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2025年11月7日金曜日

ポアロの日常の暮らし


長年働き続けて仕事を終えたつれあいポアロの日常を、少し考えてみることにしました。仕事を終えて、仕事から解放される日を、夢にまで見ていたことと思います。その日が来たら何をしようか、何がしたいのか、いろいろ考えて期待に胸をふくらませていたでしょう。その日の到来に、私は興味関心好奇心でいっぱいでした。その一つ目は、時間を気にせずゆっくり寝れることでした。私は、見守るだけです。次に、テレビです。テレビに時間制限はなく、見たい番組を見続けます。野球観戦がトップです。アメリカの大リーグ、日本のプロ野球、大満足の野球観戦です。私は見守り続けます。テレビは、飽きることなく、野球観戦が終わればニュースやワイドショーがあります。ただ心配なのは、テレビの前に座り続ければ、運動不足になって体によくありません。それは自分でもよくわかっているので、テレビを見る時間を考えるようになりました。

次に思いついたのは、チェロを弾けるようになりたいという思いでした。早速楽器店へ行き、いろいろ聞いて、レッスンを始めることになりました。楽器がなければ練習もできません。思い切ってチェロを買いました。レッスンは、月に二回です。現在ちょうど二年が経ちました。毎日欠かさず弾いています。私もチェロの音色は好きです。弾けるようになりたいとは思いますが、いろんなことに手を出してはまずいと、今は憧れだけで踏みとどまっています。

次に好きなことの一つである工作を始めました。和雑貨として人気があるものです。時間が取れる時は、せっせと工作作りに精を出しています。




私の父も、いろんなことをしました。能面、七宝焼き、油絵などです。晩年は、ポアロと同じ工作でした。和紙で作る小箱です。ふたも作って、とてもきれいに仕上げていました。ポアロの工作も、きれいな和紙を買い求め、和雑貨屋さんに並べられるようです。父もポアロも、手が器用で、うらやましい限りです。ポアロの日常の暮らしを書いてきましたが、これからも続けて書いて行こうと思います。

2025年7月20日日曜日

漢字力

  最近、とみに漢字力が低下しています。以前は、いくども助けてもらっていた漢字辞典も使っていません。漢字を書くということも、少なくなってきています。日誌を書く時に、漢字について、不安な時は、手元にある電子辞書で確認しています。

 パソコンを打っている時には、変換すればすぐ漢字がでます。あまりにも、便利すぎて、怖いほどです。この便利さが、人間を退化させる根源だと思います。苦労してこそ、汗をかいてこそ、自分の身に着く一番の方法だと思います。たくさんの漢字を覚えたと、自負している私ですが、記憶が薄れることのないように、自筆でせっせと漢字を書きたいと思います。

2025年7月19日土曜日

マイブーム

  今振り返ると、いろんなマイブームがありました。食べる物から、趣味趣向、聞きたい音楽から持ち物すべてです。マイブームは、不滅のものではありません。そのときそのときで、変わっていきます。マイブームが去ると、あのマイブームは何だったのかと、気落ちします。二年前には、アイスクリームにマイブームが起きました。同じアイスクリームを、食べ続けました。そのときは、そのアイスクリームが、大好きとなり、他のアイスクリームは目に入りませんでした。ところが、今はケロッと忘れています。移り気と言われれば、それまでです。今までのマイブームを、記憶を頼りに思い出して、記録をとろうと思います。

2025年7月18日金曜日

方言の面白さ

 

 生まれ育った三重県から、結婚によってふるさとを離れ、早半世紀が過ぎました。夫の仕事の移動で、あちこちで暮らしました。どこへ行っても、「まるこさんは、関西出身ですか?」と言われました。長年使ってきた言葉は、そう簡単に変わりません。関西特有のイントネーションが、あったのだと思います。

 自分では気づかないうちに、使っていることばは、家族にも笑われるほどです。三重県中部に限定した、方言です。

 「さんす?」

       *「これ飲まんす?」

       *「行かんす?」

      

