母のお供をするのですが、いつも面白い話を聞かされていました。今は開発も進み住宅もたくさん建っていますが、六十年ほど前は、何も無い田園地帯と丘陵地帯の林の中を通りました。祖母はいつも油揚げを一袋用意して、林の中へ入る辺りで、その油揚げの袋をポンと道の脇へ置きます。キツネが出てきて騙すので、騙されないように先手を打って、キツネに油揚げをやるのだと言うのです。祖母は真剣な顔つきで、キツネの話をよくしていました。私はいつまでその話を信じていたのか、よく覚えていませんが、今となったら笑い話でも、昔から言い伝えられてきている、人間とキツネの関わりごとだったのかもしれません。

 今はその集落に沿って新しい道ができています。行き止まりだった村も車が通り抜けられるようになり、車社会となった現在は、町の中心地へもすぐ行けるようになりました。この日は自転車で通り抜けただけなので、祖母の実家がどこだったのかよくわかりませんでしたが、またいつかゆっくり訪れてみようと思っています。

 今日のサイクリングは、所要時間100分ほど、走行距離は15キロでした。遠く過ぎ去った昔を思い出させてくれました。

2013年10月14日月曜日

徒然に想ううた 短歌三首


何処かな 探し求めて 行脚する

 

終の住み処は ありやなしやと

 

 

生きるとは どういうことと カバの子の

 

      難し問いに 誰が答える

 

 

食べて寝て 遊んで楽し 生きること

 

      カバの父さん 考え曰く

2013年10月13日日曜日

五十九年の歳月


 今、私の目の前に玉手箱があります。箱のふたを開けると、五十九年前の歳月がとび出てきます。二十年ほど前、私が小学校一年生の時に書いた絵日記が、実家の蔵に大切に保存されていたのを見つけ、それ以来手元に置いています。

 小学校一年生の時の担任の先生は、ベテランの男の先生でした。退職も近いような熟年の先生でした。子供の私から見ると、本当におじいさんのようでした。当時は生活綴り方教育という名前で小学校教育の中で盛んに行われていたのではないかと思います。小学校へ入学して字や数字を覚え、夏休みが終わった二学期から、毎日絵日記を書くのが宿題になりました。学校の一日の終わりに用紙をもらい、翌日の朝、先生に提出します。先生は、赤ペンで一言書いて返してくれます。そして又用紙をもらって帰ります。一年生が終わる時には、絵日記がずいぶんの量になっていました。絵日記が始まった頃に、厚紙に千代紙を張り、表と裏の表紙にしてひもを通し、一枚ずつ綴じていきました。五十九年の歳月に負けることなく、今も読める状態です。

 

 

 今迄も時々玉手箱を開けて、絵日記を読んでいましたが、小学校一年生の自分の毎日が書かれていてとても面白く、今は亡きたくさんの登場人物が思い出されて、感慨深いものがあります。あまりにもおかしくて、噴き出すようなものもあります。たくさんありすぎて全部というわけにはいきませんが、自分でも傑作と思えるようなものを、時々ブログに載せたいと思っています。ひょっとしたら、私が書くことが好きになった原点がここにあるのかもしれません。

2013年10月12日土曜日

耳慣れない言葉

 先日、耳慣れない言葉を知りました。初めて聞く言葉です。「小確幸(しょうかっこう)」これは「小さいけれども確かな幸福」という意味だそうです。村上春樹氏の作品の中に出てきます。村上春樹氏は話題の人ですが、欧米だけでなく東アジアでもたくさんの人に読まれています。
 「小確幸」について考えてみました。人からはつまらないようなことに見えても、自分の気持ちがほっとし、これが私の「小確幸」だと思ったら、それはまちがいなくその人の「小確幸」だと思います。さて私の「小確幸」とは、一日の終わりにお風呂へ入り、湯船に浸かり瞑想をすると、欠伸が出てとても気持ちよくなります。また布団に入り大の字に寝ると、欠伸が出てとても気持ちよくなります。好きな物を食べることも、自然の中に身を置いて、光、風、空気に触れることも、私の「小確幸」です。大空を飛び交う飛行機を眺め、飛ぶ鳥たちや虫たちの姿を見たり鳴き声を聞いたり、木々や花々に生命を見たり、共に生きている自然界の仲間達と、今を共有する幸せを感じます。「小さいけれども確かな幸福」を感じる心を持ち続けたいと思います。
 もう一つ村上春樹氏の言葉で「文化的雪かき」があります。「文化的雪かき」とは、「自分がやるべきことを、信念を持ってこつこつやる」ということです。大きな仕事でなくても、雪が降る中こつこつと雪かきをして道を開いていくように、誰かがやらなければならない仕事をすることです。東アジアの若者達は、まわりを闇に閉ざされても自分の信念で生きていく「文化的雪かき」を続ける主人公に共感しているとのことです。また「村上春樹氏の作品は、これからの生き方の方向性を示してくれる」とも言っています。

