2018年10月11日木曜日

何処も同じ


 ある人から聞いた話です。久しぶりにトウモロコシを食べたくなったので、「トウモロコシを食べたいなあ」と、妻に言うと「ゴミがたくさんできるから缶詰にしといて」との返事が返ってきました。彼は、意に反して缶詰のトウモロコシを食べることになりました。その話を聞いて、私は笑いが止まりませんでした。何処も同じだと思いました。日々の生活は、同じことのくり返しです。食べてはできる洗いものです。食べてはできるゴミの山です。そんなことを何十年も続けて生きているのです。



 週に二回ゴミ収集車が来ます。それに合わせてゴミをまとめる時、よくこんなにゴミができるものだといつも思っています。少しでもゴミを減らす方法は?と考えて、いつも頭を巡らしています。その結果、知人の妻のような台詞が出てしまいます。トウモロコシに関しては、たくさんのゴミができても私の大好物なので、缶詰にはなりません。子供の時には、母が作ったトウモロコシを、大きなザルいっぱいに茹でてもらって食べました。トウモロコシを茹でる時の、いいにおいが台所中に広がります。トウモロコシを通して、故郷がよみがえります。缶詰のトウモロコシを食べるのとは、全然違います。食に関しては、人それぞれのこだわりがあるように思います。
夏の果物の王様といえばスイカです。スイカもたくさんのゴミができます。少人数の場合は、カットスイカで充分です。しかしポアロは「スイカは玉を切った形で食べるのが一番」と言います。カットスイカとは、おいしさが違うとの説です。子供の時は大家族だったので、大玉スイカを大きな包丁で切ってもらい、ワイワイガヤガヤと賑やかに食べました。庭に縁台を出して、星を見ながら夕涼みしながら食べました。夏休みの思い出のひとコマです。知人の話を聞いて、食べるものとゴミとの関係に想いを馳せることになりました。

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