2018年4月26日木曜日

時代の変遷(固定電話)


 先日我が家の固定電話が不通になりました。結婚して以来どこへ引っ越す時も、常に固定電話と共にでした。その後携帯電話があるので、何の不自由もなく日が過ぎて行きました。それでも修理はしておかなくてはと、NTTの人に来てもらって見てもらいました。「電話線は建物まで来ているので、建物の中のことですね」と言われ、また日が過ぎてしまいました。家族は「携帯電話があるのだから、固定電話はやめることにしたら」と言います。しかし私は固定電話にこだわりました。
私が子供だった頃には、一般家庭に固定電話はありませんでした。医院とか商売をされている家とかにはありましたが、特別な存在でした。友達の家に固定電話があると聞くと、うらやましくてすごいなあと思いました。私の家に固定電話が来たのは、半世紀以上も前、中学生の時です。嬉しくて物珍しくて、用事も無いのにわざわざ外の公衆電話から家へ電話をかけたりしました。固定電話の存在が、文化的レベルに比例するかのような錯覚を覚えていたのです。どんなに科学技術が進歩発展しても、固定電話の存在とその地位は揺るぎないものと思い込んでいました。携帯電話の扱いも、通話とメールぐらいしかできない私は、固定電話が無くなれば精神的に不安定になりそうです。私にとっては、通信手段の拠り所です。この先、年輪を重ねる先は、今よりもっともっと科学技術の進歩についていけないように思います。緊急事態発生の時にも、携帯電話の電池切れとか起こればパニックになってしまいます。そういうことで固定電話を手放すのは止めました。二十年ほど前にこの家を建てたのですが、建築専門家のポアロは、いろんな通信のことも考えて特殊な機器を入れていました。従来の電話回線だけではありません。工事に携わった会社の人に来てもらって、シンプルな本来の電話回線だけにしてもらいました。私はさっぱりわからないのですが、今回のことで、時代遅れと言われてもシンプルこそ基本の基、単純明快がますます好きになりました。

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