      語尾に「す」が付くのです。「さんす?」は、相手を敬う敬語です。

      どこで教えてもらったのか、記憶はありません。いつのまにか、身についたことばです。自分が話す言葉に、笑いが吹きこぼれることも、多々あります。

 

 岡山県で暮らした時には、ほほえましい方言と出会いました。

  *「じゃろ、じゃろ」です。みんなの会話のなかで、いくつもの「じゃろ、じゃろ」が、飛び出します。すべての会話の語尾に「じゃろ、じゃろ」が、付くのです。年齢には、関係ありません。老いも若きも「じゃろ、じゃろ」です。「じゃろ、じゃろ」の単語の中に、敬語の意味も含まれているので、年下の人が、先輩に「じゃろ、じゃろ」を付けて、普通に話します。   

 

 方言を研究したら、非常に面白いと思っています。

 

2025年7月15日火曜日

ハ行の私

 

 生まれて初めて、ある知人から言われた言葉です。

「まるこさんは、ハ行の人だね」

 

どういう意味なのか、私はまったくわかりませんでした。

会話を進める中で、だんだん意味がわかってきました。

人との会話の中で、私が発するあいづちが、ハ行のハヒフへホが多いということらしいです。

それからは、いつも気を付けて、カウントすることにしました。

「ハ~」

「ハ~ん」

「ヒヒヒ」

「フ~ん」

「フンフン」

「へ~」

「ホ~」

「ホウホウ」

こんなところです。

まだもっともっと出てきそうです。

自分では、気づいていなかったことを、教えてもらってうれしかったです。

我ながら、とても面白いことだと、にやにやしています。

 

2025年7月14日月曜日

ミミズの字

  後期高齢者になって、驚くことが増えています。先日、自分が書いた字が読めなくなりました。解読不能です。どういう状況だったのか、思い出してみました。とにかく眠くて眠くて、居眠りをしながら、メモをとったようです。ミミズがたくさん並んでいます。自分が書いた字とは、思えません。笑い転げてしまいました。

 学生時代を思い出しました。講義を受けながら、いつも熱心にノートに書いていた私です。授業が終わって、ノートを見ると、たくさんのミミズが並んでいます。何を書いたのか、まったくわかりません。学生時代のこんな経験は、一度や二度ではありませんでした。遠い昔の思い出ですが、今もなお、同じことをしているとは、我ながらあきれかえっています。

2023年8月19日土曜日

私の好きなことば「人間力」

  後期高齢者の仲間入りをした私は、今「人間力」に大きな関心を持っています。若い時から摩訶不思議な人間の魅力にひきつけられ、哲学に興味を持ち、人間の心の内を研究したいと考え続けてきました。表には出ない心の内ほど、奥深いものはありません。自分の人間力を高めてきたつもりです。各人がそれなりに考え、歳とともに人間力の向上に努めてきたとばかり思い込んでいました。わずかの成長が大きな成長に繋がっていきます。最近自分の家族について、ショックを受けました。自分と同じように、人間力の向上に努めていると思っていたのは、私だけでした。他者への思いやりの欠如、失言暴言、自分勝手、我がまま、天狗となった思考回路、人間力の低さを見せつけられ失意のどん底です。いつの日か立ち直れる日が来るのか、今は暗闇の中です。

2023年5月5日金曜日

あれから何年(コロナ)

  2020年から始まったコロナは、私たちにとってたくさんの影響を及ぼしました。命が奪われるという恐怖が大前提となり、それまでの生活が一変しました。自由気ままな移動もままならず、巣籠り状態が続きました。人間関係も希薄となり、会うこともできず電話やメールがコミュニケーションの唯一の手段となりました。京都と三重の二都暮らしをしていた私は、三重で疎開生活を送りました。以前のような活発さも減り、年齢とともにますますシニアというるつぼにはまりこんでいます。外出するのは、必要最低限の買い物と病院通いです。コロナの猛威の前の暮らしを、忘れかけています。

