2015年4月22日水曜日

ご近所のこと(6)「本能寺」

 京都市役所の南側に御池通りをはさんで本能寺があります。本能寺は法華宗本門流の大本山です。寺町通りに面して、立派な表門と日蓮宗の宗祖日蓮聖人の大きな像があります。
寺町商店街に面しています

この地区には日蓮宗の系統の寺が多くあります

 河原町通りに面しては小さな裏門があります。

河原町通の裏門はビルに挟まれています

 本能寺は「本能寺の変」(1582年)で有名ですが、その頃は1kmほど西の元本能寺南町にありました。「本能寺の変」の後、1591年に豊臣秀吉の命で現在の地へ移転しました。境内には塔頭が七つ並んでおり、織田信長廟があります。本堂前には巨木になったケヤキが二本あります。そして裏門近くには大きなイチョウがそびえ立っています。有名な本能寺へは、国内国外を問わずたくさんの観光客が訪れています。

境内に入ると静かな空間になります

南側に塔頭が並んでいます、その後ろは墓地になっています

織田信長の廟

江戸時代の大火災の時も生き残ったという大銀杏

古木ですが新芽が出てきています


2015年4月21日火曜日

有名人との遭遇

 昨日の夕方のことです。雨の中を買い物に出かけました。市役所前広場にさしかかった時、交通整理をしているガードマンに止められました。黒塗りの大型車が市役所前広場へ入ってきます。何事かと思って広場を見ると、たくさんのクラシックカーが並んでいます。長年の車愛好者であるポアロ(夫)の目が輝いてきました。クラシックカーは、あこがれの夢の車です。先ほどの大型車から女性が降りました。司会の方が「彬子女王殿下がご来席になられました」と言われたので、驚いて注目しました。彬子さまは、今は亡き三笠宮寛仁親王のご長女です。

市役所玄関にて彬子さまと京都市長(いつも和服)

  • 優勝した BNC 527 MONZA 1927年製
   ゲートには「LA FESTA PRIMAVERA 2015」と大きく書かれています。イタリア語で「春の祭典 2015」だそうです。クラシックカーで四日間走り続けるラリーとのことです。名古屋を出発して、紀伊半島(三重県、和歌山県)を走り大阪へ、そして昨日は琵琶湖を一周して京都でゴールするのです。京都市役所正面玄関がゴールとなっています。彬子さまはこの会の名誉総裁をされており、京都市長とともにゴールする車を迎えておられます。参加したクラシックカーは50台以上もあります。クラシックカーのことはよくわかりませんが、古い洋画に登場するような車ばかりです。昨日のお天気は荒れ模様で一日中雨が激しく降りました。クラシックカーはオープンカーが多くて、皆さんヘルメットをかぶりゴーグルをかけてかっぱを着て、ある人は傘をさしてゴール入りです。見たことのないたくさんのクラシックカーが、一堂に集結している光景はとてもゴージャスなものでした。


LAGONDA 2L 1933年製

LAGONDA LG45 1936年製

TRIUMPH TR2 1954年製

MGA 1956製

AC ACE 1957製

CITROEN TRACTION ALANT 7CV

 私は珍しくて面白くて、次から次へとゴールするクラシックカーを目を凝らして見ていました。するとインタビューしている司会の方が「堺正章さんでした」と言うのが聞こえてきました。驚いた私達は、広場から一般道路へ出て行くところで彼の写真を撮ることができました。ヘルメットにゴーグルの出で立ちなので、言われてやっと彼だとわかるものでした。陽気な人柄をあらわすかのように、彼は大きく手を振って走り去っていきました。

運転は堺正章さん、車はイタリアのマセラティ 1957年製
  
 たくさんのクラシックカーの中の最高齢は九十歳で、若いのでも五十歳とのことです。ヨーロッパの車が多く、何台かアメリカのがありました。クラシックカーの同好の人達が集まり、毎年開催されているラリーです。四日間での走行距離は1100キロとのことです。

 興味関心好奇心の旺盛な私達は、雨の中でしたがうっとりしながら、美しいたくさんのクラシックカーを見せてもらい楽しませてもらいました。また思い出に残る、思いがけない有名人との遭遇でした。

2015年4月20日月曜日

ご近所のこと(5)「角倉了以と高瀬川」

 家の近くを流れる鴨川から取水口で引き入れられた水は、みそそぎ川を通り高瀬川へと流れていきます。高瀬川は江戸時代の豪商角倉了以(すみのくらりょうい1554~1614)が私財を投じて開削した運河です。京都二条から伏見に至る運河で、淀川本流につながり瀬戸内海に出ることができます。江戸時代には京都の町に木材、食料、薪炭などの物資が運ばれました。その角倉了以が江戸時代(1611年)に建てた氏邸跡、別邸跡があります。木屋町二条に碑が建っています。