 「文化的雪かき」は特別なものではないように思います。すべての人が、今自分のいる場所で、小さなことと見えることでも、信念を持ってこつこつやり抜いて生きていくことだと、私は思います。日本を動かす、世界を動かす、そんな大きな事でさえ、一人の人間の力でできるものではありません。それぞれの場所で、それぞれがこつこつやり続けることが「文化的雪かき」だと思います。

2013年10月11日金曜日

「夢を持って」


何歳になっても夢を持ちたい

大空を飛ぶ

大空を舞う

十五歳で天国へ旅立った友の最期の言葉

「鳥になって空を飛びたい」

「鳥になって自由に空を飛び回りたい」

友の分まで夢を叶えたい

 

何歳になっても夢を持ちたい

日本一周の旅

自分が知っている日本は ほんの一部

もっともっと日本を知りたい

 

何歳になっても夢を持ちたい

世界一周の旅

自分が知っている世界は ほんの一部

もっともっと世界を知りたい

 

何歳になっても夢を持ちたい

私はペンネームを持っている

いつかの晴れの日のために

抱き続ける大きな夢

それはずっと胸の奥にある

 

私の好きなもの

それは人生

上ったり下ったり

道はどこまで続く

坂道は人生

ずっとずっと夢を持って

2013年10月10日木曜日

サイクリング(2)


 ポアロ(夫)と二人でサイクリングに出かけました。今日は長距離を走ろうということで、ポアロは走るコ-スを地図に書き込み、予習もしました。

 まず伊勢街道からスタ-トです。昔の街並みが残っています。近くに新しく立派な自動車専用道路ができたので、街道を走る車はあまりありません。サイクリングとはいえ、私はやはり景色をきょろきょろ見ながら走ります。家並みを見ながら、自分の知らない昔を想ってしまいます。

 旧道が国道にぶつかるところで、一級河川に沿って上流へと向かって走ります。田園地帯が続きます。刈り取られた後の田んぼには、すぐ稲が伸びまた穂をつけています。二毛作はできないものかと、欲を出して考えてしまいます。途中には、集落ごとに古い神社や寺があります。一つだけ寄ったのですが、寺と神社が同じ敷地内にあり、日本では昔から神も仏も同様に人の信仰を集めてきたのだと痛感します。

 


昔は無かった所に新しい道がどんどんできて、今迄田舎と思われていた村に住む人も便利になりました。今は車社会です。車はびゅんびゅん通り過ぎていきますが、人の姿はほとんど見られません。子供達は学校へ、働き盛りは職場へ行っている時間帯だったので、高齢の人が家の中で留守番をしていたのかもわかりませんが、畑で農作業する人も見かけませんでした。山すその静かな集落が続きます。突然、私達の3メ-トル先に上から栗のいがが落ちてきました。パ-ンといががはじけて栗の実がこぼれました。山栗です。私達は自転車をとめて「はじけたばかりの栗の実よ。光ってとてもきれい」と言いながら、栗の実を拾いました。近くにも落ちていて15ケほど拾いました。少し先にはどんぐりも落ちていて、20ケほど拾いました。
 
 
 徐々に上り坂になり、私はギアチェンジをしながら一生懸命こぎますが、どうしてもスピ-ドは落ちてしまいます。そんな私を颯爽と追い越していく女性チャリダ-がいました。ヘルメットをかぶりサングラスをして、タイツにショ-トパンツ、Tシャツという装いで軽そうな専用自転車です。私は後姿しか見ていないので、てっきり若い女性と思い込みました。少し先で私を待っていたポアロは、前から彼女を見ています。「さっきのチャリダ-おばさんだったよ」と言うので、私は驚きました。私が目指すチャリダ-おばさん、あこがれのチャリダ-おばさんです。やる気、元気、勇気がわいてきました。もう少し時間がかかると思いますが、彼女のように坂道もなんのその、颯爽と自転車に乗って走り回りたいと、夢はどんどんふくらみます。



 今日の走行距離は36キロ、5時間のサイクリングでした。おじさんおばさんの二人には、少しきついものでした。山道で拾ったどんぐりと山栗の実を、大切に家へ持ち帰りました。

2013年10月9日水曜日

秋の風情 サイクリング(1)


