2017年9月29日金曜日

 フランスへ(お国柄)

 長かったフランス滞在一ヶ月を終え、帰国して早一ヶ月が過ぎました。やっと平常の暮らしに戻ってきました。帰国してしばらくは、時差ぼけのせいにしていましたが、体内時計が一向になおらず苦労しました。夜中の三時、四時に目が開き、頭が覚醒してしまうのです。もう少し寝ないとと思っても眠れないので、仕方なく起き出して旅の記録を書いたりしました。今まで何度か海外へ行きましたが、今回のようなことはありませんでした。年齢を重ねるごとに、元へ戻るということは難しくなるのかもしれないと感じています。 
フランス滞在の間ずっと時計を二つ持ち、現地時間と日本時間の両方を確認する癖がついていました。フランスにいる時は、今日本は何時だから、娘は仕事に行っているとか、寝ているとか気にしていました。日本へ帰ってからは、今フランスは何時だから、娘は仕事に行っているとか、寝ているとか気にしています。頭の回路が、日本とフランスの二本立てになっています。その癖が身についてしまったようで、苦笑する毎日です。
 フランスとのご縁をもらい、フランス人との多くの出会いの中で、フランスについて少しわかったような気がします。おおらかな国というイメージを持ちました。長い歴史の中でたくさんの移民を受け入れ、フランス国民として平等に権利を与えています。教育費が無料ということは、国民にとって最大の権利だと思います。そのための財源として、税金が高いのはやむないことだと思います。国がおおらかで、人もおおらかで、小さいことをあまり気にしないお国柄のように感じました。それに比べると島国である日本は、完璧を目指し、小さいことも気にし過ぎるように思います。もちろん国民一人一人は千差万別です。大まかに言うとそれぞれのお国柄です。短い期間での感想なので、そんな印象を持ったということです。長い年月を暮らした人は、もっとリアルに国の違いを言うことと思います。人間一人一人はそれぞれ個性があるものの、善人というのはフランスも日本も同じだと思います。個人の主張から始まり、いさかいが起こり、集団となって戦争へと流れていった過去の歴史は、どちらの国も同じです。人と人は、友好関係を築けるものと信じています。
 フランス出発の朝、娘達は車でモンペリエ空港へ送ってくれました。15分ぐらいで着きます。荷物を預け、少し時間があるのでラウンジでカフェ休憩をし、いよいよ出発です。私達が乗った飛行機が離陸するところを、娘達は写真に撮ってくれました。




一時間半ほどでパリドゴール空港に着きます。乗り継ぎ時間は、90分です。結構忙しいです。関西空港行きの飛行機に乗り込み、落ち着いてから外を見ると、たくさんの荷物が運び込まれているのが見えています。

窓から下を見ると荷物積み込み中です

十二時間の飛行です。日本からフランスへは明るい中をずっと飛ぶので、窓の外の景色を飽きもせず眺めたりしました。到着しても同じ日付です。帰りはしばらくすると夜になって暗い中を飛び、夜が明けていく感動を味わいます。日本へ到着すれば日にちは一日進んでいます。飛行機に乗れば、乗務員も搭乗者も、皆が運命共同体です。無事を祈るしかありません。私は眠ることはできず、映画を何本も観ました。そして時計を見ては、関西空港まであと何時間、フランスは今何時、日本は今何時と確認をしていました。
 
北朝鮮情勢のためか北京から韓国上空を経由しています

日本に近づくときれいな朝焼けが見えました



 二つの国のお国柄を考えた時、仕事に取り組む姿勢に関して大きな違いを経験しました。あとでは笑い話になりますが、私達が関西空港へ着いた時のことです。飛行機を降りて空港の荷物到着場所へ向かおうとした時、私達の名前が書かれた掲示が目に入りました。荷物の係りへ行くようにとのことです。ひょっとして荷物が届いていないのでは!今回の渡仏は、娘の結婚式とパーティーのための特別なもので、大きなキャリーバッグを四つも持っての旅でした。慌てて荷物到着場所へ行くと、係の人は慣れた口調で落ち着いたそぶりで説明します。モンペリエで載せた荷物が、パリドゴール空港で置き去りにされたようなのです。日本人にとっては信じられないことが起きたのです。エールフランスを利用した私達は、この時ばかりはぎゃふんと思い知らされました。数時間後にポアロの携帯に「あなたの荷物が発見されました」というメッセージはありましたが「自分達のミスでこんなことになってしまい申し訳ありませんでした」という謝罪の言葉はありませんでした。これには本当に驚きました。日本の会社なら「お客様は神様」と、平身低頭で謝罪するところです。まるで「あなたの荷物は勝手にどこかへ行っていた」と言わんばかりです。結局翌日の夕方宅急便で自宅へ届きましたが、この経験はフランスらしいと思わされた事件でした。大きな重い荷物を持たないで、軽装で帰宅できたのは楽でしたが、想定外のとんだハプニングでした。一ヶ月のフランスへの旅は、このハプニングで終わりました。

