今日は三月十一日、テレビでは震災関連の報道が続いています。列島各地では、五年目の慰霊の式典が行われています。日本人、いえ世界中の人にとっては、一年に一度めぐってくるこの日は、あの日の地獄絵のような光景が思い起こされることと思います。過ぎゆく一年は長く、あるいは短く、五年経った今も、ついこの間のように思います。愛する大切な人を失った深い悲しみは、薄らぐことはありません。深い悲しみも大きな苦しみも、残された人達は、胸に抱いて前を向いて進まねばなりません。そのつらさは想像を絶します。
東北から遠く離れた地に住んでいる私に、何ができるのかといつも考えています。同胞として痛みを共有し、自分の気持ちを寄付に表して届けたり、そして私にできることは傾聴です。そばに寄り添い、深い悲しみ大きな苦しみをただ黙って聴くだけの傾聴ですが、その傾聴は、人の心を救ってくれるという実証があります。そう思いながら何も行動に移せず、五年が過ぎてしまいました。フランス在住の娘は、あの日のすぐ後に行動を起こして、活動を始めました。東北へも足を運び、たくさんの人との出会いを頂き、そのご縁はずっと続いています。日仏だけでなく、フランス在住のいろんな国の人々の支援もいただいて、東日本へ届けています。我が娘ながら、その行動力には脱帽です。その支援活動で出会ったフランス人男性は、パートナーになり、支援団体の代表として二人は、幅広く活動を続けています。シニアの私は、ボランティアに参加しても、みんなの足手まといになり、かえって迷惑をかけるのではないかと危惧し、私達の想いを彼らに託し、彼らを陰ながら応援しています。
テレビで医師の鎌田實氏が話されていたのですが、彼の友人で気仙沼に住んでいる医師は「現在の心の復興はまだ20%、生きている限り100%の心の復興はありえないと思っている」と言われているそうです。未曾有の大震災で、生き残った人達(助けた人、助けられた人、医療従事者、行政担当者など)も、深い心の傷を負っています。心の傷を負った人たちは「これからは心の底から笑うことができないと思う」と言われます。その話を聞いて私は涙するだけです。「誰かに必要とされ、頼られ、誰かの力になることによって、心の傷は癒される。さしのべる手があり、助けがあり、人間は弱いけれど強くなれる」と鎌田氏は言います。鎌田氏は「がんばらない」「あきらめない」「がんばらないけどあきらめない」の著者です。心の復興こそ大きな大切な目標だと思います。それとともに東日本の復興が伴うことを願います。
震災のあの日に生まれた女の子が、五歳になるという報道をテレビで観ました。未来に続く希望のように感じました。鎮魂の鐘を鳴らし、祈りとエールを届けます。
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