昭和30年(1955)頃、私の家にテレビはありませんでした。私が生まれ育った所は農村地帯でした。十五軒ほどの小さな集落でしたが、戦後という時代で、子供はたくさんいました。子供達はいつも一緒に、年上の子が小さい子の面倒を見ながら遊びました。大人達は、子供の名前はもちろん、年齢も、どの子がどこの子かということも熟知していました。
子供達は、日曜日のある時間になると、村の一軒の家へ押し寄せました。村で唯一テレビのある家です。庭から縁側へ乗り出して、テレビの置かれている居間に、その家のおじいさん、おばあさんが座っておられるのを気にすることなく、ワーワー、キャーキャー言いながら、テレビを見せてもらったのです。どんな番組を見たくて、子供達はテレビに夢中になったのでしょう。おぼろげに覚えているのですが、番組名は思い出せません。テレビというものが珍しかったのです。大変な迷惑をかけていたのは事実です。その家には子供はいませんでした。おじいさんとおばあさん、元校長先生だったおじさん、その奥さんも含めて当時は専業農家でした。子供達からすれば、お年寄りの家族でした。十人もの子供達が、騒々しくテレビを見せてもらうのを、嫌な顔もせず、受け入れてくださいました。寛大、寛容なお年寄り達でした。時にはおやつも頂きながらです。
その後、昭和34年(1959)四月の、現在の天皇陛下の御成婚を境に、各家庭にテレビが普及して、よその家へテレビを見せてもらいに行くことはなくなりました。現在では、一家庭にテレビが何台もあるというような状況です。物質的に豊かになった今の日本では想像できないような、懐かしく楽しく人情あふれる時代でした。
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