一番上流の船溜まりが「一之舟入」で現存しています

一乃舟入には鯉や亀が暮らしています

高瀬舟が再現されています
 その別邸の庭を通り抜けると高瀬川となります。そのころ作庭された庭園は「高瀬川源流庭苑」と呼ばれている2,600㎡の池泉回遊式の庭です。東に鴨川、東山の山並みを望み、川には石橋が架かり、滝口が組まれ、樹齢何百年という多くの樹木が植えられています。初夏には庭に蛍も飛び交う素晴らしい庭です。所有者は時代とともに変わりましたが、近代では軍人、政治家である山形有朋も所有しました。今は二十年ほど前から和食の店が営業しています。



木屋町通りの向かい側にある角倉氏邸跡は現在日本銀行京都支店になっています。

日本銀行京都支店の通用口

日本銀行京都支店

京都銀行協会〈昨日の島津創業記念館の隣です)
 ブログを書くにあたり少し勉強しましたが、長い歴史が脈々と続いているこの京都に住めるということをありがたく思っています。

2015年4月19日日曜日

ご近所のこと(4)「京都市役所」

 京都市役所本庁舎は1927年(昭和2年)の竣工で、政令指定都市の市役所では一番古くからあるものです。歴史を感じる建物と落ち着いた雰囲気の中には風格が漂っています。



搭屋のカリヨンが時報を告げます

桜が散って欅の新芽が出てきました

 南側には御池通りに面して市役所前広場があり、市民に愛され利用されています。子供達の遊び場でもあり、町の中心地にありながらベンチに座りホッと息つく時を持てる場所として、癒やしの空間になっています。

休みの日は子供たちの遊び場

東の隅には子供のスペース

近辺の子供たちの自転車の練習場です

西の隅ではフラダンス

街歩きの休憩所

ひそやかに季節の野草

市役所前広場ではいろんなイベントが催されます。昨日からは「京都国際写真祭」が始まりました。あちこちに会場が設けられ、その一つが市役所前広場にも作られました。一週間ほど前から何か面白そうなものが建ち始めたのですが、それが国際写真祭の会場の一つだったとは知りませんでした。

国際写真祭の仮設展示場

今迄にもいろんな催しが行われています。以前ブログに書きましたが「京都でフィレンツェ」といったイタリア料理のフェスティバルや「京都まつり」「京都よさこいまつり」「スクールバンドフェスティバル」「警察音楽隊コンサート」など、また他にも野菜・魚など食べ物の市や、アートの紹介販売もあります。定期的に「フリーマーケット」が開かれ、結構多くの人で賑わいます。市庁舎の前にたくさんの人が集まり、あるいは国際的にも開かれている広場は、外国によく見られる広場のようです。


2003年の京都まつり〈舞台上は尾崎亜美さん)

今年の桜まつり

昨年10月の京都映画祭

 十五年前、私達が京都に住み始めて迎えた最初の大晦日は、二十一世紀へ突入するという特別な大晦日でした。市役所前広場では大イベントが催されました。鞍馬の火祭りや広河原の松上げを初めて見た私達は、その壮大さと雄大さに感動し、新しい世紀を迎えることに気が引き締まったことを思い出します。

2015年4月18日土曜日

ご近所のこと(3)「島津さん」

 今日4月18日は「発明の日」です。1954年(昭和29年)に制定された記念日とのことです。発明の日を含む月曜日から日曜日が「科学技術週間」で、これにちなんで家の近くの島津創業記念資料館が今日と明日の二日間無料公開されています。私達は何年か前にも行っていますが、久しぶりに行ってきました。館内は以前とは違いずい分リニューアルされていました。住まいの部分も再現され、展示も充実しています。以前に行ったレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館のようでした。






