2013年1月31日木曜日

昨夜の夢


 昨夜見た夢は、不思議なそしてどことなく懐かしいものでした。舞台は、私が生まれ育った実家です。

 庭では、たくさんの男の人達が働いています。昔、農家では、稲刈りの後の作業がいろいろありました。いろんな農機具が庭の周囲に並べられ、真ん中にはむしろの上に籾が干されています。男の人達は、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、忙しそうに働いています。台所では、たくさんの女の人達が働いています。食事のしたくのようです。今と違ってすべて手作りです。ごはんは、いくつもの大きな釜で、おくどさんで炊いています。野菜を切る音、まぜる音、煮炊きする音、そして女性達のにぎやかなおしゃべりの声、笑い声が聞こえています。台所中に、料理のにおいと湯気が立ち込めています。そして私はどこにいるのかといえば、座敷に集まって話し合いでもしているかのような、何人かの長老の中で、祖父の胡坐へすっぽり入って、みんなの顔を見ながらニコニコしているのです。父や母、祖母、兄や姉達は、どこにいるのか、どこにいたのか、記憶はおぼろげにも出てきません。

 いつも夢を見た後に思うのですが、一体夢はどういうふうに構成されるのか、不思議で仕方ありません。人間の脳の中に、膨大な記憶のメモリ-があって、時々夢となって登場するのでしょうか。人間が意識を持って、過去のことを思い出していることがあった時などに、そのことがらが夢に出てくるのは理解できるのですが。無意識な状態の中で、どのメモリ-から飛び出してきて夢を構成させるのかということは、本当に不思議です。夢の中で、笑ったり怒ったり、泣いたりわめいたり、恐怖で悲鳴をあげたりと、夢は面白くもあり、未知の世界のことで、いつか誰かが解明する日が来るのか、わくわくどきどき期待してしまいます。

2013年1月30日水曜日

幸福の木-2


 幸福の木につぼみがあるのを発見してから、ちょうど一週間が過ぎました。つぼみは一日一日と成長し、一週間で倍ほどの高さになりました。

 つぼみのつけ根からは、蜜のような透明の樹液のようなものが出ています。指でさわってみました。ジェルよりも、もう少し濃度が高い感触がします。ほんのりよい香りがします。今度はそれをなめてみました。甘さを感じました。やはりこれは蜜のようです。

 二十日間ぐらいで開花するとの情報ですので、あと二週間ほどです。毎日つぼみの成長を観察し、幸福の木の生命力、たくましさに見とれています。

2013年1月29日火曜日

私の好きなことば「柳に雪折れなし」


 「しなやかなものは、堅いものよりかえって物事に耐え忍ぶものだということ」と辞書にのっています。どんなに強い風にも柳の枝はなびき、風に身を任せているように見えます。一見弱そうに見える柳の木ですが、柔軟なそして強靭な精神を私達に示してくれているようです。


厳冬に立つ柳
寒風になびく柳
 古代の中国では、送別の時に柳の枝を折り取り、これを相手に贈る風習があったそうです。「柳」(りゅう)の字の音が、ひきとめる意の「留」(りゅう)に通じるから、また柳の枝は曲げてもすぐにもとにもどるので別れてもまた会えるから、との意だそうです。
 私は若い頃から、柳のように生きていきたいと思っていました。長い人生には、楽もあり苦もあるのが、人の営みだと思います。そのすべてを柳の木のように、しなやかに受け止め、ボキッと折れることなく、最後のその時まで毎日を過ごしたいと思います。

2013年1月28日月曜日

「春の足音」


春の足音が聞こえますか

プチップチップチッ

芽がはじける音でしょうか

ポンポンポン

新しい命がとび出す音でしょうか

スッスッスッ

静かに静かに春が近づいてきます


青空の中に見える春の顔

光の中にかがやく春の顔

風の中に映る春の顔


待ちに待った春の足音

命みなぎる春の足音


春はすぐそこまで来ています



春の足音が聞こえてきます

フッフッフッ

つぼみがふくらむ音でしょうか

スクッスクッスクッ

新しい命が成長する音でしょうか

スッスッスッ

静かに静かに春が近づいてきます


青空の中に見える春の顔

光の中にかがやく春の顔

風の中に映る春の顔


待ちに待った春の足音

命みなぎる春の足音


春はすぐそこまで来ています

2013年1月27日日曜日

春を待つ-2


 春を待つ歌もたくさんあります。「春よ来い」は、大正時代後期に作曲された童謡です。私は子供の頃から、春を待ち望み、この歌をよく口ずさみました。最近では松任谷由実さんの「(みんなの)春よ来い」が、なじみがあるかもしれません。

