2017年9月23日土曜日

フランスへ(周遊の旅-15 帰途)

 フランス周遊の旅の最終地オレルアンを出て、国道を走ります。ここからモンペリエまで650㎞くらいの道のりです。途中の小さな街オリヴェのパン屋さんで、またまたパンを買って走りながら食べます。途中ガソリンを入れたりして国道を走っていくと、ヴィエルゾンという交通の要所に出ました。ツールやアンボワーズへの分岐点です。二泊したアンボワーズが懐かしく思い出されます。広いフランスの北から南への移動です。気温は22°に上がってきています。


一時半ごろブールジュという街に着きました。大きな古い大聖堂へ寄り見学しました。サンテチュンヌ大聖堂です。12世紀末~13世紀にかけての建造で、13世紀の赤いステンドグラスが有名です。世界遺産になっています。小さな街で少しさびれた雰囲気を感じましたが、古い古い大聖堂を中心にして、長い歴史の中で、脈々と街が、人が、生き続けてきたことは感慨深いことです。








 そのあと少し走ったところから高速道路に入るのですが、高速道路の入口近くにマクドナルドがあったので寄りました。日本よりは、価格が高いようです。娘は、マクドナルドを好まないようで「えっまた!」と、ぼやきます。私達は、日本で手軽に食べられる手段の一つとして時々利用しています。マクドナルドを買い込み、高速道路へ入りました。ここで気温は24°になっています。ノルマンディーでの冬のような寒さが、懐かしく思えます。



雲が美しいフランス中央部

三時頃に休憩したSAは「フランスのど真ん中」というSAです。フランスの地図を頭に描いて、ここがど真ん中ということを確認しました。確か日本にも「ここが日本のへそ」と、名乗っている市町村があったのを思い出しました。ほほえましい限りです。

フランスのど真ん中の休憩所

簡単な休憩所です


ここからポアロに運転が変わりました。こんな時のために、国際免許証を用意してきたポアロです。フランスでは、車は右側走行ですが、高速道路では前進のみなのでそんなに気にはしていないようです。しかし眠いと言っていた娘は、ポアロが運転し始めると、厳しい指導教官に変身しました。眠気も吹っ飛んだようです。「右に寄りすぎ、左に寄りすぎ、スピードもっと上げて、遅いよ、速すぎるよ」大きな声で指示が飛びます。学生時代から自動車部に籍を置いていたポアロは、車の運転にはかなりの自信を持っています。厳しい指導教官に疲れたようで、一時間ほどで、また娘に運転が変わりました。後部座席でこの光景を見ていた私は「老いては子に従い」という言葉がちらりと頭をよぎりました。と同時に少しふき出してしまいました。

フランスの高速道路にはほとんどトンネルはありません。


  四時半頃、ビシーという街が見えてきました。ここはナチス政権の言う通りを実行した場所として名が残っているそうです。ビシー政権というそうです。続けて遠くに火山、温泉で有名なクレルモンフェランという街が見えてきました。高い山並みが続いています。五時で気温は27°です。

フランスではめずらしい火山、温泉もあるようです。

七時半頃ミヨー大橋を通過しました。私達は、七年前に日帰りで訪れています。ずい分前のことですが、日本のテレビで目にした車のCMでミヨー大橋が映った時には感動し、一度行ってみたいと思っていたものです。今回は二度目のミヨー大橋です。ミヨー大橋を渡る時は、やはり感動します。空を駆け抜けるようです。空間移動を感じます。




 そのあと高速道路無料区間を走り、一時間ほどでモンペリエ市に入りました。
気温は28°になっています。北の寒さ、涼しさがうそのように感じられます。


  八時半頃に、娘宅へ帰りました。門の所に懐かしい顔があります。車の到着を待っていてくれたSON―IN―LAW (義理の息子)です。たくさんの重い荷物を四階まで運んでくれました。このアパートには、エレベーターがないのでシニアには大変です。本当に助かります。夕食も作ってくれていました。手作りのオムライス、トマトサラダおいしかったです。

十一泊十二日のフランス周遊の旅は、無事終わりました。今回の旅の思い出は、私の宝物となりました。走行距離2830キロでした。京都から北海道一周して帰った距離に相当するそうです。事故にも遭わず、無事帰れたことに感謝です。旅のほとんどを一人で運転してくれた娘、ドライバー兼ツアーコンダクターそれと通訳に感謝です。

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