先日ラジオから懐かしい言葉が聞こえてきました。「たそがれ族」です。今から20数年前に流行った言葉と記憶していますが、仕事や子育てに追われる身には、あまり心に響かず聞き流していました。ところが今回この言葉を聞いて身につまされたように感じ、悲哀をともなって心の中にしみこんできました。
「たそがれ」とは、日の盛りを過ぎた頃、夕暮れや夕方の薄暗くなってきた頃をさします。そこから人生の盛りを過ぎた年代をたとえて言うようにもなりました。団塊の世代に属する私は、まさに「たそがれ族」の仲間入りです。子供達が立派に社会人となり、老親も見送り、夫婦二人だけの静かな生活の中で、自分のしたいことに没頭できる喜びを謳歌している私に、この言葉は一瞬立ち止まらせ、少し考える時間を運んできました。人間の一生の盛りが過ぎた年代というのは事実です。やり遂げたという達成感とその反面少しの淋しさを感じているのも事実です。しかし人間誰もが歩む過程です。「たそがれ族」にどっぷり埋没し、過ぎ去った日々のことばかりに気をとられていたのでは、これから先の暮らしが思いやられます。最後のその時まで人生を楽しみたいものです。
今、話題の人になっている某政治家は、80歳になられても「暴走老人大いに結構、私は暴走老人です」と豪語されています。「たそがれ族」の人達も、たそがれないで、暴走老人のパワーを持ち続けてほしいと思います。
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