 そして中学生ぐらいから私の大好きな歌「早春賦」です。大正二年に発表された曲で、日本の歌百選に選ばれています。

 「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど

    時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず」

 寒さの中にも春の訪れが近いということが感じられて、心も少し明るくなり弾んできます。「春」という響きは、新しいスタ-ト、そして自然界の命の誕生を連想させ、希望、期待が胸にわきあがります。

2013年1月26日土曜日

春を待つ


 二月四日は立春です。暦の上では春ですね。立春の前日二月三日は節分です。春を迎えるにあたって、家族の無病息災と健康を祈って、古くから行われてきた日本の風習ですが、現代もそれぞれの家庭で豆まきがされているのでしょうか。ニュ-スでは、毎年幼稚園や保育園での豆まきの様子が伝えられていますが。豆を年齢の数だけ食べると、体が丈夫になり風邪をひかないと言われています。

 私が子供の頃は、毎年の重要な行事でした。焼いたイワシの頭をわりばしの先に刺して、ひいらぎとともに、玄関と裏玄関に飾りました。夜は、家で煎った豆(大豆)を、父が玄関から庭へまきます。次に座敷に向かって豆をまきます。「鬼は外、福は内」と言いながら。そして私達子供は、まかれた豆を自分の年の数分拾います。父の真似をして「鬼は外、福は内」と言いながら。はるか遠くへ遠ざかってしまった懐かしい思い出です。

 結婚して子供が小学校二年生くらいまでは、家で豆まきをしました。豆まきをしたというより、真似ごとをしました。あとの掃除が大変にならないために、少しの豆をまいて(部屋とベランダへ)それから袋にある豆を食べました。それでもお面をかぶり子供達は大喜びでした。無邪気な、あどけない子供達の顔が思い出されます。

2013年1月25日金曜日

幸福の木


 先日我が家の「幸福の木」につぼみがあるのを発見しました。観葉植物ということなので花が咲くとは知りませんでした。嬉しい驚きです。

 
 
「幸福の木」は別名ドラセナといい、長寿の木として有名で、育てやすく観葉植物のギフトナンバ-ワンだそうです。アジア・アフリカの熱帯が原産地で、樹齢数千年に及ぶのもあるそうです。ハワイ・ポリネシアでは、この木を垣根に植えると、悪霊を防ぎ、幸運を呼ぶといわれて珍重されているとのことです。生命力の強さも抜群で、枝を切ってさし木すると、簡単に発芽・発根させることができるということです。

我が家の木は十数年前、会社員をしていた夫が、独立し事務所を開いた時に、開業のお祝いに頂いたものです。枝が大きくなったので分稙し、現在子供が三鉢に増えています。部屋の南側に置いて、時々水をやるくらいの世話しかしていませんでしたが、突然の変化です。二十日間ぐらいしたら花を咲かせるそうなので、記録をとろうと思います。
 

 「幸福の木」という名前に惹かれ、事あるごとに希望と期待を抱きながら見ていましたが、花が咲くとなっては一大事です。「幸福の木」に、今、なお一層の魅力を感じています。

2013年1月24日木曜日

一月の花 蝋梅


 一月の花として、蝋梅をあげようと思います。日本の一番寒い時期に、梅の花が咲く前に、黄色い花を咲かせ、とてもよい香りを私達にプレゼントしてくれます。中国原産で、江戸時代初めに渡来しました。蝋細工のような質感を持った花弁が特徴です。
 
 