  今では日本を代表する科学メーカーである島津製作所は、1875年(明治8年)初代島津源蔵が京都木屋町二条で創業しました。理化学器械を製作しました。長男である二代目島津源蔵は、日本のエジソンと呼ばれる発明家で、理化学器械の製造で始まった島津製作所を大きく発展させた実業家でもあるのです。1896年(明治29年)にX線写真の撮影に成功し、1909年(明治42年)わが国初の医療用X線装置を完成させます。1911年(明治44年)には雑誌「サイエンス」を創刊し、1930年(昭和5年)日本の十大発明家の一人に選ばれました。1903年(明治36年)に河原町工場を河原町二条に新築し、1919年(大正8年)には西大路三条に三条工場を開設します。三条工場は現在も現役で世界へ発信し続けています。GSバッテリー、大日本塗料も島津源蔵がつくった会社です。河原町工場は建物をそのまま利用して、数年前からレストランと結婚式場として活用されています。以前食事をしたことがありますが、建物の中は、明治時代の面影が色濃く残っています。


二代目の本社も有形文化財に登録されています


レストランはフレンチです



 1975年(昭和50年)に創業100周年を迎え、島津創業記念資料館が開設されました。2002年(平成14年)には、社員の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞されました。この大きなニュースは記憶されている方も多いと思います。
 二代目島津源蔵は「努力と信念の人」と称されており、記念資料館の中には「処世の要道 三十ヶ条」が掲げられています。家庭と仕事を重んじ、この二つを人生の要とし、自らもごく平凡なことを人一倍熱心に守り、事務所や工場に掲げて、若手従業員から幹部に至るまで等しく厳格に教育したそうです。源蔵自身が発明にかけた人生の中で、徹底して実践することにより培われたこれらのことは、現在も多くの人の共感を得ています。
 どこにも郷土の偉人が存在しますが、日本の偉人として私は、二代目島津源蔵に大きな魅力を感じます。京都では、尊敬の気持ちを込めて島津製作所のことを「島津さん」と呼んでいます。


2015年4月17日金曜日

ご近所のこと(2) 「おこしやす」

 私の家の近くには、修学旅行生がよく利用する旅館がたくさんあります。旅館の玄関前には「おこしやす」「歓迎○○中学校様」と書かれた迎えの看板が掲げられています。今まさに修学旅行シーズンで、旅館から少し離れた道幅の広い道路に、観光バスが何台も停車し、たくさんの修学旅行生が降りてきます。旅館の人が何人か、法被を着た番頭さんらしき人も、迎えに出ています。

本能寺併設の旅館

おこしやす

大通りでバスが待機

木戸孝允旧宅跡の旅館「石長」

遠くから「おこしやす」


  そして昔は見られなかった新しい現象が、何年前からか起きています。翌朝、旅館の前にはタクシーがずらりと並び、タクシーを利用しての自由行動が始まります。タクシーに定員いっぱいで乗り込み出発です。朝から夕方まで、各グループが計画した方向へ出かけます。京都の名所ではタクシーの運転手さんが子供達を案内・ガイドしている場面によく出会います。特に清水寺や新京極、寺町通りは人気があるようです。従来の修学旅行では、数時間の自由行動が計画されていて、場所も狭い範囲に規制し、先生方は、何事もなく自由行動が終わるのをハラハラして見守っておられたことと思います。そのことを考えれば、タクシーの運転手さんにすべてを任せるというのは、学校側にとってもよい方策だと思います。子供達も修学旅行先で、先生とは違う大人の人と出会い、接するということは、よい経験になるでしょう。おそらく二泊三日の修学旅行だと思いますが、最終日の朝には、旅館の人が数人出て子供達を見送ります。観光バスが見えなくなるまで手を振り続けておられます。それにこたえてバスの中から子供達も手を振っています。

 修学旅行という短い時間の中での人と人との出会いは、貴重な一期一会です。京都へ来る修学旅行生達に出会うたび、私の頭には「修学旅行」の歌が浮かび、いくつもの修学旅行が思い出されます。

2015年4月16日木曜日

700回達成

 私のブログが700回を突破しました。毎日の小さな一つが積み重なって700回となりました。ここまで書き続けてこられたことに我ながら驚いています。読んで下さっている皆様本当にありがとうございます。


 一昨日驚いたことがありました。ロシアでの読者の数が1日で20人以上とネットに表示されているのには非常に驚きました。世界の国で読んでもらっているとは嬉しい限りです。数年前には想像できなかったことです。世界がネットで結ばれ、名も無き一ブロガーおばさんのブログに目をとめて下さる人がいることに感謝です。外国での読者数は、フランスとアメリカで常客になって頂いている方が多いようで高い数字です。


人気のあったページは下のようになっています。


ページの下の方にコメントや評価(おもしろい)の欄があります。ご意見、感想、質問ございましたら記入ください。また、おもしろかったらリアクション欄にチェックしてください。




 読者数に励まされてここまできました。これからもコツコツ書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。