 コロナの猛威も少しずつ下火になってきたということで、マスクもつけるつけないは本人の意思でということになり、感染から身を守るのは自分自身だと報道されています。しかしここへきてコロナの力が再燃してきたようです。第九波が襲ってきています。大型連休で人々の大きな動きがあり、連休明けには感染者が増大するとの予想です。

 社会の仕組みも、コロナの前とは変化しています。リモートワークが増えて、在宅で仕事をする人が当たり前になりました。働き方も多様化しました。通勤に時間や労力がとられていたのが削減され、人間にとっては喜ばしいことかもしれません。こどもたちの学校生活も変化しました。入学から卒業までの大切な年数を、コロナの影響でマスクをはずせない日々でした。これから少しずつ緩和されていくと思いますが、コロナの前のような生活に戻れるのはまだまだ先のようです。

2023年3月24日金曜日

旅立ちの春

  今日は修了式です。2022年度は今日で終わり、いよいよ新しい2023年度が始まります。卒業する人たちは次のステップに向けての旅立ちです。修了式を迎えた人たちは次の課程に進級します。子どもにとっても親にとっても、人生の大きな節目を迎えます。新しい気持ちで新しい世界へ羽ばたいてくれることを、心から願っています。

 WBC世界一となった侍ジャパンのみなさんには、大きな感動と喜びをもらい、本当に感謝感謝です。全試合全勝という偉業を達成してくれました。 

 

この一ケ月は、WBCに明け暮れました。選手たちの名前もお顔も覚えました。ハラハラドキドキの日々でした。準決勝、決勝では、感動して目がうるうるしてしまいました。アメリカメジャーリーグで活躍している四人の選手と別れ、昨日侍ジャパンの皆さんは無事帰国されました。休む間もなくプロ野球開幕です。WBC世界一となった侍ジャパンは、子どもたちに夢を与えてくれました。野球少年が増えることと思います。普段は野球から遠い所で生きているすべての人に、夢、希望、勇気、喜び、そして大きな感動をもたらしてくれました。ありがとうございました。三年後を楽しみに、励みにして、日々をすごしていこうと思います。

(まるこ記)

 

2023年2月14日火曜日

 一人の手・手をつなごう・被災地へ

 2月6日にトルコ・シリア国境付近で発生した巨大地震による死者は、3万3000人を超えました。がれきの下からまだ生存者が救出されています。東日本大震災を経験した日本にとって、恩返しをする時がきました。あの時の悲惨な状況の中で、世界中からあたたかい支援の手が差し伸べられたことは、ただただ感謝でした。日本からの救援チームが現地に入りました。テレビの報道を見て、悲惨な映像に胸を痛めています。一個人としては、遠い被災地を想い見守るだけしかできませんが、義捐金を送ります。

 私の大切にしている歌「一人の小さな手」を歌います。 

   一人の小さな手

   何もできないけど

   それでも

   みんなの手と手をあわせれば

   何かできる 何かできる

2023年1月16日月曜日

年賀状

 

 新しい年がスタートして半月が過ぎました。今年もよろしくお願いします。最近ブログを書くペースが落ちていますが、無理をせずマイペースで続けたいと思っています。

 お正月の私の最大の楽しみは、年賀状です。その年賀状に変化が起きています。長年お互いに出し合っていた知人や友人から、年賀状じまいの挨拶が書かれていたのです。お世話になった恩師の方々は、千の風になられています。年賀状のお返事も届かなくなりました。ところが同世代の友人や知人が、年賀状じまいを表明されて、私たちもそういう歳を迎えたのだと少しショックを受けました。一年に一度の近況報告を年賀状にしたためて、大満足をしていた私でした。年賀状を書く人も減少の一途をたどっていると、ニュースで伝えていましたが、年賀状じまいの高齢者が増えて、年賀状の存在そのものが危ぶまれています。年賀状が消滅すれば、細く長い絆の糸が消えてしまいます。寂しいかぎりです。年賀状じまいを表明された知人や友人に、これまでと同様に年賀状を出すのは失礼だと思いますが、心の内は出し続けたいと思います。来年から買う年賀状の枚数を減らさなければなりません。墓じまいに、実家じまい、そして年賀状じまいと、終活が進められていきます。

