チャンポンといっても料理名ではありません。私の語学力です。語学力といっても専門的なことではありません。私が外国人講師と話す時の会話力です。自分でもおかしくておかしくて、どうしてこんなに面白い人間かと、おっちょこちょいの自分に笑いがとまりません。続けることに重きをおいて長年英会話教室に通っていますが、三月から三年のブランクを経て、フランス語会話も再スタートしました。学生時代にフランス語に初めて接しましたが、この時は会話ではなく、文法的なものでした。四十代でフランス語会話教室へ通いましたが、かじるという程度で数ヶ月で終わりました。短い間でもいくつかのフレーズは覚えています。「ボンジュール、ボンソワール、メルシー、メルシーボークー、ウイ、ノン、ボン、モナミ、アンシャンテ(はじめまして)、ジュマペルまるこ(私の名前はまるこです)、ジャビテア京都(京都に住んでいます)、ジュスイジャポネーズ(私は日本人です)、ジュスイエチュヂアント(私は学生です)、ケスクセ(これは何ですか)、セコンビアン(いくらですか)、パードン(すみません)、アンカフェシルブプレ(コーヒーください)、ダコー(わかりました)、エクスキュゼモワ(ごめんなさい)、コマンタレブー(お元気ですか)、アビヤント(またね)、オルヴォワール(さようなら)などです。フランス語講師は、日本に住んで十年以上なので日本語もわかります。自分の言いたいことをフランス語で言えない時は、お粗末な英語で、そしてそれでも言えない時は、いつもの日本語で話してしまいます。講師はコミュニケーションを第一としているので、こちらの言いたいことを一生懸命わかろうとしてくれます。会話が成立します。会話が進みます。本来はフランス語のみ、英語のみの教室ですが、私のように脱線しチャンポンで話す面白い生徒もいます。英会話のクラスに参加すると、覚えたてのフランス語が無意識で飛び出たりして、クラスメイトに笑いを提供します。
私が生まれて初めて外国人に出会ったのは、六十年以上前です。オランダから来ていた家の近くのルーテル教会の神父一家で、二人の子供さんが同じ年頃ということから遊んだりしました。その時の記憶は、英語のあいさつと、あとは日本語だったと思います。その次の外国人との出会いは、高校生だった姉が通っていたミッションスクールのシスターでした。十歳の時です。遊びながら、シスターから英語を教えてもらいました。祖母が付き添って隣町まで通いました。自分の歴史を振り返ると、ずいぶん早くから外国人と接する機会をもらい、英語というものにふれあってきたように思います。外国人に対して偏見はありません。戦後生まれの私は、日本以外の国の人もお友達としての感覚です。日本に住み続けている日本人が、学校では長期にわたり英語を学んでいますが、英会話となるとまた別問題です。私の英会話力は恥ずかしいものです。上手になりたいという願望はありますが、努力ができません。英会話、フランス語会話といっても、遊びに行っているような感じです。脳活にはなるかもしれません。恥をかくことを恐れず、楽しもうという気持ちが大切だと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