父は仕事から解放された後の楽しみとして、いろんな趣味活動をしました。その一つに能面作りがあります。六十代の頃だと思います。名古屋まで習いに行くという本格的なものでした。制作過程はいろいろあって、まず始めは木の塊から、少しずつ根気よく削っていかねばなりません。短気だった父の性格の、違った面を見たような気がします。一つの能面を完成させるのに、どのくらいの時間を費やしたのかは聞きそびれましたが、おそらく六ヶ月はかかったと思います。十個ほど完成した時には、母の華道と父の能面との「いけ花と能面展」を、地元の百貨店のホールを借りて催しました。美しい花のいけ花と能面が織り交ざり、華やいだそして雅な雰囲気が醸し出されていたように思います。いけ花展だけであれば、観に来て下さるのはほぼ女性ですが、能面展も共にしているので、男性もたくさん観に来て下さり、盛大なものとなりました。当時の母のお弟子さんは、五十人以上もおられたので、会場はたくさんの人で賑わいました。その頃、私は奈良に住んでいたのですが、小さい子供達をつれて、かけつけたことを思い出します。娘として、父と母の頑張る姿が眩しくて、内心は鼻高々でした。
そのあと父は、先祖代々からの長いおつきあいの神社とお寺に能面を奉納し、又懇意ある人にさしあげ、そして四人の子供らにも届けてくれました。母亡き後、父は少しずつ身辺を整理し始め、まだいくつかあった能面を、私と姉にくれました。私の手元には、父が作った能面が二つあります。小面(こおもて)と中将(ちゅうじょう)です。
能面にはいろんな種類があります。鬼神、老人、男、女、霊の五種類に大別されます。
小面(能楽の代表的な女面で、「小」は可愛らしい、若く美しいという意味で、ふっくらした顔をしておりうら若き12~15歳の女性の顔だそうです)
中将(在原業平の顔つきを表した面で、中将の名前は業平の官位からとられているそうです)
小面は、父が作った額にかかっており、中将は、母が縫って作ったしぶい色合いの布袋に入っています。父が作った能面を見るたび、その頃のことが懐かしくよみがえってきます。父と母が最も輝いていた瞬間(とき)だったような気がします。
下から見るとふくよかに見えます |
中将は下から見ると悲しい顔になります |
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