2016年3月16日水曜日

読書の楽しみ(6)「ぼくが逝った日」

 先日京都ロームシアターへ行った時のことです。(1月のブログで報告)
    http://marukonohonbako1.blogspot.jp/2016/01/blog-post_13.html
 広いラウンジには、テーブルやソファが置かれています。自由に読める本もたくさん並んでいます。図書館や書店ではなく、気軽に飲食しながら、談笑しながら、本を読めるというスペースです。市民にとってこんな恵まれた場所は数少ないように思います。そこで、私はこの本に目がとまり、何気なく手に取りパラパラ見たのです。いつもの習慣で、まず始めに著者の略歴を読みました。驚いたのは、著者はフランス人で、高校の哲学教師やパリ大学の心理学講師を経て、1978年に歌劇団を設立し、カンペール(フランス北西のブルターニュ地方の都市)の国立劇場の舞台監督をつとめています(1995~2008)。フランス在住の娘が、南仏のオペラ座に所属し、仕事をしているので、著者に親近感を持ちました。私の好きな哲学と音楽の分野の人が書いた小説デビュー作ということで、すぐに本を買い求めて二日で読破しました。著者の名はミシェル・ロスタン(1942年生まれ)です。妻は舞台女優であり、芸術一家と紹介されています。現在はアルルに住み、舞台演出と執筆をされているようです。
 またこの本を読んで人との出会いをもらいました。本にも登場しますが、日本人の吉田進氏は、1972年に渡仏し、パリ国立音楽院で作曲を学び、フランスの現代音楽の作曲家オリヴィエ・メシアン(1908~1992)に師事し、日本の能「隅田川」(子供の死の物語)をもとにオペラを作曲し、この本の著者ミシェル・ロスタンが演出し、2008年公演のこのオペラはフランスで好評を博しました。彼は来日しオペラ公演をしています。
 2003年10月、二十一歳の一人息子を劇症型髄膜炎という病気で突然亡くした著者は、八年の歳月を経て、自分の体験をもとにこの本を出版しました。死者である息子が、絶望と底なしの悲しみに打ちひしがれる父と母に寄り添います。その魂は、時間や空間を自由自在に飛び越え、人間の心の中もすべて知ることができる主人公です。この物語は、息子の目で語られます。息子を想う父母の心の内、生きている者と死者は、お互いを想い合う深い愛情と強い絆で結ばれています。瀕死状態にいる息子が、父や母、救急隊、医療従事者など、その時の様子を詳しく語る場面では、胸に迫るものがあります。フランスの葬儀事情の場面は、コミカルに描かれています。喪に服する過程は、日本と一緒です。息子は自分の死が迫っているなど微塵も思っていません。しかしそんな彼が、ガールフレンドに、自分の葬儀を思い描いて話していたのです。
「白一色でまとめたお花」
「火葬」
「最終的には灰になってアイスランドに撒かれたい」と。
父と母は、息子が話していたことについて、後日知ることになるのですが、結果として息子の望んでいたように事を進めていたのでした。息子が亡くなってちょうど49日目、父と母はアイスランドへ行く決意をします。2004年8月、アイスランドで慰霊の旅を続ける父と母が、息子の遺灰を撒く場所はここだと確信を持った所、それはエイヤフィヤトラヨークトルの火山灰の上でした。父と母は、2004年から2009年まで、毎年アイスランドへ足を運びます。そして息子の二十八回目の誕生日がやってくるまさにその週、火山が大噴火を起こし、火山灰と混ざり合った息子の遺灰は、標高1万メートルの高さへ吹き上げられたのです。北極圏から南ヨーロッパまで広がった息子の微小な灰を、父と母は、毎日深呼吸をくりかえし、胸いっぱい吸い込んでいます。
ここで物語は終わります。




 ミシェル・ロスタンが書き終えたのは、2010年5月です。その9ヶ月後、2011年3月11日、東日本大震災が起こります。巨大地震、津波、原発により、未曾有の大惨事となったのです。ミシェル・ロスタンが体験したことが、たくさんの人を襲います。生者と死者という隔てはありません。魂は時間や空間を自由自在に飛び越え、愛する大切な人に寄り添い見守っているのです。

追記  
劇症型髄膜炎で五歳の息子さんを亡くされた知人がおられますが、この病気は高熱を発し、三日ほどで命を奪う恐ろしいものです。

 

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