 

2022年12月29日木曜日

年末雑感 2022

 今年もあと数日となりましたが今年も色々なことが起こりました。

先日5回目のワクチンを打ちました。2年半前に初めて打った時にはワクチン接種そのものにも躊躇することがありましたが5回も打つとは思ってもいませんでした。外出、外食を減らし引きこもり生活をしているので私達はまだ罹患していませんが、ワクチンを打った人や一度罹患した人も結構感染しているようです。ヨーロッパではカウントもしなくなったので状況はわかりませんが市中はマスク無しのようです。中国は今まで抑えていたのを緩めたので急増しているようです。罹患数、死者数も公表していないので油断できません。それぞれの国の体制、国民性によりまた政府の方針により3年たって違いが出来てきたようです。我が国はどのような収束になるのでしょうか?ともかく、どこにでも行けて人と会うことができる普通の世の中になることを祈っています。

 恒例の今年の漢字は「戦」となりました。ウクライナでは隣国同士の20世紀的な侵略戦争によって一方的な殺戮と国土、資産の破壊が続いています。国連の常任理事国の暴挙によって国連も機能しないことには失望します。

 国内では安倍元首相の狙撃事件とその後の統一教会の諸問題浮き上がってきました。政治と宗教がこんなに癒着しているとは明るみにはなっていなかったようです。宗教とその信者との関係も否定はしませんがよく理解できないところです。

 今年は大河ドラマ「鎌倉殿・・・」を観ましたが陰謀と殺し合いの歴史、暗い内容ですが脚本と俳優の熱演によって最後まで楽しみに見ることができました。数年前に行った鎌倉を思い出しながら鎌倉幕府の誕生と滅亡がよくわかりました。

 身近なことでは庭の園芸でイチゴとぶどうが収穫できたこと。(このブログでも報告しました。)また11月には毎日キセキレイが我が家にやってきてガラス窓をトントンたたきに来たほほえましい出来事がありました。(これもブログで報告しました。)1か月くらい毎日来ていたのですが12月には隣の家に移って湯沸かし器をトントンたたいています。モノをトントンつつくのはキセキレイの習性のようです。

来年は社会が正常に戻って楽しい旅行の報告や楽しい出来事を発信したいと思います。また皆様と顔を合わせられますようにと願っています。

このブログにも訪問してください。

(ポアロ記)

2022年12月26日月曜日

一日一歩

 今年も残りわずかとなりました。子どもたちは冬休みに入り、クリスマスも終わり、もういくつ寝るとお正月です。大人は掃除に精を出し、今年一年の締めくくりに頑張っています。毎日が日曜日と言われるシニアたちも、お正月を迎える準備は皆と同じです。私たちは、年賀状も投函しました。掃除や片付けをしながら頭をよぎるのは、この一年の振り返りです。歳を重ねるごとに、過ぎゆく一年が重みを増しています。この先がいつまで続くのか、誰にもわからないことが一因だと思っています。ある日ある時、突然ピリオドが打たれるかもしれません。母は心筋梗塞で、叔母は心不全で、突然亡くなりました。別れの言葉もなく、残された者はその深い悲しみを乗り越えるのに、人生の試練を経験しました。  
 今回のタイトル「一日一歩」は、最近始めたばかりのことです。遠いフランスで音楽の道を歩んでいる娘の提言です。シニアの私たちにとって、一日一歩の課題が出されました。すべてを含んだ能活です。今のところ「一日一歩」を心がけて、頑張っています。  
*ピアノを弾く。   難しい曲でなく、難なく弾ける曲(バッハのインヴェンション、ラジ  
 リテ)を一日一回弾く  
*ラジオ体操をする。     ラジオ体操第一を一日一回する  
*語学学習を少しずつする 。 
*散歩に出かける(買い物も含む)。  
*家族以外の人と話す この五項目です。
ピアノに関しては弾き出したら止まらないといった性分で、今までは大曲難曲を弾いてはぐったりしていました。ところが視力も体力も集中力も低下してきてからは、ピアノを弾くのが億劫になっていました。娘の提言で、易しい曲を一日一回弾くということに、楽になりました。五分ほどの時間ですみます。  
 ラジオ体操は、ユーチューブで日本各地でのものが出ています。景色や方言を楽しみながらできます。良く考えられているので、普段使わないぶしょに効果が出ます。 
 語学学習は、今のところはフランス語をしています。聴力も低下しているので、聴き取りが難しいです。新しいことに挑戦するというスリルを味わっています。
 散歩も欲張らずに、三十分ほどです。 
 家族以外の人と話すのは、コロナ禍になってからは難しい課題です。 
 一日一歩ということは、簡単なようで結構難しいと思います。ちりも積もれば山となるを、体験しています。

