山陰の旅の三日目は、出雲市から石見銀山を目指します。石見銀山は、島根県大田市にあります。石見銀山遺跡とその文化的景観は、2007年7月にユネスコの世界遺産に登録されました。石見銀山遺跡は、自然との共生の中で栄えた銀鉱山であり、その産業の衰退とともに、遺跡が周囲の自然の中に溶け込みながら残っています。石見銀山の価値は、遺跡とそれを取り巻く自然、そこに住む人々の調和した姿にあります。これを人類共通の財産(たから)として後世に引き継いでいかねばなりません。それを理由として石見銀山方式パーク&ライドが実施されており、交通規制がかかっています。車、バスの乗り入れは、石見銀山世界遺産センターまでです。ここからは、路線バスで大森代官所跡まで行き、そのあとは徒歩です。ルートは、村の中を通るのと銀山遊歩道の2本あります。私達は、行きは銀山遊歩道を歩き、帰りは村の中を通りました。雷がゴロゴロ鳴り、途中雨も少し降り「マムシに注意」「熊に注意」の看板を見て、ビクビク、恐る恐る遊歩道を歩きました。
清水谷製錬所跡を見ました。明治期、本当に短い期間(1年半ほど)しか使われていません。とてももったいないことになりましたが、江戸時代に銀が盛んに採掘され、ほとんど残っていなかったためということのようです。そのあとも銀山遊歩道を30分ほど歩きました。
次に龍源寺間歩を見ました。間歩(まぶ)とは、銀を採掘した坑道のことで、大小さまざまなものがあり、600以上確認されています。龍源寺間歩は、一般に公開されている間歩で通り抜けることができます。有料で大人400円小人200円でした。入口から出口まで10分ほどでした。入口からは、冷気が外へ流れ出て白く霧状になっており、中はどんなに低い温度なのかと期待して入ったところ、何と温度計は14度を示していて、冷蔵庫の中へ入ったようになりました。酷暑の中、汗を流し、足をひきずり、もう少しもう少しと自分を励まし歩き続けた先に、素晴らしいプレゼントが待っていたのです。感動しました。感激しました。
龍源寺間歩を出てからは、気分も足どりも軽くなり、道も下り坂となり、村の中を通り抜け大森代官所跡を目指しました。途中に古い木造の小学校があり、懐かしさを感じさせる面影に惹かれ写真を撮りました。酷暑の中、熱中症にならないよう、ペットボトルのお茶を飲みながら歩き、体力的にもそろそろお店に入って休憩・食事をしなければと思い、適当なお店を探しつつ村の中を通りましたが、冷房のあるお店が見つけられず、結局最終地点の代官所跡の前で昼食をとりました。そして路線バスに乗り、世界遺産センターへ戻り、パネルや模型、映像で当時の集落や製錬所を再現し、紹介している展示室を見学しました。
これで二泊三日の山陰の旅は終わり、帰宅の途につきました。山陰地方のこの時期の酷暑には、本当に驚きました。冬は雪が降り、積もり、その上、夏のこの暑さです。きっと、春・秋は、とても気持ちのよい過ごしやすい気候なのだと、一人納得しました。
旅は、日常から離れる体験で、私は大好きです。旅はロマンです。あこがれや夢をかきたてるものです。そして多くの先人たちの生涯に思いを馳せ、多くのことを知り学び、気づかせてくれます。
参考 石見銀山は、1526年に九州博多の豪商によって発見されて以来、約400年にわたって採掘されてきた日本有数の鉱山です。16~17世紀の約100年の間には、大量の銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。海外にも多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。17世紀前半の石見銀山の産出量は、世界の産出銀の約三分の一を占めていたといわれています。戦国時代に銀山争奪のために築かれた城も多くあります。銀や物資輸送のために使われた銀山街道なども遺跡として残っています。明治期に操業された清水谷製錬所跡や永久坑道、永久製錬所跡、発電所跡など近代の産業遺産も残り、石見銀山の歴史的景観を形成しています。
石見銀山遺跡案内マップより
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