2015年12月1日火曜日

奈良へ再び(4)平城宮跡―4

 宮内省関係の役所が復原されていたので入りました。内裏東側で見つかった建物群です。築地塀で囲まれた東西約50m、南北約90mの区画の中にあり、門、築地塀の一部、建物が復原されています。正倉院宝物になっている、役所の調度品の復原品がおかれていました。 




  次に東院庭園へ回りました。広大なススキ群生の中を南へ南へと歩きましたが、東院庭園は見当たらず、引き返して東へと曲がりました。背の高さより高いススキの群生で、遠くは見えません。少し遠回りしてしまいましたが、東院庭園へたどり着きました。平城宮の東に張り出した部分は「続日本紀」にみえる「東院」にあたります。昭和42年(1967)その南東隅に大きな庭園の遺構が発見され、平成7年(1995)から平成10年(1998)にかけて復原されました。これが東院庭園です。東西80m、南北100mの敷地の中央に複雑な曲線の池があり、その周囲にいくつかの建物がありました。現代の迎賓館にあたるもので、宴会や儀式を催しました。


   


 最後に平城宮跡資料館へ行きました。平城宮跡は奈良文化財研究所が昭和34年(1959)から毎年計画的に発掘調査をしており、ここでその成果を総合的に分かりやすく展示しています。天皇や皇族が暮らしていた宮殿の復原展示コーナーもあります。発掘調査の出土品を展示している遺物展示コーナーもあります。平城宮内にあった役所の様子を再現した官衛復原展示コーナーもあります。私達は、平城宮跡スタンプラリー(朱雀門、大極殿、遺構展示館、東院庭園、平城宮跡資料館)で5ヶ所を回り、クリアファイルをもらうことができました。歩数は23000歩でした。我ながらあっぱれでした。




 夕闇せまる中、平城宮跡に別れをつげ東大寺へ行きました。東大寺は閉門となり、たくさんの人が帰りの途です。その中を逆行して門前まで行って写真を撮りました。

   


見上げる空に月がのぼっています。遠く離れた唐で、日本を想い阿倍仲麻呂が詠んだ歌がこぼれました。

       「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」


 今さらながら1300年という長い歴史に魅かれています。機会を作りまた奈良へ行きたいと思います。






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