(まるこ記)

2022年10月25日火曜日

競争心

  今競争心をあおるプログラムにはまっています。遅ればせながらフランス語に首を突っ込んでいるのですが、競争心をむきだしにしています。ネットのゲームに夢中になる子どもたちが急増していますが、年齢に関わらず、今まさにその状態です。

 無料でネットで学べるというプログラムに飛びつきました。世界の人々が参加しています。フランス語だけでなく、あらゆる言語に対応しています。なんの制約制限もありません。自由に、自分の許す範囲の中で、時間を使います。いつでもどこでもです。

 入門編のユニット1から始まって、基礎1、あいさつ、基礎2、人々、旅行、家族、活動など、いろんな項目がありますが、どれでも順不同で自分で選んで学びます。スピーキング、リーディング、ライティングなど、むらなく出題されています。ゲーム感覚で、楽しく遊んでいる感じです。しかし遊んでいる間はいいのですが、だんだん競争心をあおられます。順位が表示されます。昇格降格もあります。1点2点の差でも、順位は順位です。人間誰もが持っている競争心がむきだしになってきます。下がるより上がる方が、嬉しいのです。さらに数多くのリーグがあって、各リーグの上位7人はワンランク上のリーグに移籍します。

 ただ遊んでいるだけと楽しんでいた私は、降格が続きショックを受けました。ある程度時間を割いて頑張らないと昇格できません。そしてそのリーグは、毎週日曜日の午後7時に線引きが行われます。土曜日曜には、世界の人が頑張っているので、手を抜くとどんどん追い抜かれます。賞品が出るわけでもなく、皆が競争心で頑張っているようです。ポアロも参加しています。どんどん先へ進んでいくポアロにも、競争心が湧き上がります。二人が少しの時間でも没頭しています。面白い光景です。脳活になると期待しています。

 (まるこ記)

 

 

 

2022年10月18日火曜日

誕生日

  今日は私の誕生日です。何回目かの誕生日です。戦後生まれの私は、日本の高度経済成長と共に育ちました。敗戦を経験した日本が、国民一丸となって、逞しく成長していったのです。活気に満ちた日本、町に溢れる若者たち、物が豊かになり、手の届かなかった

車にも乗れるようになりました。富裕層の特権だったかのような、車、テレビ、家電用品など、庶民にも身近なものになりました。仕事を頑張れば収入を得て、欲しいものは何でも手に入れられるようになったのです。そんな日本は戦争も忘れがちとなり、パラダイスの国へと変貌していきました。本質を見抜く力は置き忘れられて、効率が重視されるようになりました。社会が人が、少しずつ変わってゆきました。

 高齢者になった今、心から願うことは、人間にとって何が最も大切かということを、よく考えて決断し、実行することです。ステレオタイプの人間にならないように気をつけなければなりません。そしていつも感謝の気持ちを忘れてはいけません。己が大切なように、それと同様に他者も大切な存在です。人間だけではありません。自然界に存在する全てが大切です。山あり川あり海あり、すべてが愛しい存在です。そのすべてに感謝して、高齢の日々を過ごしたいと思います。感謝、感謝、感謝です。

