2015年12月8日火曜日

「天皇の料理番」津 東洋軒本店

 いつものことながらテレビの大きな力には感動します。私にとってテレビは情報収集の強い味方です。NHKの番組をよく取り上げるのは恐縮ですが、先日「美の壺」を観ていて、またまた知るを楽しむことができました。
 「明治、華麗なる陶磁器」というタイトルで、明治時代の洋食器についていろいろ説明されていました。その時、画面に私の故郷の地名が出て、その洋食器を所蔵するレストランの名前が出ました。私は知らない名前だったので、インターネットで調べました。そしてまたまたびっくりしました。そのレストランは、最近テレビで放映されたドラマ「天皇の料理番」のモデルだったのです。ドラマは観ていませんが、番組の宣伝はしょっちゅう流れていたのでタイトルは知っていました。東洋軒の創業は1889年(明治22年)で、東京でスタートします。日本の洋食文化の草分けで、常客には伊藤博文や歴代の閣僚がいました。宮内省御用達として皇居内の晩餐会など出張していたのです。東の魯山人、西の半泥子と称される川喜多半泥子のはからいで、1928年(昭和3年)県下初のビルディングであった地元大手銀行の4階(三重県津市)に出張所を開設します。川喜多半泥子は、陶芸家、実業家、政治家で、地元大手銀行の頭取をしていました。1955年(昭和30年)からは、津城の近くで、大正時代の建物である銀行の支店を移築し営業しています。伝統のメニューであるブラックカレーは、職人のこだわりと粋人の遊び心から誕生したのだそうです。ドラマ「天皇の料理番」の主人公は、三代目料理長とのことです。
 その情報を得て、早速家族でランチを食べに行きました。予約をしないで行ったので1時間待ちと言われ、すぐ近くにある津城を散策しました。



店の玄関に立つと、大正時代の雰囲気が感じられます。ドアを開けると、さらに大正時代の雰囲気が漂っています。客席は44席で、さほど広くはありません。二階は個室とのことでした。玄関には宮内省の見積書伝票の綴じたものや、美の壺で紹介されたような歴代使われてきた洋食器がケースに入れられ飾られていました。







  歴史・伝統を感じながら、1時間ほど過ごしました。ゆったりした気分になり大満足で、遅ればせながらの初体験をしました。ドラマのロケは、私達が以前住んでいた岡山県倉敷市でもしたことを知って、ドラマを観たくなりました。

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