カオールで、散策したり買い物したりしてゆっくりしたあと、スーパーで食料(パン、ハム、パテ、レタス、飲み物など)を買いました。昼食は橋を見ながらの、ピクニックです。フランス生活では、外食は高くつくので、ピクニックや自宅で食事する人が多いとのことです。私はピクニックが物珍しく、日本とは違った感覚です。子供も大人も、時々は日常を離れて楽しいのではと思います。カオール出発は、三時過ぎとなりました。
高速道路へ入りました。フランスでは、制限速度が130キロです。日本では、考えられないことです。どの車も、ビュンビュン飛ばしていきます。走っていると、途中でパリへ500キロとの標識が出ました。五時頃には、陶磁器の町として有名なリモージュを通過しました。カオールで、31℃あった気温が、少しずつ下がってきました。事故の為に渋滞が起こってきたので、高速道路を出ることにしました。この時で、時間は五時半、気温は、24°となりました。国道は空いています。国道の制限速度は110キロです。すれ違う車もほとんどありません。この辺りは酪農地帯のようです。牛や羊、馬が群れで放牧されています。はるか遠くまで、ずっとずっと果てしなく牧草地が続きます。
フランスは、農業大国だと実感します。日本では、北海道でこういう景色が見られるかもしれません。一人きりで、この景色の中を走り続けるのは、淋しいかもと思いました。私達は、三人でいろんな話をしながら、未知の世界へと走ります。途中小さな村、ル・ドラやアザイを通りました。この日通った国道は、小さな村が点在し、村と村の間は畑や牧草地です。九時前にアンボワーズの街に入りましたが、ホテルがなかなか見つからず、やっと九時半頃に着きました。
探すのに時間がかかったのは、この建物が普通のお家で、大通りから少し入ったところに建っていたからです。門扉は自動で開閉します。着いた時から、私は素晴らしい場所に泊まるということが、嬉しくて感嘆の声をあげました。マダムが犬と一緒に迎えてくださいました。私は「ボンジュール、アンシャンテ」と言いながらハグしました。ホテル業をされているのではないと思われる普通のマダムに、親近感がわき嬉しかったのです。ご主人が亡くなられて、息子さんの発案で、二階を民宿にされたのでした。息子さんは、よそに住んでおられるので、朝だけここへ来て朝食を用意されるだけです。
朝食は、いろんなパンとバター、ジャム、ジュース、コーヒーといった簡単なものです。バス、トイレ付きの独立した部屋が四つと、共用部分のキッチンがついた食堂があります。食器やポット、電磁調理器、調理器具も用意されているので、自分達で料理もすることができます。私達が滞在した時は、他に客はなく、私達だけの貸し切りの宿でした。娘がインターネットで探したのですが、私は気に入って嬉しく興奮してしまいました。こんな広いお家に一人で住むのは、きっと静か過ぎて淋しいだろうなと思いましたが、運動会ができるほどの広い芝生の庭は夢のようでした。翌朝ポアロが歩測すると、80m×80mで約二千坪ということがわかりました。母屋の隣には、ニワトリ小屋、豚小屋らしきものと、納屋の跡があります。昔は農家だったのかもしれません。息子さんといろいろお話しする中で、民宿業は今年いっぱいで終わりにして、この家を手放すそうです。お母さんも引っ越しされるとのことです。友人知人にここを紹介したかったのに、残念です。
アンボワーズでは、アンボワーズ城とレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年住んだ城館が有名です。私達は、まず始めにアンボワーズ城を見学することにしました。大きな立派な城がそびえ立っています。観光客が列をなして並んでいます。ワクワクしながら、城へと入りました。たくさんの観光客で、通路も混みあっています。順路に従い進みます。こんなに多くの人がいるのに、日本人と会わなかったのは不思議でした。たくさんの写真を見てください。
ショップでの買い物も含めて、アンボワーズ城で二時間ほど過ごしました。そのあとお城の前のレストランで昼食をとり、レオナルド・ダ・ヴィンチの館へ向かいました。
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