 

2022年10月6日木曜日

過ぎ去った日々(6)

  ここまで自分史のようなものをダイジェスト版で書き進めてきました。過ぎ去った日々に思いを馳せると、すべてが懐かしく思い出され自分自身への愛しさが募ってきます。好きな言葉の一つに完全燃焼がありますが、いつの時も完全燃焼で突き進んできました。不器用な人間がどのように完全燃焼できたのでしょうか。不器用な人間だからこそ成し得たように思います。常に一つのことしかできません。器用な人は、いくつものことを同時にこなしていくでしょう。私は一つのことに全身全霊で取り組んできました。結果がどうであれ、爽やかな気持ちで前に進ことができました。

 両親の大きな翼の下で育ち、深い愛情に育まれ、ずっと見守り続けてもらったことに感謝、感謝です。そして私の親友であり恋人であるピアノがいつもそばにいてくれました。ピアノは理想の恋人です。ピアノを恋人のように想い、つらいことも悲しいこともピアノにぶつけて、受け取ってもらいました。包容力のあるピアノです。十代の頃から夢中で読んだ本たちからも、生きて行く上で大切な多くの言葉をもらいました。マーガレット・ミッチェル著「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの言葉、「明日は明日の風が吹く」強く逞しく生きる彼女の姿に感動しました。人間としていろんな面がありますが、強く逞しくという信念を持った女性として、理想とする女性の一人になっています。結婚という船出の前には、いろいろ読みました。深く考えるのが好きな私は、愛とは、結婚とはなど、哲学的な本を読みました。人生というものは幸せばかりではないということ。いろんな試練が待ち受けているということ。先輩方の書かれた本からも、考えるヒントをもらいました。たくさんの本を読みましたが、記憶に残っている作家はたくさんいます。石川達三、田中澄江、遠藤周作、司馬遼太郎、河合隼雄、五木寛之、森瑶子、瀬戸内寂聴、養老孟司、樋口恵子、曽野綾子、桐島洋子などが思い出されます。医師であり音楽療法の先立ちとして活躍された日野原重明氏からは、「今は過去、未来は今」という宝物をもらいました。座右の銘となっています。

 まだ今は旅の途中です。百年人生を目指して歩み続けようと思っています。

(まるこ記)

2022年10月5日水曜日

過ぎ去った日々(5)

  社会人となった私はピアノ教師となり、忙しい毎日が始まりました。三重県南部の音楽教室の講師として、遠隔地までも通いました。電車、バスを乗り継ぎ、二時間かけての通勤です。太平洋に面する漁村でした。会場は小学校の音楽室や漁業組合の二階でした。海が大好きな私は、バスに揺られながら太平洋を眺め、教室の窓から毎日変わる海の表情に見とれました。春夏秋冬四季それぞれの海の姿は、とても魅力的です。荒々しくも優しく包容力を感じさせてくれます。海の魅力に引き込まれます。土曜日と日曜日には、遠隔地へ出向き、他の日は都市部での仕事でした。長い通勤時間に飽きることなく、読書をしたり、編み物に精を出しました。充実した日々でした。

 共に人生を歩む人との出会いがあり、人生の第二ステージへと更なる忙しい日々が始まりました。父母の大きな愛に包まれ成長した私は、いよいよ両親の元から飛び立つのです。寂しさを感じながらも、新しく始まる未来に期待満々でした。

 親元を離れ、奈良で新生活が始まりました。不器用な私は、すべてを自分一人でこなすのに必死でした。それに加えて意欲満々の私は、仕事も再開しました。自宅でピアノ教室を開きました。住まいはニュータウンです。同世代の人たちがたくさん暮らしています。子どもたちがたくさんいます。ありがたいことにピアノ教室は、大盛況でした。

