2014年12月16日火曜日

京の冬の人気スポット

 師走の中、日本のあちこちで光の祭典が繰り広げられていますが、ここ京都で話題をよんでいる人気スポットがあります。五条通にある株式会社ロ-ムのイルミネ-ションです。事情により三年間お休みとなっていたイルミネ-ションが、この冬再開されました。新聞・テレビでは見たことがありますが、今回初めて現地へ行ってきました。

五条通りから南を見る




  五時に点灯されるのですが、30分ほど前には、すでに多くの人が集まっていました。点灯された時には、周囲はすでに暗くなっており、見事なイルミネ-ションに感動しました。高くそびえ立つメタセコイアはイルミネ-ションをまとい、メインストリートはその並木道で、本当に美しく皆を楽しませてくれます。会社周辺にはいろんな種類のイルミネ-ションが飾られ、児童公園では、大型スクリーンに、子供達の喜ぶ映像が音楽と共に映り出されています。サンタクロ-スも出てきます。







 この日は寒波襲来でずい分冷え込んだのですが、土曜の夜ということもあり、人の行列でした。ロ-ムは、京セラ・村田製作所・オムロンと並ぶ京都代表のIT企業ですが、市民の為に、市民が喜ぶ社会貢献をしてくれていると感じました。

2014年12月13日土曜日

「想い」

人を想う気持ちは以心伝心
まるで目に見えない何かでつながっている

誰でも同じなのだろうか
それとも私が変わっているのか

そう私は変人
私は突然変異
私は異星人

私はどこから来たのか
私が人を想うと
テレパシ-が流れて
突然その人から連絡が入る
不思議な現象が起こる

親が子を想い
子が親を想い
人が人を想う

想いは清らか
邪悪は無い

こんな想いが家庭にあふれ
町にあふれ
世界にあふれ
人と人を結ぶ

想いは笑顔と同じ
きっとあなたの想いも

あの人に届くはず

2014年12月12日金曜日

恒例行事(クリスマス-2)

昨日のブログのクリスマス・ツリ-の写真を整理したので見て下さい。



最初は今年の京都駅のツリーです



近づくと30mくらいあります


京都タワーとツリーのコラボ


高島屋の玄関です5mくらい


京都ホテルの壁面ツリー大小2ケ並んでいます



我が家のミニサイズツリー



2014年12月11日木曜日

恒例行事(クリスマス)

 師走に入り町のあちこちにクリスマス・ツリ-が美しく飾られています。夕暮れになるとイルミネ-ションが一段と美しくなり、道行く人の目を楽しませています。皆が足を止め、その美しさに見入っています。京都駅に飾られたクリスマス・ツリ-は、とても高いものです。そしてそれよりももっと高いイルミネ-ションが、京都ホテルオ-クラの建物に飾られています。高さは約40メ-トルもあります。
 我が家のクリスマス・ツリ-の歴史も、いろんな変遷を経ました。一番初めは、本物の樅の木を買いました。1メ-トルほどの高さで植木鉢に入ったのを買い求め、私達が親になって初めてのクリスマス・ツリ-を飾り、生後三ヶ月の娘に見せて、親の方が感動したものです。そのあと数年は本物の樅の木を使いましたが、上手に世話ができず枯らしてしまいました。二人目の子供が生まれてからは、お店で大き目のクリスマス・ツリ-を買い、上の子と私達の三人で飾り付けをしました。部屋の照明を消して、クリスマス・ツリ-の明かりを点滅させると、二人の子供はキャッキャ声を上げて喜びました。懐かしい思い出です。
 少し広い間取りの住まいに変わってからは、ピアノの生徒達と一緒に、クリスマス会とホ-ムコンサ-トを兼ねて、年に一度の催しをしました。幼稚園児、小学生、中学生の生徒達は、その催しを大変喜んで、私からのささやかなクリスマスプレゼントを毎年楽しみにしてくれていました。

 長い年月愛用されたクリスマス・ツリ-ですが、最近はミニクリスマス・ツリ-を飾るようになりました。私のピアノ教室が開店休業となり、大きなクリスマス・ツリ-を飾るのも片付けるのも大変になってしまったからです。今は小さな小さなクリスマス・ツリ-を飾り、静かなクリスマスのひとときを過ごすようになりました。

2014年12月10日水曜日

私の好きな言葉「一病息災」


 私の好きな言葉の中に「一病息災」があります。「無病息災」は、神社や寺などへお参りした時に多くの人が祈願することですが、これを最大の望みとして、一つ手前の「一病息災」で満足する方がよいように思います。完璧を望まないこと、完全を望まないこと「一病息災」に感謝する心を持つ方が、人間を成長させるような気がします。人の心の痛みがわかる人間になるためには、自分の欠点、短所を理解している方がよいと思います。「一病息災」であれば、なおいっそう人への思いやりやいたわりが持てるのではないでしょうか。

 若い時から今迄、私はがむしゃらに突っ走ってきました。健康にも恵まれ、大病もせず、それが当たり前のように突っ走ってきました。しかし体は正直に年齢を表わします。そして愚かにもその時まで何も気付かずに突っ走ってきました。人間が年を重ねて行くことは大変なことだと思います。「一病息災」どころか「五病息災」になることもあるかもしれませんが、こんなものだと受け入れて感謝して過ごしたいと思います。