先日一時間ほどのサイクリングに夕方出かけました。二級河川の堤防を上流に向けて走りました。まだ彼岸花も最後の姿を見せています。色とりどりのコスモスは満開です。銀波に輝くススキの群生が、夕日を受けてとてもきれいです。自分の住んでいる身近なところに、秋の風情がいっぱいです。都会のマンション暮らしでは、なかなか味わえない風景です。
 

 堤防から集落へ入りました。どこからも金木犀のいい香りがしてきます。金木犀は、思い出いっぱいの木です。農家の裏には、大きな柿や栗の木が、たくさんの実をつけています。みかんの木にもたくさんの実があります。
まだ収穫するには、早いような色づきです。
 

 空には、うろこ雲が長く伸びています。だんだん日が落ち、夕焼け雲が茜色に空を染めていきます。山の端が、くっきり浮かんできます。
 

 景色を見ながらの私のサイクリングは、ポタリングと言うのだそうです。自転車に乗って散歩するようなものだということです。日本の原風景を見ているようで、私は豊かな気持ちになりました。今日の走行距離は、13キロでした。爽快感が胸いっぱいに広がり、心地よい疲れを感じた一時間でした。

2013年10月8日火曜日

夫の一言


 先日ポアロ(夫)の口から「走れまるこ」の言葉が飛び出しました。気の短いポアロは、器用で何事も段取りよく手際よくこなしていきます。正反対の私は、一つずつ時間をかけてやっていきます。同時にいくつものことをするのは苦手です。嫌いです。疲れます。器用な人の口癖は「まるで聖徳太子のような自分」と、鼻高々です。「走れまるこ」は、私のスピ-ドをアップさせようと出た言葉でしょう。

 この言葉を聞いて、私の頭にかつての私が浮かんできました。「まるでかもしかのよう」と、友人達に言われた私は走るのが好きでした。これは生まれつきのもので、私が努力をしたわけではありません。あれから○十年が過ぎ、かもしかのような私はどこかへ行ってしまいました。しかし日常生活の中で、時間制限を受けた私は、ネズミのようにちょこまか家の中を走り回って用をこなします。私はネズミ年で、小柄な体で狭い空間の中でも平気に走り回ります。その点ポアロは、縦も横も大柄で狭い空間は苦手です。頭をぶつけたり、背中や腰をすぐ痛めます。

 人の得手不得手、長所短所は、つくづく面白いものだと思います。表から見たら短所と思えても、裏から見たら長所と思えたり、表裏、前後、見る角度を変えると、いろんなことも結局はすべて悪いことだらけというのは無いように感じます。

2013年10月7日月曜日

私の好きなことば「やめられない とまらない」


 私は、時々懐かしいコマ-シャルソングを口ずさみます。

「やめられない とまらない ○○○○○」

人間の心理をうまくとらえていると思います。人は自分の好きなこと、自分のしたいことに没頭します。おいしいものもなかなか途中でやめられません。お酒の好きな人もなかなか途中でやめられません。自分で節制できなくなるともうアルコ-ル依存症です。体を壊し病院の世話にならねばなりません。断酒会にも通わねばなりません。ギャンブルも楽しくて面白くてなかなか途中でやめられません。家庭の崩壊、人生の崩壊につながるかもわかりません。底の底まで行って目が覚めるのかもしれません。

 「やめられない とまらない」は、プラス思考、マイナス思考の両面に通じますが、プラスの面だけを取り上げれば、こんな素晴らしいことはありません。音楽でもスポ-ツでも勉強でも研究でも文学でも、面白くて楽しくて「やめられない とまらない」ということになれば、世界にはばたく音楽家や名選手やノ-ベル賞候補などが、続々と登場しそうです。世界にはばたかなくても、人の一生の中で「やめられない とまらない」と言える何かがあれば、幸せなことだと思います。

2013年10月6日日曜日

「待つ」


待つということは 難しいこと

じっくり気長に待てる人は できた人

そんな人に 近づきたいと思います

 

我が子が 寝返りをする

我が子が ハイハイをする

我が子が つかまり立ちをする

我が子が 一歩歩く

我が子が よちよち歩く

我が子が 走り出す

 

お父さんとお母さんは 気長に待ちました

お父さんとお母さんは 待てる人になりました

 

我が子が 幼稚園へ入る

我が子が 小学校へ入る

我が子が 中学校へ入る

我が子が 高校へ入る

我が子が 大学へ入る

 

お父さんとお母さんは 気長に待ちました

お父さんとお母さんは 待てる人になりました

 

お父さんとお母さんは 気長に待っています

我が子よ 世界を回り いつの日か帰っておいで

お父さんとお母さんは 待てる人になりました

2013年10月5日土曜日

自由句三句


 