 実家にも、そして私達が初めて手に入れた戸建の庭にも、蝋梅はありました。年末年始を賑やかに過ごしたあと、少し淋しくなった私の気持ちを、黄色い蝋梅の花は慰めてくれたものです。庭に眼をやると、厳しい寒さの中に、ひっそりと花を咲かせています。実家の蝋梅は、年数とともにがっちりとした花木に育っていましたが、我が家の蝋梅は、ほっそりしていてスラッと立っています。若い分、花数も少なめで、狭い庭にふさわしい趣でした。今頃、私達のあの蝋梅は、きっと大きく成長し、新しい家族を喜ばせていることと思います。散歩していると、時々庭に蝋梅があるお家を見かけ、蝋梅とともに懐かしい光景が思い出されます。

2013年1月23日水曜日

嬉しいニュ-ス


 先日嬉しいニュ-スが報道されました。七十五歳の女性が、芥川賞を受賞されたのです。同賞受賞の中では史上最年長ということで、年齢がクロ-ズアップされていますが、なんと彼女は筆歴七十年ということです。五歳の時に、物語を書き始めたそうです。受賞作品「abさんご」は、自分の半生を描いた小説で、固有名詞がなく、横書きで、ほとんどがひらがなという、独自のスタイルを貫いておられます。驚くことに、一つの作品にかける期間は十年間とのことです。「どういう作品を書きたいかっていう衝動のほうが大きいので、結果的にどんどん普通の小説ではなくなっていって、変わったものになってしまった。生きているうちに見つけてくださって本当にありがとうございました」と、受賞の喜びを話されました。

 このニュ-スを聞いた時、本当に感動しました。自分の好きなことを、黙々と地道に続けた結果です。一本の道の素晴らしさが伝わってきます。器用な人は、何でもすぐにマスタ-してしまいますが、その反面一つのことをこつこつと地道に進むのは苦手かもしれません。七十五歳女流作家の生きる姿勢に、感銘を受けました。陰ながら応援したいと思います。フレ-フレ-と声援を送ります。

2013年1月22日火曜日

びっくりぎょうてん


 先日夫婦で出かけた時のことです。夫が「コ-ヒ-が欲しい」と言い、途中のコンビニで買い物をしました。コ-ヒ-と菓子パン二個を買って戻ってきました。私は車で待っていたので、どんな菓子パンを買ったのかと、早速パンを取り出しました。あんパンとジャムパンです。その時、袋に印刷されている賞味期限の日付が目に入りました。昨日の日付と明日の日付です。私は「あれっ今日は何日だった?」と夫に確認し「これ賞味期限切れているのに、売っているのね」と驚きの声を上げました。夫はすぐ、店員さんにそのことを伝えにコンビニへ行きました。そして苦笑いしながら戻ってきました。私がキョトンとしていると、袋に印刷してある日付を指して、「一ヶ月先の日付だって」と言います。私は「えっ!」と言いながら、賞味期限の日付を見ました。何ということでしょう。昨日の日付から一ヶ月先まで、賞味期限となっているのです。今迄ずっと菓子パンの賞味期限は3日~4日と思い込んでいたので、まさか一ヶ月もあるとは信じられません。袋には「おいしさ、ずっと長持ち」と書いてあります。日付の最後の数字だけを見て、これは昨日迄こちらは明日迄と、即断していたのです。もちろん夫も同様です。菓子パンが、一ヶ月先迄「おいしさ、ずっと長持ち」するとは思われません。パンの製造方法も日進月歩しているということでしょうか。それでもやっぱり私は、少しでも製造日に近いものを買おうと思います。本当にびっくりぎょうてんしましたが、自分達の思い込みと早とちりに、二人で大笑いしました。笑い話になりました。

 が、しかし、この商品が開発された背景には、何があるのでしょうか。ひょっとして東日本大震災と関係があるのでしょうか。私達は、情報キャッチが遅れていたことを痛感しました。

2013年1月21日月曜日

徒然に想ううた 短歌三首


年頭に 大志を抱く 古希の人
 

    夢を追いかけ 学び舎に立つ

 

 

待つことは 人を成熟 させる道
 

      泰然自若 胸に刻んで

 

 

たそがれる 山の向こうに 沈みゆく
 

      赤き夕陽の ギンギンギララ

2013年1月20日日曜日

徒然に想ううた 俳句三句


 

