2017年9月20日水曜日

フランスへ(周遊の旅―11 オンフルール)

 オンフルールのホテルへ八時頃に着いてから、車で10分ほどの港の方へ食事に出かけました。オンフルールは、セーヌ川の河口の港町です。16~17世紀、貿易の拠点として栄えていましたが、後に対岸のルアーブル港にその大役を譲ることになります。19世紀になって、ターナー、コロー、ルソー、クールベ、ブーダン、モネといった画家達がこの風情ある街並みを繰り返し描くようになったことで、再び脚光を浴びるようになったそうです。数多くの画家に描かれた旧ドックの美しい風景は、いつか目にした懐かしいものです。 



九時前でも多くの観光客で賑わっています。海に面してたくさんのレストランが並んでいます。どの店も満員です。運よくレストランへ入ることができました。たくさんの人に囲まれ、夜景を見ながら海の幸をいただきました。食事を済ませ、港を歩き、十一時半頃ホテルへ戻りました。





  泊まったホテルは民宿です。シニアご夫婦が十年ほどされてきたそうです。御主人は長い間船乗りをされてきて、神戸や新潟へ行ったことがあると話されていました。退職してから民泊を始められたそうですが、奥さんは腰が痛くなってきたので、そろそろ閉めようかと思っていると言われていました。朝食は、食堂で他の宿泊客と一緒です。御夫婦が三組、母娘が一組、そして私達です。皆さん年齢は少し高いように思われました。娘が最年少でした。フランス語以外の言語、英語やイタリア語あり、和気あいあいの雰囲気でした。民泊の良いところです。


  11時前にホテルを出発し、まず始めにエリック・サティ(1866~1925)の家を訪ねました。旧港近くの市街地にあります。サティはここで生まれました。生家には、彼が暮らした生活ぶりが再現されています。少し変わった人であったらしく、ちょっと吹き出してしまう場面もありました。サティが作った曲を聴くのは大好きです。サティの人となりに合わせたアート作品もありました。ビデオ映像を見たりして、一時間ほど過ごしました。








そのあとフランス最古にして最大規模の木造教会へ行きました。サント・カトリーヌ教会といい15世紀末、百年戦争で破壊された石造りの教会跡に、船大工たちによって建造されたそうです。ルネサンス様式のオルガンは、18世紀のものです。教会の向かいにある鐘楼は、ちょっと変わった建築物です。塔の下には、かつて鐘つきが暮らした住居跡が残っています。








港を少し歩くと面白いものに出会いました。人だかりができています。路上のパフォーマンスです。男性と女性のカップルが微塵も動かずポーズをとっています。全身ブロンズ色でかため、ブロンズ像になったようです。女性は傘をさしています。時々操り人形の動きをします。そしてまた静止します。私は初めて見る光景です。二人のアイディアとパフォーマンスの上手さに感動し、前に置かれた帽子に硬貨を入れました。すると女性はニコッと会釈し、二人が頭を下げました。続けて何人かの人が硬貨を入れました。私の気持ちの中には、「頑張って!」という声援が入っています。



一時過ぎにはオンフルールを出て、途中マクドナルドをランチにして、ルーアンへと向かいました。ルーアンは、ノルマンディー地方の中心都市です。全国第三の商業港を持っています。911年にノルマンディー公国の首都となり、1431年にジャンヌダルクが火刑に処せられた場所です。第二次世界大戦で打撃を受けましたが、歴史ある建築物が多く残っています。私達はノートルダム大聖堂へ行きました。印象派の巨匠クロード・モネは、大聖堂の美しさに魅せられ、三十点以上描いたそうです。
  



ジャンヌダルクは19歳の若さでした。1920年聖ジャンヌダルクとなり、ジャンヌダルク教会は、1979年に建てられた現代建築です。そのほかにも15~16世紀のゴシック様式の裁判所や、商店街にある大時計は、16世紀のルネサンス様式です。見どころいっぱいのルーアンですが、私の記憶には、作家遠藤周作が若き日に留学した町として印象深く残っています。写真を撮り、車で通り抜け、一時間ほどでルーアンを後にしました。この日の宿泊地ジヴェルニーへと向かいました。



 

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