翌日の夕方に4つの荷物が届きました

2017年9月28日木曜日

フランスへ(およばれー3)

長かったフランス滞在一ヶ月の最終日の昼食は、料理人である娘の友人の招待を受けて出かけました。彼女は日本人です。若い時にパリで料理を学び、修行し、今はモンペリエで仕事をされています。お父さんが日本から来られているので、娘の結婚式、パーティーに、ご家族で出席してくださいました。彼女は、結婚式の立会人もしてくださいました。フランスへ着いてすぐ、翌日の音楽ピクニックにもご一緒しました。お父さんには、去年の夏に二度お会いしています。私にとっては、親しいご家族となっています。あいにくこの日はバカンスで子供さんは留守でしたが、私達がフランスを出発する日を前にして、時間的に余裕がなくこの日となりました。うらやましいほどの広いマンションに住んでおられます。テーブルには、いろんな和食が用意されています。久しぶりの和食です。まずはいろいろお世話になったお礼を述べて、ワインで乾杯です。久々の和食に、気持ちが躍ります。種々の和食は、手のこった料理です。

牛肉のたたき

久しぶりの和の煮物

器は有田焼です

ひまわりの種であえたもの

野菜の煮物
 お店ではなく、招待を受けてプロが作られた和食をいただくのは、至福のかぎりです。ゆっくり堪能させてもらいました。私達のフランス周遊の旅のことや、いろんな面での日本とフランスの違いについてなどいろいろお話ししました。朝から仕入れたとのマグロのトロを出してもらった時は、本当に驚きました。新鮮さが舌にしみこみます。とても贅沢な思いが沸き起こります。感謝感激です。


デザートはブラン・マンジェをいただきました。彼女が佐賀のおばあさんから教えてもらったという、家伝来のお味です。どこか懐かしい味を感じました。



豪華すぎる和食をたくさんいただいて、いろんなお話しもできて楽しい時間を持つことができました。三時間ほどでおいとましました。人との出会い、ご縁が胸にしみます。身に余る接待を受けて恐縮しました。おいしい和食のいろいろ、ありがとうございました。ごちそうさまでした。

2017年9月27日水曜日

フランスへ(およばれー2)

 フランス周遊の旅から帰って、フランス出国まで一週間となってのおよばれが続きます。二軒目のお宅は、去年の夏に息子さんが、続いてお父さんとおじいさんが、京都へ来られたお家です。息子さんは、今年の六月にも京都へ来られました。何度かブログに書きましたが、おじいさん、お父さんはレバノンの方です。日本人女性と結婚されて、日本で何年か暮らされています。日本語はとてもお上手です。私達は、この日初めて奥さんにお会いしましたが、初対面という気はしません。ずっと以前からの知り合いのように思います。娘は、ご家族の皆さんと親しくお付き合いをして早六年が過ぎています。娘からご家族のことを聞いていることもあり、息子さんや、お父さん、おじいさんと京都でお会いしており、写真で奥さんを拝見しているからだと思います。車で五分ほどの所に住んでおられます。六時頃に出かけました。マンションの八階に住んでおられるので、見晴らしは抜群です。涼しい風が通り抜けます。眼下を国鉄が通ります。結構大きな音で、列車が通り過ぎます。

左前方には新市街地が見えます

右には旧市街地のチャペルが見えています

 テーブルには、たくさんのお料理が並んでいます。珍しいレバノンのお料理もあります。食事の前には、アペロです。私達もお馴染みになったアペロです。私は、いつものようにほんの少しいただきました。ワインをいただきながらお食事へと入っていきます。いろんなお料理を少しずつお皿にとっていただきます。ご主人は、ベランダに設置してあるオーブンでチキンを焼いてくださいます。いいにおいが漂ってきます。