年の瀬に 良寛訪ね 瀬戸の海

 

 

冬日和 心ほころび 歌い出す

 

 

夕焼けが 木立染め行く 冬枯れ野

2013年1月19日土曜日

人生の大先輩―2


 先日ニュ-スで、すごい方がおられるということを知りました。現在九十九歳の男性は、大学へ通っています。週に二回、電車・バスを乗り継いで、片道二時間近くかけて大学へ通っておられます。国際政治史や国際法の講義を受講されています。

 「勉強したい」という思いを持ちながらも、家庭の事情で尋常小学校を卒業後すぐに働きに出ました。夜間学校なら進学させてもらえるかと、独学で勉強し、商業学校の編入試験に合格しましたが、父親の許可は出ず進学できませんでした。太平洋戦争では、ビルマ戦線に衛生兵として送られ、砲弾を受け多くの仲間を亡くし、戦場は食べ物もなく餓死する仲間もたくさんいて、オタマジャクシもヘビもなんでも食べたそうです。帰国後は紳士服の縫製工場で働き、八十五歳でリタイアして、九十三歳の時に、子供の頃からの夢「勉強したい」を実現されました。「自らが体験したあの戦争がなぜ起こったのか、その背景を明らかにしたい」という思いで、今迄に日本史、世界史、国際法などを受講され「国際的な対立は、戦争ではなく、外交的努力で回避すべきだとの思いが募っている」と述べておられます。「大学通いを支えているのは、尽きることのない好奇心」だと話され、英会話講座にも挑戦され意欲満々です。十四年ほど前に妻に先立たれ、子や孫がいますが「一人のほうが気楽でええ」と、一人暮らしをされています。十二月で百歳になられますが「世の中にはいろんな知らないことがある、いくつになっても勉強を続けたい」と話されています。

 私の親世代のこの男性には、本当に圧倒させられます。百歳を前にして、この素晴らしい好奇心と行動には目を見張ります。精神的、肉体的な条件は授かり物だと感じますが、後に続く後輩達に立派なお手本を示されていると、拍手喝采し脱帽します。

2013年1月18日金曜日

雪舟の寺へ


 良寛さんの寺、円通寺へお参りしてから、倉敷市の北に位置する総社市にある宝福寺を訪れました。

 宝福寺は、天台宗の僧・日輪が開いたとされ、千年を超える歴史を持つ古刹です。三重塔は国の重要文化財に指定されています。水墨山水画の巨匠、雪舟(1420年生まれ)が、少年期に修行し、落ちる涙でネズミの絵を足の指で描いたという逸話でもよく知られています。岡山県の史跡に指定されている境内は、紅葉の名所としても有名で、11月中旬から下旬は、たくさんの人が訪れるそうです。

 私達が宝福寺へ着いたのは3時頃で、冬休みということもあり、訪れる人は誰もいませんでした。深い山の中にひっそりと静かにたたずむお寺でした。雪舟がネズミと一緒にいる石像がありましたが、雪舟が後ろ手に縛られている姿だったので、その写真は撮りませんでした。宝福寺でも家族で俳句をいくつか作り、旅の思い出ができました。


 
 

2013年1月17日木曜日

良寛さんの寺へ


 冬休みに家族で、岡山県倉敷市にある円通寺を訪れました。円通寺は、越後生まれの若き良寛さんが、長年修行をした曹洞宗の寺で、瀬戸内海を望む小高い山の上にあります。自然の地形や岩を、巧みに取り入れた庭園が広がっていました。近くには円通寺公園と国民宿舎もあり、四季折々の花が見事だそうで、風光明媚なところです。円通寺で修行した良寛さんは、その後全国を行脚して、後世に名を残す僧となったのは、周知の通りです。子供達にもよく知られている良寛さんは、どんなに気さくであったろうかと、その人柄にどんどんイメージが広がります。犬や馬と肩を寄せ合ってほほえむ石仏を見て、こちらもほほえんでしまいました。


源平水島合戦の古戦場や美しい瀬戸内海が見渡せる場所に立ち、家族で俳句を詠みました。義母は長年俳句の同人に入っているので、いろいろヒントを言ってくれて、にぎやかな俄か句会となりました。