2014年12月8日月曜日

ふるさとの町

 私のふるさとは戦国時代に始まる城下町で人口168万人の地方都市です。久しぶりにふるさとの町を歩く機会がありました。いつもは車でサーッと通り過ぎるふるさとの町ですが、歩きながらキョロキョロしてみると、いろんなことに気づきます。時代の変化は人の行動パターンを変え、町のあり方を変えていきました。私が結婚でふるさとを離れた頃は、町の中心地は人が集まる活気あふれる場所でした。人の流れはバスから駅へ、駅から町へ、町から駅へと循環していました。駅前商店街にはいろんな種類のお店が並び、映画館も食堂もありました。山間部に住んでいる人達は、バスに乗って町へ出てきます。家族で映画を観て、食堂で食事をし、商店街をぞめきます。大人も子供も欲しい物を探し、買い物をします。子供達の元気な声が飛びかう、町の中心地でした。
 日本が高度経済成長をしていく中で、車社会となり、郊外に大型ショッピングセンターができ、駅へ集まる人も少なくなり、駅前商店街は町の中心地ではなくなっていきました。栄華を極めた老舗の商店さえも客足は遠のき、商店主も高齢となり、子供達はふるさとを離れ、後継ぐ者はいなく、店にシャッターがおり、今ではシャッター商店街になりつつあります。子供の頃に家族でよく食事をしたお店や、よく買いに来た老舗の和菓子屋さんは、更地になっています。昔が思い出され懐かしさがこみあげてきます。商店街とはいえ、昔の面影はありません。歩く人もまばらです。車だけが通り過ぎていきます。町の名前も職人町、魚町、殿町など、何を売っているお店が集まっている通りかがすぐわかるものでした。町に初めてできたスーパーのはしりのような店へ、久しぶりに寄ってみようと思い行ったのですが、閉店の貼り紙があります。今年の九月に閉店したとのことです。半世紀以上は営業を続けてきたと思いますが淋しいかぎりです。残念です。

 私のふるさとの町だけでなく、日本のあちこちでこういった状況が起きていることでしょう。時代の移り変わりは、社会の変化、人間の生活環境すべてを変えていきます。「昔はああだった、昔はこうだった」と、懐古する年齢になった自分に気づいたひとときでした。

2014年12月5日金曜日

「誕生に贈ることば」(12)

小さな手 小さなあんよ
産湯を浴びた君と握手した時
初めて君を抱っこした時
大きな喜びで胸がいっぱいになった
私だけのものと思った
いえいえ

君は宇宙からの素敵なプレゼント

2014年12月4日木曜日

「誕生に贈ることば」(11)

ベッド タンス ふとん 枕
メリ-ゴ-ランド
準備万端
グランマはおむつを百枚縫いました
早く来い来い 王子さま
それともあなたは王女さま
まだかな まだかな

ママのおなかはパンク寸前

2014年12月3日水曜日

「誕生に贈ることば」(10)

君の命が芽生えたのは寒い冬
春が来てママのおなかは少し大きくなり
夏にはとても大きくなった
暑い日ママはフ-フ-言って頑張った
そして秋の足音が

君に会えるのはもうすぐ

2014年11月29日土曜日

驚きの光景

 先日二人で京都街歩きをしている時のことです。たくさんの人が集まっているので何事かと思って近づきました。男性、女性、年齢層の高い人達が列を作って並んでいます。喫茶店の前です。私達も店の前へ行って観察しました。ポスターが貼ってあります。「歌声喫茶を月に一度開催します」と書いてあります。そこへ楽器をかついだシニア男性が来て店へ入って行きました。店が開いて、道に並んでいた人達がぞろぞろと店の中へ入って行きました。ざっと見て三十人ほどの人達がおられたのですが、店へ入るのにも時間がかかるようで、なかなか列は解消されませんでした。私達より少し年上の七十代の人達のように思われました。「歌声喫茶」が今もこんなに人気があるとは、驚きでした。



 「歌声喫茶」懐かしい名前です。私も大好きでした。学生時代には何回か行きました。京都四条河原町に「炎」という歌声喫茶がありました。大阪梅田には「こだま」というのがありました。今も私の手元には、小さな歌詞集があります。飲み物とセットで代金を払った記憶があります。歌声ホールという名前が書かれています。店内は山小屋風の作りでした。前のステージには、アコーディオンを演奏する人と、リーダーと呼ばれる歌唱指導の人がいました。若者達の集まる場所として、若さがムンムン、熱気がムンムン、青春そのものでした。歌う曲は、ロシア民謡が多かったように思います。この日、家に帰ってインターネットで調べてみました。学生時代に私が行った、京都の「炎」や大阪の「こだま」は、今はありません。しかし何年か前に再燃ブームが起こり、常時ではなく月に1~2回の割で、歌声喫茶というのが、あちこちで催されているようです。私もそのうちのぞきに行こうと思います。