 ワインに目のないご主人は、ワインセラーにいろんなワインを収納されています。特別なワインを出してくださいました。フランスの人はワインのかおりや味についていろいろと蘊蓄を語ります。フランスの人達の、ワイン好きには本当に驚くばかりです。


 途中でご主人のパフォーマンスがありました。シャンパンの栓抜きです。ナイフで瓶をカットするものです。マジックのように瓶はきれいにカットされました。難しいテクニックだと思いますが、私は初めて見ました。クライマックスは、チーズです。大きなおぼんにいろんな種類のチーズがのって登場です。形、色、かおり、味、全部ちがいます。ご主人の説明を受けて少しずついただきました。普段チーズに馴染みのない私達は、もの珍しく興味関心好奇心をもっていただきました。


 一つ素晴らしい形のチーズがありました。ハート型のチーズです。娘カップルにぴったりのハート型です。彼は、結婚祝いとしてチーズ屋さんに頼んで作ってもらったそうです。娘たちにプレゼントをしてくださいました。



 珍しいお料理や特別のワイン、珍しいチーズ、心のこもったおもてなしを受けて、五時間ほど過ごさせていただきました。心に残るおよばれでした。C'etait tres delicieux!


〈追記〉
後日彼から電話が入り、地中海のマグロのお頭が手に入ったので丸焼きにするので届けるという話です。恐縮しましたがこちらから取りに行くことにしました。丸々オーブンで焼いてくれたそうです。照り焼きの味付けでおいしくいただきました。


2017年9月25日月曜日

 フランスへ(およばれー1)

 今年の夏はフランスに一ヶ月滞在し、娘の結婚式、パーティーを済ませて、フランス周遊の旅に出て、あっという間に日が過ぎていきました。旅から戻ると、フランス出国まで一週間となっています。その残り少ない日にちの中で「ぜひ来て下さい」との招待を受け出かけました。姻戚となった彼のお姉さんご夫婦からのお招きです。車で十分ほどのところに住んでおられます。結婚式とパーティーで挨拶を交わし、娘の通訳で少しお話ししたお姉さんご夫婦です。お家に招待されて少し緊張気味の私ですが、玄関での「ボンジュール」からすぐに打ち解けました。この日は月曜日でしたが、私達のためにお休みを取っておられました。街なかのコートハウスのお家は、奥に庭があり、小型のジャグジー(プール)が設置されています。そして日よけのテントが張られています。そこでのおもてなしです。




私達が到着したのは六時前で、まずアペロから始まりました。アペロは食事の前に軽くアルコールをいただくというものです。日本で食前酒というものがありますが、それによく似ています。私達はフランスへ着いてから、ずっとこのアペロでおもてなしを受けてきました。日本で酒の肴というものがありますが、アペロの時にも、軽いおつまみが出されます。チーズとかオリーブの塩漬けがおなじみのようです。しかし食事の前に少しでもアペロをいただくと、食事に差しさわりがでます。私は抑えて抑えてほんの少しいただきました。フランスの方々は、アペロの時からワインをたくさん飲まれます。ワインがアルコールではないような感じです。ワインを飲んだあとでも、車の運転は何のそのという人が多いように思われます。お姉さんのご主人は、お料理が趣味の方です。若い時から料理人になりたいと思っておられたそうですが、その道はあまりにも困難が多いとご両親に反対され、公務員になられました。お姉さんも公務員をされています。料理が趣味と言われるだけあって、作られるお料理は素人離れしています。アイディア、ひらめきはすごいものです。レシピはありません。テレビの料理番組を見てのひらめきで彼の創作料理です。かれの感覚が秀でています。センス抜群です。台所は彼の城です。誰も入れません。お食事が始まり、きれいに盛り付けられたお料理が一品ずつ運ばれてきます。目を見張るばかりのお料理です。フランス料理です。上品な器にきれいな色合いのお料理が盛り付けられています。私達は「トレボン」を連発します。これ以上のフランス語の褒め言葉を知りません。アミューズ(つきだし)が四品続きました。