 
冬休みということで、円通寺を訪れる人もなく静かなものでしたが、ヘルメットをかぶった中年男性が、一人静かにお参りされているので印象に残りました。オートバイでツーリングをされているようでした。
円通寺の本堂は茅葺きで、歴史を感じる落ち着いた風情でした。鐘もつかせてもらい、全身をつらぬくよい音を出すことができて、素晴らしい思い出になりました。


2013年1月16日水曜日

京の街歩き-4


 年末年始を京都で過ごし、初詣にあちこちへ出かけました。街歩きをしていると、あちこちで石碑を見かけます。歴史のある京都では当然のことと思いますが、興味を持ちました。

 木屋町通には、桂小五郎と幾松が住んだ寓居跡があり、今は料亭になっています。



三条通には、池田屋騒動のあった池田屋跡の石碑あります。さらに三条通のすぐ南へ入った通りには、坂本竜馬が下宿していた家(酢屋)があります。そして河原町通へ出ると、坂本竜馬と中岡慎太郎の遭難の地の石碑があります。

 
 
 
 

 三条木屋町の高瀬川にかかる三条小橋の際には、佐久間象山の遭難の地の石碑があります。NHK大河ドラマ「八重の桜」の第一回、第二回に、佐久間象山が登場しています。塾を開き、若者達に時代の先端をきって、日本の国の進むべき道を説いています。吉田松陰、勝海舟、河井継之助、八重の兄の山本覚馬などが学んでいました。


 武市半平太の寓居跡の石碑も、木屋町通にありました。

 
 河原町通、三条通、木屋町通だけでも、かなりの石碑を見ました。百五十年ほど前、明治維新という激動の時代をかけぬけた、多くの若き人達が、この界隈を歩き回り、走り回っていたと思うと、歴史が身近に感じられます。

2013年1月15日火曜日

京の街歩き-3

 元日に家族で初詣に出かけた時のことです。寺町通を南から北へ上ったのですが、京都御所に沿っている寺町通の途中で、新島襄旧居の石碑を見つけ、早速写真を撮りました。


 


  今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、新島襄の妻八重を描いたものです。放送は二回終わりましたが、今はまだ会津での八重のお話です。八重は、会津藩が迎えた幕末の戊辰戦争では銃を持ち戦いますが、その戦いで父と弟を亡くし、そのあと京都にいる兄の元に身を寄せます。そして新島襄と出会い結婚し、夫と共に同志社大学の創立に尽力します。結婚生活は十二年と短いものでしたが、夫が亡くなったあとも、八重は八十六歳で亡くなるまで京都で生活します。八重は、男性と対等の立場に立ち、生涯を生き抜きます。今の言葉ではハンサムウーマンでしょうか。女性の目から見ると、とても頼もしく気持ちのよい生き方です。八重の生き方から、何か学び取るものがあるように思います。ドラマが進展するのに比例して、新島襄旧居にたくさんの人が訪れて、さぞかし賑わうことと思います。