 娘が二人誕生し、私の役割に母親という大きな任務が加わり、ますます必死に毎日を過ごしました。そんな中でも、子どもはすくすく育っていきます。仕事と家事と子育て、大変ながらも、充実した日々でした。怖いもの知らずの若い私たちは、長期ローンでマンションも買いました。ポアロの転勤で、東京暮らしがあったり、戸建てを買ったり、ポアロの東京での八年にわたる単身赴任があったり、そんな中でも娘たちは最終の進学となりました。

 娘二人が社会人となり、羽ばたいて行った後には、また元の二人の暮らしが始まりました。会社員だったポアロが大阪で起業し、私の履歴にオフィスレディーが加わりました。経理担当としてできる限り出勤しました。生まれて初めてのオフィスレディーです。京都から大阪へ、都会での暮らしです。通勤ラッシュも初めての経験です。興味関心好奇心の旺盛な私は、新しい生活が面白く毎日ワクワクでした。

 都会での暮らしは、良い刺激を受けました。経済的にも少しゆとりが出てきた私は、多岐にわたる勉学を始めました。音楽療法、ホームヘルパー、傾聴、大学で社会福祉の勉強、英会話、フランス語会話、手品、スイミング、さらに華道家元での研修、また東洋のハリウッドといわれた太秦の東映シナリオ学校にも通いました、やる気満々の私でした。

 そんな中で、我が家に大異変が起こりました。下の娘が日本を飛び出し、南仏で暮らし始めていたのですが、東日本大震災が起こり、南仏で東日本を助けようと支援活動を起こしました。そこで出会ったフランス人男性が、共に歩む人生のパートナーになったのです。国際結婚です。私たちの暮らしも変化しました。ポアロが大学での職を得て、岡山県倉敷市での生活が始まりました。大阪の事務所と倉敷と、フル活動の日々でした。そして娘の国際結婚があり、私たちはフランスへ何度も行くことになりました。まだまだ続きますが、今回はこの辺でピリオドとします。

2022年10月3日月曜日

過ぎ去った日々(4)

  中学に入ると、本格的に音楽の道を歩み始めました。小さい時から歌を習い、器楽クラブでテレビにも出演し、ピアノのレッスンも地元の先生宅へ通っていました。中学生になってからは、隣の市に住んでおられる大学の先生に習うことになりました。国立大学の先生で、姉が大学受験をするために通い始めたので、私もその先生に習うことになったのです。

小学校時代は、野山を駆け回っていたおてんばの少女は、思春期のお嬢さんに変貌しました。学校ではおとなしくても、いつも学級委員に選ばれてクラスの世話をすることになりました。体育祭では、今までどおりに陸上の花形でした。家では適当な勉強とピアノのレッスンに明け暮れました。

高校生になると、進路を絞り大阪の音楽大学を目指すことになりました。夏休みや冬休み、春休みは、旅館に泊り込んで大学の講習会に参加しました。小学校時代から始まった、田舎コンプレックスは、ますます強まったように感じました。しかし大阪という大都市では、いろんなたくさんの人が集まってきています。その中に混じって一人の田舎の女の子は、目立たない普通の女の子となり、気持ちが楽になりました。

無事音大生になることができて、毎日がバラ色の楽しい日々となりました。寮暮らしも経験し、他府県から来ている友達とも仲良くなり、視野が広くなっていきました。ピアノ科なので、明けても暮れてもピアノを弾き続けました。大曲難曲は、簡単には弾けません。努力の人になりました。他の科の人たちは、練習し過ぎると弊害が出てきます。繁華街の梅田に出かけては、青春を謳歌していました。

青春時代は、何といっても恋する時代です。何も知らなくてもただ恋するのです。それが楽しく良い思い出となっています。純粋な恋する気持ちは、何事にも代えられません。恋する思い出は、青春時代の宝物です。

(まるこ記)

2022年9月30日金曜日

過ぎ去った日々(3)

