今日は成人の日です。テレビでは全国の成人式の模様を伝えています。華やかな振り袖を着た女性達の映像が出ています。
今から○十年前、私は市の公会堂で催された成人式に出席しました。当時は今と違って、振り袖を着る人の方が少なく目立つ存在でした。二人の姉がいる私は、着ようと思えば振り袖を着ることができる状況でしたが、着ませんでした。上の姉のために、母は刺繍を縫ったとてもきれいな振り袖を作りました。下に妹が二人もいるので、三人の娘が着ると思えば、母も力が入ったのでしょう。母は、私が振り袖を着て成人式に行くと思っていたようです。せっかく振り袖があるのだから、着るであろうと期待していたと思います。しかし私の心境は複雑でした。華やかな振り袖を着て、目立つのがいやでした。中学を卒業して、紡績工場へ就職した友達もいます。故郷を離れ寮生活をしていました。立派な社会人です。それに比べ、私は親の羽の下でぬくぬくと毎日を過ごしています。極力目立たないように質素に黒のスーツを着て、成人式に出席しました。毎年新成人が「君が代」のピアノ伴奏を弾くのが恒例になっていて、私も頼まれていました。振り袖を着てピアノを弾くのは弾きにくいから、洋服で出席するということを母に伝え、母は仕方ないと納得してくれました。私の成人の日の思い出は、質素に質素に、目立たないように、静かにピアノを弾いたというものです。
兄も二人の姉達も成人式には出席していません。遠くの大学へ行っていたので、冬休みも終わり学校が始まったばかりで帰れなかったのです。私は、自宅から通学していたので出席することができました。
成人の日を迎えて変わったことは、選挙権を得たことです。学生の身分で二十歳を越えても、親の羽の下にいるのでは、世間の冷たい風にもあたりません。就職して社会人になっている友人達に、申し訳ないような気持ちでした。
親の庇護からの旅立ち、それこそが私にとって本当の大人になることでした。それは結婚して親元を離れた時です。完全に独立、自立した自分がいました。一人ではなく二人ですが、本当の大人になったのだと思いました。「すべてのことを自分達で決め行動する」本当の大人になった自覚と覚悟、喜び、誇りが、ひしひしと沸き起こってきたのを思い出します。
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