2013年1月14日月曜日

成人の日

 今日は成人の日です。テレビでは全国の成人式の模様を伝えています。華やかな振り袖を着た女性達の映像が出ています。
 今から○十年前、私は市の公会堂で催された成人式に出席しました。当時は今と違って、振り袖を着る人の方が少なく目立つ存在でした。二人の姉がいる私は、着ようと思えば振り袖を着ることができる状況でしたが、着ませんでした。上の姉のために、母は刺繍を縫ったとてもきれいな振り袖を作りました。下に妹が二人もいるので、三人の娘が着ると思えば、母も力が入ったのでしょう。母は、私が振り袖を着て成人式に行くと思っていたようです。せっかく振り袖があるのだから、着るであろうと期待していたと思います。しかし私の心境は複雑でした。華やかな振り袖を着て、目立つのがいやでした。中学を卒業して、紡績工場へ就職した友達もいます。故郷を離れ寮生活をしていました。立派な社会人です。それに比べ、私は親の羽の下でぬくぬくと毎日を過ごしています。極力目立たないように質素に黒のスーツを着て、成人式に出席しました。毎年新成人が「君が代」のピアノ伴奏を弾くのが恒例になっていて、私も頼まれていました。振り袖を着てピアノを弾くのは弾きにくいから、洋服で出席するということを母に伝え、母は仕方ないと納得してくれました。私の成人の日の思い出は、質素に質素に、目立たないように、静かにピアノを弾いたというものです。
 兄も二人の姉達も成人式には出席していません。遠くの大学へ行っていたので、冬休みも終わり学校が始まったばかりで帰れなかったのです。私は、自宅から通学していたので出席することができました。
 成人の日を迎えて変わったことは、選挙権を得たことです。学生の身分で二十歳を越えても、親の羽の下にいるのでは、世間の冷たい風にもあたりません。就職して社会人になっている友人達に、申し訳ないような気持ちでした。
 親の庇護からの旅立ち、それこそが私にとって本当の大人になることでした。それは結婚して親元を離れた時です。完全に独立、自立した自分がいました。一人ではなく二人ですが、本当の大人になったのだと思いました。「すべてのことを自分達で決め行動する」本当の大人になった自覚と覚悟、喜び、誇りが、ひしひしと沸き起こってきたのを思い出します。

2013年1月13日日曜日

京の街歩き-2

 京の街歩きをしていると、不思議な光景が目に入ってきました。この真冬に簾をかけている家があるのです。それも多くの住宅にかかっているのです。とくに先斗町、祇園新橋通、宮川町などの花街を歩いているとさらに多く二階に簾がかかっているのです。簾は夏のものと思い込んでいる私は、この意外性に驚きました。京都といえば、町家では毎年、建具、敷物など、住まいの中を夏用、冬用に入れ替え、テレビ、本などではその模様をとりあげ「設え(しつらえ)」という言葉を使っています。「設え」という言葉には、日本古来から伝えられてきた日本的な文化の響きを感じます。






 私の実家は京都ではありませんが、私の記憶にある限り、子供の頃からずっと、毎年夏用冬用の建具、敷物、衝立、簾、座布団から掛け軸まで、毎年入れ替えていました。それはずっと父の仕事でした。私は大変なことだと思いながらも、それが当たり前のような感覚でした。その感覚で、京都の冬にもかけられている簾を見ると、違和感を覚えます。いつの頃からこういう光景が、見られるようになったのでしょうか。昔からのことなのでしょうか。京都は何かにつけてきっちりするという印象を、私はもっていました。「設え」も典型的なその一つだと思っていました。きっと理由があるはずです。その理由を御存じの方がおられましたら、ぜひ教えて頂きたいと思います。

2013年1月12日土曜日

京の街歩き-1


 京都の街歩きをしていると、民家の中屋根に、面白いあるいは怖い表情をした鍾馗(しょうき)さん、と呼ばれる像が置かれています。中国の唐の玄宗皇帝の夢枕に現れて、鬼を退散させたという魔よけ、火よけの神様です。いろんな姿をしたしょうきさんがいて、表情もいろいろあります。鍾馗さんのことを知らなかった私は、たくさんの鍾馗さんを一堂に並べたら、素晴らしい展覧会になるであろうと想像してしまいました。

 

 また京の街歩きをしていると、たくさんのお地蔵さんに出会います。町内に一つはあるように思います。私も子供の頃は、祖母や母がしていたのが自然と身につき、お地蔵さんの前を通る時は、立ち止まり手を合わせていたのですが、いつの頃からかしなくなっていました。京都の町では、昔からずっと今も、お地蔵さんを敬い拝み、大切に祀ってきたのだと思います。お地蔵さんは、その土地に深く根付いている土着信仰のようなものでしょうか。これからは私も見習いたいと思います。子供の頃を思い出して、お地蔵さんに手を合わせようと思います。