次にオードブル(前菜)の牡蠣料理が続きます。生牡蠣と焼き牡蠣のクリームがけとパンがお皿にのっています。彼は朝から牡蠣の有名な産地であるセートまでオートバイで買いに行ったそうです。彼のこだわりが感じられます。とにかく新鮮なものを選ぶという姿勢です。



続いてホアグラと焼いたイチジクがパンとともに出されました。パンもそれぞれ違う種類のものです。
  


メインディッシュはビーフシチューと野菜のオーブン焼きです。牛肉は旧市街にある老舗のもので、前日から煮込んだそうです。たくさんのご馳走をいただいておなかはいっぱいです。





デザートにはメロンと、メレンゲのかかったガトーとコーヒーです。お食事しながらいろんなお話しができました。もちろんフランス語ができない私達は、娘の通訳を介してです。数年前赴任地北大西洋にあるサン・ピエール・ミクロン島から帰られたご一家です。仕事のお話しも聞けました。この日十三歳と八歳の二人の息子さんは、バカンスでおじいさんおばあさんの家へ行っていて留守でした。結婚式、パーティーの時には会っています。いろんなお話しをする中で、御主人のお料理の腕前に驚いていた私は「素晴らしいご主人ですね」と言いました。彼女は「料理の好きな、料理の上手な人を選びました。私は一切料理をしません。できません」と、おっしゃるので「その選択は素晴らしいです」と私が言い、皆が大爆笑をしました。フランスでは、女性も男性と同じように仕事を持って頑張っています。男性が外、女性が中、といった役割分担が決まっているような日本とはずい分違います。今では女性の社会進出も進んできている日本ですが、男女対等ではありません。どうしても女性が負う負担は大きいと思います。産休、育休、イクメン、介護など、男女が対等で力を合わせて乗り切るには、男性の変化が必要です。フランスでは、保育園の送り迎えも父親が頑張っています。育児、家事(料理、洗濯、掃除、買い物など)フランス人男性は、よく動きます。フランス在住年数の長い日本人女性は、「フランス人女性は怖いからね」と、笑っていましたが。

 この日は二つとないフランス料理三昧のおもてなしを受けて、五時間ほど過ごしました。日本でフランス料理店を開けるほどの腕前に、感激感動した私達です。「そんな夢を持ってぜひ実現してください」と言うと「仕事となると大変です。いまは楽しんで料理しています。毎日はできません」とのことでした。ごもっともです。素晴らしいシェフの数々の料理をご覧ください。ごちそうさまでした。 C'etait tres delicieux!



2017年9月24日日曜日

お彼岸

 昨日は9月23日秋分の日、彼岸の中日でした。京都にはいくつものお寺があり、良いお天気に恵まれて、それぞれのお寺はお墓参りに行く人で賑わっています。ニュースでは、東山区にある大谷本廟(浄土真宗本願寺派)へは10万人の墓参者と伝えています。最近では、墓じまいをする人が増えているそうです。いろんな事情があるのはわかりますが、年に数回の墓参は大切なことと思っています。先祖への感謝と、後世へのバトンタッチの中継者としての任務があります。親や祖父母と共にお墓参りをする経験は、小さい子供にとっても大切なことだと思います。お墓の前で手を合わせ拝むという体験は、重要です。目には見えていないけれど今自分があるのは、御先祖様があってのことだということが、成長とともにわかっていきます。そこから感謝という気持ちも育まれるように思います。祖父母から親、そして子へ、孫へ、脈々と命のリレーが続くのです。お彼岸は、御先祖様へ思いを馳せ、そんなことを考えさせてくれる良い日だと思っています。いつの日か、自分も土に還ります。そしてそこで眠ります。ここで眠るのだと思うと心も落ち着きます。生きている人間にとっても、お墓は有意義な存在だと思います。 都会の道端にも秋の訪れがあります。我が家の前の、河原町通りの交差点にある少しの空き地に彼岸花が満開となっています。





寺町通りには、ススキやフジバカマが顔を出しています。暑さ厳しかった夏が過ぎ去り、心落ち着く秋となってきています。












2017年9月23日土曜日

フランスへ(周遊の旅-15 帰途)