  記憶を辿れば幼稚園時代の思い出です。男の子が四人、女の子が三人、同じ歳の子七人が毎日登園しました。線路が続く際の道を、この幼い七人の子どもは逞しく2.5キロの道のりを歩いて登園しました。雨の日も雪の日も。遊びながらの登園は、きっと一時間はかかったことでしょう。今の時代では考えられないことです。親の車での送り迎え、スクールバスでの送迎、車社会となった現代は危険が溢れています。幼稚園時代の集合写真を見ると笑ってしまいます。ほとんどの子が運動靴をはいているのに、なんと私は下駄をはいているのです。足を前へ伸ばしてのポーズなのでまる見えです。どういう理由で下駄だったのかは覚えていませんが、ぞうりの子もいるので面白い写真です。家へ帰ればこの仲良し七人組は、村中を駆けまわって遊びました。天真爛漫な私は、祖母や隣のおばさんを前に、歌って踊って拍手喝采を浴びました。

 小学校に入ると少し事情が変わってきます。校区の編成があり、私は町の子が多い中での学校生活です。田園地帯で走り回っていたのが、どういうわけか町の子に対して田舎の子というコンプレックスのようなものを持ち始めたのです。家へ帰ればのびのびと、ターザンごっこで遊び回ったのですが、学校ではおとなしくなってしまいました。しかし走ることに関しては、生まれながらの俊足でしょうか、カモシカのようと言われました。運動会ではたくさんの賞品をもらいました。六年生の時には、マラソン大会で一等になりました。器楽クラブではアコーディオンを担当し、地域の大会で良い成績をおさめ、名古屋のテレビに出演しました。六年生は放送当日スタジオで生収録するので、緊張して名古屋の放送局へ出かけました。テレビに出演したのは、後にも先にもこの時だけです。楽しい思い出です。小学校一年生の時に書いた絵日記は、今も私のそばにあります。昭和30年代の時代背景がよくわかります。その絵日記は私の宝物となっています。一年生の時には、ピアノを習う姉のあとについて、歌のレッスンに通いました。「かもめの水兵さん」を元気よく歌ったのを覚えています。そして小学校時代、母の口癖だった「楽は苦の種、苦は楽の種」を私の座右の銘としていました。

(まるこ記)

2022年9月29日木曜日

過ぎ去った日々(2)

  立ち止まることなく歩み続けてきた長き道のり。振り返れば懐かしい人たちの顔が浮かんできます。以前傾聴ボランティアで出会った諸先輩方の間では、自分史を書くというのが流行っていました。その頃はまだ少し若かったので、自分史についてぴんときていませんでした。しかし今は歩んできた道を振り返ることが多くなりました。

 先日の敬老の日には、世界のお元気超高齢者の特別番組がありました。今は人生百年時代と言われています。百歳を超えても今なお現役の方もおられます。テレビでは104歳で今も理髪店をされている女性が紹介されていました。アメリカの百歳の男性は、毎日ボーリングをされています。ボーリングが人生のパートナーだと言われています。ボーリングとともに70年。スコアは275点で、映像では見事なストライクを軽々と出されて、圧倒させられました。

 長い道のりです。良いことも悪いこともたくさんありました。それが人生です。そんな中でも輝いていた日々が誰にもあったことでしょう。わが身を見つめれば、二人の子どもを産み育てたという日々がその時代のように思います。自分自身より優先する子どもたちの命。全身全霊で取り組んだその時代。仕事も家庭経営もこなしながら。振り返れば「あっぱれ!よくやった!表彰もの!」自画自賛の嵐です。大変な時も乗り越え、思い出せば涙ぐんでしまいます。

 他に目を向ければ、自立自律が思い起こされます。自分自身を生涯にわたり自分自身で育てていかねばなりません。百歳を超えても自立自律ができることは、理想の姿です。しかし長命になればなるほど、それは難しくなることと思います。誰かの世話を受けて、やっと存在できているということになるのかもしれません。自分史を書くつもりで、少しずつブログに書こうと思っています。過去から現在、そして未来へ。