2012年8月10日金曜日

かくれんぼ


 誰もが子供の時に遊んだかくれんぼ。「かくれんぼ」と聞いただけで、子供の時の故郷の風景、一緒に遊んだ友達の顔が思い出され、郷愁の響きがあります。
 岡山県出身の小説家・随筆家内田百閒(うちだひゃっけん)1889(明治22年)~1971(昭和46年)の人生を描いた黒沢明監督最後の映画「まあだだよ」(1993年)は、彼の晩年の教え子たちとの交流を題材にしたものです。内田百閒は、夏目漱石の門下生です。岡山県岡山市の老舗造り酒屋の一人息子で、東大へ進学し、教鞭をとりながら文筆活動をします。彼の人となりがユニークで、面白い人物です。岡山県岡山市に百間川(ひゃっけんがわ)があり、そこから筆名をとったそうです。百閒の誕生日を祝い、教え子らが、還暦の翌年から「摩阿陀会(まあだかい)」という誕生パーティーを開いてくれました。これは、「還暦はもう祝ってさしあげた。それなのにまだお元気なのですか」という「まあだかい」に由来するということです。百閒一流のユーモアと諧謔(かいぎゃく、気のきいた、おもしろい冗談)を垣間見ることができるとの評を得ています。
 映画「まあだだよ」を見た時、思い出したことがあります。姉が四十五歳で亡くなった時、その日の夜、かけつけて下さった遠縁の高齢の女性が、しみじみと「死ぬって、かくれんぼのようだね」と、おっしゃったのです。その言葉は、ずっと心の奥に記憶され、二十四年の歳月が過ぎました。この二十四年の歳月には、当たり前のことですが、人間の生死が繰り広げられてきました。自分の身近な人達が、旅立つ度に「死ぬって、かくれんぼのようだね」高齢の女性が言ったこの言葉が頭をよぎりました。子供の時に遊んだ「かくれんぼ」は、「もういいかい、まあだだよ」「もういいかい、もういいよ」と呼び合い、遊びが終われば、元の元気な姿を見せますが、「かくれんぼ」のように、旅立った人達は、残念ながら元の元気な姿は見せてくれません。夢の中で、元の元気な姿と再会するだけです。年齢を重ねれば重ねるほど、「かくれんぼ」が、大きな深い意味をもって私に迫ってきます。
 映画のラストシーンは「まーあだかい」「まあだだよ」が繰り返されて、「もういいよ」で終わります。

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