 フランス周遊の旅の最終地オレルアンを出て、国道を走ります。ここからモンペリエまで650㎞くらいの道のりです。途中の小さな街オリヴェのパン屋さんで、またまたパンを買って走りながら食べます。途中ガソリンを入れたりして国道を走っていくと、ヴィエルゾンという交通の要所に出ました。ツールやアンボワーズへの分岐点です。二泊したアンボワーズが懐かしく思い出されます。広いフランスの北から南への移動です。気温は22°に上がってきています。


一時半ごろブールジュという街に着きました。大きな古い大聖堂へ寄り見学しました。サンテチュンヌ大聖堂です。12世紀末~13世紀にかけての建造で、13世紀の赤いステンドグラスが有名です。世界遺産になっています。小さな街で少しさびれた雰囲気を感じましたが、古い古い大聖堂を中心にして、長い歴史の中で、脈々と街が、人が、生き続けてきたことは感慨深いことです。








 そのあと少し走ったところから高速道路に入るのですが、高速道路の入口近くにマクドナルドがあったので寄りました。日本よりは、価格が高いようです。娘は、マクドナルドを好まないようで「えっまた!」と、ぼやきます。私達は、日本で手軽に食べられる手段の一つとして時々利用しています。マクドナルドを買い込み、高速道路へ入りました。ここで気温は24°になっています。ノルマンディーでの冬のような寒さが、懐かしく思えます。



雲が美しいフランス中央部

三時頃に休憩したSAは「フランスのど真ん中」というSAです。フランスの地図を頭に描いて、ここがど真ん中ということを確認しました。確か日本にも「ここが日本のへそ」と、名乗っている市町村があったのを思い出しました。ほほえましい限りです。

フランスのど真ん中の休憩所

簡単な休憩所です


ここからポアロに運転が変わりました。こんな時のために、国際免許証を用意してきたポアロです。フランスでは、車は右側走行ですが、高速道路では前進のみなのでそんなに気にはしていないようです。しかし眠いと言っていた娘は、ポアロが運転し始めると、厳しい指導教官に変身しました。眠気も吹っ飛んだようです。「右に寄りすぎ、左に寄りすぎ、スピードもっと上げて、遅いよ、速すぎるよ」大きな声で指示が飛びます。学生時代から自動車部に籍を置いていたポアロは、車の運転にはかなりの自信を持っています。厳しい指導教官に疲れたようで、一時間ほどで、また娘に運転が変わりました。後部座席でこの光景を見ていた私は「老いては子に従い」という言葉がちらりと頭をよぎりました。と同時に少しふき出してしまいました。

フランスの高速道路にはほとんどトンネルはありません。


  四時半頃、ビシーという街が見えてきました。ここはナチス政権の言う通りを実行した場所として名が残っているそうです。ビシー政権というそうです。続けて遠くに火山、温泉で有名なクレルモンフェランという街が見えてきました。高い山並みが続いています。五時で気温は27°です。

フランスではめずらしい火山、温泉もあるようです。

七時半頃ミヨー大橋を通過しました。私達は、七年前に日帰りで訪れています。ずい分前のことですが、日本のテレビで目にした車のCMでミヨー大橋が映った時には感動し、一度行ってみたいと思っていたものです。今回は二度目のミヨー大橋です。ミヨー大橋を渡る時は、やはり感動します。空を駆け抜けるようです。空間移動を感じます。




 そのあと高速道路無料区間を走り、一時間ほどでモンペリエ市に入りました。
気温は28°になっています。北の寒さ、涼しさがうそのように感じられます。


  八時半頃に、娘宅へ帰りました。門の所に懐かしい顔があります。車の到着を待っていてくれたSON―IN―LAW (義理の息子)です。たくさんの重い荷物を四階まで運んでくれました。このアパートには、エレベーターがないのでシニアには大変です。本当に助かります。夕食も作ってくれていました。手作りのオムライス、トマトサラダおいしかったです。

十一泊十二日のフランス周遊の旅は、無事終わりました。今回の旅の思い出は、私の宝物となりました。走行距離2830キロでした。京都から北海道一周して帰った距離に相当するそうです。事故にも遭わず、無事帰れたことに感謝です。旅のほとんどを一人で運転してくれた娘、ドライバー兼ツアーコンダクターそれと通訳に感謝です。