幼娘(ご)は 凛々しい姿 七変化

 

 

それぞれの 人生波乱 渦巻いて

 

 

余りの日 友となる人 まだ増えて

2013年10月4日金曜日

私の好きな季節

 夏の名残はまだ残っていますが、私の大好きな季節がやってきました。実りの秋、芸術の秋、思索の秋、スポ-ツの秋、食欲の秋、どれをとっても人間に深く関わりのあるものばかりです。稲穂は実り、収穫の時を待っています。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が、頭に浮かびます。私は秋生まれです。秋が訪れると心が落ち着きます。心がしっとりします。歌「四季の歌」に出てくる歌詞が、ぴったり当てはまるようです。

「秋を愛する人は 心深き人

 愛を語るハイネのような 僕の恋人」


 私の実家は農家でした。秋になると刈り入れた稲を、庭一面にむしろを広げ干しました。臨月を迎えた母は、六番目となる私の出産が間近というのに、朝から稲干しに精を出します。今の時代からは考えられないことです。ベテランの母は、いよいよというところで、父に産婆さんを呼びに行ってもらいます。そして布団に横になった途端に、私が生まれ飛び出したと、口癖のように言っていました。布団から外へ飛び出した私を、母があわてて引き寄せたと言うのです。そこへ産婆さんが到着し、万事無事だったと、笑い話のような事実を話してくれました。まるで笑い話のようなことですが、母からその時のことを聞くたびに、私の生命力に感動しました。自然の営みは、本来そんなものなのだろうと、人間の命の誕生に、神秘さと単純さを感じてしまいます。

2013年10月3日木曜日

いま夢中になっていること

 今、私は自転車に夢中になっています。自転車に乗って風をきって走るあの爽快さは、本当に素晴らしいものです。今年の夏の暑さは非常に厳しいものでしたが、台風18号が去った頃から、少しずつ秋の気配を感じるようになり、早く自転車に乗りたくて気持ちがムズムズしてきました。自転車に乗るのは、何といっても日本の春、秋ほど最高のものはありません。たくさんの花を見ながら、自然の中に息づく木々や鳥達を見ながら、自転車を走らせると心も再生できるようです。
 テレビの「チャリ-ダ-」という番組を見て、なおいっそう感化させられました。あくまでも素人の走りです。それで大満足です。先日、大型スポ-ツショップをのぞきました。ファッションも靴からヘルメットまで、品数がたくさんそろっています。パッド付きのタイツをはいて、ショ-トパンツを重ね着し、Tシャツ、ウィンドブレ-カ-、サングラスも買いました。あとはヘルメットとそこそこ良い自転車も買わねばなりません。今はタウンサイクルで走っています。私の服装を見て、後ろからは年齢がわからないと言って、家族がからかいますが、年齢のことも忘れ自転車に没頭したいと思います。
 おてんばだった私は、子供用自転車に乗ったことはなく、姉達が乗っていた婦人用タウンサイクルに早くから乗りました。足がつかないので、乗る時も降りる時も、サ-カスのように飛び乗り飛び降りで乗っていました。
 自転車で北海道の大自然の中を走りたいと、夢がどんどんふくらみます。その前に琵琶湖一周をしたいと考えています。知り合いの人達が、一泊二日で琵琶湖一周をしたとか聞きますが、私は少しずつ走りたいと思います。琵琶湖一周はサイクリングロ-ドも整備されているので、安心して走れそうです。
 以前イギリスから来ていた英会話の先生が、一人で自転車で琵琶湖一周をして「素晴らしかった、感動した」と、興奮して話されていたのを思い出します。

2013年10月2日水曜日

思い出の中の歌(3)


 テレビから懐かしい歌が聞こえてきました。童謡「しゃぼん玉」です。子供の頃には、兄や姉達と競い合ってしゃぼん玉を飛ばしました。幼い私は「しゃぼん玉」の歌を歌ってはしゃぎました。風に吹かれて空に向かって飛んでいくしゃぼん玉は、とてもかわいく子供心にも夢のようなものでした。私はしゃぼん玉遊びが大好きでした。

 月日が流れ、今度は子供達としゃぼん玉を飛ばしました。家族四人でのしゃぼん玉飛ばしは、幸せの縮図のようでした。子供達は大喜び大はしゃぎで、大きなしゃぼん玉を得意気に飛ばす父親のしゃぼん玉を、追いかけて走り回りました。しゃぼん玉遊びをした日は、お風呂へ入った時も寝る時も「しゃぼん玉」の歌を歌いながらです。私が子供の頃は、石けんを水で溶いてしゃぼん玉液を作りましたが、子供達の時には市販のしゃぼん玉液を使いました。

