2015年12月9日水曜日

ふるさとの歴史(津城跡)

 昨日のブログに書いたレストラン東洋軒の近くに津城跡があります。今まで津城跡へ来たことはありません。お城の存在も知っていて、何度も前を通っているのに、今まであまり関心を持っていませんでした。これはどういうところから来るのでしょうか。旅をすれば名所旧跡をくまなくと言っていいほど訪れている私ですが、自分のふるさとに関してはそっけなく過ごしてきたように思います。身近過ぎて、馴染みすぎて、すべてわかっていると思い込んでいたのかもしれません。
 今回津城跡をゆっくり散策する機会を得ました。津城は、1580年織田信長の弟である織田信包(のぶかね)により築城されました。妹のお市の方や、その娘達(茶々、初、江)も、この城で暮らした時期もあるとのことです。江戸時代初期には築城の名手藤堂高虎が近代城郭として大改修し、城主となり津藩を治めました。




 現在は本丸と西之丸、内堀の一部が残っており、お城公園となっています。





   藩校「有造館」の正門である入徳門が移築され現存しています。




 もみじの紅葉がまだ美しく、庭園の中で目立っていました。





 本来の津城は、今残っているものよりずい分大きく、二重の堀に囲まれていたのだそうです。外堀は23号線の東から西側の市役所の端まで、そして岩田川から水を入れていたようです。


 藤堂高虎の騎乗の像が公園中央にあり、公園の南側に藤堂公を祀った高山神社がありました。






  以前ブログに書いた儒学者伊藤仁斎の長男伊藤東涯のおともをして神山一乗寺に立ち寄った奥田三角は、津藩の城主である藤堂家に四代にわたり仕え、儒学者として生涯を送ったそうです。いろんな歴史が結ばれているのを知るのは楽しいものです。遅ればせながらふるさとの歴史について、これからもボチボチ勉強したいと思います。

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