2016年1月10日日曜日

師走の旅(長崎へー8)

 4日目、昼食にトルコライスを食べたあと帰りの電車まで2時間あるので亀山社中記念館を目指しました。寺町通りをかすめて「龍馬通りの石標」を曲がり息を切らしながら急な坂道、階段を上りやっとのことで辿り着きました。



 慶応元年(1865)坂本龍馬とその同志により結成された「亀山社中」の跡が、平成21年(2009)に記念館としてオープンしました。若き志士たちが集い、海運業や通商を行いつつ、幕末・維新史においても重要な役割を果たしました。司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で脚光を浴び、NHKの大河ドラマになったりして、龍馬ファンはとても多いと聞いています。高知で「龍馬が生まれた町記念館」へ行ったことがよみがえりました。とても狭い家の中は、観光客がいっぱいで、人にぶつかりそうな混雑でした。ゆっくりとはいかず、簡単に見て回りました。どうして海から離れたこんな山の中腹を貿易会社の事務所、海援隊の基地にしたのか案内の人に聞いたところ「隠れ家の意味と港がよく見えるから」ということでした。外へ出てすぐ横にある「龍馬ぶーつ像」のブーツに足を入れて、面白い写真を撮りました。





階段状の急坂を下る途中に「長崎市」と書いた大きなプラスチックボックスがありました。昨年春NHKの「ブラタモリ」で見たのを思い出しました。ごみ収集車が入れない地区のゴミ出しのソリのついたボックスでした。それにしても日常生活は大変だと思います。


階段の最後は墓地が多くその下はお寺です。そこは大きなお寺が並んだ寺町通りです。その中に興福寺という大きなお寺があります。日本初の黄檗禅宗の唐寺で、元和6年(1620)明の僧・真円が開創しました。






  興福寺の前を曲がり、次は長崎の名所となっている眼鏡橋を目指しました。興福寺の二代目唐僧が「眼鏡橋」を架けたそうです。町中を流れる中島川には、いくつもの石橋がかかっています。その中でも「眼鏡橋」は、中島川のシンボルになっています。二連のアーチ橋である「眼鏡橋」は、川面に映った影が眼鏡のようなところから命名され、江戸時代の長崎土産は、南蛮渡来の眼鏡だったそうです。長崎情緒あふれる「眼鏡橋」で記念撮影をしました。





近くに老舗の和菓子店(創業1884年)があり「こうふくまんじゅう」という名前にひかれ、店に入りました。興福寺みやげとなっていたそうです。中華菓子の月餅をひと口サイズにしたもので、「興」と「福」の字を囲むハート型は、興福寺境内にある大きなソテツ(樹齢400年以上)の実をイメージしているとのことです。「こうふくまんじゅう」といっしょに「よりより」というお菓子も買いました。長崎へ着いてから何度も見かけたお菓子です。この店には、元祖「よりより」と書かれていました。「かりんとう」を長くしてねじったようなものです。お茶にもビールにも、コーヒーにも合いそうです。



 いよいよ駅に向かう時間となりました。途中、古い歴史ある中町教会へ回りました。キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡にあります。五年の月日をかけて明治30年(1897)に完成した教会です。昭和20年(1945)の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失しましたが、昭和26年(1951)再建されました。貴重な被爆遺構となっています。「自由にお入り下さい」とあったので、中へ入りました。厳かな気持ちになりました。





 時間をフルに使って観光し、長崎駅でお土産を買って、長崎を後にしました。





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