 童謡「しゃぼん玉」は、野口雨情作詞、中山晋平作曲、大正十二年発表の曲です。この歌に何度も出てくる「消えた」という言葉には、野口雨情の生後すぐに亡くなった愛しい娘を想う気持ちが込められているとのことです。そのことは今迄知りませんでした。そのことを知ってから「しゃぼん玉」を歌うと、少ししんみりしてしまいます。

 子供も大人も楽しめるしゃぼん玉、ロマンを感じるしゃぼん玉、「しゃぼん玉」の歌が、過ぎ去った懐かしい時代を思い出させてくれました。

 

   「しゃぼん玉」

 

しゃぼん玉 飛んだ

屋根まで 飛んだ

屋根まで 飛んで

こわれて消えた

 

しゃぼん玉 消えた

飛ばずに 消えた

生まれて すぐに 

こわれて消えた

 

風 風 吹くな

しゃぼん玉 飛ばそ

2013年10月1日火曜日

ありやなしや


 死後の世界はあると思いますか。ありやなしやどちらでしょうか。先日テレビにカ-ル・ベッカ-氏が出ておられました。日本に惹かれ来日して四十年、人間の精神世界、死後の世界について研究されてきました。私が十年ほど前に傾聴と出会い、人間の生と死を学び始めた頃に、カ-ル・ベッカ-氏のことを知りました。死を学ぶこと、死を知ることは、より深い生につながるという論理は、多くの人に共鳴をもたらしています。

 カ-ル・ベッカ-氏は「死後の世界はある。人間が死を迎え肉体はお骨だけを残すことになっても、意識は永遠に続いていく」と、おっしゃっています。世界を回り、臨死体験をした人の聞き取り調査を続けてこられましたが、国は違っても、ほとんどよく似た臨死体験だそうです。完全に死んだ人が、こちらへ帰ってくるということは、完全にありえないので、いくら短い時間でも医学的に死と判定されたとはいえ、臨死体験をしても死んではいなかったのですから、死後の世界があるということは証明されません。臨死体験をした人達の証言をもとに、推測、想像するだけです。

 しかし私は、肉体は滅んでも魂は永遠に続くと思っています。こんなことを言うと家族は笑いますが、結局は自分がどう思うかということです。私は二度不思議な体験をしています。一つは三十年前のことです。実家へ里帰りしたお盆のことです。実家の裏玄関には、御先祖様がよくわかるようにと、父が灯明をつけていました。久しぶりの帰省で、三姉妹が夜中までおしゃべりに花を咲かせていました。子供達は深い眠りにつき、夫達は離れで麻雀をしています。夜中なので両親は奥座敷で寝ています。その時、裏玄関のガラス戸が不自然にガタガタ鳴り出しました。それがしばらく続くのです。三人が顔を見合わせ「何の音、どうしよう、みんなを呼びに行こうか、お父さんお母さんを起こしに行こうか、どうしよう」と、肩を寄せ合ったのです。何秒ではありません。二分ほど続いたように長く感じられました。三人とも「御先祖様が帰ってきたのかしら」と、思いました。風が吹いたのでもなく、イヌやネコのせいでもなく、もちろん人間が揺らしたのではありません。地震も来ていません。二百年近い歴史のある実家です。御先祖様はたくさんいます。昔からお盆に灯明をつけて御先祖様を迎えるという慣習が続いています。この世に生きている人の目には見えませんが、死後の世界の魂が来たのだと思いました。

 二つ目の体験は二十年前のことです。眠っていた私は何となく寝苦しくなり、人の気配で目が覚めました。目を開けましたが何の変わりもなく又目を閉じました。すると私の枕元にはやはり人の気配を感じます。私は変だな、何かおかしいなと思いながら体を強張らせていました。すると「いいの?いいの?」と、私に伝えるのです。生の声が聞こえてくるのとは違います。しかしハッキリ「いいの?いいの?」と、私は受け取れるのです。その数日後、母が心筋梗塞で突然亡くなりました。母が突然亡くなって私は気がつきました。

その六年前に四十四歳で亡くなった姉が、私に母の死が近いことを伝えにきたのだと。五歳上の姉を私は慕っていました。大好きでした。思春期の頃、姉と私は「母がいなくなったら生きていけないね」という会話をしていました。こんな話は誰も信じないと思います。証明することもできません。でも私は確信しています。死後の世界はあるということ。魂は永遠だということを。清く正しく生きることが、自分を、そして愛する人達を守ってくれるということに結びつくと信じています。