2013年1月11日金曜日

初詣―2


 二日も家族で初詣ツァーに繰り出しました。今度は東の方向へ出かけました。始めに知恩院へお参りしました。創建は1175年、開基は法然上人です。私の実家の菩提寺の浄土宗大本山です。全国に7000ほどの末寺があります。父も母も分骨して知恩院に納骨しているので、私は今までに何度も来ています。御影堂大修理が8年計画で行われており、阿弥陀堂へお参りしました。国宝となっている三門、本堂(御影堂)をはじめとする諸堂は、江戸時代に入ってから建設されましたが、徳川家康、秀忠、家光など、徳川家が浄土宗徒であったため、知恩院はどんどん大きくなり立派なものになっていきました。大鐘楼は日本有数の大きなもので、除夜の鐘をつく様子は、年末のテレビ番組にたびたび登場しています。知恩院へは苔生す石畳の道から上って入りましたが、まるでお城のような立派な石垣が続いています。正面からは三門をくぐって入るのですが、その三門は高さ24メートルもあり雄大なものです。
  

 次に円山公園を通り八坂神社へ参拝しました。阪急四条駅、京阪四条駅から歩いて20分ほどのところにあるので、大阪からもたくさんの人が来ています。人込みの中、参拝をすませ、たくさんの人の波に押されて八坂神社を後にしました。もう少し足をのばせば、豊臣秀吉の妻ねねの高台寺や、いくつもの坂を上って清水寺へ続きますが、今回はここで帰ることにしたのでした。

 

2013年1月10日木曜日

初詣


 一日は家族で初詣ツァーに出かけました。寺町通を南から北へ上り、革堂、下御霊神社、梨木神社、蘆山寺、清浄華院、相国寺へお参りしてから、烏丸通へ出て、護王神社、菅原院天満宮へと、欲張ってたくさんの寺、神社へお参りしました。そして最後に平安神宮へお参りしました。新年のカウントダウンが始まるころから、初詣の人々がぞくぞくと集まるので、拝殿の前にたどりつくのも容易ではありませんが、私達が平安神宮へ到着したのは四時頃だったので、ピークは過ぎていたようでした。それでも大行列に並びやっとのことで参拝できました。
 
護王神社
 
平安神宮
 
神宮道

 年の初めに初詣に行くと、新しい年を迎えたという新鮮な気持ちになります。気持ちがひきしまります。私は、初詣が大好きです。「一年の計は元旦にあり」という諺が頭に浮かびます。どこの寺、神社でも、私が願うことは「家族の健康と新しい年が平穏でありますように」です。寒い中にも太陽が顔を出し、穏やかな新しい年の始まりでした。

2013年1月9日水曜日

お久しぶりです


 今年もよろしくお願いします。新しい年に入り早一週間が過ぎました。昨日夕方無事に戻り久しぶりのブログです。冬休みの間、ノロウイルスに感染することなく、元気に過ごすことができホッとしていますが、まだまだインフルエンザもこれから流行の時期に入るので、油断せずに気をつけねばなりません。

 年末年始は京都で過ごしました。京都といえば京の台所と呼ばれ、毎年歳末になるとニュースに登場する錦市場が有名ですが、私達は出町商店街へ出かけました。有名な餅屋があり、いつも行列をしている不思議なお店ですが、年末にはなおいっそうの客が集まり大行列でした。商店街が続いていて、たくさんのお客で賑わっていました。

 
 京都で年の瀬を過ごすのは、とても楽しいものです。たくさんの寺や神社が、いろんな行事をしています。東山区にある六波羅蜜寺では、「空也踊躍(ゆやく)念仏」が公開されていたので、見に行ってきました。六波羅蜜寺は、空也が平安時代中期(951年)に創建した真言宗の寺で、西国三十三所の十七番札所です。「空也踊躍念仏」は、念仏の広がりに危機感を抱いた鎌倉幕府の弾圧が迫る中、夕暮れ時に屏風の影に隠れて踊ることで、その姿を守り伝えてきたとのことで、国の重要無形民族文化財になっているそうです。住職の説明を聞き、最後にお守りのお札をもらいました。

 
 大晦日の除夜の鐘は、左京区にある真如堂へ行きました。何故か外国の人がたくさん集まっていて、鐘をつくのに多くの人が行列して、順番を待っていました。時間がかかりそうなので、お参りをして写真を撮って帰りました。NHK「ゆく年くる年」には、清水寺がとりあげられ、あふれんばかりの人が映像に映っていました。